銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

山田浩二控訴を取り下げー1・・・Mrs.佐久間の死を、どうして友人でもないMrs.稲田が知っている?その上、重ねて聞きたいが、どうして異様な場所、異様な時間帯で、其を私に知らせるのだ?△

2019-05-21 22:57:16 | 政治

 

 以下の文章は、24日の午後、副題を入れるなどの推敲したり、副題をつけたりして初稿の、6倍に膨らませております。一見すると、女の闘いであり、つまらないなあと、見えるでしょうが、実際の内容は、違うのですよ。・・・・・政治が、こういう風にして行われるのだ・・・・・と、いう実例を示している文章です。で、25日の朝には、一応完成したとして終了に向かいました。で、恒例の三角印を総タイトル右横に付けておきます。

 特に北久里浜における大規模、詐欺事件について、数人の女性の実行行為を説明することによって、そちらの方を、思いがけず、明瞭に説明できています。これは、望外な、果報という言うものです。で、圧倒的な、政治的解説文となっていますので、どうか、もう一度、お読みいただく事を、望んでいます。

副題1、『お天気のニュースを見るつもりだったのに、とんでもないものを見てしまった』

本日、2019年5月21日の、午後は、大雨でした。しかし、私は北久里浜に行くつもりだったので、ニュースを注目をしていました。というのも、絶対に三時過ぎには、晴れるだろうと、思って居たからです。

すると、午後三時ごろ、NHK総合チャンネルが、山田浩二被告が、控訴を取り下げ、死刑が確定したと、言いました。天気の行方を見るつもりだったら、とんでもない別のニュースを、見つけ、もちろん、びっくりしましたし、まずいことになったとは、思いました。

それは、私にとっては、大変大きなダメージです。長らく、周南事件と、この山田浩二事件、及び、ベトナム少女リンちゃん殺し、熊谷市の、ペルー人の、若い男が、6人を殺したとされる事件、それから、井上翼君が河原に、生き埋めにされて、石の圧力で、呼吸ができなくて、死んだ事件、新潟で、死後轢断をされた、環ちゃん事件、それから、大口病院の、点滴袋に界面活性剤が、注入された殺人事件、新幹線焼身自殺により、綱島で、働いている、ブルガリア旅行の記事をフェイスブックに投稿していた、整体師の女性が亡くなったこと、そのすべては、謀略であり、犯人は、鎌倉エージェントの、支配下にあって、彼等のアイデアに、のっとって、ブルーカラーとしての、殺人を行う、専門家集団、イコール、警察の特殊部門であると、言い続けています。

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副題2、『周南事件は、ご近所の住人、安野夫妻、前田夫妻をたすける為に、生起した謀略事件であり、本当は、うやむやにしていこうとしていたと、推察するが、私が、真相について描き始めたので、急に裁判が行われた。しかし、国民にできるだけ、知らせない形で、行おうとして、いて、一審の予告も朝のニュースで、発表されただけで会って、裁判の判決が出た、当日も、ニュースウォッチでは、その報告がなかったほどである』

周南事件では、保見が、やったとされ、7月10日(または、12日)に、一審が行われ、死刑が確定し、

それに、喜んだ、前田祝一が、唐桟の、着物を着てしゃなりしゃなりと、囲碁でもやりに午後、五時に、山ノ下へ、降りて行ったのですが、その夜の、ニュースウォッチでは、報道がなかったと、言って居ます。

私には時間とお金がないので、保見被告(今は、二審も確定した死刑囚だが)とか、山田浩二被告にあいに行ったり(ただし、刑が確定していない段階では、一般の人は、面会を要求できないのだろうか?)することはできません。裁判を傍聴に行くこともできません。

しかし、傍証的な部分で、考えていることは、他人(それは、警察、メディア、一般の、人)に証明されなくても、又、賛成されなくても、間違って居ないと、思って居ます。

しかし、今回は、犯人とされている当人から、控訴取り下げという様な、結論が出てしまって、当時の詳細な、出来事を、すっかり忘れていると、見える、一般の人は、私のいう事など、信じないで、NHKニュースの方を信じるでしょう。それは、やまゆり園事件の時の繰り返しです。

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副題3、『二つ目の面倒なこととして、この山田浩二事件を、又、取り上げないといけなくなった。どこが、おかしいかを、語らないといけなくなった』

 上の節の最後で、『やまゆり園事件の、時と同じ流れになった。これは、非常に面倒なこととなった』と、語っています。ただ、私は一億二千万人を敵に回してもかまわないので、引き続き、山田浩二は、やっていないと、思って居ます。そして、そう主張します。ただし、厚生労働省、の事務次官・二家族を二か所で、一晩のうちに、殺傷したとされている、小泉被告(死刑囚❔)と同じく、これらの犯人は、事前に、教唆、命令があり、それに納得をして、殺人事件の犯人になることを、引き受けていると、思うので、

 こういう変化(=控訴を取り下げる)も、同じ、人物からの教唆命令に、山田浩二が納得をして、引き受けたと、見ています。そして、彼本人は、「実際には死刑執行はしないのだ。外国へ逃がしてやる」と、言い聞かせられているでしょう。それで、米軍機か何かで、こっそりと、一般人には、知られない形で、海外へ、出されます。しかし、海外へ、逃げたら、その後、出先で、ひそかに、殺されるのだと、思います。秘密を外部へ漏らしたら大変ですからね。

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副題4、『お天気ニュースを見ていたつもりが、驚くべきニュースを聞いて、どうしようかと、迷ったことは迷った。すぐブログを書くべきか? それとも朝たてた予定通り、北久里浜に行くべきか?と。しかし、10年前に比べると、相当に、余裕の出てきている私は、ブログを書かないで、北久里浜へ出発した。北久里浜の、情報獲得環境は、二転三転している。で、今は、又、テレビだけは、NHKは、見ることができない環境となっている。それでも出かけた・・・・・21日の夜のことだ』

さて、私は午後三時にこのニュースに接して、これは、困ったことになったと、思いました。過去に、投稿した、膨大な、記事を、そのままにしておくと、嘘を書いていると、思われます。で、すべての文末に、この投稿をつけて、自分は、引き続き、こういう説であるのだと、主張をしないといけません。

