銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

坂東真砂子の主張に応じたら、日本人青年は、みんな苦力(クーリー)に成ってしまうぞ△

2014-01-29 23:37:27 | Weblog

 この文章は、2014年の5月30日、(それは、書き上げて4ヶ月後でしたが)に、コメントと言う形で、間違いのご指摘がありました。そのお詫びは、

坂東真佐子さんの死に際して書いた概念は、岩井志麻子さんに該当するものでした。

2014-05-30 19:14:27 | Weblog で、述べておりますが、ともかく、####罫線以下を大幅に直さないといけません。それは、2014年5月31日の夜までにいたします。どうか、お待ちいただきたく。

###############「

 今は、30日の夜10時ですが、下の文章の推敲と、加筆が終わりました。29日の初稿の三倍になっています。はじめます。新しいエピソードを盛り込みますよ。なお、30日の午後時ごろから10時まで、間違えてテレビニュースを考察するためのメモが、公開されていたみたいです。それは、お許しくださいませ。

 これは、下にある前報、

  社会が与える名誉と大金が、一個人から、幸せを奪う事がある(バレンティン+某女性美術評論家)△ 2014-01-28 19:29:09 Weblog

 の、続きです。で、副題が、7から始まります。

副題7、『坂東真砂子と言う小説家が、亡くなりました』 

副題8、『小学生の子供を捨てた話の直後に、婚外セックス奨励の話に入って行った驚き』

副題9、『出版関係者の内実を知った、二つのエピソード』

副題10、『湯川有希子さんは、私のアイデアによって、婦人公論に星占いの頁を作った』

副題11、『この20年間に、坂東真砂子さんに、何が起きたのだろうか?』

副題12、『いい女とは、どういう風にして、生まれるのか?・・・・・酒井忠康夫人』

副題13、『坂東真砂子さんて、愛と言うものを、知らなかったのだろうね』

副題14、『坂東真砂子さんの主張に応じたら、日本人青年は、みんな苦力(クーリー)に成ってしまうぞ』

副題15、『森まさ子大臣は、エルメスのスカーフをとっかえひっかえ、白いスーツも着替えているけれど、そんなことをやっている場合ではないでしょう?』

~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『坂東真砂子と言う小説家が、亡くなりました』 

 1月27日に、坂東真砂子と言う小説家が亡くなりました。この人に関する記憶が私の場合には四分五裂します。二つに分けられるのです。一つは日経新聞に、子猫殺しのエッセイを書いたこと。それは、当時ライブで読んでいます。で、それについては彼女を批判するつもりはないのです。 

 だが、別の件で、彼女を批判したいのです。が、それが、今となっては、どこにも出ていないので、狐につままれた様な気分に、なっています。で、もしかしたら、自分が間違っているのかも知れませんが、自らの記憶を信じて、この文章を書きましょう。

  これは、子猫殺しで、彼女がたたかれる前の話であって、いわゆる流行作家として、テレビに出まくっていた頃の話です。 

 お昼のニュースショーでしたが、最初は、「作家生活と主婦生活が両立できなくて、結局は岡山にいる子供を捨てた」という話だったと思います。 

 今回、wikipedia にも他の項目にも一切、それが、でてこないので、『どうしたのかなあ? 私が違う人を思い浮かべているのかしら?』と、思いましたが、彼女のものとして公開されている数多くの写真の中に、私がテレビで見た映像と、そっくりなものがあったので、たぶん、私が今思い浮かべている人間と、彼女は、同一人物だと思われるのですが・・・・・ 

 私がテレビで見た当時は、「小学生の男の子の方が、自分を慕うのだが、中学生になっている女の子の方は、自分を慕わない」という話でした。私は、自分が、大アーチストになりたくて、しかも、成れると信じていて、アトリエを作って、一人暮らしを三年弱やったのですが、その場所は、夫と子供達が住む鎌倉のひと駅隣の逗子です。

 しかも、こどもは、上が27歳になっており、下は25歳になっておりました。それでも、子供に対して申し訳ないという気分はいっぱいで、だからこそ、死に物狂いで働くし・・・・(と言うことは、どんどん、材料を買って、版画を作りまくる)・・・・それによって、周辺の人、特に日本人、と軋轢が起こりました。

