銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

農家は、実力があり、金持ちである・・・・・・書き直し後、再度アップする。

2014-03-15 13:06:36 | Weblog

  最初に写真の説明をさせてくださいませ。上は、パソコンより、3m右側の今朝の光景です。猫がワインの空き箱の中で寝ていて、その傍に、我が家の東南の山椿を、一枝折ってきて飾ってあります。こう言う環境に住んで、静かな中で、日本を分析し続けております。おどろおどろしく、けたたましい日本を。

副題1、『なぜ、この文章をこう言う形でアップするのか?』

 これ以前の部分は、NHK朝ドラ『ごちそうさん』の主人公が、 戦後大阪の闇市で、たくましく生きる姿を取り上げ、そこに続いて、と言う文脈で語っています。で、そこに引っ付けたままでもよかったのですが、突然に新しい情報が入ってきて、書き直す必要を感じました。

 なぜかと言うと、柏の殺人事件の犯人に関して、新しい情報が入ったからです。で、そう言うお断りを入れて、初稿の中で、今でも必要な部分、(=訂正しないで、良いと思う部分)を生かしつつ、朝どら『ごちそうさん』とは、切り離して語たいと考え、以下の文章を新たにアップさせていただきます。

 承前

 私が問題にしたいのは、『田舎の力』と言うことです。食料と言う根源的なものを生産する、 田 舎の底力と言うものを問題にしたいのです。そしてその次に、田舎がお金を生むと言うことも、問題にしたいのです。それは、脚本家も、同じ事を、おっしゃっ ているのかもしれませんが、現代の例で、特に自分が実感したケースで、それを語りたいです。

 私ね、五歳の頃から、九歳まで、船橋市の塚田と言うところに住んでいました。東京にしか、親戚が居ない人が、疎開先として開拓した土地の住宅を戦後父が買ったのです。まさに、となりのトトロ、見たいな環境でした。田舎も田舎でした。

 東武野田線の、塚田駅からは三分で、しかも船橋駅から東京へは、川崎駅より近いのですよ。今もって居たら、驚くほど便利な場所です。グーグルの写真で見ると、今では、そこに、家がびっしり建っています。

 自分のうちは敷地三百坪、小さい子が居ないお隣は、敷地700坪、300mぐらい離れたところにある、小さい子の居るお宅は、敷地千坪でした。

 そう言う環境で、田舎だから、幼稚園など無論ないので、入学する前には誰も友達が居なくて、母がもらってきた猫だけが友達でした。

  7歳年下の妹が生まれるまで、一人っ子だったから、友達と遊ぶことに慣れていなくて、また、過保護だったらしいので、お手伝いをして、働くことにも慣れて いなくて、その件では母も注意を受けたらしくて、私自身も先生から注意されました。で、「だれそれさんを、見習いなさい」と、よく、言われたものです。そ の見習うべき相手ですが、農家のお嬢さんです。

 それが、船橋なので、近郊農家ですから、戦後では、東京で野菜が、飛ぶ様に売れるので、 す でに、大金持ちです。オート三輪が二台か、三台あって、広い敷地の中に、三棟ぐらいの家を建てて、兄弟が、一緒に住んでいる形式の大家族ですから、当主の 孫世代に当たる、小学生が、いとこだけで、5,6人居ると言う形式で、小さい頃からいとこ同士でじゃれあって、けんかしたりしている子供だから、私とは、 あわなかったですね。強さとか、口の利き方が違っていて。

 そして、さらに複雑な事を言うと、あのキムラ緑子さんクラスの地主階級は、隣 の 馬込沢駅傍に一軒あるお宅のお嬢さんだけで、あとは、戦前は小作だったが、戦後は、地主になったという感じだったでしょう。そこには、ちゃんとした、門 (と言っても関所風)があり、お嬢さんも、美少女歌手・藤圭子を、さらに美形にした様な美女でした。もしかすると彼女の家は、江戸時代はお代官と言う名 の、侍だったのかもしれません。

 そして、田舎だから、学芸会はいつも彼女が主役です。(笑い)おっとりした性格で、あまり、表現力は、無いのです。でも主役です。先生は、戦後民主主義をといていましたが、実際には名家は、名家で、特別な扱いを受けていました。

  だから、先生が、近所の農家のお嬢さんと、遊びなさいといっても、実質的には、なんかいも、行かなかったです。むしろ、30分以上は、歩いたけれど、クラ スに三人だけ居たサラリーマンの家の、お子さんを、二月に一回程度、訪ねる方が好きだったです。家庭の空気と言うのがあるのですね。

 子供心に、農家は、金回りがよくて、羽振りがよくて、それゆえに、お子さんたちが、過剰に、気が強くなっているのを感じて、自分とは、あわないと思ったのでしょう。

  でも、三年の時に横浜に引っ越して、六年生の夏休みに、一人で、電車に乗って、塚田まで行き、船橋のそちらの農家を、お客として、訪問をしたら、歓迎して もらえました。良い思い出です。その友達は、先生の言うとおり、活発で、純朴な性格だったのです。ただ、農家が金回りがいいという時代の風潮ゆえに、気強 く居丈高になっていたのでした。

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副題2、『その10年後、学芸大学に住んでいる友だちの親が、鎌ヶ谷駅近辺に、700坪の土地を買い、豪邸を建てた』

  さて、横浜に引っ越した後で、私は東京の高校に通うことになります。その高校(お茶大付属)は、東京圏全圏の、広い範囲から生徒が集まってくるところで、 中に学芸大学(東横線沿線)に住んでいる友達が居ました。その友達の両親が、私が上で言っている東武・野田線の塚田駅よりさらに二つ奥の鎌ヶ谷駅近辺に、 700坪の敷地を買ったのです。

 千葉県とは江戸時代は天領でした。江戸幕府直轄の地で、税金が過酷だったと聞いています。それで、平ら な ところはすべて、畑とか、田んぼになっています。だから、700坪とか、千坪単位で、土地を買う場合は、ほとんどが元・山林であって、傾斜地を含みます。 それでも、平らな部分も150坪ぐらいはあって、広い芝生の庭が設定されていました。そして、隣の家とは、100%接触がないのです。隣の家が樹木に隠さ れて、見えない形でした。東京駅へ時間以内で、通勤できる場所としては、理想郷ですね。

 その日は時間が足りないので、たった、二駅違いですが、塚田には寄りませんでした。だが、今思うと、その時点こそ、農家が土地を売りまくった時期にあたるでしょう。最初は、山林で、次に、田畑です。

  朝ドラ・ごちそうさん・の中での、お姉さんの家とは、兵庫県にあるらしい設定なので、田畑を、サラリーマンに売って、大金を儲けると言う設定は、これから 先にも、出てこないはずです。が、塚田(船橋市)に住んでいた私の学友達たちは、両親が土地を売って、さらに大金持ちになっていったでしょう。日本に居る 資産30億円以上の3700人と言う人種は、こう言う人々を含むのではないかなあ?

 そう言う土地成金が出るという傾向が、1960年代 に 始まってあと、1980年ごろですか? 日本の街が荒れ始めて、犯罪が多発したのです。神奈川県の場合ですと、犯罪は、土地成金の家で、起きていると言 う、うわさでした。特に県央などの、後発の開発地域で犯罪が起きていると言う話でした。日吉などは戦前に開発されたので、土地成金が出たかどうか? 私の 友達に土地成金が居たかどうかですが、目立つ傾向はありませんでした。ただ、何千坪のお屋敷に住んでいる地主系のお坊ちゃんは、慶応へ入学しましたが。こ こで、元へ戻ります。

 こう言う事件としては、小さな事件が多いので、千葉県の様子は手に入ってこないのですが、5年ぐらい遅れて、同じ現象は起きたのではないかしら? で、今は、もう神奈川県ではそれが、原因で犯罪が起きている可能性は少ないです。

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 これ以下の部分がまるで、違うことになっているらしいのです。あの犯人は、農家の子孫ではなくて、在日の青年だと言う、情報が出回っています。

 それで、それを反映した文章を新たに書きました。そのリンク先は、以下です。

 

鎌倉春秋窯が、日本の誇り理研をつぶすーー小保方問題は、藤田千彩のケースと英国利用という点でそっくりだ

2014-03-14 22:30:40 | Weblog

 で、以下の副題3の部分は間違っていたわけですが、一応、一回書いたものですから、アップしたままにしておきます。

副題3、『松戸の殺人犯は、祖父が土地をたくさん持っているというが?』

 最近、松戸市で、奇妙な事件が起きました。色白で、眉をそり、髪を金髪に染めた青年が、あっけにとられるほど、単純な殺人事件を起こしました。自分が住んでいるマンションの目の前で、同じマンションに住んでいる、青年を殺しました。

 彼が未だ、語らない怨恨があるのかもしれません。近隣トラブルは、近所の住民の証言を含めて、今のところ、何も語られていないけれど、きちんとしたサラリーマンを目の前にして、無職だったという犯人は、劣等感を募らせて、やがて、嫉妬し始めたという可能性はあります。

 その部分が語られていない今は、ただ、ただ、この事件の犯人の単純さとずさんさが目に付きますが、

  ひとつ、引っかかるのは、働かなくても食えるのだが、それは、祖父、または、両親のお金らしいと言うことです。祖父は大量に土地を持っていると話している そうです。賃貸マンションを丸々、数棟持っていたりして。彼が、住んでいる部屋も、賃貸料を払わないでいい、祖父か、父のものかもしれないのです。

 それを言うと、あまりにも単純になりますが、もしかしたら、これも、土地成金の家で、よく起きた犯罪の一ヴァリエーションだったかもしれないのです。

  しかも、隔世遺伝というか、時間差攻撃と言うか、孫世代になって、犯罪が出た・・・・・となると、類似の事件が、これから先も、起きる可能性はあります ね。親世代は未だ、戦後の困難期を覚えているので、まじめなところがあるが、孫世代は、ただ、ただ、豊かさだけを味わってきたので、こらえ性がないとな る。それって、中国の一人っ子世代と似ているかな?

 不労所得という言葉を出せば、さらに、輪をかけて単純にはなりますが、不労所得が、もたらした罪過かもしれないのです。

  そう考えると、私が今負っている苦労は、いいことかもしれないのでした。つまり、私も不労所得があるわけです。だが、それを、王侯貴族社会時代に、芸術家 に、パトロンが居たこと、そして、生活の面倒を見てもらったことに置き換えて、私は考えており、創作の仕事をまとめていくために、使っているわけです。私 のパトロンは親と主人なのです。71歳になってもそうなのです。

 しかし、ブログを書くにしても、本を作るにしても、創作の仕事と平行して、すさまじい苦労があるわけですね。真実を語るものへ対する弾圧と言う名の。

 でもね、その苦労があるからこそ、バランスが取れていて、私は、神様に見守られている様な、気がしているのです。ずっと前からです。30年前から、主人から、そういわれています。だけど、なかなか、自分では納得ができなかったのです。

 でも、最近は、『そう言うことかもしれないね』と、思っております。だって、私の苦労というのは、すべて、抽象的なものといえば、言えるわけで、今より太っ腹になって、無視しておけば、済む類といえば、そうなのかもしれないのです。

 そう言う苦労があることによって、自分が、神様に愛され、見守られているとすれば、『この苦労も、また、よきことかな』となります。非常に複雑ですが、それが、真実かもしれません。

 人間社会を分析する概念とは、単純ではないです。それだけは確かですね。

  2014年3月15日    雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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