銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

醍醐イサムとは、橋本徹と、石原慎太郎の分裂を招き、私の人生にも大ダメージを与えた人間だ△

2014-07-12 08:57:02 | Weblog

 今は、14日(月)の午後2時です。下の文章の推敲が終わりましたので、恒例の△印を総タイトル横にいれて置きます。

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副題1、『2011年の、醍醐イサム展で、見聞したことが、大問題に発展する』

 さて、前々報に仮名Cで、ある画廊の経営上の大発展の秘密と言うか裏側に関して書きました。(=Cは、仮名であるが、それは、記号としてつかっているのだから、ちで始まる画廊ではないが)

 ところが、読者の皆様にしてみれば、「何、それっ」 と、言う感も無きにしも非ずだったと思います。特に銀座の画廊に関して詳しくない方には、「何が、なにやらちんぷんかんぷんで」と、おっしゃる向きもあるでしょう。だが、それでも、構わずに突っ走ったのは、わけがあります。

 これから政治に入って行くからです。問題の画廊Cのホー ム頁に入ったところ、そこに取り扱い作家と言う欄が在って、そこに、2011年より毎年醍醐イサム展を行っていると出ていま した。

 その2011年の個展が問題でした。昔の事情ですが、彼からは、はがきを何度ももらっていて、上野の都美館の自由美術の展覧会にも行っているし、個展や二人展にも行っているので、画廊の応接室で彼にあったときに、その話をしようとしました。だが、非常におかしな事に、彼は私を無視し続けるのです。他に誰も居ないのに、そして、目の前、1メートルも離れていないのに、無視し続けるので、会話が成立しません。画廊で個展を開いている作家は、お客に対して、失礼な態度とか無礼な態度をとるべきではありません。それは、徹底的に基本的なことですから、悪意を感じました。

 以前には、こうではありませんでした。何かが裏にあって、大変化が起きた事が解りました。ところで、こう言うことを計画する人間達にしてみれば、「あいつさあ、あんな小さい事にこだわりやがっているのー。器が小さいね。笑っておこう」と言う事になり、ますます、悪口をまわされる可能性があります。それも解っています。

 ところが、こう言う小さいケースを放っておくと、やがて大河になって行き、私が暗殺されることにまで発展をします。その暗殺ですが、この2014年6月には、2日と12日の二度も暗殺未遂の憂き目に出会っていて、しかも実行者が、警察らしいという事態にまで発展をしました。こうなると、文字通り、命を懸けた戦いになってきます。

 なめられると、そこまで発展をする可能性があるので、どんな些細な事でも見逃しては駄目なのです。

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副題2、『井上ひさしや、伊藤玄二郎などのエージェントは、必ず、手下を使い、自分に責任が及ばない様にしている。だから、矮小でも、目の前で、いじめを、実行している人間が大事になるのだ。そこを見逃さない様にして、戦わないといけない』

 ところが、この頃だったのかな? 美術9条の 会ができて、『彼女をいじめてほしい』という流れが生まれたのは。だが、私は三鷹ストーカー殺人事件がおきるまでは、美術9条の会の事は知らず、したがって、どうして醍醐イサムが、急に手のひらを返した様な態度をとるのかがわかりませんでした。で、二、三、質問の方向を変えてみました。そうしても、一切声を出さないのです。返事が無い。失礼な事この上ないのですが、相手がある事は、こちらには変えられません。で、仕方が無くて画廊の応接室を出まし た。

 が、これは、絶対に納得が行かないのです。で、オーナーのCさんを呼び出しました。私の方では、彼女がこれほど、発展をしたのは、私が寄与しているとの思いも あったし、かつ、彼女の判断力を、この時点ではまだ、信頼していました。

 目に余る失礼さだったので、「本当に変でしたね。ごめんなさい。後で彼にも言っておきます」と言ってもらうのを期待してい ました。

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副題3、『エージェントと言う現代の特権階級の、庇護下に入った女性は、みんな子供帰りをするのだった』

 彼女を呼び出した場所は、応接間から遠く離れた画廊の外です。しかも頑丈な鉄の扉にさえぎられて居る、エレベーターホールです。醍醐イサムには何も声が聞こえない場所でした。だから、彼に対して気兼ねをする必要は無い場所でした。ところが案に相違して、彼女は「だって、仕方がないじゃーん」と言いました。 その時に、私は内心で、『おお、急ごしらえで、出世させてもらったので、まだ、品格が追いついていませんね』と感じた事でしたが、こう言う風にエージェントに支援されている女性って、どうしてか子供帰りをするのです。

 そこが共通するので、私はすぐあきらめました。彼女が、100%寝返っているというか、彼らの支配下に、入ったのが感じられましたので。もう、どうしようもなかったのです。

 ところで、上の子供帰りと言う点ですが、私が理不尽にも警察から暗殺をされそうになる動機について、最重要な人物としてよく名前を挙げるのは、ご近所の陶芸教室、鎌倉春秋窯を主宰している石川和子さんです。が、彼女もそっくりな口の利き方をするのです。60を過ぎているのに、甘ったれて、舌足らずで、受け口な言い方で。