 それは、うんざりするほどに、すさまじい労働が必要です。それだけで、死ぬというほどの、労働です。

で、これから、それをやらないと、いけないと、思うと、気がめいりますね。普通ならそうです。しかし私は気がめいりませんでした。・・・・・そういう風にやって来たのか? 連中の悪どさは、さらに、増して来ましたね・・・・・と、思うだけであって、当初の予定通り、北久里浜に在る、旧宅に出かけました。セリ、春菊、どくだみ、が、たった、10日間に、猛烈に成長していて、通る道もないと、いう始末なので、労働をいたしました。実は、そこに,よるの8時半までいました。

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副題5、『ここで、北久里浜の、ネット環境を語らないといけない』

 北久里浜では、長らく、情報音痴だった。インターネット環境がなかった。その上、外で、使えるWi-Fi装置、を、数年間、G02~G06まで、月に6000円近く使って、保持していたが、実際には外では、使えなかったのだ。それで、20万円以上損をしている。普通のひとなら、これ程に、読者数の多い、ブログを書いていたら、あふぃりえいと収入が、月に15万円はあるだろうに、反対に、損ばかり与えられている。そしてそれは、雪ノ下の方の自宅での、私道の拠出状況と、そっくりなのだ。前田祝一清子邸では、前の住人がそうしたのだけれど、私道部分を拠出していない。そこに、出しゃばって、庭を作っている。それと、正反対に、私は、前田清子夫人と、藤本夫人との争いを、埋め合わせるために、私の私道部分を拠出させられている。それが、35年以上にわたって、物理的、経済的、心理的な被害を与えられ続けていることにつながっている。

 今、私は小学校の同窓会で、行われた、一種のつるし上げ状態について、語ろうとしているし、その前段階としての、高校時代の、クラス会で行われた、罠についても語ろうとしている。19日に行われた小学校の、クラス会の三次会で、敵さん達は、私の語る内容が、ほかの人間に、理解不可能なことを確かめたうえで、山田浩二が、控訴を取り下げたと、いうニュースを流し始めた。それに抵抗したと、しても、一般の読者が、私の方をあざ笑うだけだと、みなしたので、そう動いたと、確信をしている。

 そして、心理的に言えば、それを、利用されて、いじめられたのが後藤健二事件の時の、石堂順子さんの、記者会見だった。

 それは、水曜日だったらしい。火曜日に出かけて、泊まったうえで、ずっと、庭仕事をし続けていた。すると、それを、好機と、とらえられて、・・・・・三歳の時に、家を出て、下の子である、健二さんを捨て去った女性である、・・・・・石堂順子さんが、突然に、メディアの前に現れ(外人記者クラブだったので、そこの理事長だった、過去のある石塚雅彦さんが、携わった、一件であろう。

 また、後藤健二さんの、東大卒の、奥様は、川名昭宣(河出書房新社の編集員、奥様は、外国通信会社勤務だった)夫妻の紹介で、出会い、結婚に至り、後藤健二さんの、過去を洗浄化する役目を果たしたのだったが。

 私が見ていないことをいいことにして、石堂さんが、原発反対だと、言ったそうだ。しかし、石堂さんは、後藤健二さんの、子供の名前を知らなかったそうで、付け焼刃の、母親ぶり(または祖母ぶり)が、露呈をしたと、聞いている。しかし、だからといって、北久里浜に、ネット環境を、設置することは、やる必要もないと、思って居た。

 ところが、その後、主人が心筋梗塞で倒れた。入院処置のしかも、救急車で、運び込まれた、40分後には、カテーテル手術が、行われたのだけれど、非常に重篤で、生き返るか、死んでしまうかは、フィフティフィフティですと、言われたので、当然、後遺症は、残ると、思われた。で、救急車や、タクシーが家の前までは、到達できない山の上の家である、鎌倉雪ノ下に住むのは、無理になるだろうと判断をして、2016年の12月に、北久里浜の方に、ネット環境を整備した。NTTドコモの携帯を契約して、と同時に、ネット環境とテレビも、準備した。

 しかし、主人が急速に回復した。で、実際には、引っ越してはいない。でも、毎月7000円強を支払って北久里浜にもテレビ固定電話、インターネット環境が整備は、された。

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副題6、『ここで、鎌倉エージェント=CIAの一人である、仲野通巳吉が、私の脳裏に、急浮上をする。青地問題でも、既に、急浮上をしているのだが、そちらを、the end まで、書き表せないで、いるうちに、こちらの、・・・・山田浩二が、控訴を取り下げた・・・・・と、いう問題で、急浮上をしてもらわないといけなくなった』

  しかし、一か月程度、前だっただろうか? 郵便受けにNHKからの催促状が入っていた。受信契約をしてくださいだって。えっと、思う。月に、八回程度、私か主人のどちらかが、行く。その際に、主人と私がそれぞれ、30分程度、昼休み、及び、夕食時に、NHKニュースを聞くことはあるだろう。で、合計しても、4時間から8時間の視聴でしかない。鎌倉雪ノ下の方で、支払って居るのだから、これくらい目こぼししてくれてもいいだろうと、思うのだけれど、だめだろう。したがってこれは、例の、連中のいじめの一つなのだ。

 いや次に出て来る章で、かなこさんと、いう登場人物について触れる。その人は、日本最大の、お受験塾を経営している理事長なのだけれど、こちら北久里浜の、家の我が家の、南東の、位置にある隣家(現在は、空き家だが、直前の住人、石川家の、所有物件。前の住人は、このブログの主要な人物、上滝家であった)家で、モーツァルトの、【フィガロの結婚】から、お小姓【ケルビーノのアリア】を歌ったのだ。

 東京で、上流社会人を、普段相手にしている、マダム=(かなこさん)が、北久里浜に来て、他人の家で、私に聞こえる様に、アリアを歌った。(苦笑?) そういう手配は、すべて、鎌倉エージェントが行うのだが、こちら、北久里浜にも真南に、主要な人物、仲野通巳吉が、我が家から、20メートル離れた位置に住んでいる。

