銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ざくろ・・・それ一つでも、政治が語れる。それは私にとって、プルーストのマドレーヌと同じ種類の物だった

2024-01-30 10:46:45 | 政治

 皆様。このブログは、ここ数年、暗い内容が多いので、せめてもの償い用の飾りとして、最初に、写真を置くことにしています。

 今日の写真は、ザクロです。私は、この果物が大好きで、19日に一個買ってきて、それは、19~21日の3日をかけて大事に食べました。むろん、夫婦で、一個を分け合ってです。ただ、私の方が、よりこの果物を好きですね。最初の一個は広尾のNational 麻布という店で、山なりに30個から,50個ほど、積んであり、新鮮で、しかも安かったのです。で、鎌倉で手に入るかなあ?と、思いながら、KINOKUNIYAなら、あるかもしれないと、思って、25日に見に行ったら、広尾の、ザクロの三倍の値段で、売っていたので、びっくり仰天したのでした。もち論、買いませんでした。だって、一個が、1400円ですよ。いくら好きだといっても高すぎます。

 『しかし、ほかのスーパーでは置いていないだろうなあ。広尾はね。外人が多いから輸入物のザクロが置いてあって、アメリカで食べたことのある人が、買うから、結構売れるのだろうけれど、鎌倉にはないでしょうね。だいたい日本産のザクロだって、売っていないもの』と、思いながら、主人に、「KINOKUNIYAでのザクロ一個の値段には驚いたわよ」と、話したら、「うっ。それユニオンに売っていたよ」といいます。

副題1、『元街ユニオンの盛衰について、一考察を語りたい』

 「えっ」と、今度は、こっちが驚く番です。ユニオンは、もともとの名前が、元街ユニオンといって、輸入物を中心とした高いお値段の商品を置いていたものです。ながらく、KINOKUNIYAが横浜駅周辺とか、伊勢佐木町とか、元街に進出していなかったのは、元街ユニオンがあるからだろうと、私は推察していました。まあ、KINOKUNIYAの節度というものは、立派な態度だと思います。

 ところで、この章の後半で出てくる、北久里浜でのご近所様、益山夫妻は、真っ白なセドリックハードトップで、お出かけしていき、帰りには、窓から、元街ユニオンの紙袋が、見える形で、帰って来たものです。行きは、進行方向左側の後部座席の窓が開いていて、シェパードが、顔を出していました。帰りは、反対側の窓が、見えるのですが、しまっていて、そこに、ぴったりと、元街ユニオンの、紙袋が、乗っているのが見えました。我が家の近辺は、曲がりくねっているので、車はスピードが出ないのです。1977年に、私はそこで、益山夫人に、そのセドリックがひき殺されそうになるのです。と、同時に、そのころ、上滝氏が、自分の子供とご近所様の、子供たちを、使って、ちよこれーと遊びをするのでした。なぜ、上滝氏が、そういうことをするのかは、もう、すでに、何回も書いているので、繰り返しません。ただ、この雪ノ下の方の、ご近所人間である、前田清子さんと、関本夫人には、言っておきたい。あなた方は、孫(前田家の場合)や、子供(関本家の場合)を、使って、夜、ちよこれーと遊びをしましたね。それをあなた方がすることは、1977年の、10月11日の午後五時頃、益山智恵子夫人が、私をひき殺そうとした、事案を、思い出させるのですよ。しかも、あの夫婦が神戸の、土師淳君殺しまで、使って、横須賀市の水道山を、ただで、自分たちのものにしたのです。そういう悪事に、幼い子供を提供して協力しているのですよ。なんと、まあ、危険なことでしょう? 神をも恐れずとは、こういうことを指します。まあ、この件を詳細に語りだすと、この章が終わらなくなるので、先へ進みます。

 上に書いた様なことを、昔書いたのでしょう。すると、元街ユニオン、鎌倉支店が、意図して、私に意地悪をするさまになりました。それが、飲み物用粉末、ミロの販売中止策です。今は、ミロを扱っています。今は、東急にもミロが置いてあるのかもしれませんが、昔は、元街ユニオンしか置いていなかったのです。ところが、尾行が付いているのか、ミロを扱いませんということになったのでした。製造元が、中止をしたということで。嘘ばっかりだと思いますが、元街ユニオン、鎌倉支店は、そういう風に主張をするのです。