  三回の海外修行で、一回ごとに三ヶ月の滞在したのですが、その間で、三回とも200万円を消費しましたから、どれだけ、周りを、あおってしまったかが、今になってみるとわかるのです。つまり、嫉妬の対象になったというわけです。パリだけは、小さなところであり、他人がいない時間帯に仕事をしていたので、対日本人でトラブルが起きたことはないのですが、ニューヨークではひどく大きなところで仕事をしていたので、他にも日本人がいて、彼女達に散々にいじめられました。だが、今ではいい思い出です。

 50代だからこそ、かろうじて、それが、できた、すさまじい内容のがんばりだし、それが、あるから、今の自分の落ち着きがあると自覚をしています。どうしてもやりたいことがあったら、悪妻といわれ様が、離婚となろうが、それを、やってもいいのです。 

 しかしですね。坂東さんの様に、男の子の方が、小学生と言う時期に、そう言うことをするつもりはまったくなかったです。フロイトが言う様に、男の子は母との結びつきが強いです。そして、母もそれを感じます。それから、生物としても、男の子は女の子よりも弱くて、小さい頃は育てにくいです。それを小さいときから、知っている母として、自分を慕ってくる息子を捨てて、遠く東京へ出てきてしまう。

 坂東真砂子さんのwikipedia を見ると奈良女子大を卒業後イタリアにも留学済みだと書いてあります。だから、覚悟は座っていたし、自分の能力についての確信もあったと推察されるのです。 

~~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『小学生の子供を捨てた話の直後に、婚外セックス奨励の話に入って行った驚き』

 だけど、私が驚き入ったのは、その子供の話の直後に、セックスの話が出たことなのです。 

 「アジアの各都市に、現地夫がいる」という話でした。「ソウルにもいるし、台北にもいるし、後、エトセトラの都市にもいる」と言う話でした。

  お昼のニュースショーだったと思います。当時は岡山県に住んでいた夫や子供達とは、別居だけで、離婚には至っていなかったと思います。だから『ご主人側は、ずいぶんとなめられたものだなあ』と、思いました。全日本ホラー大賞を受賞直後だったと覚えています。

 ここが、前報と、連絡のあるところです。大きな賞を受賞して、名誉が入ると、狂う人がいる例です。坂東真砂子さんを、その婚外セックスを奨励する発言をした当時は、誰も批判をしませんでした。それが、ホラー大賞・受賞の大メリットだと、感じました。東大を卒業した人も、一種の特権を得るのですが、こう言う賞をもらうことも特権を得ることにつながるみたいです。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『出版関係者の内実を知った、二つのエピソード』

  で、『当たっている作家とは、これほど、傲慢になるものかしら?』と、驚きの眼で、見つめたものです。だけど、後日、自分が制作した本に、バーコードをつけることを学んだ時に、出版関係者が莫大な利益を上げていることを知りましたので、文筆関連の作家が、どれほど、お金持ちなのかも知りました。

 バーコードの管理者から、「年間いくばくかの、費用を払うように」と要請を受けたのです。その際に、「あなたは、出版社として、幾ら昨年度に、儲けましたか?」と言う欄が五つあって、どこかにチェックを入れる様に書いてあったのですが、最低ランクで、一億でした。(笑い) 

 上は何百億円だったか、記憶にないのですが、ともかく、出版社の利益も、相当なものなので、作家の利益も相当なものだとは、推察できました。

 もうひとつ、大変古い話を持ち出します。

 私は北久里浜に住んでいたときに、戦後最大のエージェント瀬島龍三の親友だという人物益山某氏と、地境地主でした。

 その人物は、横須賀市の水道山を、詐欺行為で、ただで、取得してしまったのですが、その際、我が家を壊すか、壊さないかと言う仕掛けも、一緒に組み込んでいて、地籍変更届と言う書類を作ったのです。その書類を役所が認可するだけで、1200坪がただで、手に入るのでした。経済やくざ顔負けの仕組みです。国家財産の払い下げなども、明治維新期などめちゃくちゃだったと、昔の様子を推察できるエピソードです。