 仲野通巳吉とは、1978年に行われた、地籍変更届を利用する、実質的詐欺事件(1200坪の公共用地を、ただで、私有化した事案・・・・・)の主役である、益山夫妻の、妻の方、智恵子夫人の、実弟である。

 彼が、チクったのでしょうねと、思い当たる。しかし、インターネット環境も整備して、ほとんど使わない、7000円を毎月支払って居るのに、NHK視聴料まで支払うのは、いやだ。したがって、NHKは、見ないこととした。で、21日の様に、午後三時に、山田浩二が、二審に向けて、控訴を取り下げたと、報道をされた様な、重要な日には、NHKニュースを見たい。北久里浜に居ても見たい。しかし、私はやせ我慢をした。

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副題7、『やせ我慢をしたのは、視聴料を支払いたくないだけではなくて、NHKが、周南事件と同じく、このニュースを主要なニュース内では、隠す可能性を感じたからだった。周南事件と山田浩二の、寝屋川での、中一二児童殺害事件は、とてもよく似ている。実行犯は、警察の特殊部隊であって、アサッシンと、しての特別訓練を受けた連中で、血も涙もない連中だ。しかも、雪ノ下の、安野夫妻と、前田夫妻をたすけ、彼らがそう動く初因となった、北久里浜の、杉本俊一・正子夫妻をたすけ、杉本夫妻より、大きな主役として、行動をした益山重夫・智恵子夫妻(二人ともすでに、亡くなっているが)の実弟仲野通巳吉をも助けるという目的で、私を脅かすために,一般の、人間を遠くで、殺したものだった。

 そして、それが、失敗に終わると、より、身近な存在である、京橋の画廊のオーナー、山口みつ子さんを殺し、北九州で、私の中学時代の同期生、大久保忠春君を暴走老女による事故として、殺した。そして私の実妹も殺した。2017年、7月11日に知らせがあったのだが、ちょうど、やまゆり園事件の一周忌を迎えるところであって、私がいよいよ、筆を冴え切らせて、真実を書こうとしていた矢先の最大の、脅かしだった。

 それから中間層の、人間も、殺されたと、見るケースもある。ただし、いつ、どういう風になくなったかを詳細に知らないので、今まで語らなかった。

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副題8、『ここで、心配なのは、月岡節さんと、佐久間操さんと、いう親切な友人二人が、殺されたのではないかと、いう事だった。ガン検診で、がんが見つかりましたと、いう通知を受けて、その後、無理な手術をして殺されると、いう手法だ』

  月岡節さんとは、芸大卒で、金工を駆使した現代アート系作品を作り、新隗樹社で、活躍していた作家であった。節という漢字は女性も使うが、月岡さんは、男性だ。「ガンで、これから、手術をする。今度は、帰還できないかもしれない」と、言っておられたが、見かけ上はとても健康そうだった。月岡さんは、「死ぬかもしれないので」と、おっしゃって、電話の中で、30分以上かけて、私の本がどれほど、素晴らしいものであるかをほめてくださった。その電話も盗聴されているし、私が、初期のメルマガで、【人品骨柄いやしからず】と、いうエッセイを、月岡さんを主人公として書いている。で、心の奥底で、山口みつ子さんと、同じことが起きたのではないと、いいがと思って居る。同じことというのは、表面は、違う死因が、発表をされているが、実際には他殺だと、いう事。

 月岡さんは、節と、書いて、音ではみさおと読む。同じみさおと、読む友人で、佐久間操さんがいる。佐久間さんは、北久里浜駅を最寄とする住人と同じ学区に住んでいて、駅だけは、京急新大津を使う。明治大学卒だが、塾で大成功をした、人物だった。その上、ご主人も社長(どこの会社かは、聞いていないが)で、収入が高いので、その余裕の資金をお茶の修行に投じていた。彼女は、日常のお料理も、立派な懐石料理として作り上げていた。6冊目の本が、郵便では届かない、可能性があったので、すべての友人宅を、訪問をして献呈をしていたのだが、急に訪問をした私にわざわざ、ご飯を炊いて、そして、上等な干物を焼き、小鉢料理を、二品と、おつゆと、何らかの、つくだ煮で、もてなしてもらったことがある。それを食べていると、どこで、食べてもいいが、1500円以内の、ランチなど、食べられたものではないと、いう気分になる。バイキングだって、とても駄目です。対抗できませんと、いうレベルのお料理だった。旅館系ホテルで、仲居さんがお座敷まで、運んでくれるのお料理よりも、おいしいかもしれない。

:::::::ここで、のちの章で、登場するじゅうもん(十文字学園の理事長の一族であるお嬢さん)に、関連することを語って置きたい。2014年の、お茶大付属高校の同窓会を利用した罠の話だけれど、じゅうもんと一緒に食事をしたことがある。あまりにも繊細だった。何がといって、食べ方と、その量だったのだ。それで、その罠を語る際にも、じゅうもんについては、簡単にしておきたい。あまりにも色が細いので、弱そうに見えるのだ。精神の部分と移調系統は別だと、言っても、一日四会食で、しかも、一回ごとにバリバリ食べる私は、それでもやせているので、エネルギーを多大に使って居ることがわかる。エネルギーーとは愛でもある。

 あまりにおいしいので、パクパクと食べて、ごはんのお代わりをした。すると、彼女が、「あなたって、やせているのによく食べるのね」というので、「ええ、私って、やせの大食いなの」と答えていた。器もすべて上等であった。お米は、横浜高島屋からのお取り寄せだそうで、電気釜も、当時手に入る最上級のものを使っているとのことだった。

 その時に、私たちは、ほぼ、三十ねんぶりに出会ったので、話がよく弾んだ。なお、この章で、登場する北久里浜関連の女性たちは、すべて、子供を通して知り合った、往年のママ友である。

