銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

自分の子供が、いじめに出会った時、親はどう対処するべきか?

2014-03-19 23:09:15 | Weblog

 最初にメモ程度に付け加えさせてくださいませ。小保方ミステリーですが、先週の木曜日に週刊文春が大きく取り上げているのに、19日の水曜日にやっと気が付きました。京浜急行の売店に、中吊りがはってあったからです。で、読んだ結果、彼女が大金を使っていたと言うあたりが、重要だと感じています。なるほどと思っていますが・・・・・

で、私は、疑惑が起こってからの自分の文章は変化させる必要はないと思っております。疑惑が起こる前、最初期の文章は、結果として間違っていたのですが、それは日本全国的に、あれを大発見だと思ったわけですから、私が小保方さんの研究をるる解説しても仕方がなかったですね。では、本日の文章に入らせていただきます。

 最近の事件からそれを考察する必要があると思うのですが、性の衝動に、子供が目覚めていることに気が付いた時に親はどうするべきかを書くつもりでした。が、発達段階として、その前の、事を語っているうちに、字数制限に引っかかりそうになってきたので、セックスと子供の発達と言う項目は、別の機会に語ります。

 副題1、『以前から、14歳の危機とは言われていたが・・・・・』

 最近、あまり聞かない言葉なのですが、15年か20年前に、教育関係者の中から、<14歳の危機という言葉が出たと、覚えております。

 私が最近、言っている事もほとんど同じです。中学期が大切で、早熟な子だと、小学校高学年から大切なのだと思います。だけど、私自身、それには気が付かず、父が心配していました。

 あんなに、出歩いていて大丈夫かなあって、心配していたそうです。で、2005年ごろ、私は既に、子供が結婚をした後で、だいぶ自由になって、より広範囲に、出歩くようになったのですが、それ以前の、1985年ごろから、1996年までの、40代の時期は、鎌倉市内だけに、外出をとどめました。いや、週に一回程度は遠くへ行きますよ。だけど、普段の日々は、本当にコンスタントな、生活に変えて、昼間は読書で、待っていて、午後、おやつを作って、子供の帰りを待ち、帰宅を見届けてから、外出し、図書館で、時間をすごした後で、買い物をして二時間後にかえると、いう生活をいたしました。

 よく、子供がいじめを悩んで自殺をしますでしょう。ああいうニュースを聞くと、「お母さんが家に居たら防げたのだろうなあ」と思います。

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副題2、『聖光学園の子供たちが、昔、横浜駅でいじめを実行していたが?』

 学校から帰宅直後のこどもの様子を見るというのは、大切です。中学期は、特に大切なのです。非常に大きな進歩があるので、とても難しい時期です。

 働くお母さんに対してはなんともいい様がないのですが、今週のアエラで、働くお母さんが、中学受験に成功した例が出ているみたいです。中吊りで知りました。まだ、記事は読んでいませんが・・・・・

 で、私立中学に合格させてしまうのもひとつの道です。環境がいいので、友達から、学ぶことも多いし・・・・・と、原則的にはいえます。だけどね。昔横浜駅で、聖光学園(横浜の名門私立)の中学生が、階段の陰で、雨傘を使ったいじめをやっていて、びっくりしたことがあるので、私立中学へ入学させても安心はできないです。はっきり学校名を言ってしまっていますが、それは、このいじめが、優秀な学園で行われていたから、親御さんに対する注意喚起という意味で行っているのです。もうひとつ挙げると、H学園の高校生が、電車の中で、ひどいいじめをやっていたのも見つけたことがあります。両方とも私は注意してやめさせました。H学園とは、偏差値的に低いところなので、名前をあえて挙げません。

 前の方は、昔横浜駅にあった跨線橋の階段の影でやっていた、雨傘を目につきさすゲームです。ぎりぎり5cmぐらいの近さまで、一人のボス役が勢いよく突き刺し、目をつぶるかどうかを肝試しするというゲームですが、やられているのが、グループの中で一人だけですから、完璧ないじめです。で、悪い事をやっていると言う自覚もあるので、階段の影でやっているのです。私が注意した後で、みんなで一緒に電車に乗ると、さっき、いじめられていた子が、活発に天文の話しを始め、さっきは、子分役を果たして、はやし立てる役割の子供が二人、喜んで話を聞いていました。いじめていた方は、無関心で、加わりませんでしたが、のっぺらとして無表情で、『ああ、こう言うタイプほど恐ろしい子なのだ』と思ったことです。

 で、よく物事を考えるタイプがいじめられます。それは、長じてからでも同じでしょう。要領がよくて軽い人間が出世しますね。本当の実力者は、不遇であったりする。彼らは四人とも、東戸塚で降りていきました。高層マンションが建つ、新開発の土地で、そのころ、転入してきたエリートサラリーマンの家庭の子供たちだと思います。

 成功学園で、いじめによる自殺が発生したとは聞いたことがないので、まあ、何とか、収まっているとは思いますが、私立の有名学園に入れても、親は安泰ではないと言うことです。脅かすみたいですが、親になった限り、ずっと、悩みながら、注意深く生きるほかないのです。

 ココで、ぽろっと、ご近所問題を加えますが、私が日常的に大被害にあっているのは、根本は、Y家と言う家が、エージェント化しているからでしょうが、そこの奥様が、いわゆる略奪婚の人であり、・・・・・・云々と言うのも、こう言うことで、すぐわかったのでした。

 

 彼女は、三人も、中学高校期のお子様が居て、それを、勲章として誇っているみたいでしたが、まったく、母親らしくない人なのです。つまり、ひそかに、注意深く生きると言う特色がないのです。毎日、自分が主催して井戸端会議を開いていて、それが、原因となって、私が土地を奪われるのですが、なぜ、井戸端会議をするかと言うと、ママカーストの構築のためにそれが、必要で、自分が実質的にトップになりたいので、それをやるのでした。

 よく新興住宅地とか新設された大団地などで、そのママカーストの構築のための、井戸端会議は行われます。だけど、それは、最初のこどもが2歳から、7歳ぐらいまでの、ママたちがやることで、中学や高校時代の母親がやることではありません。

 で、彼女に迷惑と言う以上の迷惑を毎日与えられているので、そこは、徹底的に考察し、分析しぬいてあります。その結果、三鷹ストーカー事件も、独自な解釈に至るわけです。

 Y夫人に、比べれば、もっと静かで、上品ではあるものの、やはり、同じように、自分本位な人としての、一ノ瀬智恵乎さんの特質はすぐ見抜けたものです。つまり、子供が居る事を画家としての、一翻(マージャンのヤクとして語る)として誇っていながら、実際には、必要にして不可欠な事をやっていない人として、彼女がみえてくるわけでした。

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副題3、『H学園の、高校生の場合』

 こちらのケースですが、JR久里浜駅から、鎌倉駅の間で、見聞きしたケースです。総勢7,8人の高校生のグループで先生は、付いていない子供たちでした。

 私がこれを最初にメルマガで書いたときは、高校の名前は伏せておきました。でも、ある別の高校のテニスクラブの男子生徒が、身長180cmのイケメンばかりだったので、今、部活に流行があり、隼人学園の子供たちが所属していた部活が、流行の部活ではないと、感じ取られるのは、否めないです。

 神奈川県は今、高校受験に際しては、全県一区だそうです。それは、また、別の問題を喚起するのではないかと思いますが、少し前までは、中学区制度でした。そして、50万人前後で、一学区を形成しているのですが、その学区の一位校の子供って体格がよくないのです。勉強優先となるからでしょう。

 ところが、第二位校とか、第三位校で、部活の指導に熱心な先生が居ると、そこに体格のよい個が集まるのです。先ほど、言った、テニス部の子供たちなど、全員、体重、70キロ以上、背は180cm以上で堂々たる青年ぶりで、私は大学生だろうと思ったぐらいでした。あっさり、その名前を明かしてしまうと、県立大津高校です。まあ、10年ぐらい前の話ですから、今はどうかわかりませんが、本当にかっこよかったですよ。

 比較して名前をあえて伏せているH学園の子供たちは、高校生にしては、背が低く、また、やせている子が多く、そして、お顔もまずい子が多かったです。日本って、一応表向きは階層がない事になっているが、実際にはあるのです。私、ものすごい苦労をさせられているものですから、上品ぶって、書き方を制御すると言う仕組みから離脱しています。それで、はっきりと書きますが、県立高校にも入学できないと言う形で、育つお子さんは、親もまた、階層が低いかもしれないのでした。そして、バッグに学校名が堂々と記されては居ましたが、ひとつのバッグに収まる程度の、道具でできる部活なので、水泳か、卓球だと思います。

 JR久里浜駅から、京急久里浜駅へ乗り換えて、野比と言う駅まで行くと、大きな水泳プールがあるので、そこで、水泳の大会が開かれたのか、それとも、自衛隊の施設で、卓球の大会でも開かれたのかもしれません。ともかく、テニス、サッカー、野球、バレーボール、バスケットボールなどの、部活ではなかったと思います。

 午後四時ごろのJR横須賀線の、久里浜駅での乗客数は、とても、少ないのです。11両の連結がほぼ、埋まるのは、鎌倉からであって、逗子までは特に少ないのです。みんな京急を利用して東京へ行くのでしょう。そちらの方が早いのでしょうし。で、一輌の中で、私と、その子達以外は、誰も居ないのでした。彼らは、私なんか無視しぬいて、いじめをやり始めました。

 中に、ひときわ面貌が悪くて、かつ、顔色も悪くて、体格的にも、やせている子が居ました。その子がターゲット役です。いじめる方は、中で、最も顔が整っていて、目がパッチリとしていて、エネルギーがある感じの子供です。

 いじめはボールペンを使ったものです。こめかみのところをてこの、軸にして、パチッと放つと、とても痛い形で、額に当たるらしいのです。「あ、痛っ」と、被害者が叫ぶと、対岸のベンチに座っている子達がやんやの喝采をあげます。その喝采を上げる子分たちですが、寝そべっているのです。疲れているのでしょうが、JR横須賀線の車内で、寝そべって、いじめを見物しているのでした。

 いじめられている子は、黙って、やられる様になりました。「あ、痛っ」と言うと、いじめ役が余計に張り切ってしまうことがわかったのでしょう。私、上の方で、注意したといっていますが、それは、鎌倉駅で降りるぎりぎりまで待ったのです。この現象は、10年ぐらい前に出会ったのですが、このとき既に、少女コンクリート詰め殺人事件が起きていて、その詳細を新聞で読み、現在の、不良少年がどういうものかを知っていました。目の前に居る子達は、私立に通っているわけですから、その事件の子供たちに比べれば数段上等です。事件の子供たちは、主役は、学校にも行っていないし、まあ、はっきり言って、ぐだぐだの、生活に陥っていたのでした。

 自分はボールペンを、放ちはしないが、いじめを見物してはやしたてていた子達が、ベンチに寝そべっているので、そこが、怖かったのです。だらしなさが共通するから。

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副題4、『鎌倉おなり中学では、さすがに、いじめはないのだが』

 

 うちの子供たちは、中学期には父親が単身赴任で居ないので、母の私を混ぜて三人で、よよくしゃべりました。学校の事を。後には、兄弟だけでしゃべるようになりましたが、中学期は、夕食の時には、私も、混ぜて話しました。

 あるときに、校庭で、バイクを乗り回す同級生が居たそうです。当時は高校生でもバイク禁止という時代でした。だから、中学生で、授業にも出ないで、校庭を爆音高く、周回するのは、先生方には、言語同断に見えたらしくて、警察に通報されて、警官にしょっ引かれてしまったそうです。

 そこから先がとてもいい話になっていくのですが、子供たちが話したニュアンスがとても再現し切れません。ともかく、同情いっぱいで語っていました。警察で当該の男の子が、「どうしたんだ。どうしてこんな事をするのだ」と、質問をされて、仕方がなくて、家庭の事情を話したそうです。

 「おカンが、家出をしてしまって、・・・・・・おトンは、お酒ばかり飲んでいて・・・・・ ご飯を誰も作ってくれない・・・・・・」と、とつとつと話したそうです。

 後に是枝監督が、『誰も、知らない』と言う映画を作って、カンヌで賞を取ったのですが、その前兆的傾向が、鎌倉でも、ひとつあったのでした。

 で、警察でも、それならバイクを乗り回しても無理はないと、思われたのか、その子は釈放されて、学校に帰って来ました。警察から学校へも、処分を厳しくしない様にとでも言われたのでしょう。その後、長い日常をその子がどうしたかは知りませんが、級友たちは、いじめたりはしないのです。

 彼が警察から釈放されて、学校へ返ってきて、上のせりふを言うまでは、子供たちは、彼の境遇を知りませんでした。でも、釈放されたと言うことを喜んだ上で、その理由が、あまりにもおかしいと、みんなが、思ったらしくて、大笑いをしたらしいのです。それを私に、笑いながら告げる息子も、笑う裏で、心からその子に同情をしていました。それが、よくわかりました。他の子も同じだろうと思って、中流家庭のよい面が、おなり中学全体に、出ているなあと思ったものです。そこでは、弱いものとか、劣ったものがいじめられることはないのです。よく育てられ、浴しつけられているのでした。

 ところが反対のケースはあるのです。

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副題5、『格好がよいから(?)、いじめられた、わが子』

  非常に後になって知るのですが、上の子が中二の夏休みに引っ越してきてから、学校が始まるととたんに、二学期早々に、ひどいいじめを受けたそうです。私は母親として、それを、100%知りませんでした。ちょうど、その時期には、塾の先生をしていて、外に夜出ていました。また、主人は単身赴任で家に、居なかったのです。ひどい怪我をして帰宅したそうです。妹がびっくりしたことに、制服に隠れているところだけを狙って、怪我をさせているそうでした。

 「あの子達って、頭がいいのね。先生には見えない様にやるのよ」と、数十年後に言っていました。

 鎌倉のお坊ちゃまだって、そう言う事をするのですから、ひどい時代だったのです。今がどうかわかりませんが・・・・・

 うちの子が狙われたのは、ちょっと、華やかなところがあるからでしょう。子供の時から、ご近所のお子さんと遊ばせることだけを願っていましたので、社交性はあるのです。それから背が高くて、顔は、美形です。いや、ココに子供の写真を載せたいぐらいに、かっこいいのです。

 娘の方は、「松島奈々子似の、◎◎ちゃん」と友達から呼ばれているそうです。親がそれを言うのはおかしいのですが、好意を持ちあっているママともから、それを言われるので、そうなのでしょう。その二つが原因だと思います。

 だけど、それを知らないうちに、解決して、いじめが長引かなかったのは、子供が賢くて、「親に言うなよ」と、妹に規制をかけたからでした。で、私が何も知らないので、何も騒がなかったのは、ひとつにはよかったです。こう言うことですが、学校の先生に言っても駄目ですよ。警察に、ストーカー事件の事を訴えるのも駄目ですが、いじめの件で、学校の先生に訴えても駄目なのです。

 先生もサラリーマンです。クラスの中だけで、精一杯で、学校の放課後は、監視できません。もし、いじめの件を、訴えたら、いわゆる「ちくった」ということになり、さらに、いじめられます。で、悪循環に陥る前に、転校をなさる事をお勧めします。 印ですよ。転校したって。それから、休学やら、不登校でもいいのです。

 ともかく、一番いいことは、子供に力をつけておくことです。不登校でも、後に大学受験資格の検定を受ければいいでしょう。それが、挽回の、きっかけになります。

 それと、親が十分に愛しておくことです。恒常的にいじめられる子は、親が愛していないので、なんとはない形で、輝きがないのでしょう。上に挙げた聖光学園の子供は、頭がよすぎるし、考えが回りすぎて、かえって控えめになってしまうので、いじめられるのでした。が、H学園の子は、体格がやせすぎているので、自分の家の中でも、十分な面倒を見てもらっていないと推察されました。きちんとしたご飯を小さい時から、与えられていないと見えました。

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副題6、『男の子は、体力があり、運動神経が発達している事も、大切です』

 さて、9月ですので、制服はまだ、半そでシャツです。そこに隠れている部分をめちゃくちゃに傷つけられて返ってきたわが子ですが、二つ目の理由があって、それ以降、恒常的ないじめが続くことがありませんでした。本当に幸いでしたが、それも、実は、私の方針がよかったからかもしれないのです。

 私はほとんど一人っ子状態ですごしました。下と七歳離れているからです。そして、船橋市塚田の、塚田小学校では、小さいころからの友達との遊びの体験があまりにも少なかったので、先生には気に入られない子供でした。ただ、お成績だけは抜群によかったらしくて、それで、傲慢に成っているとか、横着になっていると、先生が見ておられて、それでも、気に入られなかったのでしょう。

 ところが、横浜の日吉台小学校へ転校することとなったら、塚田小学校の先生が、母に、口を極めて、「よく注意してくださいね。努力するように。今までとは、まるで違いますからね。今かではないので、お友達もみな同じレベルです。横着をしては駄目ですよ。丁寧に勉強するように、納得をさせて置いてください」と、おっしゃったのだそうです。

 で、三年生の秋に引っ越してきて、もう四年生では学級委員でした。(笑い)塚田小学校の先生のおかげです。そして、すぐ、他の子のお母様にリクルートをされて、優秀な子供だけが通うその方が開いた私塾に通い始め、・・・・・(今思うと、他の級友たちに、羨望されたり、白い目で、見られていた可能性が強いが)・・・・・ドリル学習に励む様になったから、本当に遊んでいないのです。それは、社会に出てから、特に専業主婦の世界で、弱い立場に立つ事を、運命付けられる、後日となるのでした。

 もしずっと、東大勤務を続けていたりしたら、大丈夫だったでしょう。自分の弱点が外へ出ないで、すごせたかもしれません。そう言う社会では成果主義というか、目標が定められていて、それに向かって進めばいいのですよね。そして、役職も、だんだん上がっていきます。無論、大変ですよ、競争社会であって、アカハラ(学者の世界で、博士号を取った人がたくさん居るので、席をめぐって、上級者が下級者をいじめる事を指す)もあるだろうし。

 だけど、ともかく、専業主婦はそれは、それで、とても大変なのです。マンションで、お若い主婦が、孤立化して育児ノイローゼになったりしているのとも共通するのでしょうが、大学卒で、お勉強ばかりしてきた女性は、社会経験が少ないので、当時は、高卒で、主婦になったベテラン主婦の間に入ると、負けるのです。どうしていいかわからないほど、おろおろに成ってしまっていじめられやすいのでした。

 で、その弱点ばかりに注目したので、子供を遊ばせることを、一番に考えたのです。本当によく遊ばせました。そして、自分の子を遊ばせるために、よそのお子さんの面倒も見るということになりました。だから、子供のことに、は、ちょっとした、ベテランであり、自信がある発言ができるのです。

 で、小さい時から遊んでいるわが子は、男の子として、抜群に能力が高かったらしくて、一対三のリンチでも負けなかったらしいのです。怪我は、たくさん負ってきたが、意気軒昂で、しっかりしているので、妹の方も、お母さんに、これを言わないでも大丈夫だと判断したらしいのです。そして、その一回限りで、終わりました。おなり中学には、別にブランドを目指して引っ越してきたわけではありません。でも、いい子がそろっていて、引越しで目立ったのが、過ぎてしまえば、もう何も起こらないのでした。

 ともかく、今の家の自然環境が気に入ったのです。日吉の家も南斜面で、下とは、10mの差があり、覗き込まれることはないのですが、それでも、数百軒の家は目に入ります。きたくりはまの家も前の家が目に付く形です。ところが、今の家は、東南の開口部には木しかないのです。これはすばらしいです。東京へ電車だけなら一時間の距離で、こう言う自然環境の家はないです。小さい時に住んでいた塚田の家(当時は、5000坪ぐらいの範囲で、家は全然目に入らなかった)と、似た環境で、それが、すばらしくて引っ越してきたのでした。

 本当にラッキーでした。だけど、本人に実力をつけておくのが、いじめを、防衛し、予防するのに一番の手立てなのです。実力とは学力もあるでしょう。だけど、体力とか精神力もあると思います。

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副題6、『そう言う私が、他人をうらやむ事も、無論あるのだが』

 上に挙げた様に自己肯定をしている私ですが、かといって、100%自分が正しかったなどとは思ってはおりません。

  子供が小さい頃に、とても仲良くしていたママが、お子さんを二人とも医者にしました。小学校時代の友達、中学時代の友達、高校時代の友達には、「お子さんどこの大学へご進学ですか?」と、質問をしたことはないのです。そう言う話題を出すと、クラス会がつまらなくなりますからね。だけど、大学時代の友達からは、よく聞く言葉として、「子供を、東大へ入れました」と言うのがあるのです。

 普段、それをほとんど忘れているのですが、もし、それを勝利ポイントのひとつとするのなら、私は勝ち組ではありません。

 だけど、そこですが、この文章のバランスをとるために書いているだけで、私は、自分の人生を肯定的に考えています。『あれで、よかった』と思っております。それに、主人も、そう思っているでしょう。私が妻としては、最高でも、最適でもなかったとは思っているみたいですが、「他の人生を考えてみるのはあほだ」と、常にいっています。

 私ね、時々、娘のマンションを訪ねるのですが、何号室だったか忘れてしまっているのです。それは、娘が引っ越した前のマンションも同じ五階だったし、息子の方も別のマンションですが、五階に住んでいるので、50△番だったかが、混乱してしまうのです。504だったっけ、505だったっけ、とか、入り口でセキュリティキーをはずせなくて、迷っていると、通りがかる人が居ます。それで、その人に娘の今夏先の苗字を言って、『お恥ずかしい次第ですが、忘れてしまいました。五階の何番でしたっけ」と、問い合わせると、「ああ、あのお子様を一生懸命お育てになっているお母様ですね』と言われます。で、キーをはずして、その方と同じエレベーターで五階に向かうときに、その方が、「本当にほほえましいですよ。見ていて」とおっしゃるのです。娘には三人子供が居て、それが、全部男の子ですから、そりゃあ、大変です。追い掛け回さないといけません。でも、ご近所様から、「本当に、ほほえましい」と言っていただくと、それは、母としては、うれしいです。

 長男の方はお嫁さんなので、遠慮があってさして、マンションは、訪問をしません。だから、ご近所から評判を聞くことがありません。でも、向こうからよく呼び出しが来て、一緒にご飯を食べたりします。で、様子がわかるのですが、よく二人で、こどもの世話をしている、模様です。お嫁さんが買い物に行く時など、子供と二人だけで、来る事もありますし、そう言うときに、ちゃんと、子供になつかれていますよ。こんなことは当たり前のことです。

 でも、当たり前でない、親のことが、よく報道をされるでしょう。実の親が、虐待をしたり、連れ子として、一緒になった義父が虐待をしたりするニュースです。挙句の果ては、子供のことなんか、まるで好きでもない人がベビーシッターを引き受けて、前の失敗の仇討ちを小さい子に向かって果たし、殺してしまうなどと言う事件を聞きました。

 そう言う事件を聞くと改めて解るのですが、ごく普通であることの影に、たくさんの心遣いとか、手当てとか、お世話と言うのが必要だったと言うことが、です。でも、それは、当たり前すぎて、誰も評価いたしません。お金ももらえません。主婦業とか母親業って、考えてみれば、つまらない仕事です。だけど、それが、きちんとなされていないと社会が美しくならないのです。

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副題7、『蛇足ながら、言えば、中二のリンチ事件のときに、Y家の坊ちゃんも加わっていたのですよ』

 27歳になったときの夏でした。Y夫人から、「うちの息子がどうしてもお宅のお坊ちゃんと会いたいそうです。27日のお昼に訪問をしますので、絶対に家に居てください」と命令されました。そう言う威張った口調の夫人なのです。

 後で思えば、Y家の坊ちゃんは、海上保安庁勤務なので、毎日夜家に帰ってくるわけでもなくて、鎌倉に帰ってこられる日は、なかなかないのでしょう。で、そう言う指定があったわけです。

 それは、Y君がおなり中学時代には「おいちに、おいちに、の、アヒルさん」といってからかわれていたほど、に、成績の悪いお子さんだったのですが、海上保安庁へ瀬島龍三の手配などで、入庁できて、それで、自信が付いて、子供の頃の失敗を謝罪したいと思ったからでしょう。 彼が、相当に自信が付いたと言うのは、その夏休みに、屋根の、ペンキ塗りをやっていたことでもわかります。体力も付いているし、船の修理で、ペンキ塗りも手馴れたのだと推察されます。そして、自信があるからこそ、育ててくれた親への感謝も生まれたと思いますね。

 私は彼が、謝罪をしたかったなどとは夢にも知りません。で、それを息子に伝えたところ、解ったと言うのに、当日、出かけてしまいました。で、息子が出かける際に、「あのことは?」と質問をしましたが、「ふん、ふん、いいんだ。たいしたことないから」と言うので、別に引きとめはしませんでした。

 特に子供の生活は、丁寧に、観察していましたから、うちの子がY家の坊ちゃんとは、中学時代には、一切遊んでいなかったのは知っていました。だから、『本当の意味での、用事は何もないだろう。たいしたことではないし、伝言で済むだろう』と思っていたのです。

 後で思えば、うちの子にとっては、少年期特有のテレがあり、「いいんだ」で、済ませたかったことでしょう。デモね、加害者の親も知らなかったし、被害者の親も知らなかった事件ですが、後に、妹である娘から、結婚式の前にこの話を、聞きました。

 でも、被害者の私の方は、ご近所の主婦を糾合して、そのカーストを形成し、トップに立とうとはしていないのですが、加害者の、Y夫人の方は、自分が、この狭い社会で、トップになろうとしていたのです。

 この後で、Y家は、M家と結託をして、すさまじい被害を与えてくるのですが、それは、今回は子供に関する文章なので、この中には入れ込めません。別の機会に語りましょう。

 後で、誤変換を直した上で、署名と日付を入れます。

 尚、このブログは2008年より始めたのですが、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、2108726です。

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