銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

瓜南直子の急逝の3、・・・・この章は西部すすむさんが主役です。

2012-10-21 16:23:14 | Weblog
 火曜日、23日に入れる添え言ですが、今朝の午前三時から推敲を始めています。そして、午後一時にやっとそれが終わりました。途中で、成りすまし事件(片桐警察庁長官が、その誤認逮捕を記者会見を開いて謝罪をしたもの)に触れたので、とても大変でした。完成したしるしとして、例のごとくタイトルの右わきに、△印を入れておきます。

副題1、『母堂を、おかあたまと、よんだ直子さん』
副題2、『一方で、我が家からは、重要なプログラムが盗まれている』
副題3、『死ぬ前に、人は別れを言うべきだ。挨拶文を書くべきだ』
副題4、『西部すすむさんと、瓜南直子さんの関係』
副題5、『私と西部すすむさんを比較してみよう』
副題6、『現在報道をされている、なりすまし疑惑は、私の同級生KK君をかばうためでしょう』
副題7、『真犯人がメールで犯行を告白したという、相手の弁護士とは誰でしょう? 紀藤弁護士かな? でなければ、架空か? でなければそれこそ、成りすまし弁護士か、私と過去に関係があった4人の東大卒の弁護士か?』

副題8、『片桐警察庁長官は、なぜ、謝罪をしたのか?』
副題9、『成りすまし疑惑を、どう描いていくかについて、悩むということもないのだが、表現については、考えあぐね、それで、実は、疲労困憊をしていた』

副題10、『瓜南さんにとって、テレビに出るのは、相当に負担だったはず』
副題11、『期待されたり、注文を受けて絵を描くのは、実はあまり楽しくない』
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副題1、『母堂を、おかあたまと、よんだ直子さん』

 瓜南さんの父君が軍人だったのは、どことはない記憶で覚えています。彼女のフェイスブックを読む前からわかっていました。どうしてかというと、鎌倉に親戚がいて、元海軍軍人(大尉か、中尉で、敗戦になったはず)です。そういうあたりから入った情報かも知れません。正確にはどうだったかは、既に忘れています。今、グーグルで検索しても出てきません。
 そして、私は過去のどこかに、父君は大将だっただろうと書いていますが、それは、間違いだったかもしれません。お子さんである直子さんの年齢から考えると、順当な出世としては、中尉ぐらいかな? ただ、最終場面では戦死者が多かったので、急速な出世があったかもしれません。

 ともかく、瓜南直子さんは、てらいもなく、父をお父様、母をお母様と呼ぶご家庭に育ちました。それも、幼児期に、なまって音便化され、母は、おかあたまと、なっています。
 そのおかあたまと一緒に行った映画館の思い出あたりから始まって、私が、見て『これはたまらないなあ。嫌だなあ』と思った映画のプログラムについてのつぶやきがありました。

 前に瓜南さんは、フェイスブックでIT的に優遇されていると語っていますが、プログラムの写真つきで、その同じ投稿が何度も、シェアされてフェイスブック紙上に何度も現れるという形にもなりました。

 そして、大体がレトロなもの、および和風テイストが、好きな人でしたが、映画の話題も、古い映画が多くて、古い映画のプログラムが多数出てきました。
 そして、その話題も人気を博していて、コメントが多数寄せられていました。

 それは、無論のこと、政治には関係がありません。
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副題2、『一方で、我が家からは、重要なプログラムが盗まれている』

 反対に我が家からは、重要なプログラムが盗まれているのです。特に重要な映画は、『靖国』と、『TOKYO』です。両方とも文化庁が、800万円の支援金を出しています。
 これがどうして盗まれたかと言うと、両者ともに、驚くべきレベルで反戦映画なので、それを論じる本を用意していたからです。
 『この二つの映画を、外国の若者が見たら、こってこての、反日青年になるでしょう』というほどの、嫌味な映画なのです。特に後者の第二話、レオス・カラックス監督の部分で、旭日旗が、効果的に使われています。南アフリカのサッカー場で、帝国海軍の旭日旗を、取り出して、日本に抗議した若者(たぶん、韓国の青年だった)がいましたが、そうやりたくなるような映画なのです。

 で、私は、その『消された映画』という本を200年の初夏に準備中でした。その準備中の、外出している間に盗まれたのです。だいたい、本が出来上がり資料を確認する段階で、プログラムがないことに気が付きました。そして、私が盗まれたことに気が付いて、それを、パソコン内下書きメモか(これは、対泥棒へ気が付いていることを警告するために書いているもの)とか、主人との会話か(これは、室内を盗聴されているので、それを逆利用している)か、または、このブログ内で、ラット、それを書いた途端に、直子さんの、その映画のプログラムの話が始まったのでした。で、当然のこと、これは、関連があると思います。この件については、さらにどうしてそれが可能だったかという側面で、話がありますので、別の機会に述べます。

 それは、自分の7冊目として出版する予定稿のひとつです。ほかにもパリ修業時代の話。雅子様を中心とする、皇室と日本政治の問題点、・・・・・特に、韓国を日本の上にする流れ・・・・・を論評するものとか、数点を同時進行的に準備していました。
 そのうえで、最終的に、『消された映画』に決定して、表紙も作り、オンデマンド方式で、10冊程度作っています。それは、見本というか、試し刷りといったもので、ISBN番号やバーコードもつけず、また、オフセット方式での次の段階にも入っておりません。つまり、大型の機械を利用する印刷をせず、工業的な製本も頼まず、事実上、とん挫、中絶しています。

 それ以前に、2003年から、毎年一冊ずつ、丁寧に、本を出版し続けてきた私にとっては、挫折と言っていいかな?