 学歴で人を差別をするわけではないが、彼女、それから津田塾卒の別の友人、武蔵野音大卒の別の友人、などとは、安心して話ができた。上滝夫人などとは、生活のレベルと雰囲気が違うので、もっとも安心ができた存在だ。みさおさんからは、よく、「あなたって、生活臭のない人ね」といわれていた。いつも、創作とか芸術とか、美とか音楽とかを考えていたので、そう見えるらしかった。私に言わせると、彼女の方もそうだったのだが、それを、面と向かって言ったことはない。だけど、そういう会話は、杉本夫人と話すときなどとは、全く違う会話だった。しかし、しかしなのだ。この邂逅の、後で、彼女は、亡くなったそうである。このおごちそうになった夜に、話が弾んで、夜の10時過ぎとなった。すると、いつも遅いご主人が帰宅をされ、私は、初めて出会った。で、私の名前も顔も知っておられる筈なのに、逝去の、お知らせがなかった。

 で、年賀状を出し続けていたが、ある時期から返礼が無くなった。だが、私は、例の政治的配慮で、来ないのかもしれないと、思って居て、亡くなったとは、考えなかった。すると、ある年、信じられないぐらい乱暴な字で、書いた、返礼みたいなものが返ってきて、どういう事だろうと、不思議に思って居た。

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副題9、『稲田恭子夫人が、此処で、登場する。一般の人だが、実名で語る。それは、杉本正子さんの悪辣さを語るためだ。私としては、学区内で、及び地域社会で、もっとも、親しいママ友だと、思って居た。彼女と私は手仕事(わたくしの方は、刺繍や洋裁、彼女の方は刺繍やフェルト手芸それは、50年前から、行って居る最初期の作家のひとりだ)好き人間として、話が合ったからだ。しかし、杉本正子夫人は、稲田恭子さんとは、それほどには、親しくはない。

 しかし、杉本夫人は、この人とか、北村充子さん(最寄り駅を京急堀之内とする、PTA仲間・声がきれいで、小学校の、父兄会が、作る合唱団の指揮者をしていた。音大を卒業していないのに、コンクールで、良い賞を取るなど、やりての女性。だから、小曾、在日の出自が、噂になって居たり、中学時代から担任の先生になついて、奥様に収まったとか、いろいろなうわさがあった女性だが、印象深いのは、特に、ひどい事をやって来た過去があるからだ。私に1985年=34年前に、見事な罠をかけてきて大いじめをした。無論、杉本夫人の命令であろう)などを使役して、いじめまくって来るのだった。だから、此処では、もう彼女たちの、実名を、書かないと、いけない』

 佐久間操さんに戻る。彼女の死に関して、稲田恭子さんの、大いなる動きがあった。それで、、此処で、稲田恭子さんが登場するのだ。或る時、北久里浜の家から鎌倉への帰途で、異様なことがあった。北久里浜の我が家、は、丘の上の、駅に近い部分に在る。しかし、駅への近道は、250段程度、石段を降りる形になるので、問題の大マンション、ルネ北久里浜の、エレベーターを使うことがある。この建物が建っている土地が、旧水道山なので、ただで、取得している一派への、悪事への協力者たる、杉本俊一、元、横須賀市副市長が、後ろめたく思って居るらしい。ので、山の上の住民全部が、月に1500円支払う、パスを申し込むことが、システムとして、できていて、それを、使うと、駅まで、石段を使わないで、こちらのエレベーターを使って、上り降りをすることができる。

 ある夜の事だった。九時ごろ、そのエレベーターへ向かう道を歩いていると、対抗方向から、稲田恭子夫人がやって来た。友達と二人だった。

 その周辺は、マンションが、土地がただの場所に、たっているので、建築費が高くかけられていて、庭の整備が、美しくなされている。だから、山の上の京急池田分譲地の一戸建てに住んでいる、住人が、ウォーキングやランニングの場所として使う事はあるだろう。だから、稲田夫人が、「今、ウォーキングの途中なのよ」というのには、表面上電話は納得をした。しかし、私の方では、内心では、納得をしていなかった。彼女の家は、反対側の北のはずれにあり、500メートルは、離れている。仕掛けとしてというか、謀略として、そこに立っていると私は考えた。それは、想定通りの結果を招いた。稲田恭子夫人は何と、「あなた、佐久間さん死んだのよ、知っている?」といったのだった。無論、知らなかった。だから、ドキッとはしたが、すぐ、これは、嘘というか謀略だと、気がついた。杉本正子さんが、言わせていると、気が付いた。

 どうしてかというと、稲田恭子さんと、佐久間操さんは、親しくないからだ。まず、町内会が違う。それにそれぞれが、固有のお友達関係を築いていて、それが、合致していなかった。趣味も違う。稲田恭子夫人は、芦屋化、神戸の出身で、西欧風な趣味(=テニス他)に、凝っており、車も運転するので、友人を形成する範囲が広かった。一方で、佐久間操夫人は、主に、レクチユアー関係と、お茶関係で、友人を築いていたので、二人は、接点がなかったのだ。

 私の方は、佐久間さんと、山の上と下と、離れてはいるが、同じ根岸町二丁目町内会だから、月に一度、町内会婦人部、又は、母親クラブの集まりで、一緒に行動することがあった。40年前、蟹蒲鉾が初めて発売をされた時期で、その紹介を兼ねて、料理講習会などが、開かれていた。また、お正月懇談会とかもあり、日舞を習っている人が踊ったりした。簡単なお菓子とお茶で、60人ぐらいが一緒に集まることが多くあった。

 だけど、稲田恭子さんは、池田六丁目町内会所属なので、佐久間操さんと、一緒に、行動することはなかった。だから、二人は親しくはない。私にミスター佐久間から、逝去のお知らせがないのに、稲田恭子夫人に、ミスター佐久間から、お知らせが行くはずはなかった。

 私が、佐久間操さんに、自著を届けたころ、稲田恭子夫人にも届けたのだが、真っ暗にしていて、いないことになっていた。この時期、同じ様なことが、中学の同期生でも起きていたので、私の本を受け取らせないという策謀が、CIA側から、行われ、それぞれの、知人を通じて、命令を受けていたと、考えている。稲田恭子夫人は、杉本夫人から、命令を受けていたと、考えている。

