銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

宮崎明子・・・石塚雅彦・・・小池玲子・・・ゴッホー中篇△△保見ー16、後編

2013-09-09 23:53:17 | 政治

 これは、前報

神田日勝・・・ゴッホ・・・藤田千彩・・・石塚雅彦・・・宮崎明子・・・立花隆・・・保見容疑者、前篇

2013-09-08 20:32:49 | 政治
 
 の続きとして書きます。そちらの起承転結が終わっていません。で、こちらに続編を書かないと意味が通りませんので、そうさせてくださいませ。ところで、そちらでどういうことを書いたかということを副題の羅列で、お知らせをさせてくださいませ。
 

副題1、『オリンピックで、沸く日本で、地味な神田日勝の業績が、本日夜、再放送をされました』 

副題2、『ヤエノムテキと言うサラブレッドに、熱烈に入れ込んだ時代があった』

副題3、『神田日勝に触れたのは、ほんの偶然だったが、それこそ、ヤエノムテキにほれたように、一気にその絵と人生の両方に、惚れ込んだ』

副題4、『5歳の長男を虐待死させた、42歳の父親が、自分はバカだったと、警察署で言ったそうだが』

副題5、『ところで、テレビ東京の<ゴッホ最後の70日>と言う番組も大推奨番組です』

副題6、『数学の難問を解いた、ペレリマン博士の番組(NHK)も素敵でしたよ』

副題7、『神田日勝の兄は、芸大卒業らしい』

副題8、『父が、官展で大賞を取っているから、私には美術界のプロトコールがわかっている』

副題9、『仲間とタバコをくゆらす、日勝の落ち着きは、兄の芸大入学という学歴が、支えていたはずだ』

副題10、『芸術家が、世に出る・・・・・と言うことは、どういうことなのか?』

副題11、『神田日勝は、すでに有名人だが、芸大出身のお兄さんは有名人ではないぞ。なぜか?』

副題12、『ぶっちゃけて言ってしまうと、私の個展のお客様とは、ハイレベルな階層の人が集中していたのだった』

副題13、『1982年に、女性のテレビプロデューサーから、<あなたは、すでに世に出ていらっしゃるわ>と言われた私だが・・・・・』

副題14、『エフェソスで、立花隆を叱った(笑)私』

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と言うことで、副題15から始まりますが、立花隆氏との遭遇のエピソードに入る前に、ある種の心理的な分析をさせていただきたいのです。こちらのタイトルに保見容疑者と、名前がはいっている文章であるのは、ある特殊な意図があるからです。その特殊な意図こそ、政治の分野にかかわることなのですが、それを縦糸として語るためには、横糸として、心理学的な分析が、必要となります。ので、そうさせてくださいませ。

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副題15、『今の日本では、年齢による上下関係は通用しない』
 
 パリは割りとふるいシステムで動いています。学歴だって、中学校入学のときからエリートコースと、働く人(=被支配階級)とは、別コースに入るのです。これは、ドイツもイギリスも同じらしい。フランス革命のことを学校で習うので、信じられないのですが、あのころからすでに、225年経っているわけですし、そのふるいシステムから抜け出そうと移民をしてきた人が作ったアメリカの方が、はるかに、平等主義が、浸透しています。ただし、白人の中だけでしょうし、その白人の中でも、先に移民してきた方が後から移民をしてきた人よりも威張っています。
 
 一方でアジアの国を見てみましょう。中国では田舎から出てきた人は都会では戸籍さえ作ることができず、小学校や中学校へ子供が入学できないそうです。そして、激しい貧富の差があり、かつ、共産党一党独裁で、共産党員に、強大な特権があります。
 となると、日本ほど、理想的な社会は無いと言えそうです。
 
 ところが、ところがなのです。意外と暮らしにくい社会でもあります。建前では、平等です。だけど、本当の民主主義は、定着しておらず、本当に民主主義的に事を行おうとすると、場が大混乱をします。
 で、本音のところでは、みんな、上下関係の中で生きているのです。
 
 ところで、その上下関係のものさしが、いくつもあります。どれを採用するか? 拝金主義の世の中です。お金があることも大切ですが、お医者さんのように、お金と職業としての尊敬度が高かったりすると、わかりやすいですね。
 
 新幹線のコンコースなどで、お医者さんのグループが集まっていることがあります。学会が、その町で開かれて、出席した帰り、同じ新幹線に乗って東京へ帰りましょうと、思っているグループです。スーツの上等さが目立ち、それが、一般のビジネスマンと、まるっきり違います。
 
 その種のバックグラウンドの違いを、たてに、上下関係を作るのは、知っている内輪のサークル内だけの話で、東京の銀座などを歩いていると、お互いに知らない同士なので、上下関係など、判りようもありません。
 
 私と一緒に歩いていた、高名な画家(東大卒でもある)にある若いビジネスマンがぶつかったので、その画家様が、叱ったら、歯向かってきたのですよ。それは、私にしても予想外の出来事でしたが、何よりもその大画家の先生がびっくりなさっておられました。銀座の中央通で殴りあいの喧嘩などできない立場の紳士ですから、先生も内心でドキッとなさったでしょう。
 
 私はしゃしゃり出て、その若者に『こちらの先生は、えらい方だから、あなたは、引いてくださいね』と言ったら、納得してくれました。背が非常に高くて、180センチは優にあり、横幅も広かったので、体力には自信があるのでしょうが、別にやくざでもないので、ちゃんと引いてくれました。
 
 会社と言うソサイエティの中で、年功序列制が崩れてしまった日本では、若い人をしつけると言うか叱る人がいなくなったのです。「今は、しかられているが、いずれ、お前らが、同じ立場に立てるのだよ」と、いうことができないので、若い人がいうことを聞かなくなったのです。で、みんな上下関係がほしくて、しかもそれが必要だと思っているのに、スケールが定まらず、ごたごたしていて、その難しさにひそかに悩んでいる人は、いっぱいいるでしょう。
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副題16、『肩で風を切る生き方とは、別の姿勢の、宮崎明子さん』
 
 
 ところで、知らない人同士が、このようにぶつかってしまった場合、肉体的、強壮度で、威嚇しあうわけですが、それをもっと穏便な形で、女性も利用しているのです。町内会の会長とか、副会長、またはPTAの会長とか副会長と言う役を引き受けるタイプの人は、そういう類のボディ・ラングエッジを多用する人種です。
 そして、周りの人はあっけにとられながらも、敵に回すといやだとか、何とか、いろいろ考えて、道を明けて通すので、ますます、そういう人種は、自信を持って、肩で風を切って歩くこととなります。
 
 私の母校である国際キリスト教大学は、女性が多くて、かつ、そう言う女性の中に、特別に、優秀な人がいて、肩で、風を切って歩くような人がいっぱいいるのです。今、すぐ、数例を思い浮かべることができますが、語弊があるので、口にチャックとさせてくださいませ。
 
 そして、キャリアや、勤務先の知名度を考えると、宮崎明子さんこそ、その手の、肩で風を切って世の中をわたる人になってもよさそうなのに、まったく謙虚で、静かな方なのでした。
 
 個展の会場には次から次へと、別のお客さんが来るので、落ち着いて長話ができない場所ですが、それでも、15分ぐらいの接触の中で、私はすっかり、宮崎明子さんに惚れ込んでしまい、深い印象を、自分の中に溜め込みました。
 
 でも浅い、浅い接触ですし、明子さんのほうには仕事があるわけですから、私の方からの接触は控えました。しかし、その20年後の2002年には、明子さんも引退だと考えられます。それで、お茶でもご一緒したいなと、思い始めます。
 1982年には、二人のあいだには圧倒的な差がありました。だけど、私も苦労をしましたし、特に、本を作ることに関しては、達成感も味わい、実力も備わったと言う自負心もあって、その後の成長を見ていただきたいとも願いました。
 
 ところがどうも変なのです。どうしても接触ができません。
 本は送ってあります。あの親切で、丁寧で、誠実な宮崎明子さんなら、必ず感想のはがきを下さるはずです。だが、それもこないし。
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副題17、『私の友人や知人を、私と仲たがいをさせ、引っ剥がしていくシステムが横行しているが、その最初の例が、宮崎明子さんで、あっただろう』
 