 そのあきらめて、実際には正式な出版まで持ち込んではいない理由は、8月20日に試し刷りを、10冊作ったものの、

 *1) 母が八月から、ものを食べなくなっていて、最終段階に達していたことが大きいのです。

 敵が考えるほど、音による攻撃に参っていたというわけでもないのですが、このころ、八幡宮の夏の催し、鎌倉市長選の渡辺夫人の宣伝カー、ご近所の安野夫人の楽器練習(チターらしいが、ハノンという音階練習だけなので、音楽が好きな私には苦痛以外の何物でもない)、など、すさまじいまでの、音の攻撃には出会っていました。そのほかに、出先で、警察手動らしい制服の駐車違反監視員、駐輪違反監視員等に出会う。これらを彼らは、私が嫌がるだろう。脅かしに役に立つと考えています。野口屋という、チャルメラで、豆腐を売る、りャカー利用した店、廃品回収業者、消防自動車等の徹底的に利用されていました。
 それらに参って本作りを止めたと敵様は考えたでしょうが、違うのです。最も大きな理由は、母をきちんと送り出し、かつ、遺産相続を無事に終えることにあったのです。

 本を作るのは、大変にへヴィーな労働で、母の見舞いとの両方をやると、何かの破たんが自分の方に起きて、兄弟げんかでもしそうでした。ほかの兄弟も疲れ切っていましたしね。

 父は母を大切にしたフェミニストだったので、母は父と同額の資産を持っていました。急にもらったというわけではなくて、若い時から常にそうして、蓄財をしていたのです。だから、父の死の時には、遺言書相続であり、母は何ももらわずに、子供たちだけが、遺言書に従って、長男優先でもらいました。

 今度の遺産相続では、その時の長男(事実上は弟)が、主役です。彼は、冷静でかつ礼儀正しい人ですが、それでも、お互いに疲れていると喧嘩になりやすいですね。特に、母の資産には、株式と不動産が多く含まれていて、正確に三分の一ずつに分けられるわけもないと予測をしていました。
 しかも、27年前の父の死の時も、少し、でこぼこがあったので、それを今回修正しないといけないでしょう。とても難しい分配になるはずです。

 で、疲労困憊していると、ぎすぎすしやすいです。最終日は、朝の7時だったのですが、前夜、10時半まで、私が、たまたま老人ホームにいましたが、兄弟全部、既にへとへとでした。
 母は8月から、自分ではものを食べなくなっていて、スプーンで持って行っても嫌がりました。エリザベス一世みたいに、一種の自殺だったというわけではなくて、90過ぎでも白内障の手術を受けるほど、生きることには意欲的でした。
 が、それでも、92歳の夏に、自然に、食べ物を拒否するようになったのです。ただ、食べなくても、老人ホームの居間で、洗濯物たたみをしていたし、ありとあらゆることは平静にやり続けていました。が、胃瘻などを選択しなかった、子供たちにとっては、実際の死を迎えるまでは、とても、きつい毎日でもありました。ほら徐々に衰弱していく母を見守り続けないといけないわけです。あれが、自宅だったら、相当に待ってしまうところです。老人ホームでよかった。母に資産があるので、十分に、その費用も手当てできましたし。
 
 10月13日の死は、食べなくなってから、ほぼ、3か月後であり、「お母さんは、子孝行だったね」と兄弟で言い合うほど、ぎりぎりのところで、子供たちの健康が保たれました。実際に見聞きしていますが、親が亡くなった数か月後に亡くなる子が、世間には、いるのですよ。親世代は昭和の苦難気を乗り越えてきたので、気丈で、かつ健康で、有り、長寿が多いので、子の方が、既に、50代の後半とか、60代に達しています。そういう老々介護の場合は、こどもが『ああ、私は義務をちゃんと果たしたわ』と安心した途端に、ことっと、死んでしまう。そういうことは頻繁に起きるのです。

 母の死因は、大往生というものでしたが、86歳ごろから、超低調であり、それゆえに、一人暮らしは危ないとなって、老人ホームへ入れたのですから、6年間、低調でも生き続けたわけです。となると、死の前に、死の準備期間として、六年間も、普通の人ならあるわけです。
 
 で、ここから、先のこの文章ですすが、
 *1)7冊目の本の準備を止めた話を、続けないで、
 *2)かつ、泥棒の話も中途にして、
 *3)瓜南さんが、映画のプログラムの話を展開したことが私に対する攻撃であることの証明もここではやらないで、

 次の章、瓜南さんの最後の段階への分析に入って行きます。
実はこの章を最後まで書いてみて、上の三つの中座した項目はこの章でも次の章でも、書けないことを知るのですが(笑)まあ、ともかくのこととして、次の章へ向かいます。
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副題3、『死ぬ前に、人は別れを言うべきだ。挨拶文を書くべきだ。人生を哲学的に俯瞰をするべきだ』

 飲み屋で、人と会うことが好きだった瓜南さんが、肝臓に負担がかかったことは確かですが、そのケースで、どこまでをふつうと言い、どこから先を病人というのかは非常に難しいのです。

 2012年の4月に、絶筆となった、『億劫です』という文章を書いた直子さんは、その時点で、自らの肝臓がとても悪くて、後、2か月弱しか、命が残っていないということはまるで、知らなかったと思われます。

 もし、それしか、余命がないと知っていたら、『絵を描くのが億劫です』というような言葉を書いていないで、『皆さん、お別れの日が近づいて来ました。ありがとう。これを、読んでくださって』と、ブログの世界で書かないといけません。
 パソコンがアップルのはずで、ノートではなかったとして、病室には持ち込めなかったのだろうと推察しています。
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 ところで、最後の日々は入院をなさったのでしょうね。もし、この章や前報で、書いているように、実質的に一人暮らしで(これは、画家としては最高なのですよ)、しかも伴さんの方に、保護者意識が薄かったとすれば(これも、画家同士の結婚だったら、かえってありがたいほどのものです)、入院期間はとても、短かったはずです。
 母のように、6年間も老人ホームで一種の予後(途中で、何回も誤嚥性肺炎他で、入院しました。東上線・常盤台の老人ホームへ入れたのは、その町に孫が勤めている病院があるからです)を、過ごし、ありとあらゆる意味で手厚い介護を受けていたのと比較すると、気の毒としか言いようのない最終場面です。
 ただ、芸術家にはレジェンド(伝説)が、付随していた方がいいので、この急逝も将来的には、プラスになるかもしれませんよ。

 結局、ご自分の人生を哲学的に振り返り、俯瞰をするというような文章を書けないまま、あの世に旅立ってしまったのは、残念でしたね。

 文章を書ける人でした。頭もいいです。そして、斜に構えたジョークばかりではなくて、追い詰められたら、まじめな文章も書ける人でした。死期を悟れなかったのは、本人にとっては、苦痛や恐れが少なくて、よかったとも思えますが、彼女を愛する人にとっては、たまらない・惜・し・さ・です。

 ところで、私も絵描きの端くれなので、それがとてもよく想像できるのですが、前年に突然、大いなる光が当たって、『自分が期待をされている』と自覚をした直子さんは、一方で、悪く言えば、餓鬼道へ入って行ってしまったのです。

 終わりなき出世を望む道です。日本画家の瓜南さんにとっては、最終的には、文化勲章を受章することへ向かう道です。芸大出身なのですから、上手に生きていけば可能です。
 そういう風に期待をされているとすれば、どんなに体が苦しくても、絵を描かねばならぬ、(一日に数時間は絵を描かねばならぬ)という義務感は強かったと思われます。
 美しい人生ですよ。志半ばで、ぼきっと折れた、美しいひとです。

 今、母がよく言っていた『明日に紅顔の美少年なれど、夕べには、○○のしゃれこうべとなる』という言葉を、○○のところがなんだったかと調べたのですが、グーグルの検索では見つからず、似ている文章としては蓮如上人の、白骨のご文章がありました。だから、あれは和歌が好きな母が、五,七、五語調で、白骨のご文章を翻案したのものだったかもしれません。瓜南さんの死はまさしくそういうものでした。

 だけど、現実のことを言えば、2011年の夏の引っ張り回しが、かの女を、意外な速さで、死に向かわせたのです。
 その点で、泉湧寺での、グループ展の最中でさえ、テレビ出演で、東京へ呼び戻されるということも、大きくマイナスに作用したと思われます。
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副題4、『西部すすむさんと、瓜南直子さんとの関係』

 西部すすむさんという評論家を、私はよく知りません。ただし、有名人であり、東大卒であるとか、週刊誌で、コラムを連載しているのだという程度のことは知っています。で、今回も誕生日をネットで、調べたら、私より4歳上でした。

 そして、それ以上に、驚いたのは、左翼系の活動家であったが、今は、ほぼ右翼系文化人と言ってよく、『表現者』という雑誌を運営しているとのこと。

 この説明自身には驚きません。安保条約改定のころはだれでも左翼だったのです。そのあとで、右翼系になったという。それも驚かないし批判をしません。今の日本では、まじめであればあるほど、右翼的にならざるを得ないからです。

 ただし、その右翼的という言葉は、例の朝日新聞で代表される陣営が決めつける枠組みであり、その陣営が、いなかったら、別に、差別されて貶められる方ではなくて、それが、普通だったりするのです。いや、それが普通だと思います。
 私も自分が普通だと思っていますが、佐々木俊尚氏に、『ねとうよ』と規定をされているらしいのですから。

 そして、その雑誌『表現者』に、瓜南さんの絵を表紙として提供してくださいと頼んでおられるとのこと。何回分(または、何年分)がそうなのかは知りませんが。だから、2人は昔から関係があるので、MTVの西部さんの番組に、泉湧寺のグループ展の最中に、東京に急きょ呼び戻されて、出演したとなったのは別に不思議でもなんでもないのです。

 ところが私は、この時に、『とても、変だ』とか、『やはり瓜南さんは、諜略に利用をされている。私への攻撃用弾丸として利用をされている』という印象を持ったのです。

 それは、その知らせがフェイスブックの情報として表れて来る二週間ぐらい前に、私は、自分のパソコンに初めてコピペとして、西部さんの文章を保存したのでした。
 それが関係があり、『急きょ、お前が西部さんと結びつきたくても、それは、だめだぞ』というサインとして、瓜南さんとのトーク番組が企画をされたと思います。