 彼女は昔、伊藤玄二郎の愛人だったと、自ら発言をしている女性ですが、今現在、伊藤玄二郎の経営する鎌倉春秋社で、ナンバーツーを張る、田中愛子女史も、そっくりな口の利き方をするのです。今は、発行者が、彼女の名前になっているので、相当大きな立場の女性ですが、彼女も口をとんがらせながら、「だってー、川崎さんって、人を追い詰めるんだものー」などというのです。

 驚きます。ほとんど、社長(愛子さん)と会長(伊藤玄二郎)と言う関係だと思われるのに、そんなに子供っぽいのですよ。だから、エージェントに囲われて・・・・(支援を受けているという意味で、下半身の関係と言う意味で、愛人であるかどうかは知りません)・・・・・女性には、共通して見られる現象です。

 ところで、画廊のオーナーCさんに戻ると、ここまで、彼女が旗色を明らかにしたのですから、普通だったら、とっくに文章内で、実名を曝しているところだと思うのですが、今回は、お金が関係しています。お金が大変汚い形で(=法的に正しいものを、法的に違法な事をした方が弾圧するという政治目的で)、使われて居ます。

 美術と言う美しいものを扱う世界で、こう言う事が起きるのは、奇想天外だといっていいのですが、実際には起きています。

 だから、私自身のプライドにかけて、彼女の実名を曝さずに、仮名cさんで通します。特にCさんは長い間、優良なオーナーとして、私の方が大切にしていた人間なので。

 とも かく、彼女が、昔とはまるで、違って来たのを、その時、はっきりと感じました。彼女のバックに居る人からの、「川崎千恵子とは、親しくしない様に」と言う 命令が、心身ともに浸透している状態になっているのです。それを感じました。お金と出世とは、そう言う風に人間を支配するものなのです。ここにもその一典型を見る事となりました。

 ただ、彼女がもっとできた人だったら、コトは、大事には発展をしなかったのですよ。彼女がここで一応のルーティンを守って「彼は確かに失礼でした。後で、言っておきますね」とでも、言ってくれたら、この一文は生まれなかったと思います。ただ、そう言わないで、『私は、すでに敵方に寝返ったのです』と言う 態度をとったので、私も硬化したのです。

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副題4、『一人で、被害と言う現象を処理するためには、まず、加害者に関するデータ集めが大切だ』

 私はどこかで語っていると思いますが、一流の弁護士さんから『あなたほど、頭の良い人は見た事が無い』と、言われるほど、頭がよいのですね。自分でそれを言っては、笑われましょうが、いったん、事が起きると、普段は眠っている高い能力が全開する方です。

 被害が起きたら、それをどうして挽回して行くかは、丁寧に考え抜き、タイテイは元に復旧をさせます。で、水曜日だったと思います。私はもう一回、出かけて、作品を撮影しておく事を考えました。画廊のオーナーが仲立ちの人として、機能をしないのですから、全部自分で処理しないといけません。

 その日から以降、ずっと、醍醐イサムを追いかけるつもりでした。すると、どこかで決壊点が訪れるものなのです。神様は、アンバランスをお許しにはなりません。どこかで、 私がこの屈辱を晴らす日が、来るのです。それを待つつもりでした。だが、できるだけデータは集めておく必要があり、それを、ビデオカメラの静止画・撮影機能を 使って、撮影をしておくつもりでした。

 彼が居て、断ってくる可能性も感じました。が、その場合は動画で撮ると、こころを、決めていました。動画は著作権等と関係が有りません。それに、これは、私の正当防衛のひとつなので撮影を断る事は彼にはできないのです。

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副題5、『彼に、私をいじめる様に、命令をしたのが誰かは、大体わかって来たが』

  彼ほどのクラスになると、個展の間、ずっとつめているという事がありません。で、その日は、水曜日だったので、居ないと思っておりました。ところが、在廊をしていて、しかも展示室に居ました。

 この点ですが、待ち構えていたのだと思います。cさんは、一応とりなしを断ったのですが、でも、それに対して、一言も言わないで、さっと去った私の雰囲気が、ただならないものだという事は感じたでしょう。それで、とりなしとしてではなくて、事実を告げるという形で、醍醐イサムに「川崎千恵子が、怒っている」と告げたと思われます。

 で、醍醐イサムは、事が大きくなったのを初めて感じて、彼に、私に関する讒言を吹き込んだ上位の人へ事情を告げたのでしょうね。

 彼は、『自分は、何でもない事をやっているつもりだ』ったでしょう。彼には全体像は見えていないのですから、『自分は正しい事をやったのだと』思っていたでしょう。

 彼の上位に居て、彼にそうする様に命令をしたのは、赤津侃さんだったか、それとも、パリつながりで、野見山ぎょうじさんだったか、渡辺豊重さんだったか、桐村あかねさんだったか、または、新宿・花園画廊で、二人展をした、片岡昌(ひょっこりひょうたん島の人形を作った作家)さんだったのか? そして、片岡さんの影に居る井上ひさしだったのか? それとも、酒井忠康氏発の別ルート? ともかく、誰かが影に居て、そうする様に命令をしたのですが、その人物は、『いじめるのが、裏側があると、ばれてしまったみたいだな。それだったら、私達の事を守るべく、何とかして、防衛しなさい。彼女の機嫌をとっておいて』と、新たな命令を出したと思います。

 で、彼が部屋に居て、じっとこちらを注目しているので、これは、落ち着いて静止画(j-peg)では、撮影できないと、あきらめて、動画で、撮影を始めると、彼が近づいて来て、レンズの前に手をかざすなどと言う妨害をはじめました。そう言うことは事前に、十分にシュミレーションをしてあって、最悪の場合は、法的な事に使うのだとはっきり言うつもりでした。

 ところが、そう言う説明をする間もなく、彼は破綻を示して、ちょっとですが、狂人に近い様な態度をとりました。その時です。

 『あ、これで、十分だ。<こう言う態度と、人格の人間だ>とわかっただけでも、大丈夫だ。彼には、何も覚悟は無い。人をいじめる事の反動があるという事にさえ、覚悟が無い。世間知らずと言うのとも違う。何か、途方も無い幼児性が感じられる』・・・・・と言う事がです。それで、動画の撮影をやめて、さっと、画廊Cを出ました。

 ここで、私が何故、満足をしたかと言うと、彼には私をいじめる動機等、何も無かった事がはっきりしたからです。動機があったら、こう言う態度には出ないでしょう。ちゃんと、受け止めて、はっきりと理由を言うはずです。「説明をします」と、まず断ってから、さっと手短に、いじめたり失礼をした理由を、言えばいいのです。それを言わないで、ただ、ただおびえている。

 それは、彼が、単なるパペットでしかなかったという事なのです。無礼を働いたのは、誰かから、教唆を受けて、それをやったと言う事でした。

 『ばかばかしい人間だ』と感じました。声には、出しませんでしたが、以下の様な質問を設定してみて、全てに、ノーであるのを感じました。・・・・たとえば、『あなたは、それでも、「自分は有名な画家だ」といえるのですか? または、「自分は、50歳を超えている紳士だ」といえるのですか? カッコウだけイケメンだと、自信があるみたいですが、「もしかすると醍醐と言うのもペンネームでは、ないですか?」 「どこにも気品も覚悟も無いではないですか?」』・・・・・という類の設問です。それが、全部ノーといえる状況を把握したのです。それで、満足しました。

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副題6、『私には、その動画を、使う意思は無かった。そんな下品な事をしたら、自分の品格が失われる。ただ、醍醐イサムが、軽薄至極な男である事がわかっただけで、満足をした』

 その動画を撮影したのは、2011年です。すでに、3年ほど経過しています。でも、そんな動画が、世間に出回っていますか? 出回っていませんよね。私は公開していません。しかも、パソコンにも移してもいません。どうしてか?

 私には人間としての尊厳があります。その自分の尊厳を尊重されたかったら、他人の尊厳も尊重をしないといけません。その動画には、確かに、醍醐イサムのある一面(多分、彼の本質であるもの)の真実が映っていました。

 しかし、それを公開されたら、彼は絶対絶命の窮地に陥るという様な、類のものでした。イケメンの画家、パリ帰りの画家、と、そう言うセールスポイントで売っている彼の、その種の虚像が一気に剥落して、『たんなる、一人の、軽薄な男だった』という真実が、外に出て来てしまいます。

 で、私に、「そこまで、やっていい権利があるだろうか?」と、自問自答をすれば、無論、「無い」と言った方がいいでしょう。もしそれを公開すれば、過剰防衛となって、復讐が復讐を呼ぶ連鎖を起こしてしまいます。だから、私はむろんの事それを公開しませんでした。

 見るのも無残な映像だったので、パソコンにさえ移動をさせていませんでした。パソコンが汚れます。で、その撮影現場を見ていたのは、私、そして、醍醐イサムと、もう一人、私がその名前を知らない男性客の三人だけでした。で、良識に任せておけば、やがて、その事実は消えていくものだったのです。だが後日談があって、とてもではないが、良識の範囲では収まらない事になっていくのでした。

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副題7、『2012年は、株主総会を利用してホテルの宴会場を探索する事を、人生の行動テーマのひとつとしていた』

 私が本当にやりたい事は大アーチストになる事です。そのためには、お金が自由にあれば、毎年、秋には、三ヶ月ほど、海外で、版画修行をするのが望みでした。それは、1998,1999,2000と、三年連続した習慣でしたが、その後、金銭の余裕がなくなったのと、一度、左肩が激痛に襲われるという病を得て、それを、主人に治してもらったので、その点で、家族がある事のありがたさを痛感して、家族関係を壊しかねないアート修行を、海外で行う事をあきらめています。

 日本に居て、しかも家族と同居しながらでは、私は本格的なアート制作ができないのです。それは、家族がさびしがるからです。私が制作に没頭すると、周りとの交流が絶たれます。ので、棄てられたみたいに感じるからです。別居してしまって海外に行っているという事なら返って良いのですが、日本に居て同居をしながら、制作をすると、駄目なのですね。

 パソコン入力で文章を書く程度なら、やっと両立をするのですが。

 その次にやりたいことは、本を制作する事でした。だが、テーマが政治と成ると、販路を持っていない私は、ただで、差し上げるにしても、あげにくくなります。それ以前の6冊には政治は、含まれては居らず、誰に上げても問題が無い本でした。

 が、政治的課題を含む本は、私一人が運営している出版プロダクションでは、出版が難しいのでした。

 かろうじて、映画に特科して、『消された映画』と言うデータを準備し始めましたが、それが、母の死に瀕して、工業生産的な出版を逃したら、それ以降は気勢がそがれてしまったのです。本を一人で、出版するというのは、相当に高度なエネルギーが必要な作業であり、死に物狂いの三ヶ月の集中が必要なのですが、データ準備も、ものかは、最もきついのが配本なのです。それに多大なエネルギーをとられるので、見本の本を、5種類、それぞれに、4,5冊ずつ作っただけで、配本が必要な、本格的な出版活動(工業印刷と、工業製本)は、しておりません。

 しかし、エネルギーレベルの高い私は、普通の生活の連続だと満足できないたちなのです。最近のテーマは苺の子苗を育てることなのですが、一番苗、二番苗とシュートが伸びていくのが面白くて、それに、凝りに凝ってはいるのですが、『こんな小さい目的とテーマで満足するなんて、私も変わったものだ』と、自分でも驚いているのです。が、つい二年前は、もう少し、大きなテーマに取り組んでいました。それは、株主総会を利用して、知らないホテルの知らない宴会場を探索するというテーマです。

 で、2012年は、京都の島津製作所本社、と、和歌山の島精機(大阪帝国ホテルで、行う)の二つを、探索に関西旅行をする事に決めました。このときについでに、金沢に足を伸ばしたのですが、それは良かったです。その前の年に、名古屋の徳川美術館と倉敷の大原美術館を見ていたので、2012年度に、金沢の21世紀美術館と、二度目としての大阪中の島の陶磁器博物館(旧安宅コレクション)をその年に見たのは良かったです。藤田美術館も行きたかったのですが、もしかしたら妨害としての休館?

  ただし、太閤園で、フレンチをいただいたのは良かったです。大阪の富裕層の生活ぶりをチラッとですが、他のテーブルの客たちの、雰囲気で知る事ができましたから。

 その帰りなのです。太閤園の庭園を撮影したのは、確かに覚えているのです。しかし、夜6時にホテルに帰りついた時にはビデオカメラが消えていました。

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副題8、『最初は、一般的な物忘れだろうと考えたが、潜在意識の中では、くらい疑念もわいていた・・・・・特に大阪市立図書館に、松井府知事が、同時刻に訪問をしていたので』

 この旅行ですが、六月24日は金沢で一泊をしたのです。当時パソコン内で、ホテル予約ができにくいという状況があって、やっととれたのが、駅前のアパホテルです。が、その後で、そこで、使っていたシンドラー社のエレベーターが、ホテルの従業員を挟んで、殺してしまうという事件が起こりました。それも暗い疑念を呼び覚ますのですが、まあ、それには、ここでは、触れないで置くとして。

 25日に宿泊した京都では、京都市美術館、および、国立美術館の帰りに、これまた、嫌な事を数多く、見る羽目に陥りました。それも、詳細は別の機会に語ることとして。

 そして大阪です。私はビデオカメラの紛失には、夜の6時半までは、気がつかず、元気いっぱいに、二度目の大阪探索を楽しみました。訪問は二度目で、宿泊するのも、2011年に続き、二度目だったので、時間に余裕があると感じていて、あっちこっち見て回ったのです。

 そのひとつが大阪市立図書館への訪問です。ホテルの宴会場は、インテリアを見るとか、建築年代に応じた、その時期の経済活動の好況不況を反映しているので、それなりの勉強には役に立つのですが、市立図書館を訪問するのもまた、大変な勉強となるのです。

 特に大阪は政令都市ですので、市立図書館が立派です。もっと小さな都市だと県立図書館を訪問するべきでしょうが、市立図書館も棄てがたい魅力があります。

 大阪市立図書館は、まず建物が古いです。東京の、国立博物館と、似たような設計であって、同じ設計家の作品かも知れません。それはそれで、好ましいのです。その上、産業関係の書物が多い。各業界ごとの紳士録があって、これは面白いと思いました。ああいうものは、出版費用を分担するために、会費を二万円ぐらいとるので、それを嫌がる人は載っていないのですが、それでも、外部の人間から見れば、面白い書物となります。

 タダシ、美術年鑑は、全アーチストを網羅しているものではないのですよ。

 で、充実した一日を終えて、ホテルに帰って、テレビをつけたところ、NHKは、六時から地方ニュースをやっていて、大阪府知事が、大阪市立図書館を訪問をしたと出ていました。

 突然に、ぞっとする思いにとらわれました。それが、私が、市立図書館を訪問していた時間帯と同じ時間帯でした。そして、府知事が、市立図書館を訪問するというのも変でした。役所の分担を考えると変でした。

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副題9、『それは、伊藤玄二郎の監視が、隅々にまで、行き渡っているという事を示唆した』

 伊藤玄二郎(鎌倉市内で、出版社を経営している)は、ビートたけしが、それと同じルートを使って、格上げをして行ってもらった様と、そっくりなコースで格上げをしてもらっている人物です。まず大学教授にしてもらう。あちらは、芸大教授でしたが、こちらは関東学院大学の教授。その就任は、こちらが先だったでしょう。

 その次に、ヒット作をマスコミを利用して作り上げ、それに、賞を与える。北野監督の方は、映画、HANABIで、ベネツィア映画祭で、金獅子賞をもらいます。その後ですが、伊藤玄二郎は、天国の本屋と言うヒット本を出し、それを映画にします。

 そこから後は勲章の話です。北野武監督と呼ばれる様になったビートたけしは、フランスの勲章を得ます。そして、年収が13億円といわれる様に成ります。

 伊藤玄二郎の方は、岩波映画社の高野女史と共著で、『びょんぶ』と言う書物を出し、それで、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章を得ます。

 その書物がどうしても見つかりません。

 そのいきさつは、以下に書きました。

誰も寝てはならぬ・・・・チャネリングの・ひと・私です(笑)、・・・半分政治で、半分芸術の話

2012-06-22 21:53:31 | Weblog

  が、その後も私は探し続け、上記の旅でも探し続け、金沢21世紀美術館でも探して、ないことは確かめてあります。で、大阪市立美術館では、探しも、しませんでした。と言うのも産業部門の蔵書は、多彩ですが、芸術部門の蔵書はそれほど多くはなくて、はなっから、『ここにはないだろう』とわかっていたからです。

 でも、ここが、このシリーズも『トカゲか、鰐か?』の一環となり、その15といってもいいところなのですが、伊藤玄二郎と、私の脳みそは、すこぶる違っていて、・・・・・私は私の脳みその方が柔軟で高度だと思いますが、・・・・・(笑い)

 彼は、「彼女(=私の事)は、大阪市立図書館に、必ず、行くだろう。それは、びょんぶを探すためだから、脅かしてほしい。それには、大阪維新の会のメンバーが、大阪市立図書館に、彼女が行く同時刻に、訪問をしてくれる事が、役に立つだろう。それは、効果が大である。だから、そうしてほしい」と、石原慎太郎氏でも通じて、橋下徹氏に頼んだと思われます。

 どうして効果が大かと言うと、副題10の中にそれを書いてあります。

 石原慎太郎氏は、それ以前にもペンクラブの縁ででもあろうか、鎌倉エージェントの二人(伊藤玄二郎+井上ひさし)の言うなりなのです。それは、漫画の表現規制の都条例にも現れていますが、そう言う人間関係となっています。

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副題10、『橋下徹氏は、その頃を境にして、天からのつきに見放されるのだった』

 大阪府知事松井氏が、市立図書館を訪問しそれが、NHKニュースとなるというそう言う手法。それこそ、鎌倉近辺で、日夜目撃している伊藤玄二郎の、私に対する攻撃手法の典型なのです。

 その上、ここでは、右翼系と言うお砂糖をまぶしてさらに、恫喝の効果が上がる様に、手配をされています。私は、自分では不偏不党のつもりですが、国家と言う単位は大切だという持論を持っているので、どうしてか、右翼と目されているらしいのです。

 その私が、同じく右翼と目されている橋下徹氏に、裏切られたら、ダメージが大きいだろうと、見なす発想が、ここには有ります。たまたま、橋下氏は、先約があって、パススルーをしたか?

 はたまた、松井氏を代理に立てれば、自分が助かるはずだと考えたのか、仔細は、私には読めませんが、これは、鎌倉近辺と東京圏で、したたかに出会っている現象と同類であり、それが、大阪くんだりまで、追いかけて来た事は、たしかで、それには、ぞっとしました。

 特に、表向きは個人としての資格しかないエージェントが、橋下徹氏に何かを頼んでも、橋下氏が言うことを聞くわけもないので、これは、警察庁を動かして、そこを通じて頼んだのだろうと、推察されます。そうなると、警察が、私個人を脅かすために躍起となって動いているとなります。

 または、石原慎太郎氏を動かしたか? 石原慎太郎氏を通じて、橋下徹市長は、私と同時刻に大阪市立図書館を訪問する様に依頼をされていたのか?

 何度も言っていますが、私には警察に追われる様な落ち度は一切ありません。しいて言えば、近所の柳沢昇と、石川和子と言う夫婦が、私の猫に、そむかれた事にパニックに陥り、警官を呼んで、「あそこの奥さん(=私の事)を、あそこのだんなに叱ってもらう様に、あそこの、だんなに頼んでください」と、馬鹿な事、極まりないことを警察官に依頼して、

 またその警察官が馬鹿な事に、交通事故の調書をとって脅かしたという件しか思い当たる事がないのでした。警察はその失敗を糊塗するために、私を暗殺しようとしているのですよ。信じがたい横暴です。本当に信じがたい横暴さです。

 しかし、そんなばかげたことで、大阪まで、警察が追いかけてきて、脅かすというのは納得ができないので、抗議しておきたいです。済んだことですが、しっかりここで、明言をしておきましょう。

 しかし、気の毒な事に、その頃を境にして、橋下氏は勢いを失います。だって、彼が従ったのは、伊藤玄二郎の下半身なのです。伊藤玄二郎は、自分が石川和子さんと昔、下半身の関係があったという事を隠したくて、あれこれ工作を続けていて、また、それを私に、ことごとく見破られて、このブログの世界で、書かれてしまいます。

 この章では、銀座の画廊Cと、そのオーナーが大きな主役です。が、他にも莫大な人数の匿名性を失った個人が彼に悪用をされて居ます。それを、ことごとく書かれています。たとえば、浄智寺の朝比奈宗温さんが、どう利用されたとか。

 この章では、画廊のオーナーだけが、仮名で書いてあリますが、他の人は実名で登場します。それは、醍醐イサムと、一ノ瀬智恵乎、渡辺豊重、および、銀座アーチストスペースなどです。

 また、もっと恐ろしい出来事はマルハニチロの農薬混入事件の様な物です。ああいう事件を起こすと、それで、迷惑をかけた人数が、数万人に及びます。あの会社に勤務している社員とその家族総数であって、はかり知れないほどの多数の人間に、迷惑をかけています。

 それを、まっすぐな方向で、修正して行くのではなくて、あくまでも第二第三の、代理人をたてて、それを使うと言う方向で処理するのです。卑怯で、ずるい方向で逃げようとしています。橋下氏が、神通力を失ったのは、そう言う連中に従ったからです。なんと、右翼系の橋下氏は、左翼代表の、井上ひさし(まだ、生存中ですよ)に、つぶされたのです。

 どなたに対しても言いたいのですが、あなたが社会人として、いっぱしの有名人である限り、私のブログを読まないと駄目ですよ。(苦笑)

 伊藤玄二郎たちが作り上げる諜略行為に、利用されると、彼らと、彼らに連なる身内としての人間は得をするかもしれません。だが、普通の道徳観をもって、普通の市民として暮らしている人間には、必ず天の采配としての、衰運が、訪れます。気をつけて同調をしない様にしておかないといけないのです。特に衰運が訪れやすいのは、本人が善人であり、かつ社会的地位が高い人なのです。橋下徹大阪市長もまさしく、そう言う人材だし、鶴岡八幡宮の現在の宮司、吉田茂穂氏もそう言うタイプでしょう。

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副題11、『伊藤玄二郎は、若い頃、沈みゆく船(=河出書房)を見棄てた人間である』

 びょんぶの実物は見ていませんが、伊藤玄二郎のwikipedia に、昔、記載をされていたところによると、河出書房新社から出版をされています。ところがその河出書房新社とは、彼が、大卒の新卒社員として勤務し始めてのち、たった一年で辞めている会社なのです。

 入社した会社を、一年で辞めて大物になったという人物は立花隆と、沢木耕太郎が有名です。立花隆は、東大卒で文芸春秋社を一年目で辞めています。沢木耕太郎は、横浜国立大学卒で、富士銀行に採用され、出社第一日目で退社を決意したそうです。

 その二人はすでに、二人とも大金持ちでしょう。成功した社会人のひとりとなっています。しかし、最初から金儲けを目指して退職したわけではなくて、ライターとしての内在的欲求があって、それに対して、会社員と言う職種が合わなかったと言うのが明らかになっています。

 ところで、伊藤玄二郎もエッセイストです。文章を書ける人です。それに大金持ちでしょう。また、NHKも、自由自在にこき使えるエージェントとして、隠然たる政治力も持っているので、成功者の一人だと思います。

 だが、退職の最初の動機は、上の二人とは相当に違っている様に見えます。つまり、上の二人が辞めた会社は、経営基盤は磐石で、二人がやめたのは、沈みゆく船を見捨てたわけではありません。しかし、伊藤玄二郎が、勤務し始めたころ、河出書房はつぶれそうでした。だから、今となっては道義的な、欠点のひとつとして、その退職が、見えて来ます。

:::::::::ここから先は見て来た様な嘘をいいの一種ですが、彼の母君が、<編集者ではなかったか?>と私は見ています。その母君は鎌倉方面の文士を担当していた過去があり、そこが、コネとなって、鎌倉で、出版社を起こす事が、可能だったと、私は見ています。・・・・・

 しかし、換言すれば、『それほど、割り切りの早い、不人情な人間で、損得で動くのだ』という事になります。それはwikipediaを見ている誰もが、感じてしまうことでしょう。それを一気に逆転をさせるのが、「びょんぶ」と言う豪華本・・・・・(多分ですが、勲章をもらえるほどの本ですから豪華なのでしょう)・・・・を河出書房新社で、出版をする事なのです。

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副題12、『びょんぶの、どこが問題なので、秘匿をしないといけないのか?』

 私は、これだけは、書き方に失敗したと思う項目があって、それは、『びょんぶ』に対する疑惑を、いつ、どこで、どういう風に書くかと言う部分でした。

 疑惑を何も書かないうちに、どこかの図書館で見つけて、あとがきを見てしまえばよかったと思っています。

 問題はあとがきの中に、川名昭宣君に対する謝辞が書いてあるかどうかなのです。川名君は、これまた、ICUの同期生です。で、もしその名前がそこにあったら、伊藤玄二郎のひとたらし術が読めるのです。一度ブログで、鎌倉春秋社には、うつ病が多発すると、書いてあったのを読んだ事があります。

 彼は、部下と言うか、目下の人間には冷酷になれるみたいです。だから、私もすでに数々のひどい事をやられていると感じています。しかし、目上の人には慕いより、下手に出て相手を気分よくさせて、いつの間にか、自分の手中に収めてしまうところがあると感じています。もし、川名君が、そちらに取り込まれているとすると、国際キリスト教大学内の、私の人脈が、そちらからもずたずたにされる可能性があります。

 そして、そこで成功したと思えば、他のところにも手を出すでしょう。悪魔の連鎖反応が始まります。

 これは、だいたい当たっている想像だと思っていますが、2014年7月12日いっぱいの範囲での正しい事実だと、読者の皆様には、お考えいただきたいです。

 と言うのも500万円あれば、どんな豪華本もリメイクが可能で、あとがきだけを削って、同じ本を出版することは可能だからです。そして、全国の本屋へは再・配本を果たしてしまう。そして、初版本を廃棄してもらう。

 そうすれば私がここで書いている事が嘘だと成ってしまいますね。そう言うことを、彼ならやりかねないです。ただ、どこかから、『おかしな、工作をした本がある』という噂が、外へもれ出る事にはなるでしょう。あとがきだけ削って、再出版するなんていうことは、奇矯な事ですから。

 一之瀬智恵乎さんのカナリア諸島でのワークショップとか、画廊Cへの経済的援助の増額等を横目で見ていると、エージェント達の活動費は多大です。その中から、自分のために、500万円を出費する等、伊藤玄二郎程の、クラスなら可能ではないのかな?

 日本は世銀に5500億円を拠出するとか言っていますね。この一週間以内に世銀のキム総裁が日本を訪問しています。そのうちの50億円でもリターンすれば、こう言う工作費は、かるく、用意できます。

 ともかく、暴君・伊藤玄二郎にも、気がねをする相手と言うのはあるらしくて、川名昭宣君に対しては彼も『迷惑をかけたら、申し訳ない』と思うのでしょう。だけど、それだからといって、国会図書館まで支配するのは、良くないです。

 この件は、国会図書館が、私の父の満州時代の美術に関するよき業績に関する資料を、秘匿してしまっている事とも結びつくので、大問題なのですよ。だからこそ、爆問たんけんに、国会図書館を訪問をさせていますね。それもNHKを、彼が自由自在に支配している事を示す典型的な例です。

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副題13、『石原慎太郎と言う人は、頭目をになう価値のない類の人間だ』

 ここで、上に言っているとおり、私は大阪市立図書館では、書籍カード類も検索しませんでした。その上、司書に、「びょんぶ」はありますか? と、問い合わせることさえいたしませんでした。産業関連のデータが多い図書館だが、芸術関連の蔵書は少ないと見たからです。

 しかし、伊藤玄二郎たちは、私の大阪、京都、金沢の三都市・訪問が、びょんぶ探索にあると推察していたのでしょう。

 橋下徹大阪市長を動かして、中の島の市立図書館に、「あなたが行ってください」と、頼んだのでしょうが、実際には松井府知事が訪問すること、となり、その行政的矛盾から、しかもNHK大阪放送局がわざわざそれを、6時台のニュースで、放映したと言うこともあいまって、私が裏側に気がつく事となります。

 ここで、一気に結論を言ってしまうと、その使者は、石原慎太郎氏だったと思っています。警察が動いている可能性も大いにありますが、橋下氏をこの図書館の件で説得したのは、石原慎太郎氏でしょう。

 石原氏は、この様にして、橋本氏が、天からいただいていた<神様による>支援を奪い去ってしまいました。そして、橋下氏の衰運の始まりが自分にあったのにもかかわらず、橋下氏が、衰運に向かうと、切り捨てて、「東京維新の会が独立する」と言っています。

 勝手きわまり無い老人であって、しかも幼児性のある人です。何も頼りにはなりません。

 こう言う姿を見ていると、むしろ、伊藤玄二郎の方が統領として、頼りがいがある様にも見え、だから人々が、彼に、裏から容易に操作されてしまうのだと、感じてしまいます。

 だって、伊藤玄二郎は、一応ですが、川名君をかばっていますよね。国会図書館にまで手を回して、彼をかばっていますから。そう言う意味では責任を負うタイプとみなせます。

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副題14、『松井府知事のニュースから、後日、ビデオカメラは、大阪城北詰駅で盗まれたのだと解ってくる』

 私のこの、2012年6月24日から26日にかけての、旅行は、一から十まで、伊藤玄二郎の厳重な監視下に置かれたものであり、また、彼の意を体して、ブルーカラーのエージェントとして、機能する警察の尾行のついたものだったと、今では、確信をしています。そして、それを外へ出しても構わないとさえ、言えるほどの強い確信を、今では、持っています。

 で、常に背後にいた、尾行者は、そのビデオカメラが内包している意味(=====伊藤玄二郎たち、エージェントによって動かされた醍醐イサムのみっともない姿が保存をされている=====)も理解しており、私が、大阪城北詰駅で、切符を買う際に、切符販売機の前の台に、置いて、そのまま、構内に入ってしまったのを、見定めて、それをすぐ持ち去り、しかも、戻って、探せない様に、その日、環状線を二時間程、不通にしたのでした。

 そして、大阪城北詰駅の駅員には、「ビデオカメラを探しに来る人間が居るはずだが、不親切に対応する様に」と、それも言っておいたのでしょう。私が夜8時ごろ、そこを再訪して、問い合わせた時には、けんもほろろでした。

  しかし、私の怒りは深いです。一日本国民としては、伊藤玄二郎と、私は対等の立場です。警察の保護は、等しく受けないといけません。が、『警察が、問題の、ビデオカメラを盗み、かつ、後日2014年の6月12日の保土ヶ谷での、ネットカフェでは明瞭に暗殺に手を染めようとした』のですから、これは許せない現象です。

 ただ、ひとり、9条の会、および、美術9条の会を通して、自分たちを守っている、井上ひさしだけは、かんら、かんらと、高笑いをしているでしょうが。彼がアイデアの源泉者となって醍醐イサムを、弾圧者に仕立て上げたのです。そう言う活動によって、高額な収入を得ているでしょう。

 その醍醐イサムの超がつくほど、みっともない真実の姿を記録したビデオを回収したのですから、かんら、かんらと、高笑いしているのも当然ですね。

 そして、それは、すぐ醍醐イサムにも伝えられたでしょう。だから、醍醐イサムは、銀座アーチストスペースへ入る進入路で、後ろを振り返り、私を見つけると、にやりと笑ったのでしょう。勝ち誇った様に、笑いましたよ。内心で、『ヴィデオカメラは、お前から回収されて、あの動画は、廃棄されたのだよ。お前は何も書けないのだ』と、確信をもって、いたから、ああいう、いやらしい笑顔が、でたのです。

 そして、その銀座アーチストスペースでは、私に一度、ひどい事をしてきた、渡辺豊重氏と、彼と一緒に社交的な舞台を歩き回り、お嬢さんの成長期に、必要な保護や手当てをしないで、放っておいた一ノ瀬智恵乎さんのグループ展を7月7日からやっています。

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副題15、『この様にして、ミステリーの、欠けている輪が、だんだんと、埋まって来るのだが』

 実は、醍醐イサムに無礼極まりない態度を、とられた数ヶ月前に、例の女刑事の変装したA子夫人が近づいて来ています。そのエピソードも書き掛けであって、完結しておりませんが、ともかく、私の相手方(=敵さんたちとよく言っている人たち)は、理不尽な事に、警察まで、巻き込んで、24時間体制で、私を監視し、攻撃を加えて来ています。24時間体制と言うのは、真夜中でもパソコンが壊されるケースが多大に発生したからでした。

 それが何故、起きるのか? 源泉となっているのはだれなのか? それを、追求しているのが、私がよく言うアジサイ畑ミステリーなのです。でも、苦難を通じて、だんだんミステリーの輪が埋まって来ました。醍醐イサムを動かしたのも、鎌倉エージェントと私が呼ぶ、伊藤玄二郎と、井上ひさし(彼は、まだ生きています。地下潜行して、こう言うアイデアを練り、提供していて、金銭を多額にもらっているでしょう)でした。

 でも、2011年からは、この様に、周辺を全て、埋められて、ただ、ただ、攻撃を一途にされる生活の、さなかに生きてきたのです。すさまじい苦労でした。

 その上、2013年5月末には、前田祝一氏に『あんたを刑事訴訟に掛けるぞ』などと言うすさまじい脅かしを受けていますね。(後注2) ご近所住まいで、普通に4時間接触する相手にですよ。しかも、前田夫妻は、我が家の土地を実質的に、盗んだ事の主因者ですから、泥棒を先にしたのは、彼らなのです。その事実を書かれると困るので、そこまで、脅かして来るのです。

 しかも、一方で、醍醐イサムは、ギャラリーC とか銀座一丁目ギャラリーとか、他で、個展を何回もやり・・・・・それは、多分ですが、ただで、画廊を使える形でしょう・・・・・、上記の銀座アーチストスペースで、グループ展をもやって、美術界で、うは、うはで生きています。

 でね、私は損をしっぱなしですが、

 少しは、神様に愛され、その愛顧に、恵まれているのも知っていますよ。今回のご愛顧とは、ニュース画面で見た、号泣議員、野々村竜太郎君の出現です。

 それこそ、デジャブーがある映像でした。100%同じ、態度ではありませんよ。醍醐イサムの方は大声で叫んだわけでもないし、涙を流したわけでもありません。だが、突然に、自分を、むき出しにしたというところが、一緒なのです。その突然に、むき出しになった像が、普段とまるで違ったという点が、同じなのです。

 そこで、私は、『ああ、これが神様がお許しに成った、醍醐イサムを書く日なのだわ。あの事=====ヴィデオカメラが、大阪で、多分警察によって、盗まれたということ=====を書くべきでしょう』と、思い至ったわけです。

 醍醐イサムの方は、どういう事に、自分が使われたのかは、正しくは、見えていないでしょう。だけど、私の方は、醍醐イサムと言うアイコンを使っただけで、日本政治の真実を書く事ができるのです。

 なんと、維新の会の衰退と、曽野分裂の影に、統領の器が無い石原慎太郎氏が居て、うんぬん、かんぬんと、書き連ねる事ができるのです。

 ずいぶん、疲れたけれど、やっと、初稿は完成しました。因果関係がやっと完成しました。で、日付は入れて置きます。

 2014年の7月7日から書き始め、13日に完成する。14日に推敲をする。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2315678です。

                           雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

後注1   私と仲良しだと100万円の増収? + 井上ひさしの、偲ぶ会における欺瞞性から、生存を確信する△

後注2   前田祝一様、貴君に行動の自由があるのなら、私にも、その行為を記録する自由はあるでしょう?△

2013-06-11 15:31:49 | 政治

 

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