 私は思い余って、ある夜に、宮崎明子さんのご自宅を訪ねました。テレビ東京が、東京タワーの中にあったので、明子さんのマンションも芝大門と言う便利な場所にありました。
 明子さんが、最先端の女性であったから、マンションも往時は最先端のものであったのでしょう。でも、大昔に建ったものだったのでオートロックの無いシステムで、お部屋まで、たどり着くことができました。
 
 しかし、ブザーを押しても応答が無くて、お部屋は、真っ暗な感じです。
 
 これなんですが、マンションの建て替えの予定があって、明子さんが、すでに引越しを済まされていたと言う可能性も大きいです。だけど、もうひとつ、別の可能性があリます。
 
 私が、家を出たとたんに尾行をされていて、しかも、生活のすべてが研究をされていることがあったとしたら、これから、どこを訪ねるか、尾行者は、推察がつくわけです。
 後日、本牧を訪ねたことがあります。私の中学校、横浜国立大学付属中学は、本牧の岡野上たてのという地名のところに昔はありました。それで、その近辺には友人が多く住んでいます。それがみんな居留守を使うのです。変です。本当に変です。このときに、中学の同級生にして、元早稲田の革○の委員長だった、成岡庸司君が私の弾圧に関して、大いに力をふるっていることを感じました。
 新左翼イコール国際的軍産共同体なのです。驚くべきことに本当の改革者というか、真実を言うものををつぶすために、共産党も新左翼も利用をされているのでした。そして、革○は、JR千葉動労を支配しているそうですし、いろいろ思い当たることがあるのです。
 しかも成岡庸司君と、同じく国際基督教大学の卒業生である元TBS記者である秋山豊寛氏は何らかの交流があるはずで、その秋山氏は立花隆氏と強い交友関係にあるはずです。
 そういう思いも含めて、この章を書き始めていますが、ひとまず、宮崎明子さんのことへ戻ります。

 これは、横浜高島屋の近辺の公衆電話を使ったときに、大型の住所録を、公衆電話のそばに忘れたことがあるのです。それが、三週間後か、一ヵ月後に戻ってきたのですが、なんと、鎌倉市役所を通じて戻ってきたのです。
 
 理由は何とかかんとか、ついていましたが、私は、別の理由を考え出しました。・・・・・単純に拾ったのを、届けたのではなくて、尾行者は、もって帰って、三週間研究し尽くしたのだわ。で、もし警察署に届けたとすると、時間的につじつまが合わないので、見返しに私が書いた持ち主の住所が「鎌倉市だったので、鎌倉市役所に届けました・・・・・ですって。
 
 へんですね。嘘ばっかりでしょう。ちゃんと、雪ノ下2-○ー○と、番地が書いてあるのですから、そこへ直接送ってくれればいいでしょう。だけど、尾行者の住所を送信元として、書くわけには行かないから、鎌倉市役所に届けたと言う変な形をとったのでしょう。
 
 私は本を作ります。それを東販とか、ニッパンで、流通をさせません。だって、マスコミ有名人でもない私が、札幌の、書店、たとえば丸善などのチェーン店に並べても誰か買ってくれるでしょうか? 買ってくれませんよね。だから、全部、自分が配って歩くのです。知人にね。それを最初は、郵便でやっていました。だが、4冊目から郵便局がおかしいと気がつき始めて、自分で電車に乗って配って歩くことに決めたのです。
 
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副題18、『元博報堂重役の小池玲子さんも、敵方にリクルートをされてしまっている?』
 
 で、南長崎へ出かけます。中学時代の友人です。普段まったく使っていない西武池袋線に乗ってわざわざ出かけたのに、夜九時なのに真っ暗です。お子さんが三人もあるうちが、夜の九時なのに真っ暗です。変です。
 
 その次に、そことすぐ近くですが、地下鉄大江戸線を利用して、高校時代の友達を西落合に訪ねます。その人は、明子さんが来てくれた、個展に彼女も来てくれた、後(それは、1990年代だが)に大手広告会社、博報堂の重役になる大物キャリアウーマン小池玲子さんです。
 芸大卒のおしゃれさんで、1982年に銀色のジャンプスーツを着て当時は珍しかったダイヤモンドの1カラットのチョーカーをつけて会場に来てくださいました。『結婚記念日に妻にダイヤモンドを送ろう』と言うキャンペーンで、有名なデビアスの、担当だったから。
 