 その時には、まだ、西部さんの最近の傾向が、右翼的だということを知りませんでした。だが、有名人です。私は何の妨害も受けなければ、有名人であろうと、どんな偉い人であろうと、たちまちに、自分の魅力・・・・・(女性としてではない。ある種の賢さというか、頭の良さで)・・・・で虜にしてしまいます。それを知っている伊藤玄二郎と、彼を取り巻くエージェントたちは、瓜南直子さんを、西部さんの番組に出すように、急きょ手配をしたと考えています。『これで、おまえは、もう、西部さんに自著を、送ることはできなくなったのだぞ』ということを言いたくて、こういう設定を作ったと、感じています。

 特に放送後の懇談の席に、伊藤玄二郎が、一種のマネージャーとして直子さんに付き添っていったとしたら、彼からの讒言が、西部さんの耳に入るでしょうから。 そうですね。伊藤玄二郎が、宴席に招待するという形で、出演者やプロデューサーを含めてレストランの予約を取ったとしたら、それは、彼にとって、利用すべき最大のチャンスです。
 それはあとで、石原慎太郎氏と、(+、猪瀬直樹氏)が、いかに彼らの陣営に取り込まれたかとか、橋下徹・現大阪市長が、そちら側に取り込まれたかを語りますので、それで、説得力が持てるでしょう。

 でも、いまは、まだ、西部さんに、固着して説明を進めます。
 それは、最近、開発ちえさんの罵詈雑言のメールを私に利用させないがために壊されたパソコンには、保存をされていたものですので、そこから取り出したハードディスクを精査すれば出てくるはずですが、今、このブログの原稿を書いているこのパソコンには保存をしてありません。だから、私の口で説明をしますと、西部さんが珍しくlivedoorのサイトで、紹介をされていたのです。

 内容は、西部さんの主張が貴重であるということです。その主張とは、『小選挙区制度ほど、日本の政治をダメにしたものはない』というものです。

 私は有名人であるというだけで、軽く見ていた西部さんを見直してしまい、その情報をコピペして、自分の常用のパソコンに保存をしたのでした。
 ただし、それを今のところ、一切利用をしておりません。
 それは、その意見が貴重だと思うので、それを尊重したくて、それを種にブログを書くなどということはやっていないのです。

 ところが、私のパソコンは常にハッキングを受けており、どういう作業をしているかが例の敵たちから覗かれています。で、すぐさま、西部さんの文章をコピペしたことが、どういう意味を持つかが検討をされ、すぐさま、私と西部さんが交誼を開始すると大変だと判断をしたのでしょう。で、それを、させないようにするための策が講じられます。
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副題5、『西部さんと私との違い』

 西部さんと、私は全く違います。差がありすぎるほど差があります。なら、『別に気にしないでもいいではないですか? 自由に交流をさせたらいいでしょうに』と、私は思いますが、彼らは決して、そうは思いません。

 彼らの強みは、人的資源、つまり、人脈を駆使することにあります。それと、同じことを私にやられたら、自分たちは負けます。それをきちんと自覚をしているのです。というのも、根柢にある『行動へ至る動機』やら、『コンセプト』が、彼らのは低劣です。汚いです。だから、正面切って戦えば、こちらが負けるということは、しっかりと自覚をしているのです。しかも、一回ほど、瀬島龍三の一派を私はやっつけています。(三〇年前のこと)実践の結果が出ています。

 すべての諜略行為の裏側に、大きな三つの動機がありますが、すべて、低劣です。

1)、京浜急行北久里浜の東に、旧名ソラヒルズ、(現在の名前をルネ北久里浜)という大マンション群がありますが、それは、横須賀市の水道山を、元海軍参謀益山某と、元陸軍参謀の、瀬島龍三が、地籍変更届という一種の詐欺を利用して、ただどりした,旧、横須賀市の水道山の上に建っている。その悪事の目撃者が私だから抹殺をしたい。

2)、猫のことで、伊藤玄二郎の昔の愛人石川和子が大失敗したから、それを書かせないがために、弾圧し、抹殺しようとか、

3)、伊藤玄二郎は鎌倉を中心として、すさまじいまでの、多数の人材を自分たちの手駒として利用したが、それらは、『絶対にばれては、いるまい』として、行われたことだ。
 が、私には、その裏側がほとんどばれており、あまりにも、被害が大きいので、それを、順次書き始めている。
 それが、非常に困るので、さらに弾圧してくる。

 が、私の方の書く動機は全く違います。

 2003年ごろから、心理学的なテーマや哲学的なテーマの中に混ぜて、原発のリスクについて語ってきている。すると、2007年に、自分のデータが世間にばらまかれていたり、失われたりする様な、パソコンを中心とする明瞭な被害に遭い始め、それをまた書くと、今度は大相撲壊滅作戦とか、電車遅延事故の多発のような一般の日本国民が迷惑をこうむる現象が生起させられる。

 で、正当防衛のために、そういう現象についても分析を始めると、この日本が巧妙にも支配されている新しい形の、被植民地国であることがわかり、多大な金銭が海外へ送金をされているという真実に突き当たった。

 今度はそれを書くこととなる。ただし、問題が大きすぎるので、直にロックフェラー四世等を批判しないといけなくなるので、下世話な世間話風にあっちこっち寄り道をして、さりげない風を装っている。まるで、政治評論とは見えないだろうが、そこが狙いである。だから、政治評論家としては、大きくもないし有名でもない。

