銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私と仲良しだと100万円の増収? + 井上ひさしの、偲ぶ会における欺瞞性から、生存を確信する△

2014-07-08 20:58:22 | Weblog

  今は、10日(木)の午後零時です。今から、以下の章を完成へともって行きます。ところで、第4章の次に大量に、新しい文章を挿入いたしましたので、二つに分けました。後半は、金曜日に、開示いたします。

副題〇、『彼女は100万円の増収ですね。濡れ手で粟で・・・・結構な事です』

 月曜日に、銀座に行った時に、ある画廊が抜群の発展を遂げているのに気がつきました。その日、初めてみる現象でしたが、二つのスペースを支配しています。二つの展示場所を持っている画廊はあります。タダシ、開業時から、二つあるという形なのが、普通です。で、設計的にも、隣り合わせに二室あるという形式になっているところが多いです。

 ところが非常に離れたところに二つ目のスペースを支配して(借りて)、大きな展覧会をやっていました。『ふむ、ふむ、そう言うことでしたか』と、私は納得です。

 私のおかげなのですよといったら、彼女が怒るでしょうから、最初から、名前を出していません。個人名を出す場合と、出さない場合を、微妙に混在させていますが、今回個人名を出さないのは、私が書く事を、当該モデルさんが、納得をしないでしょうから、秘匿して置きます。別に相手は危険な人ではないですよ。ただ、彼女に対して、どこかから抜群のお金が下りているという事実の影に、私の存在があるということを、彼女が納得をしないと思うから、この<金(カネ)>の件を書いている最中は、彼女の名前は、仮名にしておきます。

 お金にまつわる話は解釈次第では、とても汚くなる話なので、慎重に扱います。

 むしろ、私は、彼女の事を高く評価して来たのです。で、一度、居酒屋へ一緒に行った事があります。二人だけでです。私はそんな事をメルマガにもブログにも書きません。だが、その頃は私が、神経質きわまりないレベルで、追い回されていた頃で、したがって、尾行がついていたと、推察します。となると、その尾行者は、私と、そのオーナーC女史(まったくの仮名であり、アルファベット上のイニシャルでもない)の二人は非常に親しいと判断をしたでしょう。

 で、上司に報告をします。その結果、どうなるかと言うと、そのオーナーは抜群に、エージェント達に、支援をされることと成ります。お金を実際に支払う人が誰なのかは知りませんが、金銭的には支援を受けるでしょう。それを私は月額、30万円ぐらいかな?と、このブログの中で、たびたび書いて来ましたが、今般それは、増額をされ、総額100万円以上になったはずだと、推察しています。

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副題2、『普段、遠征をしない、中島さんが、そこ、C画廊(仮名)にいた事があって、それもピーンと来たのだったが』

 展覧会と言うのは、個展だと、六ヶ月前ぐらいに準備を始めないと駄目です。しかし、月曜日に見たのは、グループ展です。これなら、2ヶ月の準備期間で大丈夫でしょう。グループ展を構成する一人一人の画家に、「一点か二点、提出してください」という場合、タイテイの画家なら手持ち作品があるか、新に制作し始めても、一ヶ月で、準議できると思います。はがきの印刷と、メディアへの宣伝等をかねて、三ヶ月前に、企画を立てれば、コトは可能になります。

 抜群のお金がエージェント側から降りている可能性がある画廊の方は、あくまでもCさんと言う仮名で通しますが、その画廊に珍しく、画廊るたんのオーナー中島さんがいた事があります。こちらは本名で、書きます。中島さんは、他の画廊を訪問しないタイプのオーナーです。一方で、他の画廊をよく見て歩いているオーナーも居ます。私は、他の画廊を見て歩いているオーナーの方を高く評価をしますが、他の画廊には顔を出さないというタイプも多いのです。

 何がそうさせるのかと言うと、そのオーナーの性格もあるし、自負もあるのでしょう。また、他のスタッフを雇っていないと忙しいということがありますね。

 ただ、どの画廊も一人で、運営するのは、非常に緊迫するものなので、週に、一、二度は、他の人に留守番を頼むという形式で運営をされています。しかし、その自由裁量日に、遠くに存在する美術館や、大学を訪問するオーナーも多いので、あながち、他の画廊へ行かない人が不勉強だというわけではありません。が、よく他の画廊を見回っているオーナーは勉強家だと、私は信じています。