 子供時代に彼女に招かれて、たずねたことのある家ですが、やはり、彼女は不在です。変だなあと思いながら、疲労困憊した私は、すぐ近所にサイゼリア西落合店があったのを勿怪の幸いとして、休息をとりました。いつも四回食ですが、その日の四回目の食事をとった私が、そこを出て、地下鉄駅に向かうと、反対方向から来る彼女にばったりと出会います。
 
 こういうところが神様がいらっしゃると言うところです。会いたかった人にちゃんと合わせてくださるから。そして、彼女は意地悪ではありませんでした。面と向かえば。

 ただね。彼女がドキッとした顔をしたのが、印象に残り、裏側を推察していきます。
 まず、彼女の家は、いまどきの東京の邸宅には珍しいほど広い敷地があります。それで、お姉さん方のお屋敷も邸内に建っています。
 
 で、入り口がどこかわからないので、お姉さん宅に問い合わせをして、奥にある彼女のお屋敷を訪ねました。武蔵野の森風のお庭に立つ瀟洒な洋館が彼女の家でした。ご主人がいました。不在だと聞いて、本を置いて帰ったのですが、道で、ばったり会った彼女が、いろいろ、言い訳をするので、変だと、特に感じたのです。
 
 これから先は、本当は、言いたくないのですが、たぶんこれが真実だと思われるのは、ご主人と彼女が携帯で、連絡を取り合って、『彼女(=私のこと)は帰ったから大丈夫、もう帰っておいて』とご主人が言ったので、彼女は新宿の喫茶店に待機していたのを止めて、帰宅したのだが、私がサイゼリアで、一時間程度を過ごしたことが予想外だったので、驚き入ったのだと思えばあたってきます。彼女はその尾行者から連絡を受けた、彼女が信用しているしかるべき知人から、「川崎千恵子が、いまから、たずねるはずだが、会わないようにしてくれ」と頼まれていたのでしょう。それが誰か? たぶん日経新聞の誰かです。
 
 私はものすごく悲しいです。一切の裏がわかっていますから。でも、道の真ん中の立ち話で、しかも夜の10時半過ぎです。上に書いたようなことを彼女に説明できますか? 特に瀬島龍三の問題やら、ベイカーさんの問題まで説明できますか?

 そして、彼女が昔のように、家にでも招いてくれて、宿泊もさせてくれたら、話せますが、とても、そんな雰囲気ではありません。
 
 すべての裏側がわかっているのに、全部、こちら側だけが我慢をしていて、ただ、ただ、お別れしていかないとならないのです。本当に理不尽なことです。
 
 でも、彼女は日経BP社から自叙伝(エッセイ)を出しています。面白い。で、そちらに恩義があるし、マッキャンエリクソン博報堂の重役としては、日経新聞社の誰かから、何かを頼まれれば、そちらを優先するのは、ありでしょう。私が悪人ではないことは彼女は知っている。でも、それでも忌避するのです。すごく悲しいです。これも、五億円の被害のいったんです。
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副題19、『宮崎明子さんを、私から離れるように説得したのは、石塚雅彦さんですか?』
 
 石塚雅彦さんと言うのは社会的な立場としては、日経新聞の論説委員をした後に早稲田の法学系大学院の教授を、現在している紳士です。おしゃれな人です。持ち物とか洋服がです。また、有楽町の外人記者クラブの理事長をしたこともあるし、ニューヨーク支局長をしたこともある紳士です。
 
 私との接点を言えば、横浜市立日吉台小学校の先輩であり、大学でも先輩に当たり、大学在学中はアート部の先輩であり、卒業後は、彼が同窓会長であり、
 
 同窓会展で、ご一緒して、彼の会員権を利用して、外人記者クラブのれすとらんで、打ち上げやら準備会と称して、4回ぐらい同じグループで食事をした関係です。それから同窓回転の最中には、数回画廊で顔をあわせます。ですから、同窓回展という、総勢12人程度の小さな集まりで、20回はご一緒している間柄です。

 そういう会合の際ですが、私が「石塚さんの初仕事って、日経新聞の文化面の右上にある絵の欄でしたよね」というと、『いや、違う』と、鉄の塊のようなぶっきらぼうさで、否定をされたのです。
 
 でも、20年以上前の同窓会では、石塚さんは確かに、『僕の初仕事はね。あの文化面の右肩にある絵のコラムだったのですよ」と、ニコニコしながらおっしゃったのです。
 
 今まで、石塚雅彦さんについては、しっかりとは書いて来ては、いません。本格的に書くと、50万字以上が必要だと思って触れなかったのです。そして、軽く、フェイスブックの世界での、弾圧に関与して、古村浩三君と四谷のバーでよく一緒になるコンビだから、フェイスブックでの弾圧が、実行者は古村君でも、グランドデザインは、石塚さんのアイデアではないかとか、いう部分で軽く触れてきただけですが、・・・・・
 
 私が常日頃言っている、五億円の被害に関して、石塚さんが、指導している部分も大いにあるだろうなと推察しているしだいです。ただ、石塚さんは、忙しい人です。早稲田で、教えないといけないし、ご自分のキャリアーを磨き続けるために難しい本を翻訳しないといけないしで、井上ひさしみたいに、私の文章をいちいち研究して、
 落ち度を見つけたり、突っ込みどころを見つけたりするのは苦手だと思うのですが、国際的に知人が多いので、イギリスを利用したり、フランスを利用したりすることはできるでしょう。
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副題20、『ゴッホの新作が、発見をされました』
 
 この9月10日に、ゴッホの夕景の新作『モンマデュールの夕方』が発見されたと言うニュースが配信をされました。これは、別に私にとって痛くもかゆくもありませんが、藤田千彩さんが、攻撃をしてきたのが、ゴッホ関連のイギリス発ニュース・・・・・カウボーイにかぶれていた少年によってゴッホは撃たれたと言うもの・・・・・が、きっかけだったと、つい最近ブログに書いたばかりです。
 
 ゴッホの新作は、真贋を言えば、本物だそうです。だけど、このニュースによって、藤田千彩さんをバックアップするつもりかもしれません。・・・・・ほら、僕達は世界のニュースを動かすほど、力を持っているのだよ。お前なんかより圧倒的に強いんだ・・・・・と、見せ付けるために、このタイミングで、それを流したともいえましょう。
 
 大掛かりですね。ごりっぱ、ごりっぱ。
 
 さて、私が見るところ、エージェントとなった人々は、押しなべて傲岸不遜です。古村君もそうです。夫でもないのに、威張った物言いを、私に対してしてきます。まあ、ロックフェラー四世と大学時代同室だった可能性を私は感じているから、そこらあたりが自信の源泉でしょう。
 
 1960年代の第一男子寮はたぶん四人部屋ですから、石塚雅彦さんもそこで、一年古村君と一緒だったはずです。そして、ロックフェラー四世とも二年か三年、一緒だったでしょう。
 
 それが石塚さんの鉄壁の傲岸さを作り出しているとも思いますが、もうひとつ、最近気がついたことがあるのです。
 
 しかし、こちらは傍証が一切無いので、今のところ、見てきたような嘘を言いの類ですが、石塚さんって、ある大物ビジネスマンと顔がそっくりなんですよ。そのビジネスマンはすでに引退している人ですが、日本一の大金持ちです。土地を所有しているその資産価値といったら、ホテルから何からを含めて、すさまじいレベルの資産家です。
 
 たとえば天皇家と比較をして見ましょう。御所や国有林と言う形で、戦前だと、莫大な財産を持っているお家でした。だが、今は、それを、自由には使えません。
 
 日本人の誰もが、天皇家よりお金持ちだろうと認めるようなビジネスマンと、もし、いとこだったら、石塚さんの鉄壁の傲岸さも、なるほどと思われるのです。外国にも特権階級の見方がいて、日本国内にも特権階級の見方がいるとなれば、強いのも当たり前ですね。
 
 そちらのビジネスマンの実母と、石塚さんのお父さんが、もし、きょうだい、とか、いとこの関係だったら、石塚さんのあの傲岸ぶりも納得をします。顔もそっくりですし。
 
 伊藤玄二郎も傲慢な人です。で、私は、すでに、以下のように推察しています。伊藤玄次郎は、伊藤整の子供であり、しかるべきときとところでは、それを明らかにして、ひとたらしの道具として使っているだろうと。いわゆる貴種伝説を利用しているのです。

 これは、大相撲壊滅作戦の初期に、伊藤滋という早稲田の教授にして元東大教授が使われて、その人が、実は伊藤整の子供だと、宣伝をされたから、気がついたのでした。
 伊藤玄二郎が拝み倒して、任を担ってもらったのでしょう。母が同じかもしれないし違うかもしれない兄弟である可能性は強いです。
 
 石塚雅彦さんに関しては、すさまじくいろいろ語らないといけないのですが、今日は、宮崎明子さんと、小池玲子さんに限ります。
 
 その二人が、私の琴線を震わすほどの大切な友だったのに、今では付き合いが自由にできない関係となったのは、あいだに誰が入っていたとしても、石塚さんが、導いた筋道だったと思っています。だって二人は苦く年始か違いません。そして、同じマスコミ界に入って、特にテレビ東京が、日経新聞の系列下に入った後では、相当な交流があるはずだからです。自由に電話をかけられる関係でしょう。ただ、小池玲子さんは別の人(ただし、日経新聞社の人)からの連絡で動いている可能性はあります。
 
 銀座の裏路地で、石塚さんとすれ違ったりします。するとね。そのとき、私は小学生みたいにはしゃいでしまいます。年上の人とか社会的な立場が上の人は、大体において尊敬していますしね。
 だけど、天真爛漫にはしゃぎながらでも、一方で、
 
 「石塚さん、どうして、あなた、そんなことをなさるの。もし、ロックフェラー氏が、私の悪くちをあなたに吹き込んだのなら、それは、彼の同時期に留学していたベーカーさんが、おっちょこちょいであるがために、失敗して、自分がCIAであることを私に悟られてしまって、その後で、私を殺そうとして、それも失敗したので、悪口を言っているだけですよ。そんなのを信用なさるのですか?
 
 それから、もし、瀬島龍三から悪口が、入ったのなら、それもまた、彼の友人益山某氏が横須賀市の水道山を地籍変更届の仕組みを利用して、ただで取得したことに、加担をしたのですが、その詐欺事件に被害者として、巻き込まれた私が、悪事の真相を知っているからですよ。
 
 それからね。もし、酒井忠康氏とか、伊藤玄二郎から、何か、悪口を吹き込まれたとしたら、我が家の近所のわがまま傲慢主婦達が、よってたかって、わがままをした結果、我が家の土地が不当に、盗まれてしまっていることの、世に暴露されることを、恐れ切っていて、私を暗殺したいと思っている連中がいますが、その、見方をすることになるのですよ。それって、神様に背くことではありませんか? キリスト教の信仰は共有していませんか?
 
 いろいろな形で、全部で100回は、すでにあって会話も交わしている関係です。そういう相手に、これほど、無慈悲で、理不尽なことをなさるのですか?・・・・と、問いかけておきましょう。だけど、鉄面皮さんだから、何も変化が起こらないかもしれませんけれど・・・・・
 
 ともかく、宮崎明子さんが、私の前から、永遠にと言ってよいほどの距離で遠ざかってしまいました。ほかにも、石塚さんからの助言で、私が関係を阻害されている人物は、いろいろ、名前が挙がりますが・・・・・
 それを書くのも、すべて友人だから、非常に書きにくいのです。その戸惑いや懸念も、大きいのですが、それよりも、まったく別のことが出来して、突然にブログを終わらせることにいたしました。
 
 今、急に気がついたのですが、ほとんど読めない形で、ブログが破壊されていましたね。数時間フォントが、ごく、薄い色でした。今午前二時ごろにやっと、濃い色に、色を変えてみました。で、こんな破壊工作が行われているので、これから先は、本日は何も書かないでおきましょう。
 
 恐れ入りますが、そういうわけでタイトルに書いてある立花隆氏や保見容疑者には触れることができずにいますが、本日はこれまでです。
 なお、このブログは、2010年から数え始めた伸べ訪問回数が、178万回を越えていて、もうすぐ179万回になるところだと、それは、申し上げさせてくださいませ。実際の数字は、11日の朝には、1790208でした。
 
 2013年9月10日深夜、から、11日早朝にかけて書く。雨宮舜 (本名川崎千恵子)
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