 ただし、・・・・・その真剣さは、現代日本で随一と言っていいだろう。書く量も多いし・・・・・となります。

 そして、生い立ち等も、西部氏とは正反対です。長万部に育ち、兄弟が多い中の下の方だという西部氏。長万部および、その町が所属する地方の故郷のスターとなっていて、それだけでも、人は石垣人は城という意味では、強固な地盤があります。帰郷すれば市長や有力者たちが大歓迎してくれるでしょう。
 しかし、横浜日吉に育ち、長女であり、過保護の典型だったらしいのです。そして、子供のころはとても優秀で、当時まだ、人口の少なかった日吉の町の一種の有名人でしたが、それ以降、その後結婚をしてほかの町へ住み、しかも何十年も主婦として、家事、育児に専念してきた私には、そういう知名度は、有りません。それに、横浜や東京となると、そこの出身者を支援するという形もありません。横須賀となると島田章三(画家)さんやら、野島稔(ピアニスト)さんを、支援していく動きはありますが。

 で、暖かい支援というのがないので、西部さんよりはずっと、脆弱です。で、きりきりしがちでもあり、そこを、『あんたはノイローゼですよ」と、中学の同級生にして、もと、週刊朝日の編集長である、飯田隆君に、ホテルの宴会場で言われることとなります。彼は、別に私のメルマガの読者でもないので、この発言は確定的に頼まれて言っているとみなされ、したがって、伊藤玄二郎たちの方針が、・・・・・どこにも落ち度がなく、どこにも悪いところがない、しかも、被害が多重に重積している私を、・・・・・ノイローゼとして、精神病院へ収容してしまい、そういう形で物を書かせないようにすることが、主たる方針となっていることを推察させます。

 この2012年9月に、開発ちえさんという、慶応大学出身のもと、美術手帖のライターが、鋭すぎる言辞で、大量のコメントやらメールを送り込んできたのですが、一貫して、「あなたは、きちがいだ。精神病院へ入りなさい」という書き方でした。

 だが、読んでいて、『あれ、開発さんの方がヒステリーの発作を起こしていますね』としか、感じとられない書き方だったので、このブログでも取り上げなかったほど、無視していたのに、パソコンを壊されるという形で、彼女が防衛をされてきたので、びっくりして、書き始めています。彼女のメールはすべて、ワードに変換して、コピペしてあります。あまりにもひどい文言なので、法的な闘争に発展すれば、使わないといけません。パソコンが壊れても、その前に別の場所に保存をしてありますし、また、壊れたパソコンからも、そのデータは取り出してあるハードディスクを通じて、取り出せます。

 ただ、私の方があまり騒がないのは、どうせ、これも教唆をされて行動をしているだけで、頼んだ方がびっくりしているぐらいの勇み足にしかすぎず、こういう風にすぐテンパってしまう開発さんは、東京で、美術評論家をしている時にもいろいろ失敗はあったであろうとみていて、それゆえに、心理的に、こちらが優越感を持ち、余裕綽々であるということがあります。

 彼女が言うには、フェイスブック友達、600人に9月中に、私の悪口は流したそうですが・・・・・
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副題6、『2012年、10月に報道された成りすまし疑惑について
   ・・・・・その件に対する私の推理と判断』
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 ここで、重要な割り込みを入れます。

 私はこの10日間とか、2週間、お騒ぎになっている成りすまし誤認逮捕事件を、でっち上げではないかと、推理していました。それを6時間程度さらしていました。
 その論拠は、犯人が犯行を告白した相手の弁護士が一切取材に応じていないということと、その名前が公開をされていないということです。それを、最大の論拠にしています。

 ほかに四つぐらいあるのですが、本日は、それだけを、論拠として論理を展開しています。
 ところが、2012年10月23日19時からのクローズアップ現代で、その弁護士、落合洋司氏が初めて登場しました。一瞬ですが、・・・・・

 これをどう考えるかですが、
 一つには、私が書いてから、そこまで、8時間がたっているので、急きょ落合弁護士に、「あなたが、その真犯人から、自白のメールを送りつけられた弁護士として、顔をさらしてくださいと、頼んだ可能性。
 二つ目には、
 本当に、真犯人がいて、落合洋司弁護士のところに、本当にメールを送りつけたということ。そちらを信じるか?

 さて、私は、どちらともいえないと思うし、自分が書いている問題から考えれば、ほかの三つの原因を書けば、ある部分の人は私の発言を、信じてくれるけれど、ある部分の人は、こういうアイデアを生み出した勢力の予想した通り、

 『ネットとは怖いものだね』とか、『あの人あんなこと言っているけれど。変よ』と、思う可能性があるので、ここでは、でっち上げ説の部分を引いて非公開にしておきます。

 それは、一種の負けですが、相手は相当の人数が絡んでいて、私は一人です。ですから負けるのも当然ありです。いつもいつも勝てるわけでもないです。
 で、副題の6と、7を急きょ、引いたので、文章のつじつまが合わなくなるかもしれませんが、・・・・・先ほど、8時ごろ突然に眠くなって、そのまま放っておいて眠るつもりでした。それは、この日頃改築用の労働が続いていて、珍しく肉体的な疲労から眠くなるという毎日が続いているのです。
 気力はあるのですが、文章を完成しきれないまま眠るつもりでした。が、5分程度椅子に座ったまま眠ることができて、このお断りだけを書くことができています。
 副題8を引くか残すかを迷いますが残しておきます。
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 ところで、私はノートンのCDを三枚持っていて合計21台のパソコンを、安全対策できる体制を整えています。どういうことかというと、三台分を、二枚買いました。その次に、五台分を、一枚買っています。そのあとで、念のために(というのは、CDがどこへ行ったか探せない時があるので、次の新しいノートンCDを買ったのです。それは10台を防衛できるタイプです。三台分より、五台分が高くて、さらに10台分の方が高いのですが、値段として、10台だから、一直線で、10倍というわけではないのです。数が増えるほどお得感が深まります。で、複数台分のノートンを買うのが好きになっているのです。
 マイクロソフトも、そういう形式を、売り出してくれればいいと思っています。それは余談ですが、ノートンのことに戻れば、何枚ものCDを買っているのは、泥棒予防で隠しすぎる時があるのです。(笑) よくリスとかトンビが、冬のために、餌を貯蓄したのに、後で、取り出すのを忘れてしまうときがあるでしょう。それで、木の芽が出てくるという話を聞きますが、私もリス並みの記憶力で、『ええと、どこに隠したんだっけ?』と思うときはあります。(笑)私は、自分のデータを保存したCDや、各種のソフトが入っているCDで、大切なCDが、数百枚あるのです)で、隠し場所を忘れて思い出せない時のために、次に買ったのが、10台分を防衛できるノートンです。それは、常にバッグに入れてどんな外出にももって歩いています。
 常に最新版で防衛をしています。でもね、あのニュースでいちいち否定されるのも嫌だから、ここでそれは、引いておきます。だけど、私が引いた後で、さらに燃え盛るようでしたら、私の考えの方が正しいと判断をしておきます。
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副題8、『片桐警察庁長官は、なぜ、謝罪をしたのか?』

 副題6、と、副題7を引いたのですが、副題8は残しますと言った文章です。それは、警察庁長官について述べているので、そのパソコンのテクニックとは離れるからです。

 私がパソコンもおかしいが、身辺の周辺もおかしい。泥棒もどうも、日経新聞のコラム(警察特集)を読むと、警察がやっているらしいとなって、気にし始めた2007年から、現在まで、3人の警察庁長官が変わっています。

第21代、吉村博人、(1971年生まれ)2007年8月16日~ 
第22代、安藤隆春、 (1972年生まれ)2009年6月26日~
第23代、片桐裕 (1975年生まれ) 2011年10月17日~

 でね。私が、自分を大物だと規定をするわけの一つは、警察庁長官が直接テレビに顔をさらしたことが、二度あり、そのどちらも私に関係があったからです。
 吉村博人氏の時代には、敵は、私を見くびりきっていて、かつ、井上ひさしなどのエージェントからのサジェスチョンを、金科玉条のように信じているために、私の被害は膨大でした。陰険な攻撃やら妨害を数々やられています。

 次の安藤隆春長官は、より明るくてやんちゃで、向こうっ気が強かったです。だからやられていることが、非常にわかりやすかったです。すぐわかる。前に書いたかな。野口屋というチャルメラを利用する豆腐屋は、警官(または、刑事)が、変装しているもので、任務は私を脅かすためであろうと、は、すぐわかりました。

 そのころは私も30%主義を守り、警察については何も書いていないので、相手方は、高をくくっていたということもあるでしょう。
 でも、そのような被害を受けるからこそ、国際的軍産共同体は、日本を植民地国として支配するために警察を支配下に置いている。日本の警察とは、日本人が払う税金で養われているが、日本人を守るものではないと、発言をし始めています。

 さて、今回です。警察庁長官が、誤認逮捕について謝罪をしました。その後、各部署の警官も謝罪を繰り返しました。これですが、普通の人は、『日本の警察って、素晴らしいわ。民主主義的ですね』と思ったでしょう。
 ところが私は違います。

 『なるほど、これもまた、真犯人はどこにもいないというでっち上げ事件であったことの証拠ですね』と思うだけです。たとえ、謝罪をしても、その先に踏み込んできて、事を紛糾させ、警察を責める本当の、被害者は、実際にはいないのです。だから、安心して謝罪をすることができます。
 だって、私側の、山の上に住んでいるのに、交通事故の調書を取られるという形で脅された件では、何度、鎌倉警察署に、「当の警官たちを謝罪によこしてください」と言っても、絶対に謝罪には、来ないのですから、警察が下手に出て謝罪をすることなどありえません。

 では、どうして片桐長官が謝罪をしたかというと、もう一つ大きな理由があって、それは、事件がとても大きいもののように見せかける必要があったからです。その理由は、どのエピソードよりもKK君という私の同級生が、私のパソコンに悪いバグを次から次へと入れ込んだというエピソードが、道徳的に、忌まわしいことだからです。

 で、その男性が、やっているのではないのだということに、将来、持っていきたいので、この事件を大騒ぎで、NHKが取り上げているのです。
 この件はまた、再度も三度も取り上げないといけませんが、ここは、西部さんのテレビ番組に瓜南さんが出たことが主要なテーマなので、そちらへ話を、ここで、戻します。
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副題9、『成りすまし疑惑を、どう描いていくかについて、悩むということもないのだが、表現については、考えあぐね、それで、実は、疲労困憊をしていた』

 この瓜南さんのシリーズを書いている最中に、上記の成りすまし疑惑による、大騒動が起きたわけです。瓜南さんが、対・私用の鉄砲玉として使われたことを書くのも大変でした。それは、2人とも鎌倉の住人だから、四方八方に広がって行くからです。しかも、それを説明するためには、2011年の五月に私がフェイスブックを始めて瓜南さんと付き合い始めたわけですが、それ以前のあれや、これやも解説をしないとダメなのです。