 ともかく、自分の家だけは、守ったのですが、その時、弁護士さんの頭の良さをべた褒めされたので、人間として、大きな自信を持ちました。で、オモテ社会へ出て行こうと考えたのです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題10、『湯川有希子さんは、私のアイデアによって、婦人公論に星占いの頁を作った』

 そして、国際キリスト教大学の先輩で、当時婦人公論の編集部員だった、湯川有紀子さんを訪ねました。その時採用していただきたいと願った例文ですが、星占いに、落語とか、漫才の要素を盛り込んだもので、湯川さんに、酷評をされてしまいました。

 湯川さんとしては、いつも、婦人公論に乗っていた、どろどろした恋愛関係モノとか、不倫モノとか、そう言う実録モノがほしかったのだと思います。まったく経路の違ったものが来たので、「なによ。これ」って言うつもりだったのでしょう。

 私だって、実録ものを書きたいです。だが、今書いているようなことは、当時も、周辺にはあったのですが、それを、1万時ぐらいで、書き表すのはとても無理であって、上に上げたようなものを提出したのですが、大叱かられをしちゃいました。(笑い)

 今思うと、もう少し、シンプルにすればよかったと思います。星の王子様といって、後日有名になって行く鏡リュウジは、国際キリスト教大学の後輩ですが、彼のご託宣を見ると非常にシンプルです。(苦笑)

 そして、酷評をした上で、湯川さんは、「もし、星占いを書かせるのなら、あなたではなくて、もっと、有名な人に書かせます」と、おっしゃったのです。もう、はっきり言って、叩きのめすという感じで、おっしゃったのです。きれいな人なのに、恐ろしい言い方をすると、驚きました。だが、『きっと湯川秀樹のご親戚と、ご結婚ですね』と、思ったし、こちらは、単なる専業主婦でしかないので、社会階層的には、圧倒的に、こちらが負けているわけです。だから、ただ、我慢の一途です。そして、その年の12月発売の婦人公論には、珍しくも付録がついたのです。それが、新書版の西洋星占いの本です。著者は、浅野八郎です。

 最近、浅野八郎を、ぐぐったら、早稲田大学の卒業でした。星占い関係者としては、屈指のインテリです。だが、その件について、湯川さんから、何のお断りも釈明もないので、文筆関係者の傲慢と言うのには、本当に驚いたものです。

 当時の婦人公論は、今の週刊誌タイプではなくて、月刊文芸春秋と同じ版型の厚い雑誌でした。

 湯川さんには、服装についても、驚くべきことを言われました。最初に行ったときには、紺のブレザーを着て行きました。ブランド物ではない既製服です。今買えば、デパートで、3~5万円ぐらいのもの。当時はなかった洋服の青山かスー愚カンパニーで帰るような服。そして、スカートはタータンチェックのプリーツスカートです。自分で、作ったものでした。その頃は、プリーツスカートが、作れるぐらいの洋裁技術を持っていました。そして、紺のブレザーにタータンチェックのプリーツスカートって言うのは、小学生の子供を持っている母親としては、若作りの方だと、自認をしていました。これが、後で、馬鹿にされるタイプの服装だとわかるのですが、最初の日に、それを見たときには、湯川さんは、何もおっしゃらなかったのです。

 だけど、私の方でも、ある考えをめぐらしました。一回目に湯川さんに出会ったときに、彼女のブラウスが、並々ならぬもので、相当に高価なものだと判ったので、・・・・・私は、自分は高価なものを買わない人ですが、品質とデザインに対する目はあるので、それが、幾らぐらいであり、かつ、どこそこでしか手に入らないモノであると、か、そう言うことは瞬時に判るのです・・・・・次の面会の時は、横須賀の住民としては、派手すぎて、道で他人に会うのが恥ずかしいぐらいのおしゃれをして出かけました。

 上下黒ですが、サマー・カーディガンは、母にもらったもので、今デパートで買えば、25万ぐらいするものです。背が高い割りに体重がなくて、1980年当時は、腰周りが合う洋服がなかったので、スカートだけは手作りで作っていました。その胸にフェイクの、金鎖タイプのアクセサリーをジャラジャラつけていきました。すると、湯川有希子さんは、『今日のは、いいわ。この間の(洋服)は駄目だったけれど」とおっしゃったのです。

