銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

いや、ここで、銀座・三原橋交差点での、交通事故を思い出している私だった。鎌倉のご近所の態度が、今回とそっくりで、従って、事態が異様なのだ

2017-07-25 01:37:25 | 政治

 ええとね。今、連続して書いて居るものを書きたくないという感じがあります。もし、妹が、100%他殺だとすると、敵さんが、それこそ、100%勝ったことになるので、さすがの私も、げんなりしているところです。で、前報が途中になっていますが、続きを今書く気が無くなりました。

 それが、敵さんの狙いだと、判っていますが、非常に複雑な流れになってきていて、『是だ。この方向で、OK。これを書けばいいのよ』と、言えない状況に陥っています。

 23日の夜は、そう言える・・・・・(=つまり、妹は他殺だ。それは、山口みつ子さんとか高木きよ子先生とか、能登町事件と同じことだろう、断言できる)・・・・・状況はあったのですが、疲労困憊していたので、書かないでいるうちに、その情熱が消えて行ったのです。ともかく、こういう問題を、すさまじい妨害を受けながら、書き続けることは、大変大きなエネルギーがひつようなことなのです。ただね、悲しんだり、へなへなになっているという状況ではなくて、他の事をやりたいという心境になっているのです。美しいものを作るなどの、天や、神様へ近づく仕事をやりたいという心境になっているという事です。

 でもね、明日外出をしてみると、いろいろ、さらに、状況が判る筈なので、それを待ち

たいとも、思っています。

 ただ、葬儀の日に、妹の顔は、非常に美しかったのですが、・・・・・そして、棺も、上等極まりないものでしたが、和服形式のモノ(いわゆる経帷子)というものを着ておらず、ドレスだったのです。しかもドレスの上に、薄物がかかっていたのですよね。

 中央で、両手を組んでいたのですが、その両手よりしたが、非常に薄っぺらいのです。

 私ね、三原橋交差点で、交通事故に出会ったでしょう。これは、事故そのものは謀略でも何でもないのですが、救急車で、聖路加病院へ運びこまれてから、・・・・が、恐ろしい事の連続だったのです。

 加害者の人の車を待っているうちに、植え込みの陰で、偶然に聞いてしまったのですよ。警官が二人、『ちきしょう。間に合わなかった』と言いながらパトカーに、乗り込んでいるのを。つまり、私に治療を受けさせないようにする命令を、受けた、人間が駆け込んできたが、私は、すでに、治療費を払って、外に出ている処だったのでした。

 夜の九時ごろで、他に患者が居なかったので、私を狙って、そのパトカー(サイレンは鳴らさず、しーんとした形で、来たものですがね)が、やってきたのは、確かでしょう。

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 さて、加害者の人が、親切に、車を取りに行ってくれて、私を築地署まで、連れて行ってくれることになっていました。

 この交通事故は、自分の方に、ミスがあるので、加害者の人を一切責めなかったので、その人は、終始、120%親切でした。

 どういうミスが、自分の方にあったかというと、三原橋交差点より、15mぐらい、銀座四丁目よりで、道路を渡ってしまい、眼は、三原橋交差点の、歩行者用、信号ばかり見ていたので、三車線ある、道路の真ん中を走って来た車が、相当なスピードを出していたのに、気が付かなかったのです。

 日本では、それからパリでも、ニューヨークでも、都会なら、歩行者優先です。三原橋交差点なんて、都心も都心でしょう。『それに、赤信号の、交差点に、あと、たった、15mの処だから、すべての車の、スピードは落ちている筈よ』という思い込みで、

 後、15分で、ガレリアグラフィカ、ギャルリー志門、シロタ画廊、せいほうの、4つを見ようとしていたのですから、三原橋交差点まで、正確に回って置く、その3分が惜しかったのでした。

 しかし、私のおもわくとは、違っていて、三車線の真ん中の車線を走って来た車は、相当な、スピードだったのです。しかも、私は現れるはずのない場所から、急に表れた人間なので、その人は、ブレーキを掛ける暇もなくて、私は、その車の前方に、バーンと、7mぐらい飛ばされたらしいのです。その瞬間に私は気絶して、10分間ぐらいの状況は、一切を覚えていないのでした。気が付いたのは、すでに、救急車が来ていて、救急隊の人に、起こされて、立たされて、歩道へ、誘導された時です。

 よく臨死体験を語る人がいますが、私の場合は、そういうものではなくて、単純な気絶ですが、ありがたいことに、気絶したがゆえに、痛いという思いは一切感じませんでした。その後も、いたいとは、思わないまま、二か月ぐらいで、完治しましたよ。

 そして、銀座で、二度も、救急車で、病院へ運び込まれた私は、2005年の、鍛冶橋交差点際で、けがをして運び込まれた慈恵医大では、顔の表側なので、小さく小さく40針も塗っていただいたのですが、今度の聖路加では、後頭部なので、何にも、縫ってもらえなかったのですよ。(苦笑、苦笑の二乗ですが)べろっと、肉が向けたらしいのですが・・・・・(苦笑) つまり、バンパーが、後頭部の、肉を、頭蓋骨すれすれで、削ったのですが、骨膜までは、傷めなかったので、お医者さんは縫わなかったらしいのです。縫うと骨膜を、却って傷めるからでしょう。・・・・・

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 さて、その後、築地署では、「交通事故にはしないでおきましょう」と、梅林と言うトッポイ若い警官が、宿直室みたいなところに招き入れて、言うのです。私は、すぐ、これは、鎌倉雪ノ下に関係があり、警察は、過去のチョンボを画したがっているのだと、判断をして、「ああ、いいですよ」と了承をしました。本名でしょうか? 梅森伸一と似ていますね。

 雪の下の、大チョンボと言うのは、絶対に交通事故が起きるはずのない場所で、柳沢昇に、私の猫のことで呼ばれた警官が、交通事故の調書を取って脅かしたという事案です。これを、警察庁は、大チョンボだと、判って居て、それを、隠したいのだろうと、思ったので、「ああ、いいですよ」と、言いました。これは、雪の下黒物語で、何度も書いて居る話です。後で、リンク先を見つけて置きます。(後注1)

 そして、今、この部分まで書いたら、全文が白紙化して消えましたので、私の文章をハッキングしている連中は、その警察の、大チョンボを、世間にさらされると、困ると、思っている連中でしょう。だから、警察自身かな?

 事故当日に戻ります。

 加害者の人は、中小企業の社長さんで、平身低頭して、治療代(6万円)は、払いますと、言ってくれましたけれど、交通事故にしないと警察が言うので、保険がおりませんね。それで、私は、「結構です。どうせ私費なら、6万円程度なら、自分で払います。ただし、脳に損傷が起きた時は、交通事故と言う事を明らかにして、以降の治療費を払ってもらいます。それは、今、一種の示談書を作り、取り決めを書いて置きましょう」と、提案して、手書きの示談書を作り、署名捺印をして、交換をいたしました。それ以降、彼とは、一切の交渉をしておりませんが、お互いに、偽名ではない筈です。

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 その夜は、京橋のフレッサインに宿泊しました。ブログを即座に書いて、体力が無くなって、よれよれで、死に物狂いで、雪の下に帰って来て、午前、8時半に寝入ったのです。すると、数軒が、午前10時半に、布団を大音響で叩く音がして目が覚めました。すぐさま、すさまじい悪意を感じました。前田家のです。で、そのいきさつを丁寧に書いたものがあるので、後注1か、2として、置いて置きます。後でですが、・・・・・・

 つまり、交通事故に出会ってきて、出血も大量にしていて、相当に、悪いのです。終始、気絶している時から、ずっと見つめてくれていた人にとっては、命さえ危ないほどに見えたのでしょう。だから、加害者の人が平身低頭をしている状況なのに、それを、悪い方へ、更に押し込んで行って、殺してやろうとする悪意です。ふつうの人なんですよ。中には、子供や孫もいる人もあるのに、平気でそういうことをするのです。

 で、こういう強い勢いで、布団を叩く為には、ベランダがないといけません。ベランダに、布団を干しているからこそ、叩けるわけです。二階にベランダがあることを、私がはっきりと知っているのは、柳沢昇宅、浅野家(この人は、既に引っ越して行っています。当時、まだ、ここに、住んでいたかどうかも、はっきりとはしないが)平木家、大原家の4軒です。もしかすると、この時点ですでに、冨澤家も、与して居て、叩くのを、頼まれていたかもしれません。白井・小野寺邸には、布団を干すのに、ふさわしいベランダは、在りません。

 しかし、ここに名前を挙げた人は、音だけ聞こえたわけで、姿が見えたわけではありません。ただ一人、きちんと姿が見えた、乃が、渡辺賢司さんでした。ですから、彼は、前田家があくどい事をするたびに登場してもらう事となります。それ以前の、日ごろの態度も、それを書いても天が許すだろうと言うほどに、失礼な態度でしたからね。

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 それですが、どうも、今般も似ているのですよね。それは、周南事件の時もそっくりでした。

 その、相似性も、妹の死を私自身が知る前に、起きている現象です。

 したがって、妹は他殺なのではないかしらと、思っている次第です。しかも、凄い事は、私より先にご近所様が知っていたらしいという事なのです。私が、その死を知ったのは、12日の、夜の10時半です。そして、妹が死んだと、ブログに書き始めたのは、14日です。

 しかし、12日の昼間から、おかしかったです。夕方の銭湯を、思ってくださると、だいたい雰囲気が判るでしょう。それに似たものがこの谷戸を支配します。

 どうしてそうなるかと、言うと、この山では、1980年代から、1990年代いっぱい、比重にうるさい形で、毎日、井戸端会議が繰り広げられていて、その結果、我が家の土地が、盗まれ、崖が無断で、削られました。それを、書いて居るのが、雪の下黒物語です。東京圏の、そうとう上位の一戸建て、住宅街で、ここみたいな場所は、かつて、見たことがありません。

 一戸建て、住宅地で、土地面積が、50坪以上ある(ここは、公簿上は、平均、80坪)もある様な家を買って、転入できるのは、エリートだから、親の代から、そういう住宅街で、育ったはずで、マナーはしっかりと身についている筈なのですよ。それなのに、前田清子さんが、「の〇子がさあ、湘南高校の、男の子と付き合っているのよー。結構イケメンなの。だから、・・・・さっさと、決めちゃいなさいよ・・・・って言っているのだけれど、ぐずぐずしていてさあー」などという言葉が、家の中で、静かにしていると、全部聞こえてくるのです。

 あのね、清子さんは、國學院大學の講師なのですよ。そして、ご主人は駒澤大学の教授なのです。そして、肝心の、の〇子さんは、明治大学の教授となろうとして居るのです。そういう一家なのに、こういう体たらくなのです。本当に信じがたいですが、きよ子さんは、安野智紗夫人に媚びているから、こういう態度になるのでしょう。安野夫人と言う女性は、井戸端会議を利用して、この山の、奥様方の優劣をつけて、自分が陰の棟梁に成ろうとしている人です。いわゆるマウンティングと言うのを、好きなタイプなのです。

 しかし、私がアジサイ畑欺罔事件と言うのを書き始めたので、『まずい』と思ったらしくて、一応、あのうるささは消えております。当たり前です。子供を遊ばせるために母親同士が、協力するのは、小学校四年生ぐらいまでです。外遊びについているのも最高、三年生ぐらいまででしょう。子供が、中学生にも、高校生にもなって、女の優劣を決める井戸端会議をするなどとは、まったくもって、気違△沙汰です。まあ、安野夫人と言う人は、表向きは、三人も子供が居ますが、実子ではないから、こういうことが平気でできるのです。

 鶏が先か、卵が先かという問題がよく言われますが、安野夫人が主宰する井戸端会議を見ていると、二週間で、彼女は、継母なのだと、判りました。普通の母親だったら、高校生が家にいるのに、井戸端会議をするなどありえないです。大学受験とか、恋愛の事とか、気を使う事がいっぱいある時期に、井戸端会議を毎日、開いているなんで、あり得ないです。彼女の本質が、他人にとって、丸裸に見えるのは、当たり前です。子供よりも何よりも自分だけが、大切な人なのですから。

 藤田憲子さんの、一時期の顔とそっくりです。今、ネットをにぎわわせている、藤田憲子さんは、顔がとがって来て居て、狐みたいに見えますね。安野夫人は、まだ、真ん丸な、お顔ですので、ずいぶん違ってきましたけれど。

 でね、アジサイ畑欺罔事件について、書かれるからこそ、井戸端会議を止めましょうとなっているわけですが、『それって、彼女に支配をされて居るうっとおしい事ですよね』と、彼女たちは、考えて、不満を持っているらしいのです。でね、何か、私に不幸な事とか不利なことが起きると、この山全体が、夕方の銭湯状態に、なるのです。

 「やあ、重石が採れたわ。開放を、楽しく味わいましょうよ」と、前田清子さんあたりが、提案をしているのではないかしら?

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 ところで、波状状態で、それが何度も繰り返されたので、パターンが読めるわけです。後注4に置く様に、それが、いつの間にか、戦闘の、一手法になってきている状況でもあります。井上さん(=岸田淳平)と、坂の下から、仲良しそうに、小野寺夫人が、上がってくるのも、その一手法だし、大原光孝さんが、花輪家のお嬢さんや、お孫さんと、一緒に、大声で、歓談をしながら、上がってくるのも、その一手法です。

 そして、あれ、失敗したかなと、思うと、静かになって、しかし、私が以前ほどの、猛スピードで、文章を書きませんので、それを、あ、あいつ、ビビっているぞ。今、こそ、潰してやれと、猛攻を、してくる場合もあるのです。

 今般は、妹の死から、すでに、2週間は、経っていますが、三回ぐらいのうねりがありましたね。攻撃が、激しくなると、私が、下書きで、いろいろ、書きます。表には出さないけれど、下書きで、メモを取っております。それは、ハッキングを受けており、ツウツウで、相手方に判っています。

 で、相手は静かになります。でも、表に出すブログに、それを移動をさせないと、『あいつ、ビビってやがるぞ』と判断をされて、また、攻撃をされるというとなります。

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 ところで、冒頭に、『妹の遺体は、両手を組んでいたのだけれど、その下から、先は、非常に薄ぺらいなあと、感じた』と、書いて居ます。

 妹の死を、私より先にご近所様が知っていたらしいという件も、妹が、警察の特殊部隊に、私を弾圧するための道具として、殺されたと、感じている所以の一つですが、もう一つあって、それは、骨盤が、壊れていると言う点です。

それは、車に轢かれたのではないかと、思うのですが、それは、上に挙げた三原橋交差点の、事故についてブログを、書く場合、必ず添える、数行があって、それに、例の、連中が注目をしたのではないかと、思うのでした。

それは、私は、偶然だけど、気絶した後で、中央分離帯と、並行になる形で、横たわったらしい。だから車の両輪の間に、スポット入ってしまい、後頭部が、こそがれて、はがれるという憂き目には出会ったのだけれど、命に別状はなかったのです。

 その部分を利用されたのではないかと、思うのですね。妹の腰が薄かったのは、まず、気絶をさせて、骨盤辺りを、直角に重装備の、十気筒が、横たわれば、即死でしょう。

 火葬場に行きました。過去にそれを見たことがある、骨盤が、無かったのです。変だなあと、思いましたし、遺体を、焼く前に、感じた、コシノ部分が薄いなあと、言う感じが、これで、一応は、証明できるのでした。無論、間違っているかもしれません。だけど、10年は、掛かっていいから、真相には、迫りたいと、おもっております。

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