 で、私はその夜に杉本夫人にも届けた。それは、・・・・・あなたが何をなさっているのかは、わかっていますよ・・・・・と、知らせて置くつもりだった。しかし、彼女は、そうは、とらなかったらしくて、「あなたって!」と、絶句していた。つまり、私が、自著を、宣伝したいので、彼女に媚びを売ってきたと、撮ったみたいだった。それで、それは、何も説明をしないで、去った。だが、稲田夫人は、山の上の、住人としては、最盛期は、一週間に、二度か、三度は、お茶のみをしていた、(まあ、私が訪問をしていた仲だが)で、彼女が親から作ってもらった訪問着が、80万円(これは、現在の貨幣価値に直すと、300万円以上)はしたと、いう話を聞いたり、私が、母からもらったニットのコートの質が、とてもいいものだと、見抜ける彼女から、「それ、飽きたら、私に頂戴ね」といわれたりしていた。

 つまり、着るものとか、身に着けるアクセサリーとか、そういう種類の物事を語る相手として、ふさわしかったのだった。私が付きあった、ママ友のうち、もっとも、.[長時間話し合った女性は、吉家ツネ子さんだった。彼女は、とても頭がよくて、社会全般の事で、話題が尽きなかったのだ、横浜東本郷で、付き合った、時期は、ただ、元幼稚園の先生である専業主婦だったが、広島転勤後は、井上ひさし等の、働きで、日本ペンクラブの会員に推挙されたり、お子様を二人とも医者にしたと、いう、賢婦人だが・・・・・稲田恭子夫人も、話題は、手仕事関係専門でも、頭は、良くて賢婦人の一人だと、言える。だから、私としては、北久里浜の東側の丘の上の、300人以上の主婦の内、もっとも、長時間の接触があった人だった。

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副題10、『私は生涯で、二度ほど、大変上等なカーディガンというものを目にした。一度目は、1985年、稲田恭子さんが、着て鎌倉の我が家に現れた、白いカーディガンで、二度目は、2019年に、栗田玲子さんが、自分の画廊内で、着て現れたベージュ色のカーディガンだ。両方ともに、スパンコール、ビーズ、模造真珠などが、飾りとしてついているのだが、同系色で、まとめてあるので、下品な感じはしない。私は、母が裕福だったので、季節の初めには、日本橋ン高島屋と、三越で、どんな洋服でも、好きなものを選んでもよいという形で、私腹をあつらえていた。母は、子供を連れて歩かない日は、銀座でも買い物をしたみたいだが、和光には、入らなかったと、思う。京セラのショーウィンドーと小松ストアーが、お好みだった。母の庇護下を離れた私は、お金を主に、現代アートの制作と発表に使ったので、和光は、ほどんど、入ったことがないお店である。で、あの上等なカーディガンが、どこで、売っているかは、知らないものの、価格として、20万円以上は、するもので、和光なら、毎年、売り出してあるものではないかと、思って居る。

 稲田恭子夫人とは、毎年和光へ買い物へ行く、タイプの主婦である。これは、後程、貝塚あやさんの、子供のポスターの話に、通じていくので、重要な、挿話となる。決して、女の内部事情だと、思ってほしくない。政治的話題なのだ。貝塚あや(独立画家教会に、長らく出品をしていた画家? 会員になって居たかな?)、さんの話は、銀座・雀・田代人志の、このブログに対する異様なコメントというものに通じていくし、

 子供のポスターの話は、こ地ら鎌倉の山の住民・平木さんの、お子さんたちが、CIAに悪利用をされている話とか、画家Aへの,天からのおしかりの話へ、通じていくので、これもまた、政治の話題となる。

 ともかく、元へ戻りたい。稲田恭子夫人が、売価が、現在の貨幣価値に直すと、20万円から、30万円はするであろう、極上の白のカーディガンを着て、こちらの雪ノ下の、山へ現れた時に、それが、杉本正子夫人側から、送り込まれたスパイ役だったことは瞬時に分かった。 

 当時は、東側への増築もまだ行って居ない段階で、堀内大衆さんと、いう男性が建てた、とても、貧相で、汚い家に住んでいたので、稲田恭子さんの、報告を聞いた杉本夫人は、私のママ友連中に、おお悪くちをばらまいた可能性がある。「川崎さんって、前の北久里浜の家を売らないで、鎌倉へ、であろう。二軒目の家を買ったと、いうから、どんなにお金持ちかと思ったら、とても、汚い家に住んでいたわよ」と、いう報告だ。そして、みんなで、大笑いをしたであろう。

 私は、稲田夫人が、こちらの、雪ノ下に滞在中から、それが、わかったので、どういう風にそれを、心理的処理をするかは、考えた。で、結論として、『稲田さんは、みずがめ座だから、内心は、冷たいのよね。私に対する友情なんて、これっぽっ地もないのだわ、引っ越したら、残っている有力者に、味方をするのだわ』と、思い至って、我慢をした。

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副題11、『問題の違法な土地、1200坪にいよいよマンション(売り出し時、【そらヒルズ】のちに改名して【ルネ北久里浜】となる)を、建設するにあたって、私がどう出るか、敵さん達は探りに来た。5つぐらい、彼等の、脅かし行為があった。順に書いていくと、

1)、1978年に、私を、悪事を知ってしまった人として、車で、轢き殺そうとした、益山智恵子さんが、1996年ごろに、電話で、ののしってきた。彼女がもっとも、怒っている事は、自分の、1978年当時の夫、・・・・益山重夫氏の、前妻が、アメリカ人と、恋に陥って、アメリカへ逃げて行ってしまったことを、私が知ったこと・・・・・だそうだ。そんなことを責められたって無理だ。私は、急に自分の地所内に、青地なるものを設定されて、びっくりして、いろいろ、調査をした。すると、以前、お隣で、益山さんが、土木会社を開いていたと、いう女性が、教えてくれたのだった。どうして、こういう悪事を彼が、企画をしたのだろうと、いう点で、その前妻がアメリカへ、逃げて行ってしまったと、いうのは、大きな要素だった。それで、この種の大規模な、公有地狙いを、思いついて、実行をしても、良心が痛まない人間となったと、推察したからだ。だから、益山智恵子さんに、電話で怒鳴り込まれても、私の方は意に介さなかった。そちらが、悪事を企画して、しかも、色々な画策をもって、最終的には、1200坪をタダで手中にしたのだった。しかも、私を轢き殺そうとしたのだから、、反省すべきは、そちらが先でしょう。謝罪をすべきもそちらが先でしょうと、思うから、益山智恵子さんの脅かしには、一切動揺もしなかった。ところで、この電話の時に、「え。あの人って、原節子似の美人だし、戦時中に、都立大学の土木建築学科を卒業しているそうで、尊敬をしていたけれど、こんな、ヒステリー女だったのですか? 其れでは、自分の思い通りにならなかったら、相手を車で、轢き殺そうと思うのもありですね』と、思い至って、【元参謀の、陰謀】と、いう文章が正しかったのを知ったのだった。なお、その後の様子を付け加えると、彼女の実弟、仲野通巳吉には、三人の娘がいて、その一人に、益山姓を継がせている模様だ。