 これは、ね。私にとっては忘れられない言葉です。文筆の世界で、どれほどの高額のお金が動いているかということを、このたった一行が示してくれたからです。現代アートの世界なんて、比較すると、その、一万分の一も、お金が回っていないでしょう。だから、感覚がまったく違うのです。

  その後、湯川さんは、婦人公論の編集長になり、中央公論の編集長にもなりました。ところで、ここまで書いても、こと、湯川さんについて語る言葉としては、55%ぐらいしか語っていないのです。70%ぐらいまで、書き進めれば、すごいことが出てきます。だが、ここでは、坂東真砂子さんが、文筆業の人として、傲慢な態度を取ったということが本筋です。

 わき道に自由に筆を走らせるのは、最近の傾向ですが、それを、抑えないことにして、おります。で、元に戻りましょう。

 私はそう言うところからは、はるかに遠い場所で生きていて、清貧といってよいのか、なんと言ってよいのか、一切の金儲けとは縁がないのです。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題11、『この20年間に、坂東真砂子さんに、何が起きたのだろうか?』

 ただし、両親から遺産をもらっていますので、働かなくても、行動の自由に恵まれているのだから、とんでもない幸運者であるともいえます。だから、他人の事をあれこれ、言う資格はないのですが、上に言ったケース・・・・・坂東真砂子さんが、テレビ出演をした頃・・・・・が、1994年の話で、今は、そのたった20年後です。 

 坂東真砂子さんのウィキペディアですが、そこに結婚をしたとも出ていないし、子供がいるとも出ていません。裏側は似たようなものだった森瑤子さん・・・・(これは、彼女に家庭を壊されたご一家と知り合いなので確かです)・・・・・の方は、ウィキペディアに、夫とお子さんの事は出ていますね。 

 山口果林さんは、愛人側の遺族から、真実を、30年間秘匿するように迫られていながら、とうとう真実を語ってしまったわけです。それが、彼女自身を救うことにつながるのです。

  子猫殺しで、評判が悪いまま、死ぬよりは、お子さんがあったと言ったほうが、坂東真砂子の勲章になり、少しは、評判が、善くなると、思いますけれどね。

 つまり、最近見たブログですが、そこでは、『バランスが崩れた、キチガイだ』と、ののしりを受けていました。そういうブログもある中で、一応ですが、「子育てをしましたよ」と、言うほうがとくでしょうに、どうして、結婚の履歴が、消えているのだろうか?

  それが、完璧に秘匿をされています。で、結婚をしたことが、秘匿されているのは、元の、ご主人側の願い。それとも、お子さん方の願い。それとも、彼女自身の願い? 

 それとも、誰の願いでもなくて、ご主人側が、訴訟でも起こして、真砂子から、「絶対にあなた方には、以降は触れません」と言う一札を、とっている?

  ともかく、舌がんと言う、とても痛いであろう病気にかかって、食べ物もろくに食べられない最終段階で、お子さんとの間柄は、どうだったのだろう? 会わないままで終わったのだろうか?

  不思議でなりませんが、ともかく、私が考える幸せとか、悟りとか言う境地とは無縁な段階での死を向かえたということです。

 中村うさぎさんも、一時期坂東真砂子さんと似たような発言をしていました。だが、大病をされたそうで、急にいろいろ、賢明になって、いわゆる悟りの境地に達したらしく、それを週刊文春内で、展開しています。これは、神の啓示に出会ったという類のもので、お子さんもいないみたいだし、過去に正式な結婚の、履歴もないみたいなので、これで、OKと、言えるでしょう。

  だけど、坂東真砂子さんの方は、ぜんぜんOKではないです。 

 無名の人を、彼女の対照例としてあげて、比較しては悪いのですが、母など、いわゆる悟りを迎えて死んだと、私は、感じています。あと、1週間で、93になる日に死にました。お医者さんの診断書も大往生でした。