 で、私は、富澤商店(乾物を、中心とした自然食品を、扱っているお店)から、麦こがし(炒った麦を粉にしたもの。母が良くお砂糖入りの、熱い飲み物を作ってくれた懐かしい食品)を買ってきて、それにココアと、お砂糖と、ミルクを入れて、電子レンジで、吹きこぼれない様に、上手に温めて、飲むように工夫をしました。これ、ミロの原材料だと思います。で。今は、ミロを買っていないのですが、確かにこの味です。

 で、このミロを使った対私いじめ騒動が、原因だったと思うのですが、元街ユニオン本店は、埋め立て地にできたOKの大店舗にお客を取られただろうし、鎌倉支店は、KINOKUNIYA、東急、鎌万、やまか、との競合で、お客を減らしていったと思います。で、京急ストアーに、吸収合併されたのです。でね、元街ユニオンは、格が下がってしまい、京急は上がったというわけです。これも、今までは。それを言ったことはないのですが、私をいじめる側に協力をすると経済的損失をこうむりますよという一例だと、思っています。そのユニオンにザクロが置いてあるよと、主人が言うものですから私は、あわてて、見に行きました。25日のことです。しかし、売り切れだという話。26日に行くと、ラップでぴったりと、覆われています。

 それはねザクロ殺人事件と言う様なものです。生きている物を窒息死させている様な仕組みです。支店長は毎年一個は自家消費に回しみんなで食べて見るべきです。そうしたら、私が言っている事が大袈裟では無いとお分かりに成るでしょう。その上、陳列棚に一つしかないです。また、25日のうちにアマゾンで、調べたら、アマゾンでも売っていますが、すべて、先端が、カットされているのでした。それと、ユニオンのも、KINOKUNIYAのも同じで、花の時代の、ギザギザの先端がカットされているのです。で、ラップでぴったりと、覆われている。ああ、だめだと思い、買わないで、帰宅しました。しかし、次の日の、27日、広尾に行く交通費を考えると、まあ、ユニオンでもいいか」と、思い直し、一つ買ってきたのです。

 で、ここまでが、京急元街ユニオンの盛衰についてでした。以降は、我が家の室内会話が、如何に盗聴されているかについて、語ります。いよいよ政治に入ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『新宿がすっかり変わっていて、ただ、ただ、驚いた』

 私は、自著を作っていたころには、新宿は多用をしたものです。だから、新宿には強いのだと辞任をしていました。

 反町に自分が持っている小さなアパートのリフォームの件で、或る、会社の人と、会いたいと、いう用事が出来ました。その会社は、新宿にあるので、「自分が新宿にまで出かけます」と、言いました。相手は、こっちがお金を支払う側なので、(つまり、顧客なので)恐縮しました。が、湘南新宿ラインができた今、鎌倉の住人である私が、新宿に行くのは、らくちん、らくちんなことなのです。でね。待ち合わせ場所として、自分がよく知っているところで、通行人が少ない場所を、こっちが指定しました。相手は、新宿を熟知している人なので、相手が指定した場所だと、私がわからないケースがあるからです。それにカフェもダメです。スターバックスや、タリーズみたいなチェーン店だと、エキナカ、駅周辺に何店舗あるか、わかりませんので、会えない可能性が高いです。

 で、JR東日本本社ビル三階(つまり、こ線橋から入ると、一階になる)キンコーズで会いたいと申し出でると、「キンコーズは小田急サザンテラスにある模様です」と相手が言います。

 あれ、出鼻を、くじかれちゃったと思います。が、それでも、自分の新宿に対する高度な知識のあることは疑わず、次の場所として、紀伊国屋書店は?と聞きます。それも、「高島屋のそばの方よ」といいます。私は、スマホを使わない主義の人間なので、ただ、頭の中で、考えただけで、提案をしているのですが、彼は、スマホを探って、ないですねえと、言います。でね。私は、『へえー。今、本が売れないって聞いているけれど、紀伊国屋・高島屋店は、撤収してしまったのだろうか?」と、考えながら、ぼんやりとしていると、彼は、瞬時にスマホを、検索して「ありました。洋書部というのが、高島屋内に」と、言います。ありがとう。そこで会いましょうねと、言って自宅の固定電話を切り、新宿へ、向かいました。で、30分前につきました。ところが、私がイメージしていたビルは、NeWomanという、商業施設になっていて、洋書売り場は見当たりません。スマホを持っているのにもかかわらず、それを検索することには、思いが至らず、やたらめったらに、人に聞くのですが、誰も知らないと、言います。やっと教えてもらえました。相手は、高島屋のインフォメーション嬢。キレイ、きれいです。ふと、林真理子の【奇跡】の主役は博子さんは、三越の、インフォメーション嬢だったことを思い出したりしました。ともかく、彼女の説明はわかりやすく、私は、そこから、200mは、南へ向かって走ったのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『この迷っている25分間に、私は、日本が、中国と同じ破産をするのではないかと、気が付いた。20年後かもしれないが、子供や孫の世代が大変だ。英語を学んで、起きなさいね」と言っておいたが、大丈夫だろうか? 世界に流離する難民化しないといいけれどと思った。』