 しかし、皆さん、誇りは高いですから、他の、大学等の遠い場所へいく事で、自分の画廊で、展示をする作家を、確保したり、発掘したりする場合もあるので、くるくる銀座を回っている画廊のオーナーが最高の勉強家だというわけではありませんが、それでも、他の画廊で、良い作品が展示してあるかもしれないでしょう。それを見ておく事は、画廊のオーナーの鑑識眼を磨くと思います。だから、芳名帖に、よく名前を見る画廊のオーナーはお勉強家です。

 勉強と言うのははじめると終わりが無いのです。だから、私も銀座の画廊めぐりを止められないのですが、・・・・・理由は、むろんの事、それが、勉強のひとつだからです。

 さて、中島さんに戻ります。Cさんと、中島さんが、親しいとは、思われません。中島さんは、気が強くて、後から画廊を始めたCさんに対しては、先輩面をする方だと思います。Cさんの方は温和な態度を終始とる人であって、中島さんを立てて、日ごろ過ごしているでしょうが、その日に限っては、Cさんの方が格上に見えました。

 珍しいことですが、中島さんが気弱に成っているみたいに見えました。

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副題3、『中島さんと、私の間で、手打ち式を行う様、誰かが按配していたと推察したが、その場所に選ばれるとは、Cさんへの信頼の厚いこと、厚いこと・・・・(苦笑)』

 で、中島さんが、そこに居る理由はむろんのこと、すぐわかりました。その時点で、私はちら、ちらと、長瀬いずみと言う国画会・準会員の無礼により、<天が許諾してくださったと考えて>、国画会が抱える矛盾点について書き始めたところでした。まだ、国画会の最大の障害点(?)だと私が思う島田章三さんが抱えている本当の問題点にまで達していませんが、それらの文章を書く事は、私にとってもマイナスですが、当然の事、書かれる方にとってもマイナスでしょう。

 しかし、そこまでせざるを得ないほど、中島さんのいじめと言うのはひどかったのです。私はね。常に、『他者との間には、平等の機運を満たして置いた方がいい』と、皆さんに申し上げておりますが、それは、あながち、私が大切に扱われる事を願って、そう言うだけでも無いのです。このケースでは、それは、中島さんご自身を守ることでもあったのです。

 世の中は、良くしたもので、一方的な、上下関係とか、一方的な勝敗と言うのは無いのですよ。

 化学式では、平衡状態が、一番安定をすると、言う結論が出ていますが、どちらかの一方が、駄々勝ちに勝つと言うことは、無いのです。それが、哲学を学ぶという事なのですが、下町気質丸出しの中島さんは、画壇の有名人のバックグラウンド等を覚える事に対しては、意欲が高いのかもしれませんが、人間、如何に生きるべきかについての、哲学的素養には欠けている人物だと、見ています。

 まだ、お若いから、それで、良いという考えもあるでしょうが、国画会が、内包している矛盾点は大きく、私は何かのきっかけが与えられば、書くつもりは有って、中島さんが、しつこく、私をいじめる事は、相当に忍耐強い私にとっても、導火線がむき出しになって準備されて居たも、同然の状況でした。長瀬いずみの無礼は、その導火線に火をつけたのです。

 私は中島さんに、自分の著書をすでに何冊か渡してあります。それを読んだら、アンナばかげた、しかも子供じみた、いじめをしたら、大変な事になり、自分の方が徹底的に馬鹿にされる事に成るだろうとは、わかると思うのですが、中島さんと言うのは、本当に庶民的であって、ブランドに弱く、ブランドが高くないと見ている私の本等、頁を開いたこともなかったのでしょうね。

 で、中島さんの画廊には、顔を出さないと決め、そして、書く事の自由を確保したのですが、その時点で、『やはり、まずかったかな。ここは謝罪をしておこうかな』と思った中島さんが、私と必ず出会える場所として、C画廊を、誰かから、推薦をされ、画廊のオーナーCさんにも委細を言い渡して、協力をしてもらいながら、手打ち式をしたいと願っていたのでしょう。

 私は、そう言う事は、瞬時に、全部わかりますが、いったん書き始めた後で、そう言うことをされても、すでに間に合わないです。それに、敵さんがたの本質ですが、もし、銀座で、宥和しても、鎌倉で、油断を突いて、激しい攻撃をして来る可能性があり、そちらへの用心のためにも、まさか中島さんとの間で、手打ちに応じるわけもありません。

 ともかく、私は庶民派ではないから、いじめられる回数の一回ごとに、喧嘩を吹っかけるわけではないが、ここが、戦途だと、心を決めれば、それを、逆回転させる事は無いのです。

  しかし、私が注目したのは、Cさんの方です。『こう言う事を頼まれるまでに、彼女は深く、敵方にリクルートをされているんだ』と言う認識を得ました。その頃より以前にでも、すでに、月額30万円の報酬を得ていたと、推察されますが、その頃から、極端に増額をされたと、見なされます。ただ、それは、銀行の通帳に現金が振り込まれるという形等ではなくて、テナントしての借り賃が、60万円以上はするだろう、別の画廊を、一年間無償で、提供をしてもらうという様な形をとっているでしょう。

 普通、銀座・京橋界隈の、ビルにテナントとして入る場合、最初に、500万円ぐらいの保証金を積む必要があるのですが、それは、無論免除と言う形で、貸してもらえるのです。いいですねえ。それを彼女自身は、『これは、自分の力量が高いので、開いた道だ』と思っているでしょうが、違いますね。私は何度も、「醍醐イサムについて書きます。いつか」と言っています。その決定的な舞台が二つあって、ひとつは大阪城北詰駅の切符売り場であって、もうひとつは、その急に大発展をしている京橋の画廊Cなのです。

 だから、私と醍醐イサムの両方が、彼女の極端な増収と、関係が有るでしょう。で、先ほど来、この章の副題を、「いつから、100万円をもらう様に成ったのだろう」としておりましたが、私が、『醍醐イサムについて書きます。忘れているわけではない』と、このブログの世界で、書いた頃から始まった事だろうと思っております。 

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副題4、『私は、彼女は画廊のオーナーとして優れていると、長期間、高い評価をしていた』

 画廊のオーナーになるとは、女性にとって、最も、輝ける位置にたつ事です。人に使われるわけではない。自己の裁量が利くケースが多くて、自尊心を満足させられる。新進の画家の個展を開いてあげるかどうかは、たとえ貸し画廊であっても、・・・・つまり、相手が、お金を持って来ても、・・・・・開くか開かないかは、オーナーの胸先三寸ですから、そこで、力の行使ができます。つまり、上に立つ(=威張る)事ができます。

 だけど、生易しい仕事でもないでしょう。ともかく、人と接触する事に、おっくうがらず、かつ、おもてなし精神も発揮しないと、評判が高くならないので、単純に威張っているだけではうまくいかないと思います。

 そこまでの事は、大体の人ができています。だけど、それ以上に大切なポイントは、その人に良質な美的センスがあるかどうかです。画廊の経営が、順調に進むと、コネとか、紹介で、どんどん、借りたいという人がやって来るので、その中から取捨選択をすることと成るのでしょうが、展示しているものに、いっていの傾向がある方が、オーナーのセンスが高いと、私は見ています。いっていの傾向と言う中に、具象画を専門に扱うという画廊、および、すでに大家として高価な値段がつく作品を扱っているところは、最近の私は行っていないので、抜かして、実験的な志向が強い、現代アートを扱う画廊が、主に行く先ですが、

 時々と言うか、ところどころに、高いセンスがあると見え、光っているオーナーが居るのです。C画廊のオーナーCさんは、色の好みがすばらしいのでした。ところで、Cと言うアルファベットは、Aさんとか、Bさんと言う記号を過去に使ってしまっているので、たまたまCさんと呼んでいるのですが、名前が、<ち>で始まるわけではありません。<ち>のつく画廊を探し出して、「そこだ」なんて誤解をなさらないでくださいね。ただ、業界にすむ方々にはCさんが誰をさすのか、解ってしまっても、いいと思っています。だって、深い事情を知っている人以外は、『変だなあ。どうして、彼女は、あれほど、はぶりがいいんだろう?』と、思っていると思いますよ。だから、その秘密を解いてあげた方が、皆、安心するでしょう。

 もうひとつ、彼女を高く評価するポイントがあって、それは、いわゆる鈍感力です。頭がいい人ですが、いかにも、『私は、才気煥発です』と言う風に振舞う人よりも、彼女みたいに、おっとりと振舞う方が、画廊のオーナーと言う仕事には向いていると、私は、思っています。主役は展示をしている作家です。それを支える人なのだから、おっとりと、している方がいいと、見ています。

 で、とても高く評価しているので、いわゆる魚心あれば水心ありで、当時、活発に配信をしていたメルマガも読んでくれていました。そして時々は感想をくれていました。

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副題5、『銀座の画廊のオーナーの中で、ただ、ひとり、私の方が、外のレストランに誘って、一緒に食事をした仲だけど、だからこそ、彼女はピックアップされたのだろう』

 私は画家を含んで、画廊のオーナーと数人で食事をした事はあります。だが、オーナーと、私の二人だけで、食事をしたのは、彼女一人なのです。他にも誘いたい人はあるのですが、性格の良い人として、おっとり感のある彼女が、特に好ましく感じて、一番最初に誘って、教えてもらいたい事があったのでした。それは、私を包む暗雲が銀座に広まっていると感じ始めた頃で、その実態について教えてもらいたかったのです。誰がやっているか? 誰が噂を流しているのか?・・・・・そう言う事を教えてもらいたかったのです。

 だが、彼女は言を左右して、いじめの実態については、教えてくれませんでした。それも、敵方にとっては、大いなる安心を与え、この二つが絶妙に絡み合って、彼女に抜群の、お宝をもたらしたのでした。

 まず、この頃すでに、私への、尾行か盗聴が始まっていて、彼女と二人で、居酒屋へ行ったのは、敵さんの知るところと成ったでしょう。そして、もし、私の想像している通り、携帯に盗聴機能があったとしたら、私がCさんに、質問した事項こそが、敵さんたちにとっては、うれしい出来事でしたね。『おお、彼女はいじめられる事に対して、悩んでいるのだ。だから、美術9条の会を作って、そのメンバーに、その会合の前後の二次会等を利用して、<<<<<川崎千恵子を銀座の画廊街で、いじめてほしい>>>>>という作戦を取ってきたわけだが、それは、成功している』と、敵さん達が考える、きっかけになったでしょう。私は何も悪い事はしていないのです。が、数々の悪事の目撃者であり、勝つ、文章を書く事ができますので、敵さん建ちは、私の事がおそろしくて、たまらず、どうしても殺したいと思っている模様です。

 そのための最上の手段が、ノイローゼにさせて、精神病院に収容してしまうことなのです。それ以外に、方法が無いと見ていますので、常に、知り合いから、裏切られるとか、いじめられるという現象が起こります。

 ただ、私も犬死するわけにもいかないので、文章を書いて防衛をします。私の武器は唯一頭の良さです。

::::::::::::ここですが、水曜日(9日)の夜11時に重要な挿入を入れます。

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副題6、『9日の午後、4時に鎌倉駅頭で、9条の会がビラ配りをしていたが』

 この部分を、火曜日の深夜、書いて、水曜日は、昼間はパソコンを開きませんでした。外出していたのです。その外出時ですが、自宅から、鎌倉駅へ向かうと、そこで、9条の会が、ビラ配りをしていました。午後4時30分過ぎのことです。

 で、こう言う現象を、私は井上ひさしが生きている証拠だと見ています。いつも言っていますが、彼の死は疑問だらけの死です。娘の、麻矢さんが言うに、「父は自宅から歩いて病院へ通いました」ですって。

 そう言う言い草は、タクシーを利用しなかった事への言い訳です。つまり、通院は無かったのです。だけど、彼の家は、私の家と同じ海抜の高さにあり、石段ではなくて、傾斜のある道路を歩いて登る形式になっています。佐助稲荷にいらしたことのある方なら、道を、隔てて、佐助稲荷とは反対側が井上ひさしの家だといえば、地理的感覚が正しく、つかめるでしょう。その道は、結構な急坂です。幅は広いですが、傾斜が急なので、スリップ止めの丸い印章が、コンクリート製の道路に、隙間無く押してある、そう言う形式の道路です。

 健康な人でさえ、はあ、はあ、息をきらせる様な坂を、瀕死の重病人が往復できますか? 彼の死は病死でもなんでもなく、まだ、実際には死んでいないのです。

 そこを、往きも、病院まで一時間、帰りも自宅まで一時間かけて歩けるほどの末期の肺がん患者なんて居ますか?

 それが、死の直前の人間のやることですか? だから、あの発表には大量の嘘があったのでした。しのぶ会が開かれましたが、舞台上には、400冊だか言う出版物が飾られていて、自分を誇示していましたが、生花の献花が無かったでしょう。さすがに恥ずかしくて、それだけは止めたのでしょう。

 そして、それほど、大々的に、末期の様子を、メディアに公開したのに、デスマスクも発表をされていないし、お墓も発表をされていないですね・・・・・と、こう言う風に書くと、早速、今現在の、まだ、生きている顔で、デスマスクを作るでしょう。(苦笑)、

 私が、特別な外出(たとえば、旅行)をするときも、必ず駅頭で、デモや、ちらし、配布が行われます。電話やメールで約束をして外出をするときも、駅頭で、デモ等が、行われます。ただ、本日は私は、誰とも約束をしておりません。だが、銀座の画廊めぐりを、半分残して月曜日に終わっています。20年前よりは数を減らしております。が、はんで押した様に正確に画廊めぐりをする私は、昔は木曜日に残りを回り、最近では、火曜日から、金曜日まで、あっとランダムに回っています。母の見舞いが無くなったし、本作りも休んでいるし、主人が週二日しか診療をしないし、かつ、自宅で、治療を行うので、全てが、楽になったのです。楽になったからこそ、不随意に、外出をするのでした。

 で、よく私の行動は研究されていると見え、残りの画廊めぐりを、週のうちのどこかで行うと、見なされていて、パソコンを閉じたら、即、外出だと、見なされていると、推察しています。その後が、嫌な事がいっぱい起きるので、主人にはメモを残して、声で野挨拶は避けて、外出するのですが、それでも、見事に狙われました。9日(水)には、9条の会のビラ配りが駅頭で、準備されていたのでした。

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副題7、『この種の動員は何度も行われていて、だんだん、階級的に上層の人が使役をされているが? それは、私の文章に依拠して、井上ひさしが、こうした方が良いと考えているからでしょう』

 連続してお読みいただいている方は、それを、覚えておられると思いますが、一時期湘南信金の鎌倉支店が、頻繁に、脅かしと嫌がらせの場所として、使われました。私は、30年前に父から遺産として、5000万円をもらっているのですが、二つの持ち家を持っているとか、増築をしただとか、海外へ三ヶ月間の、研修に3回も行って、毎回200万円を使っただとか、本を6冊も作ったとかいろいろあって、それが、2002年時点では、600万円に減っていました。この数字こそ、A子夫人という刑事が変装した、私のファンが、「自分は、人生の残りを、労災年金(もし、一時金に直すと、600万円となると聞いている)で、暮らしていかないとならない」と、なついてきた際の数字として使われています。

 で、600万円で、本作りもしないとならないので、本当に気を使った、金遣いであって、東京へ行く際には、毎回、4000円を下ろして、出かける様にしていました。それを三菱銀行のカードで行うのも、浜銀のカードで行うのも、気が引けて『まあ、湘南信金だったら許されるでしょう』と、必ず、湘南信金に、寄ってから東京へ向かっていたのです。

 それで、青山で、お金が足りなくなって下ろそうとしたら、おりないので、一瞬ヒヤッとしたのですが、パソコンのシステムについて、既に深い理解をしていたので、4000円だからバグのせいで、下ろせないのだと考えて、7000円へ変更したら下ろすことができました。本当に毎日、普通の生活ができない時期でした。5億円の被害がありますというのは、そう言う部分も指します。

 そして、共産党を使った、脅かしも、その前で、行われました。千葉原水協が、午前11時に、湘南信金前で、デモをしているのです。徒歩行進で、進むのですって。馬鹿みたいな嘘をついている人たちでした。千葉を出発して、どうして、徒歩で、鎌倉へ、3時間で、来る事ができますか? 井上ひさしって、本当に実体験がない人なので、頭でっかちの見本です。

 そして、この時代は、彼も正式に生きていましたが、ムードと目的がまったく同じ、9条の会のビラ配りなので、私は、その現象を見たとたんに、脅かされるというよりは、『これこそ、井上ひさしがまだ生きている証拠ですね』と、喜んだほどです。彼は、単純な思考をする人間です。このシリーズは『トカゲか、鰐か?』と言うシリーズタイトルをつけていて、私と敵たちと、どちらが、頭がいいのかを比較している文章ですが、井上ひさしも、御大などと、自分を呼ばせていますが、とんでもない。頭が悪いです。

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副題8、『井上ひさしが、醍醐イサムに対して、すまないと思っているか、どうかをここで、検証しよう』

 7日(月)の深夜から、8日(火)の早朝にかけて、醍醐イサムが、誰からの情報を得て、その讒言を信じたか・・・・・と、書き始めたのでした。そして、『美術9条の会のメンバーからか? または、醍醐イサム自身が、美術9条の会に入っているのか?』と書いたのが、午前1時から、2時にかけてでしょう。そこに、敏捷に反応した井上ひさしが、常に子飼いにして(それは、ゆり夫人が面倒を見ているという形にしてあるのだろう)いる9条の会,鎌倉支部から、お金持ちそうな奥様をえりすぐって、ビラ配りをさせていました。

 私が、上記の千葉原水禁の人たちの様子を、なんと、生気のない顔だろう。何の目的かもわからない事に動員をされ、有無を言わさず、駆り出される。そのことへの不満が、にじみ出ている顔だと、書いたから、今回は気をつけて、選任を下らしいです。

 しかし、そう言う現象を見て、はたと、うなずいたのは、『醍醐イサムは、美術9条の会に所属しているのだろう』と言うことでした。だから、真夜中ながら、9条の会を守りたくて、井上ひさしは、次の日のビラ配りの計画を立てたのでしょう。で、ドンぴしゃりのタイミングで、攻撃を行う事によって、井上ひさしは、醍醐イサムを助けている気持になっているのでしょうか?

 たとえば、伊藤玄二郎が、酒井氏を助けたくて、あれこれを行う様に。それは無いと思います。ところで、ギャラリーアーチストスペースという名前が後で、出てきますが、そこでも、挿入をしないとならないので、ここでは、ビラ配りの話しをこの辺で、切り上げましょう。

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 副題9、『野見山暁じさんをめぐる、収支決算の不思議さ』

 醍醐イサムの前に、渡辺豊重さんにもいじめられていたし、赤津侃さんにもいじめられていたし、・・・・・それが、画廊るたんのいじめの、勃発につながったわけですし。

 でね、こう言う連中は、絶対に、反省をしないのです。ばれているのかと思って「それでは、恥ずかしいね。じゃあ、もう、止め様」ということがありません。むしろ、悩んでいるのなら、さらに攻撃を強めてやろうと言う考えです。

 で、食事に誘ったからこそ、そして、その際に彼女が賢くも、業界で、流布している、実態を、打ち明けなかったと言う、両方をめでて、彼女に対して、抜群の援助が下ってくることと成りました。それは、野見山さんのご愛顧などと言う形で、精神的なバックボーン作りとして現われ、と、同時に、新しい場所への移転を提示され、その際に、<<<<<野見山さんの顔と信用で>>>>>保証金等が免除されるという形式がとられたのだと思います。

 今、京橋も銀座も、ビルのスクラップアンドビルドが、激しいです。で、ビルの建て替えがあると、画廊の移転が起こります。しかし、C画廊の移転はビルの改築とは無縁に行われました。そして、広くなりました。幅が2m奥行きが、2m広くなったと感じます。

 今アエラ等で、ママ友の付き合いが大変だという記事がやっと出る様に成りました。また、小説等では、銀座の倶楽部のママ同士で、激しい争いがあると出ていたりします。

 画廊のオーナーと言うのは誇り高い人種ですから、むき出しの競争心や、嫉妬心は出さないものの、どこかで、何かがあるのは確かで、業界のお仲間同士で、気を使うところもあるでしょう。ところが、野見山さんが、支援をしていると成れば、それが、黄門様の印籠に当たります。Cさんは臆するところも無く、業界トップクラスの位置に、上がって行くでしょう。そして、自分が、そうなっても、役不足などとは、感じず、恥ずかしがりもしないでしょう。