  90歳を過ぎてから、白内障の手術を受けるほど、生きることに執着のあった母が、92歳の時の夏に何の説明も、自らからは、しないまま、モノを食べなくなったのです。

 エリザベス一世が、死ぬ前も絶食をしたといわれています。エリザベス一世は、いろいろ、権威付けられて、その絶食の意味を語られていますが、特に何かを決意したというより、それは、生き物としての、自然な流れだったのかもしれないのです。母を見ていると、その様に感じます。猫もそうだったのですよ。家の中で、死を迎えましたが、自分で、絶食していました。

  その後で、父の時はそれを行った延命措置を、母に対しては、取らないと子供達は決断をしました。父は、チューブだらけになりながら、たった一週間、もっただけでした。そして、多臓器不全と言う死因名でしにました。母は、何もしないのに、その絶食が始まった頃から、さらに、二ヶ月も生きていました。

 少し、ゼイモウはあったけれど、気分のよいときは普通の頭脳の人間でした。もう少し、母が長生きすると、子供達が、つかれきってしまい、やらなくてもいい相続争いをし始めかねない、ぎりぎりの時間で、亡くなりました。「こう言うのを、子孝行と言うのだね」と、兄弟で、話し合ったものです。 

 私の場合ですが、もし、明日死を迎えても、「そう、なんだ。今日だったのね。お迎えって」と、笑って済ませられると思います。

  急速に体力の衰えを感じていて、それを受容し、それに従った生き方を選んでいるので、焦りがないのです。だけど、坂東真砂子さんの場合、55歳とはあまりにも若いです。「慫慂として死につく」という心境に達していたのだろうか? 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 副題12、『いい女とは、どういう風にして、生まれるのか?・・・・・酒井忠康夫人』

 私が、ここで言いたいのは、この作家も、自由恋愛と言うか、フリーセックスを推奨したメディアの流れを形成した一人だと思われるのですが、『それは、現在日本の若い人に、悪い影響を与えただろう』と言うことです。 

::::::::ここから先は、二日目の挿入です。テレビで、アジア各国に現地夫がいると、豪語していた頃の坂東真砂子さんですが、・いい女・とは見えませんでした。フェロモンが横溢するという感じが、微塵もありませんでした。比較すると、

 昔、それを書いたことがあるけれど、酒井忠康夫人など、圧倒的にいい女でしたよ。私と彼女は、一時間半程度、パソコン教室の隣の席で、二人とも、同じ、アドビイラストレーターを使って、彼女は、個展の案内状を作っていて、私は本の制作をしていたのですが、勘の鋭い私は、最初から、彼女が酒井夫人であることはわかったのです。それも、最近よく言っている様な、私より優れている人を傍に、表出させて、私をやっつけてやろうとする、たくらみのひとつだったでしょう。

 つまり、パソコン教室に、私が出入りしていることは、尾行や、盗聴で、すべてわかるはずです。または、パソコン教室に、私は自分のノートパソコンをもって行きますから、そこからだけでも判りますよね。

 そして、私は美大を出ていません。で、ブログで、「必死で、図形処理を勉強をしている」と書いているし、私のパソコンをハッキングしてる連中だと、私が困難のきわみを乗り切って勉強をしていることがわかるでしょう。特にアドビのソフト(=アプリ)は、アメリカ製であるゆえか、最も、妨害を受けたアプリで、命令どおりには、動かないので、本当に疲労困憊しました。

 で、2014年1月29日と、30日には、こう言うことを書くだろうと、敵さん連中は、判っているので、昨日の28日には、なにか、会員データが流出したというニュースがNHKで、放映をされましたし、本日はネットバンキングが脆弱で、損をする人が多いと言うニュースが出ていました。ネットにはいろいろ故障が起きるのだといいたいらしいのですが、本当の事を言うと、対、私として行われた、IT破壊ほど、ひどいものは他には、なかったでしょう。

 まあ、それはともかくとして、酒井忠康夫人は武蔵野美大出身だし、画廊を経営してから、すでに、数年、または、数十年たっているので、彼女がアドビイラストレーターの扱いに習熟しているのは確かですから、それに比較して、『お前は、恥ずかしいだろう』と、思わせるために、彼女がそこへ派遣をされたことは、すぐ、判りました。だって、上流階級の奥様ですよ。夜、パソコン教室のパソコンを使って、外で、仕事をしていてはいけないでしょう。

 私は、そう言うたくらみは、何もかも、瞬時に判るのですが、それでも、そう言うことについて、「判っていますよ」とも、「あなたは、酒井先生の奥様でしょう」とも、言わず、ただ、左側にいる、アドビイラストレーターの先生と一緒に挿絵を、入れ込む作業を続けていました。どこの、何をクリックして、その次に、どこの何をクリックすると、頁の中に、挿絵が入り込むのか、と、そういうことを習っていたのです。

 すると、始まってから、40分ぐらい経ったときに、右側から、酒井夫人が、かわいい声で、「ずいぶん難しいことを、なさっているのね。それは、なんですか?」と質問をしてきました。

 ああ、皆様、神様って、本当にいるんですよ。この場そのものは諜略行為の場でした。不思議な事に、その日、パソコン教室の他のスタッフは全部帰っていて、教室はシーンと静まり返っていて、技術的な優劣の差が際立つようにと手配をされていました。

 だが、酒井夫人の方が上だろうと判断したエージェントたちは、アドビイラストレーターを使ったことがないのでしょう。そして、美術関係者ではないですね。酒井先生は、委細を飲み込んで奥様を派遣したとは思いますが、酒井先生そのものは、アドビイラストレーターを使えないと思いますよ。論文や、美術評論とか、エッセイを書くだけですから、それはワードと言う分野だけで済む仕事なのです。

 伊藤玄二郎もそうです。彼はさし絵入りの雑誌を数々出版していますが、あれは、すでに、頁デザインを出版社のデザイナーに作ってもらってある様式の中に、何字で、コラムを入れるとか、何字でエッセイを入れるとか、決まっているものですから、同じくテキスト形式で文章を書くだけでよくて、・・・・・・テキスト形式で書くがゆえに、印刷会社のマッキントッシュと、ウィンドーズ版との互換性が、生まれるので、・・・・・・アドビイラストレーターについての知識はなかったはずです。

 ましてや、これは、2006年か、2007年の事ですから、当時は、100%生きていることになっていた井上ひさしも、アドビイラストレーターなど、ちんぷんかんぷんの人です。 

 そのアプリは、正式に習うとすると、数十万円学習代だけでもかかるほど、込み入っているのですが、私は、抜群の集中力と把握力を誇る人間ですから、案内書だけで、相当進むことができるし、ポイントポイントで、極く基礎的な事を教われば後は、一気に進む人なのです。その教室でも、二つの違う種類のアプリ(ソフト)フォトショップとイラストレーターの両方を合わせて、全部で、10回も習っていないと思いますよ。

 そう言う把握の早さとか、飲み込みの速さは、右側にいた酒井夫人にもよくわかって、それゆえに、彼女は舌を巻いてくれたのです。そして、何よりも美術の分野の事です。美術を愛する人間固有の精神が、間に横たわる。そう言うことが大切なのです。口先だけではないのですよ。人間の根幹の問題として、美的センスのある人間同士の尊敬心が、お互いにわくのです。

 私は大いに心慰んで、『あなたこそ、難しい仕事をなさっているじゃあないですか? それは、案内状でしょう』といい、ついで、「酒井先生の奥様でしょう?」とも言いました。彼女はなぜ、判ったのですか?と、驚いていました。が、個展の案内状って、今、普通の画廊では、作家側が作るものなのです。だが、酒井夫人の画廊は、逗子と鎌倉駅間の間で、交通の便が悪いところにあるので、画廊側がサービスをしてあげるということで、画廊側が作るのだと思います。

 そういう裏側もわかっている私でした。ともかく酒井夫人の声も表情も、柔らかく、表情も美しく、50歳を超えているとはとても思えませんでしたよ。それと、湘南版などに、写真が載っていたことがあるのですが、実物の方が、ずっと、素敵でした。私は考えたものです。この人は育ちがいいなあ。それと、会話の間と言うものがよくわかっている。あせったりしない人なのだと、言うことです。

 私が神様がいるといったのは、悪い目的でつかわされていても、ご本人の資質によって、悪が、善に変化することがあるということです。これは、馬越陽子さんもそうだったし、美術評論家にして、大学教授である、XYさんもそうでした。そして、時間的には、ずっと前の経験である酒井夫人との一時間半も同じだったのです。

 こう言う内面からにじみ出る、優雅さというものが、坂東真砂子さんにはなかったのです。それから、敷衍して言い放って申し訳ないけれど、私のご近所で、いじめてくる、いじめ軍団主婦にもないのです。芝居とか、演技としての優雅さがある人もあるけれど、内面からにじみ出てくるやさしさと言うのがないのです。優しさとか、教養と言うのをも、後天的に付加しないといい女にはなれません。人として生まれたからには、人生ずっと、修行が必要です。

 でも、そう言うものを養うためには、落ち着いた生活が必要で、それには、現地夫がいますと、言って、一本書き上げたら、大金も手に入るから、自分へのご褒美として、海外旅行をして、セックス三昧にふけるというような生活からは、生まれないのです。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題13、『坂東真砂子さんて、愛と言うものを、知らなかったのだろうね』

 中村うさぎさんは、フェロモンが横溢しているタイプで、しかも、お目目がパッチリした美人なので、私なんか、『あ、そうざんすか。あなたなら、フリーセックスも有りざんしょうね』と、思っていた次第です。それに過去に、正式な結婚歴もないし、お子さんもいなかったのなら、メディア内の勝ち組として、快楽の享受もありでしょう。 

 坂東真砂子さんのフリーセックス主張は、田舎の公立高校で、優秀な成績だったけれど、男の子には、まるっきし、もてなかったタイプの少女の、大人になったあとで、大金を使って行った、復讐劇のにおいがしますね。 

 それは、勝ち組であるかもしれないけれど、魅力がある姿ではないですね。でも、そう言う人を受賞後は、さんざん持ち上げていた、日本のテレビ界?

 NHKではなかったと思いますけれどね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題14、『坂東真砂子さんの主張に応じたら、日本人青年は、みんな苦力(クーリー)に成ってしまうぞ』

  現代の日本で生きていく場合、人並みに成るだけでも大変な世の中です。

  老後の保障と言う意味で、最も普通の手段である、結婚さえ、できない若い人が大勢いる、現代日本を、心底憂えるので、死者に鞭打つような記述になりましたが、坂東さんのホラー大賞受賞直後の、テレビ番組内での、言葉の数々は、おぞましい物だったと言っておきましょう。

  昔、中国では、苦力(クーリー)といって、一生結婚をできない男性がいっぱいいました。激しい階級差別があったのです。

 今、農民工と呼ばれる人たちがいて、都会に出てきて、工場勤務になっても、戸籍が都会に移動できず、こどもを小学校にさえ、入れられないという問題が起きているそうですが、「1945年以前には、食べるものもろくに食べられなかったのだから、それに比較すれば天国だろう。我慢せいや」という様な、考えを支配層は持っているでしょう。

 フリーセックスって、お金がある人間だけが、たくさんの快楽を享受できるシステムでしょう。 善くないです。日経オフと言う雑誌が出たときに、表紙が女優さんで、温泉などを紹介しているので、一部状況企業の部長さん以上に向けての不倫案内書みたいな気がして嫌な思いを持ったものです。

 サライとか、ソトコトとか、クーリエとか、PENとか、男性向けの、雑誌は数々ありますが、どうも日経オフの表紙が気にかかります。今は変わっているのかな?

 中国は、戦前から数億人の人口を数える国です。だから、苦力と、同じ数の女性が生まれていたはずですよね。では、苦力が結婚をできない場合、同じ数の女性は何をしていたのだろう。召使とか、愛人とか、二号さんとかになっていたと思います。大金持ちの家に吸収されて、自分の権利が及ぶ、子供は、生めない立場になっていたでしょう。つまり、子供とは、自分の老後をある意味で、補償してくれる存在ですが、大金持ちの家の女中をしているのだったら、そう言う種類の自分の将来を支えてくれる子供を生むことはできません。

 日本の若い男性に、結婚生活を維持できる自信がなくなっているそうです。それって、いまだかつてなかった、日本人男性の、苦力(クーリー)化です。江戸時代の小作農だって、家庭を保持し、子供を愛しながら育てていました。

 明治維新直後に、東北旅行をした、バード女史が、貧しい服装ながら、日本の子供達はとてもかわいい笑顔を見せると、書いているそうです。

 それが、東京圏では無くなっているのです。青年達は自らが働いた労働報酬を、搾り取られきっているのです。そして、一部上場企業の部長クラスの無名の男性が若い女性を連れ歩いているのを、鎌倉(観光地なので、プチ旅行に来ている)でも、それから、各地のレストランで、見つけるのです。松下幸之助なら、そう言うことも許されるでしょう。だけど、普通の無名の人間で、総資産が、不動産も入れて、2億円以内の人が、複数の女性を支配していて、お若い、故作りをできる男性が結婚をできない時代です。恐ろしい。

 そして、仙台では、ベンツがばかうれをしているそうです。除染と言う名目の元、土木業者にジャブジャブと、税金で集められたお金が、ばら撒かれているからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題15、『森まさ子大臣は、エルメスのスカーフをとっかえひっかえ、白いスーツも着替えているけれど、そんなことをやっている場合ではないでしょう?』

 一枚、4万8千円する、エルメスのスカーフをとっかえひっかえひらめかせて、白いスーツを何着も用意している森まさこ少子化大臣様。あなたって、国会議事堂をご自分を国民に露出させ、その名声を構築するための、舞台として、見なしていませんか?

 名声を、構築できれば、お金は、自然と、入ってくるみたいです。その次に特権が入ってくるのです。善かったですね。だけど、それって、大人の役割ではないです。特に少子化担当大臣と名乗っている限り、そんなことをやっている場合ではないです。

 ニッポンのお母さんって、もっとじみだし・・・・・・あなたって、この日本の状況をまじめに考えているとは、とても思えません。

 秘密保護法安なんていうものをこの人が担って、国民の間に分裂を作ったみたいです。それ以降ですが、誰が、この人を尊敬して、その言うことを聞きますか? これからはレイムダック状態になったと思いますよ。

 少子化担当大臣って、本当にやろうと思ったら、若い青年に、給料を上げ、その待遇を変え、

 そして、中年の男性の間にある、お金がある限り若い女性を蝕んで、自分が楽しんでもいいのだと言う考え方を変更させないといけません。そして、メディアの風潮も大変更をしないといけません。まるで、おもちゃみたいな政治をやる、このお嬢さんで、何ができます?

 大丈夫? 安部さん。組閣の人事が間違っていると思います。ロマンローランが言うところの、「しっかりした腰を持った女性」が、現・内閣には、いないではないですか? 見掛けがよい人間だけを内閣に入れて済むというほどの、安逸な状況ではないと思いますけれど。現代日本って。この際の見かけですが男性側から見たと言う意味です。

 女性が女性を見るとき、安部さんとは、違う判断をすると思いますよ。

 さて、永田町から、この一文が始まった、ニュースの方に戻ります。

 坂東真砂子さんが、亡くなっても、誰もそれを取り上げないのだけれど、彼女について、私が強烈に覚えているのは、アジア各国に、現地夫がいるという自慢でした。そして、それは、『私はお金があるから、それが、できるのよ。フリーセックス万歳という主張でした。

 駄目よ。それって。現代日本では、日本人男性が、現実的には、苦力化していて、一方で貧しい女性は、セックス産業に流れています。普通のまじめな仕事のお給料では、生活がまかなえないからです。

 まず、平凡を目指しましょう。人並みを目指しましょう。そのうえでの、芸術であり、創作活動です。そのためにはフリーセックスなど論外であり、あまりにも若いときからのセックス享受もだめですね。忍耐力を養えないから。

 ただ、本当に自らの才能を信じるなら、「どうか、特殊な人生を選んでくださいませとは、言っておきましょう。あなたの、その自由を奪うつもりは毛頭ないです。だけど、「派手な主張はしないでください」と、メディアに登場する、有名人には言っておきたいです。

 もっと、まじめに考えよう。

 なお、このブログの、2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、2008672です。

   2013年1月26日の深夜に一部を書き、延々と加筆をしていって、30日に加筆を終える。    雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする