銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

オリジナリティに、おける潔癖さに付いて、マチスの踊る女

2014-02-19 22:19:46 | Weblog

副題1、『マチスの踊る女の、模写?を、国展に出す?』

 私がなぜ、前報を書いたのか、それを、こちらで語りましょう。実は、あれは、オリジナリティへの潔癖さの問題を語ろうとしているのです。

 ある年、それも、カタログで確認をしたいところですが、・・・・・私は、14年分のカタログを買ったのですが、主人が整理しろ整理しろというし、やめてしまったので、一部捨ててしまったのですが、・・・・・・

 1990年代の中のある年に、今関一馬先生が、マチスの踊る女と、そっくりな絵、ほとんど模写に等しい絵をお描きになって、それを、国展に出品をされたのです。

 あっけにとられる作品であって、すぐ質問をしたいところでした。だが、その当時は、今関先生の諸態度を、こちらが信頼できないところがあって、電話をかけて、「どうして、あんな作品をお出しになったのですか?」と、質問をすることをやっていないのです。

 だけど、いろいろな現象をへて、今関先生は、いろいろ、欠点もお持ちではあったが、美術とか、絵画については、志だけは、すこぶる健やかなものをお持ちであって、あれこそ、島田章三さんが、鮎子さんの作品をそっくりなぞっていることへの、挑戦的な抗議ではなかったかと思われるのです。

 もし、「こんなものは飾れません」と言う、言葉が本部から出たら、その時には、決戦の開始だというお気持ではなかったかと、思うのですね。

 ところが、その絵は、3段がけの、トップのところ・・・・・ともかく、天井に非常に近いところに飾られて、一種の生殺しに出会ったのです。気の毒でした。 

 今関先生は、そう言う、とっぴなものを出品された後では、自分より下の人間の審査会場にも顔を出されなかっただろうし、飾り付けにもいらっしゃらなかったでしょうし、パーティにも無論いらっしゃらなかったでしょう。だから、この屈辱に満ちた扱いを、ご存知なかったのではないでしょうか? そこが、やはり、繊細な人だと、言うゆえんなのです。

 普通、会員の作品なら、3段がけの場所などではなくて、一段がけの場所に飾られて、丁寧な扱いを受けるものなのです。森本草介氏など、30号だと思われる小さな美人図をお出しになるのですが、丁寧な。展示待遇を得ていらっしゃいます。

 私は今関先生の私兵として、動いてもいいのですよ。だけど、どうもかみ合わないと言うか、なんというか、不思議な感覚なのですが、いうなれば、人間としてせっする場合に、、隔靴掻痒な感じがあるのです。

 で、上の推察も、非常に好意に満ちた解釈ですが、ご本人から意図を聞いていないので、もしかすると、単に、国画会全体を、馬鹿にするために、あれを出品なさったのかも知れません。でも、そうであっても、苦渋に満ちていらっしゃったことは確かでしょうが。

、それとも、後日、最近のイタリア人画家の具象作品のそっくりな模写作品を、国展に、出品している芸大出身の画家にして大学教授が居ると、大評判になってしまうのですが、このマチスの『踊る女(本物は、5,6人の女性が居るのだが、そのうち三人だけを縦長画面内に置いたのが、今関先生の絵だった)が、出品されたときに、すぐさま、その対応を国画会が、はたしていたら、後日起きた贋作騒動も、内部問題として、処理しえて、NHKがテレビニュースで語るとか、新聞が三面記事にそれを書くとか言う派手な規模には、発展しなかったと思うのです。

 そちらの事件化したほうの模倣ではなくて、今関先生の待ちすの踊る絵に戻るのですが、その展示から、10年以上を過ぎた今、やっとはっきり語るのですが、志がよくても、それを、一種の運動として起こすのなら、ある種、と言うか、ある種、以上のテクニックが必要なのですよね。

 悪い意味ではないのです。だけど、それなりの人間的修行が必要なのですね。他人を動かす力と言うものです。無頼はを気取っておられるのだけれど、とても繊細で、あって、他人を動かす力はなかったと、見るのです。

 本当は奥様の事ももう少し、教育しなければいけないのです。正直な性格の奥様ですが、悋気が、外の人にも見えるのは、よくないです。もっと、冷静にならないと。ただ、もしかしたら、女性だけの学校を、ずっと、経てきて、ご主人とは、お見合いで、結婚をされたとすれば、50過ぎても子供みたいに、ご主人の周辺を心配すると言うことになってしまうのかなあ?

 つまり、大変に難しいことですが、うちの中でも外に対しても、人間は終生、修行をしていかないと成らないのです。この程度でいいやと思ったら、本当に働こうと思った時に、適切な効果が現れないのです。

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 さて、翻って、島田章三さんは、と言うポイントに入って生きたいのですが、それは、20日に書かせてくださいませ。

なお、このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、2054461です。

島田章三氏の、処世術については、脱帽だけど、それが、偉いと言う事と同義語ではない△

2014-02-17 13:31:09 | Weblog
 
コメント
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