 今は野見山さんの名前を主に挙げていますが、酒井忠康氏等も、自治体の美術館が、彼女の画廊で、展示した作品を買い上げる様に助言をしたりすれば、後は、とんとん拍子に、自分のサイクルで、自分が稼いだ気分で、物事が進みます。一週前の週刊誌(で、今は売っていないもの)の中にアベノミクス効果で、銀座の画廊は、大もうけと言う記事が出ていたそうですが、主人から耳でそれを聞いたときは、内心で『本当かしら?』と、いぶかしく思いましたが、もし、彼女の画廊を取材して、そう言う記事を作ったとしたら、彼女のところだけは、そう言う部分はあるでしょう。

 ところが彼女はそれを願ったわけではありません。どこかで、野見山さんにお会いできる様に設定をして、「ご支援を、お願いたします」と、言葉で、頼んだわけではありません。野見山さんの方から寄り添って行ったのでしょう。それは、無論のこと秘書の千里さんも交えてのビジネスの分野としてですが。ただ、一種の、棚から牡丹餅と言う様な果報です。

 それに反比例するのが、ギャラリー山口のオーナーのケースです。Cさんは、極く温和なサラリーマン家庭に育ったと見えます。愛情豊かな両親のもと、過不足なく育ったが、特に甘やかされたわけでも有りません。フェイスブック時代に経歴を見た事があるが、大学を出ていない人です。

 一方で、ギャラリー山口のオーナーは、社長令嬢として育った方です。小さい頃は女中さんが居る様な暮らしだったでしょう。で、お金の勘定ができない人でした。だから、野見山さんの個展等、ただで、やってあげていたでしょう。ずっと、以前から。その影に、引退したら、野見山さんの、東京生活における秘書でもして、人生の終盤を迎え様と考えておられたと思いますよ。

 だけど、野見山さんは、上手に、それを蹴ってしまいました。山口千里さんを秘書に迎えて・・・・これもまた、私と千里さんの電話が盗聴をされていた結果かもしれないのですが・・・・・懐を固めちゃったので、山口さんが入る隙がもう無かったのです。

 何故に?と思いますが、多分、野見山さんの二度目の奥さんに比べると、山口さんの清潔感が、重いと考えたのでしょう。山口さんは、私と同じ年齢だと思いますが、きっと、処女だったと思います。彼女の事を思うと、かわいそうでたまりません。処女である人の潔癖な愛情を受け止めるだけの誠意が、ご自分にはないことを、野見山さんは、解っていたのです。きっとそうですね。

 千里さんは、お顔はきれい至極ですが、性格は男みたいなひとです。だから、野見山さんに心の負担はないです。そして、他人の、奥様だから余計に。Cさんに関しても、野見山さんには心の負担はないでしょう。あまりにも年齢が離れすぎているし、Cさんの方に賢い鈍感力があるので、恋だの愛だのという方面では、何も発展をするはずがないと思って、安心していられるのです。

 でもね、天がご覧になると、『野見山さんと京橋と言う関係では、大変な収支のアンバランスがある』と言う事に成ると思います。心の問題ですけれど。ギャラリー山口のオーナーに対しては、踏んだりけったりで、あったのに、今、Cギャラリーに、潤沢な支援を下す。これって、神様から見たら、『よくない』と、見えると思いますけれど・・・・・・

 なお、ここまでで、1万三千字になってしまいました。これから先は、主役が異なってきます。今までは、仮名Cさんという女性が主役でした。が、次からは、男性が、主役になります。最初、一緒に書いて、一章立てにしていたのは、Cさんの画廊が舞台として、その男性、愛護イサムの無礼な態度が発揮されたのでした。

 で、ガラッと話題が違って来ますので、次の章へ、初稿の文章を回し、新しい章を立てたいと思います。それは、11日に公開をします。どうか、お待ちくださいませ。そこを書くのは力が居る部分なのです。そして、そちらにも大量の加筆をする予定がありますので、金曜日に取り組まさせてくださいませ。

   2014年7月7日に書き始め、9日に推敲を終わる。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

  尚、このブログの、2010年より数え始めた、延べ訪問回数は、2307129です。

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