 実は、高島屋の、北側と、東側に、無料の休憩施設ができているのです。自宅で、パソコンが使えなくなったときに、ここなら、スマホのテザリング機能を使えば、二時間は、優に無料で仕事ができますねと、思いました。こういう非常に高級な無料の休憩施設の存在に最初に気が付いたのは、横浜・みなとみらいクイーンズスクエア三棟でのことです。次に気が付いたのは、武蔵小杉のグランツリー内部です。

 すべて大資本が作った施設です。だけど、国家の補助があっての、余裕だと、思っています。でね。日本のGDPの高さって、こういう建築とか、土木への資本投下で、成り立っていると、仮定すると、それって、財政破綻が、目に見えてきた中国と手法が同じですよね。

 日曜美術館、坂倉準三特集を見ると、新宿西口広場を、彼の設計した、西口広場をつぶして、東西・こ線橋を作るのですって。やめてください。新宿にそんなものは、必要ないです。南に立派なこ線橋があり、北に地下道があります。また、ガードをくぐる道路があります。

 今、国庫金は、借金なのですよ。英傑よ、いでよと、切に願います。パーティ券がどうのこうのなどと、議論している場合ではないでしょう。国家の財政をどう考えるか。政治家は、ちゃんとしてください。まやかしのGDPをもてあそぶなんて、習近平と同じでしょう。地下(ぢげ)または、天国にいる、坂倉準三も、絶対に怒っていると思いますよ。

 この問題は、大きすぎるのでこの辺でやめておいて、ザクロに戻ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『私は、京急元街ユニオン、鎌倉店で、買ったザクロには、満足できなかった。実は、五分の一は、すでに、発酵をしていてアルコール臭が口の中に広がった。ザクロは、皮の中で、自然にワイン化していたというわけだ。これは京急が悪いというよりも、日本人がザクロを買わないから、常温で、売れ残っているうちに、硬い皮の中で、発酵をしてしまったということだった。外人が客の中に多くて、昔ザクロを食べたことのある人が多い、南麻布、広尾のショップだからこそ、よく、売れるから、新鮮なものを、輸入しているのだった。で、あの新鮮なザクロを、また買いたくなった。新宿まで、着ているのだから、楽だわと、考えて恵比寿から、日比谷線経由で、もう一回ザクロのためだけで、広尾に行った。六個ぐらい買うつもりだった。皮をどういう風に向いたら、楽に身が取れるかを教えてあげながら、あげれば、きっと食べてもらえると、信じた。

 ザクロは、特に、このアメリカ産ザクロは皮が厚くて、硬い。だから、よく切れるペティナイフで上から、下まで、切れ目を入れる。それも、30度以下の角度でだ。私は、時には、10度ぐらいの角度で、包丁を入れる。特に二つ目と三つめは、たった二日間で、完食をした。両方ともユニオンのもので、5分の一程度、は、アルコール化していたので、早く食べたほうがいいと、考えたからだった。National 麻布では、なんと、お値段が、二倍になっていたからだった。定価が1030円になっていた。これは、税金を加えると、1200円になる。同じ日に、到着したものであろう同じ果物が、たった10日間で、二倍になっていた。KINOKUNIYA 鎌倉支店のザクロが、1400円だった。陳列方法もお値段も、そっくりになっていた。ただ、KINOKUNIYAの方は、穂先がカットしてあるタイプで、National 麻布の方は、穂先が、花の形を残す形容で、カットしていないタイプ。また、鎌倉の方は、ラップでぎっちぎちに、まかれていて、冷蔵庫タイプの陳列棚に、置かれていた。一方、広尾の、方」は、自然な形で、かつ、常温で、キープされていた。広尾の方が、より好ましいが、私は買わなかった。キャリーケースには空きが十分とってあり、六個買って帰るつもりだった。もし、宅急便を申し込めるのだったら、10個買ってもいいと思っていた。だが、やめたのは、鎌倉警察署の、生活安全課の課長が、我が家の夫婦間会話を盗聴して、KINOKUNIYA 鎌倉支店の値段と、陳列方法を麻布警察署の同僚に電話をかけ、National 麻布に、「値段を上げて、食いう陳列方法にしなさい」と、KNOKUNIYA 鎌倉支店の画像を添付して知らせれば、こういう風に陳列することになるでしょう‥…というのが見え見えだったので、買うのが嫌になったのだった。高い位置の棚に、二つだけ、鎮座ましましているのが、100%同じだったので、警察が動いたというのがありありと、わかったからだった。警察の軍門に下るのが嫌だったのだ。

 しかし、ここで、買わないで、帰ると、「彼女は、700円ねあがりしただけで、欲しくて、欲しくてたまらない、新鮮な、ザクロを買わないで、帰ったぜ。よっぽど、貧窮しているのだ。アパートの借家人を追い出したことが、ここで、大きな効果を上げてきたぜ。成功成功」とかれらが、高笑いをしているのも目に見えてきた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『恵比寿という土地柄を示す、つばめグリル内(大、大、大)生け花を見ているうちに、2009年一月の、NHKスペシャル、空き家特集を思い出した。北側順一郎さんは、恵比寿に、賃貸マンションを持っている。』

 ここで、広尾から恵比寿に出て、恵比寿のアトレ内つばめグリルで、夕食を取ったのです。つばめグリルは、東京駅、品川駅、川崎駅、横浜駅、大船駅、茅ヶ崎駅と、六か所を何回も訪れています。大船店が、最もにぎわっているというのが私の感想です。しかし、品川店かもしれません。しかし、29日に、恵比寿店で、見たほどの、美しく豪華な生花(盛り花)は、他では見たことがないのです。お客の入りはさほどではないので、店長の裁量で、飾っているものではなくて、本社から派遣をされた花屋がいけているらしいのです。直径が、60㎝花の本数、120本ぐらいで、2万円でできるだろうか?というほどに豪華なものです。金沢のANAホテル、大阪・梅田の阪急ホテルには、豪華な花瓶が飾ってあります。でも、2013年時点では花がいけてはいなかったのです。2023年に、ふと立ち寄ったシェラトンホテル、横浜には、豪華な花が活けてあったと、覚えていますが、ホテルと、つばめグリルでは、規模が違います。恵比寿アトレ六階のレストランの中での、競争の上で、つばめグリルは、豪華な花を飾っているのです。

 ところで、秋山祐徳太子が、ここに住んでいると聞いています。どういう住所形態かは知りません。だが、北側順一郎さんは、同じ恵比寿に存在する自宅を賃貸マンション化したそうです。

 この二人と、酒井忠康氏と、鎌倉エージェントの面々が、私をいじめるために、社会派番組を装って、画家近藤南海子さんが、精神病院へ入っていることをあげつらったのです。詳細は、こうです。私はパリやニューヨークに修行に行こうとしていた、1997年から、2003年まで、一切テレビも見ていないし新聞も読んでいません。で、その間、パリやニューヨークの既に大人になった作家とか、大学院の学生たちとは、交流したし、行きかえりの電車内での、交流や観察はあったのです。しかし、日本では画廊で絵を見るだけが、インプットだったので、近藤南海子さんが、母親の遺体を放っておいて、それが、事件化して、新聞種になったということを一切知りませんでした。ただね。近藤さんが、発表をやめた陰に国画会の、展覧会(=国展)を、落選になったからだと認識はありました。

 で、ここから先は、近藤南海子さんを分析するためにさらす、私の実情です。で、「威張っているなあ。あいつ」と誤解なさらないでくださいね。実は1986年に、遺産が入りました。で、家を18坪から33坪へ建て増しをしました。で、午前四時半なのに、起きていて、ブログを書くことができます。これが、狭い家だったら、大喧嘩になるところです。

 それに、これが、一番すごい点なのですが、自分がそこに入りたいと思う展覧会に、すぐ入選できるのです。だれの引きがなくてもです。でね。1990年に女流展に入選して、すぐ次の年に国展に入選しています。これをそばで、観察していて、まねしようと考えたのが、近藤南海子さんで、1992年に、国展に初出品をして、落選をしたのです。どうして、それがわかるかというと、近藤南海子さんの女流展での作品(きっと同じものを、一か月早い、国展にも出したはず)が小さかったからです。30号程度のべニヤ板に、週刊誌の頁(実物)を、縦横びっしりと張り付けたものです。これは、コンセプチュアルアートといって、概念を優先するものですが、国画会ではだめなのです。ちゃんと、筆を使って油絵具も使って、しかも大きさが100号以上でないとだめなのです。私が、こういう判断をしているのは、

 近藤南海子さんが1993年から、女流展にも作品を出さなくなったからです。これは、プログラムを見ても、だめですよ。彼女は、四段階ある女流展内部の階級で、トップの委員ですから、審査を受けないで、済む人なので、自動的に名簿に名前が載るからです。でも、私は、彼女が女流展以外でも、大活躍をしているのを知っているので、その絵を見たいと思っている人なので会場をくまなく探すので、1993年以降は、発表をしていないことを知っているのです、

 で、心配してさり気なく、きいていると、彼女は、薬学部卒で、画壇に、友人や同窓生が、いないことがわかりました。そこからも、孤立化は、深かったのですが、美術評論家三木多聞氏に、高い評価を受けたことをきっかけにして、夫と離婚をしてしまっていました。それを重荷に感じたのか、三木氏の方に、脳に、言わゆる循環器系の疾患が起きたのです。で、奥様は必死で防衛をするので、近藤南海子さんは、三木氏が、力を持つ分野での、活動をあきらめざるを得ず、新たな路線として、国画会を考えたと、推察されます。

 しかし、こういう考察は後から付与したものであって、当時は、様子が皆目わからずに、上條陽子さんに、質問をしたのです。

 今、午前七時半になったので、ここで、中断をします。しかし、続きを今夜書くかどうかはわかりません。おそれいりますが、突然にザクロの問題に帰えるかもしれません。ザクロを広尾に買いに行ったことで、恵比寿が高級住宅街と、化していたことを実感します。線路の北も、南も工場で、暗い駅だったのに、雲泥の差として高級化したのでした。50年前に、そこに土地を買った、秋山祐徳太子と、北側順一郎さんは、不動産が、もたらす、名譽を、めいっぱい味わって、銀座でも、肩で風を切る勢いで、歩いている人です。しかし、そこまではいいが、NHKの、2009年の、空き家特集はあまりにもあくどいです。

近藤南海子さんを血祭りにあげるNスぺ【空き家特集】に、秋山裕徳太子氏は、関与している可能性大だ

2017-07-01 00:49:31 | 政治

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『私は、広尾で買うのをあきらめたザクロを鎌倉の元街Unionで買い、あっという間に、一日で、食べてしまった。ユニオンでは、29日もまだ、税込みで、620円だった。ただし、いかんせん古い。でも、いいのだ。どうせ、輸入物だから、日本で、樹木からもぎ取ったザクロに比べれば、古いのは納得だった。

 ところで、私がなぜ、かくも熱心に、ザクロにこだわるかというと、2016年だけ、北久里浜の家で、30個程度のザクロを収穫したからだった。なぜ、その年だけかというと、その年だけ、頼んでもいないのに、ざくろを枝払いされてしまい。花が、10分の一程度の数になったからだった。今、行われているいじめと同じ種類のいじめを、北久里浜で受けた。が、それ故に、味わうことのできた日本産ザクロだった。そのときに、ザクロが、スーパーで、流通しない理由は、はっきりと、わかった。とても、きゃしゃで、傷みやすい果物だからだった。アメリカ産のザクロは、先端がまだ、割れていない。したがって、未熟なのだと思う。それでも、意外においしかった。

 しかし、ここで、島田章三、大沼嘉津江、杉本正子、杉本俊一、稲田恭子、北村充子、

瀬島龍三、益山重夫、益山智恵子、中谷共二、仲野通巳吉、伊藤玄二郎、井上ひさし、など、今まで、文章を書いてきた人物たちが、一挙に収れんする。それで、ザクロというのは、意外や、意外、重要なアイテムとなっているのだった。

 一応、ここで、完成とします。後で、加筆と、推敲は、致しますが、文章は、ここで、留といたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする