銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

竹中・東京本社・一階ロビーは(人が多数そこに居るのにも拘わらず)静寂で美しい。これ程の空間は、それ以前にもそれ以降も見た事がない△

2018-11-06 12:37:32 | 政治

 これは、前報(あと注1)の中で、スピンオフとして書いた文章です。9.11で、崩壊した、ワールドトレードセンターが、くずれ落ちた時間が、短すぎると、私は、思って居て、事前に、ビル崩壊用措置が施されていたのではないかという論調を繰り広げています。しかし、日本の鹿島建設が、あれは、持った方だと、言う論調の、報告しております。なお、副題1~3は前報をご覧いただきたいところです。

副題4、『大鹿島建設の創業者一族は、連続して、東大を卒業しているという事で、有名だ。私は鹿島建設の本社を、訪問をしたことがないが、たまたま、竹中工務店で、何かの現代アートの、展覧会が開かれていて、其れの招待状をもらったので、竹中工務店の、本社ビルを訪問をしたことがある。

 当時は、本づくりに励んでいたころで、しかも、自宅で、ハッキングゆえの、システム破壊が、一晩で、50回は、起きるので、自宅で、パソコンを使うことができず、A4の、重いパソコンを常に携帯して、歩いていた。そして、カフェや、ネットカフェ、または、レストランを見つけて、一時間から、二時間程度、編集や、デザイン(頁デザインや、装丁)の仕事をしている時期であった。

 竹中工務店の本社ビルの、平面図は、長方形であって、真ん中を中心として、右側(わたくしが入った入り口から見て)が、画廊スペース+トイレや、エレベータースペース他が、ある筈なのだが、左側は、非常に大きなホールであって、しかも、その中に、20列ぐらいの長いテーブルが置いてあった。それが、町内会のパイプをたためる長テーブルなどを想起してもらうと、困る。そちらは天板として、木目がプリントされて、パネルなどが張ってあるが、竹中工務店の方は、黒い何らかの、素材で、できた立派な長いテーブルで、あった。そして、天井は、そのビル三階分の高さで、高く、吹き抜け風でもあった。普通のマンションだと、四階分ぐらいの高さの吹き抜け風の高い天井であった。その天井からは、透明でモダンな形式の(ホテルシャングリラに使っているような、・・・・・しかし、色は白い色を使ってある)シャンデリアが下がっていた。

 その部屋なのだけれど、ビル全体の、入り口から、その部屋へ入る、ドアがない形式だったと、記憶をしている。したがって、現代アートの展覧会を見た後で、自然に、そちらも見てみた。そうすると、天井と壁は、ほぼ、白に近いグレーで、床が、もう少し、濃度が濃いグレーだったと、思う。そこに、20列かそれ以上の、長いテーブルが、十分な余裕を持って、並べられていて、立派な、椅子(キャスターが付いていないタイプ。しっかりと座ることができて、安定している形。背が、直角についている形)が、隣との余裕を十分とっておいてあって、そこに、総勢200人近い、ビジネススーツの、男性達が、懇談をしていた。つまり、ワンサイドは、竹中工務店の、人間で、もう一つの、サイドには、クライアントか、下請け企業の人間たちが、座って、交渉をしている・・・・・それを、感じ取った。

 これは、2005年から、2008年の間であって、鶴岡八幡宮が、表参道(段葛)のプロムナード部分の改修を竹中に依頼をなさる前だったが、あの工事を、四億円で、竹中土木が請け負って、実際には、斎藤工務店が、下請け会社として、改修工事をしたと、聞いている。その交渉が、あの竹中本社の、一階の、大きな長方形のホール(といっても、演奏会場風な茶色は、一切ない部屋なのだけれど)行われたと、推察すると、思いは深い。

 ところで、実際のことを言うと、入り口に近いスペースには、ソファ風の椅子が、小さめのテーブルを囲んでいるスペースもあった。そこでは、導入的あいさつを交わす部分であって、その後、中央に置いてある長いテーブルと、直角の椅子に座って、パソコンを開きながら、具体的に詰めていくのだと、思う。そこには、午後、三時では、既に、誰も、座っていなかったので、私は、使わせてもらう事にした。畳数でたとえると、40畳分程度、誰もいなかったからだ。そして、プラグ(または、コンセント)もあったし。全体の雰囲気も、非常にまじめで、200人程度が、会話を交わしている筈なのに、静かだったから、私がやっているような、文章を直しながら、頁設定もしていくような複雑な仕事をするのには最適だったのだ。私がやっている本づくりは、一般の出版物だと、4人か、5人が、別々に担当することを一気にやってしまうやり方なので、非常に複雑な仕事となる。