 で、ずいぶんと間を開けて、書き続けています。でも、苦労をすればするものですね。これで、伊藤玄二郎と、石塚雅彦氏との関連が、ずいぶんと証明をされることとなりました。まだ、皆様にご納得をいただけるほどの、証明用文章は書けていないと思いますが、渡辺幸子さんに次いで、証明をされるルートです。
 そこから、国際的ニュースを利用する仕組み、(ロンドン発のニュースで支援されながら、私をいじめてきた藤田千彩さんへの分析やらは、さらに推進するでしょう) さて、藤田さんが私への攻撃を開始する一か月前に同じように利用をされたいちばゆみさんについて、考察を及ぼしていくうちに、
・・・・・
 まあ、そんなことまで行って、元へ戻します。
 
 西部すすむさんと、私を比較している最中に、成りすまし疑惑のニュースへ筆が移動をしたのでした。

 上の方で、西部さんには確かで豊かな友人関係があるだろうと述べています。それに比較して、私は脆弱だと述べていて、今、友達がどんどん、奪われているとも書いています。で、やっと初稿のその場所へ戻ることが、できました。以下は21日発の初稿の部分であり、これから、漢字変換ミスを探していきます。

 ただ、自分で作った友達や知人は、一生を通じれば五千人は超えると思いますが、今、それが、次から次へと引っ剥がされている時期です。で、西部さんは、私とは、真っ反対の位置にいるわけですが、もし、2人が結びついたら、私の地盤は相当に強化されます。
 それを恐れて、既に、明瞭に敵側についていると、私が知っている瓜南さんを利用して、西部さんと私が結びつかないようにさせたというのが真相でしょう。

 私はそれなりに、人の好意を得やすい人間なのですよ。それは、文章を読んだり銀座での様子を検討すればすぐわかることです。

 それで思い立ったら吉日と、言うほど、すぐ動く伊藤玄二郎が・・・・・どういうテクニックを使ったか、また、間に誰が入ったかは不明だが・・・・・この瓜南直子さんが、西部さんの番組に出演する番組の、企画を出し、手はずを整えたのです。
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副題9、『瓜南さんにとって、テレビに出るのは、相当に負担だったはず』

 上の判断は、2011年の8月の当時、すぐわかりましたが、このブログでは、何も述べてはおりません。だって、誤解を受ける可能性が大だからです。
 単純に、『あなたも、テレビに出たいのでしょう。単に瓜南さんをねたんでいるのではない?』と言われかねないからです。

 でもね、グループ展の開催期間中に京都と鎌倉をトンボ返りの形で、往復して、かつテレビに出るのは、相当の負担であったはずです。

 絵を描くためには、私がブログを書くために守っているような生活パターンが必要なのです。私は絵と文章の両方をやり、瓜南さんもそうでした。
 私の方は、今は、文章に傾斜していて、しかも、本の編集もしているので、パソコンの前に座る時間が毎日、12時間以上に達していますが、瓜南さんは、携帯で、フェイスブックを投稿していて、軽くそれは済ませ、後の主要な時間を絵を描くことへ費やしていたと思われます。

 毎日、毎日、同じパターンでの決まりきった生活。たとえ飲み屋に出かけるにしても、それは、週に三度ぐらいある、ある程度の、習慣化している行動だったと考えられます。

 絵を描くのは重労働です。日本画は、相当に冷静に、構築をしないといけない分野の絵画ですが、それでも、五時間も描いたら疲労困憊するはずです。そして、絵を描くとは、準備や片付けにも時間がかかるものです。瓜南さんも、高い日本画の絵具を、次の日も使えるように保存するとか、筆が痛まないように丁寧に洗うとかいう時間を入れれば、全部で八時間画質にいたとしても絵筆をふるうのは、実際には、最長でも、5時間程度だったと思います。

 テレビ出演の後では、さらに疲れて、三時間程度だったのではないかしら。そして、それに、イライラしておられたとも思いますよ。

 瓜南さんはしし座の女です。この前開発さんの返事に、ついそれを書いてしまって『違いますよ』と怒られて、『あれ、でも、誰か、フェイスブック友達の中で、とても、重要な人物がしし座だったはずですよ』と丁寧に、思い返せば、瓜南さんがしし座だったのです。
 しし座っていうのは、ナポレオンとか、ココ・シャネルという有名人がいて、派手に見えます。が、不動の星座とも言って、固着性が強く、飛んだり跳ねたりが苦手です。
 京都のグループ展というのがすでに非日常的だから疲れるのに、さらにテレビに出る。

 ここですが、女性の画家として、同じしし座の私も結構似た生活をしていたのではないかと思うのですが、お金に制限がある場合、一点豪華主義で暮らします。私の場合は版画の制作と発表、それから、本を作ることに。

 瓜南さんも日本画の制作と発表にお金はかけます。が、グループ展行われる場合、会場を使う経費は、ただとなりますし、ポスターやチラシや案内状などの印刷も相手方がやってくれます。だけど、ホテルの滞在費とか、旅費は出してもらえないでしょう。今、絵が売れません。すると、京都のグループ展そのものが瓜南さんには、損失を与えた可能性もあるのです。

 「あれ、でもテレビ出演があるでしょう』とおっしゃる方があるかしら。だけどね。先ほど来、言っているように画家って一点豪華主義ですから、しかも、発表には多大のお金がかかる人間ですから、お洋服はあまり買わない主義の人が多いのです。
 それが突然のテレビ出演の申し出でに応じて、新しい服を買いに行く。ここでは、そうなったと仮定をします。それって、ストレスになり、疲れるのですよ。結構に。健康で体力が満々にあふれているような人だと、「どうして、買い物程度で疲れるのですか」と言われると思いますが、繁華街って音がうるさく、空気は汚れています。そういう環境に身を置くだけで、体力の落ちた人にはこたえるのです。

 ここまで書いていくだけでも、その10か月後に急死をなさるのだから、既に、肝臓の機能は非常に低くて彼女の負担がどれほど、大きかったかを推察させます。
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副題10、『期待されたり、注文を受けて絵を描くのは、実はあまり楽しくない』

 さて、上までに書いたことはスケデュール的な問題です。それとお金の問題です。ここまでだけでも、伊藤玄二郎や、酒井忠康氏、それからもしかすると芸大の学長か、または、柴田悦子さんが、勧めた企画は、彼女にとって決してプラスではなかったということが、皆様にもご想像がいただけるでしょう。いただけませんか?

 しかし問題は精神の分野にあります。瓜南さんんが、泉湧寺へ上る坂で、伴さんが、自分がつかっているタクシーに、直子さんを拾ってくれなかったことを愚痴っている文章を、私が前に解説しましたね。そこに事実上は別居結婚であろうと書いています。それは、別に悪いことではありません。そのぐらいにしないと絵は描けないのです。
 つまり、自律性や、主体性がきちんと確立しているということです。

 そういう女性に対して、伊藤玄二郎やら、酒井忠康氏が、『あなたは素晴らしい。今度ガレリアグラフィカで、企画展をやらせてあげます。頑張って制作をしてください』と、ささやいたとします。

 さて、これから書く真実ですが、それは、本当に、通というか、本当の画家しかわからないところだと思うのです。
 実は、期待をされて絵を描くとか、注文を受けて絵を描くというのは楽しくないということがここで語る真実となります。

 伊藤玄二郎は、そういうところは全くわかっていなかったと思います。酒井忠康氏は一応専門家ですが、その専門は文章を書く美術評論家、または、学芸員という分野です。

 骨身を削って、制作をする画家本来の、本当の気持ちはわからなかったと思います。
 無論のこと、画家は単純ではありません。画家だって、社会に生きているので、純粋でもありながら、不純な部分も心中に持ち込んでいます。つまり、発表をするための、社交術とか、ビジネス感覚です。

 私は、63歳ごろまで、このブログの中で、「同時進行的に、5つぐらいの仕事をやっています」と書いています。瓜南さんも無論そうで、絵を描くこと、発表のために、伊藤玄二郎郎や酒井忠康氏と、連絡を取ること。最も親しい人としての伴さんとの共同の時間。それから、昔からの友達と交流する飲み屋の世界。そして、フェイスブックやツィッターの世界。

 その複雑さと重複が、プライドの源泉です。自分は普通の人以上に、働いていると、思うことが、自意識というか、エリートとしての自覚を生み、さらに、自分を駆り立て、高揚させます。

 ところがね。それは、心身ともに、健康で、すべてに対して無理をできる時の話です。
 少し不調になったり、低調になったりすると、そういう突っ走り方はできません。

 それで、私みたいに、体力の下降線のことやら、死のことを、常に考える人間は、少しずつ、やることを整理して少なくして行っています。6つの仕事を同時にこなしていたと思いますが、まず、母の介護が無くなりました。残った、5つを、4つにし、やがて、3つにしと、単純化して行っています。

 しかし、瓜南さんは、まだ50代だったと思われます。または、40代後半だったかな? となると、死を予測しません。それは、はるかに遠いことと、予測しておられるでしょう。

 すると、私のように縮小するという考え方がないでしょう。いろいろなことを相変わらず、並行してやるという生活。
 そんな中で、急激に体力が衰えてきて、なぜか信じられないぐらいに物事の完成時間が遅れてくる。

 不思議な感覚だったと思います。

 そんなときに最も助けとなるのは、清明な境地と明るい気持ち、そして、自分自身や生活の在り方に対する安心感です、それがあれば、ぽきっと、亡くなるというようなことはなかったでしょう。
 あのね、皆様、画家が生まれる動機ですが、最も主要なものは絵を描くのが好きだ。楽しいと感じるから画家になるのだと思います。
 だけど、伊藤玄二郎から、「雨宮舜(本名、川崎千恵子)より上の存在としてのあなたが必要だ」と言われ、さらに「協力してください。そうしたら、もっと、楽が上の芸術家として成長ができるように、これからも応援してあげます』、彼女から、絵を描くことがもたらす、原初にして、純粋な楽しみを奪ったのではないかと思うのです。

 個展などを依頼された時には、たいてい、日ごろ作りためたもので対応ができるものです。そういうストック用の作品を作る段階では、自発性も、自律性も発揮されて楽しいのですが、

 切迫した個展で、何月何日まで、何点作ってほしいなどと頼まれると、ちっとも楽しくないのです。

 それは、とても緩慢なストレスで、病気とも言えず、誰も気が付かなかったと思われますが、実は最後の6か月は、そういう縛りに、圧迫されておられたのではないのかなあ?

 非常に気の毒な存在だと思います。でも、繰り返しますが若くして死ぬことは伝説となることであり、芸術家としては、損失ばかりともいえないのですが。

   2012年10月21日にこれを書き始め、23日に推敲と加筆を終わる。
            雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
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