2)、私が、北久里浜の家をキープしている限り、自分達の悪事が、いつ外へ漏れ出るか、わからないので、売る様にさせようとして、1990年代に、土地60坪を、2600万円で、買いたいと、いう話が来た。その交渉に来た男だが、やくざか、チンピラかというほど、に、下品な男だった。最初から売るつもりがなかったので、帰ってもらった。そのころは、彼等CIA側が、その程度の人間だと、私を見くびっていた可能性がある。最近、青地ほかで、接触をしてくる、伊能義昭氏とか高本土地家屋調査士は、この種の、下品さはない。上品な紳士だ。だから、私にやくざをあてがっても、「別に!」と、いう漢字で微動だにしないのは、わかってきた模様だ。

3)、『自分は東工大卒です。と名乗る測量士から電話がかかってきた。時期は、1995年から、2015年の間だったと、思って居る』

 残念ながら、その名前を忘れてしまったが、元水道山をタダで、手に入れた彼らは、そこを、4つに分割し、すべてに、伊藤忠何とか、かんとかという、会社の持ち物としたと、その男は、電話内で、いう。伊藤忠の会長である瀬島龍三が、益山重夫と、海軍参謀、陸軍参謀と、いう間柄で、仲良しなのを知っていたので、それを、聞いてもどうという事はなかった。

 相手の狙いは、そこに、マンションを建てて売り出した際に、私が、どういう風に、動くかを問題としているのは、わかった。其れを聞き出したがっているという事もわかっていた。しかし、私は、東京の、兜町に、事務所を構えている栗原弁護士(当時、東京第三弁護士会会長だったと、記憶しているが)から、

 「あなたは、ご自分の土地を守ることができました。非常に頭がよい。感心をしました。最初の段階では、あなたは典型的な被害者像だと、思って居ましたが、全然違う。本当に勇敢で賢い」と、言われていた。ここで、典型的な被害者像というのは社会的弱者だと、相手側から見くびられやすい外見と、性格を持っているという事。

 で、私は喜んで、「先生、これは、書類上は、整って居ますが、実質的には詐欺です。それに、横須賀市の土木課長の奥様とは知り合いで、仲良しです。だから、そこを動かして、この泥棒行為をやめさせて、何とか、正義を通したいのですが?」といってみた。すると、栗原弁護士は、理由は何も説明しないままに、「おやめなさい」といった。

 私はそれ以上を質問をしなかった。だから、青山敦子弁護士が、「あなたがCIAを相手にしているなんて言うんですもの。私は怖くて、引き受けられないわ」といったことも、別に感情を害してはいない。ただ、淡々と、記録をして置くだけだ。

 で、東工大卒だと、いう測量士に戻ろう。彼は、私が、「その土地を瀬島龍三はどうするつもりなのですか?」と、質問をするのを待っていたみたいだった。しかし、私は何も質問をしなかった。今みたいに、立派な四棟のマンションが建ってしまったのも、書類上は阻止できないのだ。そして、500人ぐらいの人が、三千万円以上のお金を出して、それを、買って所有権を、法務局に登記をしてしまったのだから、何もできない。そんなことは、わかっている。

 で、私がいわゆる、突っ込みを入れないで、ただ、単純に聞いているので、相手は、最後の、切り札を出してきた。「あなたは、杉本家のぼっちゃんが、不良になったのを知っていますか?」と。

 ここで、私は、お出かけをしないといけなくなった。それで、此処で、杉本家の、二人の子供についての、考察は、帰宅してから行いたい。後で、書きたい。

 ただ、稲田夫人が行った次の、ご奉仕については、語っておかないといけない。誰に対するご奉仕かというと、むろんの事、杉本夫人と、CIA連中に対するご奉仕だ。

4)、こちらから電話をかけたことへの、ついでとして聞いたのか、それとも、彼女からかかってきた電話内で、それを聞いたのかは、覚えていないが、ともかく、彼女は、こういうのだった。「川崎さん、あなた知っているの? あなたの家って、ごみ屋敷として評判なのよ」と。

 それは、1998年から、2012年の間だったと、思って居る。メモ書きして置けばよかったと、思うが、当時は、敵の攻撃がひどくて、メモ書きだけでも、又、一回転して、攻撃を受ける可能性があるので、記憶にとどめるだけにした。

 で、私は心配になって見に行った。当時の借家人は、これも東工大卒だと、いう触れ込みの独身男性で、我が家を仕事場としている、電気技師だった。で、週善を主にしているとの事だった。したがって、稲田夫人に言わせれば、庭中に冷蔵庫などが置いてあると、いう話だった。

 テレビで、ごみ屋敷が問題になっているころであって、その画面を思い出して、これは、大変だと、なった。それで、心配になって見に行った。無論のこと、借家人である高尾氏に連絡は取らないし、主人にも相談もしないで、出かけてみた。

 するとテレビに、映っているごみ屋敷とは、全く違って居た。その家は、敷地が、60坪あって、建物は、総坪数27.5坪だが、一階は、18坪である。駐車場に、10坪はとられているが、庭は、30坪はあり、そこに別に家電は置いていなかった。ただ、プラスチックでできたは透明の波板合板を使った、小屋が、三棟ほど、庭にできていた。その中に、木造の棚があって、そこに、家電類が収蔵されている模様だった。しかし、猫や犬の多頭飼い崩壊の家よりもきれいだった。家電は、持ち主に、修理して返すのかもしれないし、修理したうえで、 東南アジア等に、売りさばくのかもしれなかった。だから、三棟の、小屋に、収まる程度の、数しか無くて、庭に山の様に、積み重なっていることを想像して、慌てて見に行った私は、拍子抜けするほどにきれいだった。

 その後高尾さんは、引っ越して行った。その引っ越しについて、いろいろ、異様なことがあったのだが、それは、今は、触れないで、稲田恭子さんに戻ろう。稲田恭子さんは、ごみ屋敷だと、言った。それで、西隣の原夫人に、「本当に、ごみ屋敷で、大変でしたか?」と、高尾さんが、引っ越して行った後で、聞いてみた。

 すると、原夫人は「そんなことは感じませんでしたよ。だけど、回覧板を持って行った時に、廊下に、ホコリがたまっていて、うっすらと、白くなっていました。それには、気が付きましたけれど、独身男性だから、仕方がないと、思って居ました」と、答えてもらった。原夫人は、横浜税関に勤務していた元国家公務員だから、頭脳は、明晰であって、嘘をいう様な人ではない。それに彼女は、誰に対しても、こびる様な人ではない。そして、横浜高島屋の、靴売り場で、ご主人・俊一氏と知り合ったという杉本正子夫人と比べても、品格が、ずっと上である。

 その原夫人の、「廊下に、うっすらと、ホコリは、たまっていましたが、全体に、ついては、ごみ屋敷だとは、感じませんでしたよ」という言葉を聞いたのちに、数年前に聞いた、稲田恭子夫人の、「ごみ屋敷になっているわよ」というセリフが嘘であり、杉本正子夫人が、稲田恭子さんに、そういわせただけであって、稲田恭子さんは、私の家を見ていないと、確信をした。

 なぜ、杉本夫人が、稲田恭子さんに、そういわせたかは、地籍変更届の闇と、例のCIA連中の意向があるわけだが、此処では、長くなるので、それには、触れないで置こう。

 私の家は、徒歩で、稲田夫人が北久里浜駅に出る場合、通り道にはない。寄り道をしないと、見る事は、できない。それに、実際に見てもごみ屋敷には見えない。それをごみ屋敷というのは、相当に、深い悪意がある。見ていないのに、電話でそう断言するのは、相当に悪意がある。杉本夫人が教唆命令をしたとしても、佐久間操夫人だったら、こういう軽い言い方で、悪意を示すことはない。どうして、こうなるのだと、私は深く考えた。

 上流階級風に見せており、其れを信じていた貝塚あやさんが、私より、彼女の方を上に立てて居た。大学卒でもないのに、上に置かれて、いた。で、私はいろいろ、分析し、考え込む。稲田恭子さんの母親は後妻に入った人だと、聞いている。勿論、戦時中と、戦後は、男の数が少なかったので、妻を亡くした男性の、ところへ、後妻へ入る人は多かった。だけど、お父さんは、80万円(現在の、価格だと、300万円以上の、)の留めそでを、我が娘に買って上げることができるほどにお金持ちなのだ。そういうところへ後妻に入るお嬢さんだから、恭子さんの実母も、実家はお金持ちだと考えられる。

 恭子さんは、芦屋か、神戸の、出身なのだけれど、大学へは行かないで、京都まで、種々のお稽古事に、通って、花嫁修業をした人で、お見合い結婚だと、思われる。そこで、私は、恭子さんの実母さんは、外人の血が入っている女性ではないかと、考えた。恭子さんは、何も言わないけれど、ハーフだと、思われる顔立ちである。むろん、母君は、大正の生まれだろうから、敗戦後の、日本にいた、パンパンと、呼ばれる類の女性ではない。だけど、母君の世代で、100%の白人または、50%の白人であって、恭子さんには、25%の、白人の血が流れていると、かんがえると、彼女のあの蓮っ葉といってもよい軽さが理解できる様になる。血の中に、別の人種の血が入っていると、日本人的湿気が無くなるだろう。それと絶対にそれを、告白しないという事はよほど、小学校時代などに、それを、意識せざるを得ない何らかの出来事があったのではないかなあ。

 苦労は、自分を磨く。彼女が、一切愚痴を言わないのは、素晴らしい。しかし、他人をこれ程に、軽蔑したり、いじめたりする事を、軽々と、行うことができるのは、道徳観か何かにおいて、どこか、または、何かが、欠落をしていると、いう事を証明すると、私は、見ている。芯がないのだ。人間として、スケルトンがあると、言われている私にとっては、ああ、本当の友達ではなかったのだと、思い足るだけであって、それなら、こっちもあなたを利用しますよと、思い至った。

::::::::なお、此処で、そっくりなケースを鎌倉でも発見をした事を、申し述べたい。小町通りの裏に、最近ジアースという画廊を開いた若宮さんの話だ。彼女は、周辺から、よく気が付くできた人間だと、思われていると、推察するが、どうして、どうして、スケルトンのない、悪女だ。どこかが抜けている。それは、どうしてなのかと、考えた過去があって、目が悪いからだと、気が付いた。普通だと、その種の欠落があると、できた人間となるのだけれど、と、同時に、黒い、闇も抱え込むことがあるのだった。それが、あいてが弱いとみると、噴出することがある。稲田恭子さんも私を弱いとみているのだろう。

 そして、1985年に、雪ノ下を訪問をして、外壁がとたんで、できているたった、18坪の家なので、なんだか、変な家に引っ越したわよ、ごみ屋敷みたいだった」と、杉本夫人と話し合い、笑いあったことだろう。それが、前哨戦としてあるからこそ、この「あなたの北久里浜の家って、ごみ屋敷になっているわよ」というセリフが出てきたのだとみている。

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副題12、『2012年の事だった。第一次フェイスブックを偶然に、はじめ、原発について、色々投稿をした。ほとんど正しかったが、いまだに、安倍政権は、私への、反論方向で、莫大な、無駄なお金を、福島県に注いでいる。

 その投稿が功を奏していたか? それとも、最初の、友人が、ICU卒業生が、多かったから、そうなったのかはわからないが、ともかく、友人としては、投稿の内容において、難しいことを、投稿している人が多かった。そして、私は、評判がよくて、色々な、人を紹介されたものである。

  中に男性のアーチストで、「織姫マキさんと、友達になったらどうですか?」と紹介をしてくれた人がいて、フェイスブックっ市場の友達となった。ところで、第一次フェイスブックは安藤照子さんという刑事が変装した、友達が近づいてきて、彼女が、我が家に訪れた2014年2月12日ごろ、突然アカウント停止になってしまった。そのころ、まだ、外へ向かっては、書いていなかった、政治に対する分析が、すべて正しかったので、そうなったと思って居る。したがって、織姫マキさんとの、交流の実際がすべて失われてしまっているが、彼女は、近畿地方(または、中国地方)在住の現代アート系作家であり、毛糸を材料にした作品を作っているという事だった。私は、お金に苦労をした事がないので、何でも大量に買ってしまう人であって、毛糸もたくさんあったが、既に、その時には、67歳だったので、もう、セーターなど編まないであろうと、思って贈ることを約束をした。その約束を作り上げる段階では、彼女は盛り上がっていて、相当に仲良くなった。ところが、実際に毛糸(量としては、大きめの段ボール箱いっぱい)を送った後で、ウンとも、スンとも、返事がなかった。これは、フェイスブックだけではなくてリアルな世界でも起きることだった。或る時点で、横やりが入って、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)の悪口が相手に入るのだった。で、相手は急に態度を変える

 今だったら、シンプルに、事情を、書きおおせる。しかし、当時は、それが書けない時期だった。今との違いは、傍証づけの積み重ねがなかったので、読む人が、のけぞってしまう事を恐れた。だが、これ以上の被害を招かないがために、「私には、あなた方(=CIA)の裏側での工作をわかっていますよと、言いたかった。

 それと、同じことは、主人に電話をかけて、すでに経験済みだった。しかし、毛糸は、女性の専権事項であって、主人に愚痴を言うべき項目でもなかったので、別の相手を探さないといけなかった。で、個展の案内状を出せる相手が、5000人は、いると日ごろ豪語している私である。こういう愚痴を語れる相手は、五万といた。しかし、あいてが大切な人であればあるほど、巻き込みたくなかった。で、稲田恭子さんを選んだ。彼女は、この時点で、既に、3回か、4回ほど、明瞭に敵方に役立つ行為を重ねている。で、敵方に、所属して居ることがわかっている。

 で、「織姫マキが、急に失礼になってね」と、電話で言うと、彼女は、「それは、あなたの方が悪いわよ」といった。あまりの単純さに、びっくり仰天をしてしまった。そして、電話内で、これ程に、こちらを馬鹿にするのだと、電話を切ったら、すぐさま杉本正子さんに、この件を語るであろうと、感じた。すると、『電話を盗聴しているCIAエージェントに向かって、・・・・あなた方のやっていることは、すべて、裏側がわかっていますよ・・・・と、言いたいことが、そのCIAエージェントそのものに、伝わってしまって、・・・・・いじめることの効果が絶大に、大きかった・・・・・という形になってしまう。

 参ったねえ。とは、思った。失敗しちゃったかしら。思惑とは、全く違った方向へ物事が走りましたね。で、ますます、いじめられるだろうし、心理的な、被害が大きくなるだろうと、感じ入った。 

 織姫マキに「川崎千恵子には、お礼を言いなさんな」と、命令したのは、杉本正子さんではないと、思うが、連中は、裏で、つながっているのだから、彼等より上に位置する人間から見れば、私が失敗して、私の陣地が、非常に小さくなったと、いう事に他ならない。

 だけど、物事にはフィフティフィフティの側面がある。この時ほど、稲田恭子さんが、敵の陣中に、100%浸っているのだと、理解したことはかつてないので、それ以降の彼女の行動と、発言には、眉につばをつけて聞くこととなったからだ。いや、眉につばをつけて聞くというのとも違う。100%裏があると、見る様になったのだから、杉本正子さんというのは、其の脳みその働かせ方において、私とは、位相(フェイズ)が、違うと、感じたのだった。

 で、大切な事にやっと入ることができる。稲田恭子さんが、ほかの女性一人を巻き込んで、ルネ北久里浜の進入路で、私を待っていて、「あなた知っている? 佐久間操さんって、死んだのよ」と、言った時に、・・・・・ああ、佐久間操さんは、山口みつ子さんとか、私の妹とか、月岡節さんとか、大久保忠春さんとか、石川和子さんと同じく、ガンなどの、病因を告げられて、あたかも自然死の様に、つくろうが、本当は、他殺であると、いうシステムの犠牲者の、一人であると、・・・・・

 稲田恭子さんは、普通の人であろう。それに、大沼嘉津江さん程、ご近所に、悪口を言われているわけでもない。しかも、ご主人は良い方で、円満な家庭なのだ。お庭は、美しく手入れをされている。中流家庭の専業主婦像の、典型なのだ。しかし、「心理的に言うと、これは、何なのだ?」と、大いに疑問に思ってしまう存在だった。軽い対応が、できる。軽いコミュニケーションが取れる。そうだ。だから彼女を愛する人たちにとっては、頭がよい女の子だとなるのだろう。 しかし、「心と、いう側面では、何なのだ?」と、なる。夜の九時過ぎに、待ち伏せして、それだけを、ポンと私に言う。それって何ですか、佐久間さんに対する哀悼の意も見えなければ、私に対する同情も微塵もない。それにどう考えたって、彼女と佐久間さんが、友人だったとも思えない。

 ただただ、杉本夫人に頼まれたことをやっているというに過ぎない。ロボット化した人間だった。いや、ロボットそのものだった。

 ここで、この章は、終わりとさせてくださいませ。21日に初稿を書き始めて、4日目です。このミステリーは壮大で、延々と書き続けないといけない話なので、此処で、当初は、いれたいと思って居た、いちばゆみさんの坊ちゃんの家でという謀略(=嘘)については、「書かないで、置こう」と、25日の早朝五時半に、決めました。で、これで、終わりとさせていただきます。2019-5-21~25日かけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)

  なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5377128です。

 

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