 ただ、30分もいると、「もう帰るべきだ」と、内面から、自分に命令する声が沸き上がってきて、退散した。あの時に私が使った電気代は、20円にも満たないものだろうし、私が座っていたソファの皮だって、0.01μ程度しか、すり減っていないはずで、大・竹中工務店が、歯牙にもひっかけない金額だったと、思う。それに、こういう文章を書けば、竹中工務店が、どれ程のエリート集団であるかと、言う証明にもなるわけなので、間接的な、宣伝にもなるわけだし、情けは、人のためならず、の、典型例となると、信じているわけだけれど、それでも、30分以上、そこにいるわけにもいかなかった。

 私がここで、こういう文章を書いたのは、昔から、・・・・・高い建築費を取るが、質もデザイン性も高い、建物を作る・・・・・として、有名な竹中工務店の社風が、如何に、美しいかを言いたいからだ。6人ぐらいの、30代から、40代にかけての、チームの中に、一人ぐらい、50代の、主幹がいて、事を進めている。私に顔が見える方が、竹中チームであって、私に背中を見せている方が、交渉相手だと、思われた。

 ところで、此処まで、書いてから、wikipediaを開いたら、竹中工務店・東京本社は、2004年に完成して、2007年ごろ、大きな賞を受賞しているらしい。本当に素晴らしい、あの左側のホールだった。そのほかの部分については見ていないし、唯一入った画廊にしろ、特別なことは、感じていないが・・・・

 ともかく、私が、此処で、言いたいことは、鹿島建設は、竹中工務店よりもさらに、古くて、さらに、規模が大きいのだろうから、社員がエリートであろうという事だ。

 しかし、エリート(特に東大出身)だから、正しいことを言うとは限らない。自分が東大に勤めていたのでそれが、よくわかっているのだけれど、東大卒業生の中で、勝ち組み中の勝ち組とは、東大の教授になることなのだ。しかし、東大の教授とは、どういう研究をしているかというと、非常に狭い分野の特殊なことを、深く、深く研究するという事なのだ。それは、私に言わせると、何と、苦しくて、窮屈な生活だろうと、なってくる。私だって、深く、深く、研究することは好きだ。しかし、4日と、5日に、9.11について書いたら、次の日、6日には、歌舞伎を見に行きたくなる。

 奇妙なことを言って居るとお考えになる向きもあるかもしれない。しかし、1955年、たった、100人しか入学しなかった横浜国立大学付属横浜中学校で、一番で入った私だが、その後、其の100人の内10人が東大へ、進学をした。

 でも、私は、自分が負けたとか、下だとか、は、思って居ない。自分は、自分なりに、自分に向いている、適切な生活をしていると、考えている。

 ずいぶん長々と、書いたけれど、其れは、次の節(黒の太字で書いてある)を言いたいがためだった。 

 鹿島建設の崩壊シミレーションの事、だけど、その研究者たちは、・・・・・あれだけの長時間耐えた、それで、見事な構造計算ができている・・・・・と、結論付けているらしい。設計者とか施行者が立派だったと、言って居る。

 私は全くの素人だけど、あの、ワールドトレードセンターの北棟が、崩壊するまでに1時間42分を要し、南棟が、崩壊するまでに、56分を要したという事が、どうして、長い時間耐えたという事になるのかがわからない。あれだけの大構造物が、どうして、一つは二時間弱で、そして、もう一つは、一時間弱で、全崩壊するの? 絶対に信じられない。しかし、このブログの読者様は、其れに気が付いておられるであろうか? この世には御用学者というものがいることを。

 これから先は、御用額者について語っているのですが、其れは、竹中工務店東京本社には、関係がないので、この章には、入れません。下の後注1に置いてある文章をお読みいただくと、其れが、出ています。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4985468です。

2018年11月4日の深夜に初稿を書き、11日の夕方に、整理して、別章としてアップする。 雨宮舜(本名川崎千恵子) 

 

後注1、

安田純平解放=2・・・・・9.11で全壊した二つのビルには、事前にビル崩壊措置が、施されていたという説がある。それに、私は賛成する

2018-11-05 19:20:44 | 政治
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