銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

神官と、ガードマン(鶴岡八幡宮)・・・・・献灯のこと

2010-08-02 16:55:43 | Weblog
 私はもちろんのこと、ここに何を書いたかは覚えております。そして、ここに、本年は八幡宮様へ献灯をしないつもりです。と、書きました。ずいぶん前のことだったでしょう。

 しかし、7月31日お若い神官が、出来上がり作品を取りに見えたのです。大いに困りました。私は家が近いので、いつも、料紙をいただいたとたんに制作に取り組み、自分からもってあがっていました。だから、もってあがらないだけで、自然消滅になると思っていたのです。
 が、そこで、お若い神官を悩ませてもお気の毒だから、「ああ、まだできていないのです」と一応、お答えをしました。その後『どうしようかなあ』と思いながら、『やはり、基本は貫くべきで、出さない方が自分の自由は残るでしょう』と、考えました。
 いただいた紙を返すかどうかですが、それは『やらない』と決めました。だって、喧嘩を売るみたいです。私はすごく勇敢なことを書いているみたいですが、実際問題として目の前にいる人と対面型で、喧嘩したことが一生で三度ぐらいしかなくて、しかも、そのすべてに決定的に勝ってしまったので、びっくりして、しまって、それ以降めったなことでは喧嘩をしないと決めたのです。

 主にニューヨークでそれを経験しました。特に大声を上げたわけでもなくて、こちらが、ぶん殴ったわけでもないのですから、余計にビックりしてしまいました。ただ、冷静なものの言い方で、「今現在トラブルになっていることは、こういう理由で、こういう結果が出ているのですよ」と私に判っている因果関係を説明しただけなのです。
 でも、勝ってしまいました。で、こっちもびっくりしたのですが、普通の人ってものを考えないのだということもはじめてと言ってよいぐらいに、知覚しました。技術的なことは考えるが、心理学的にとか、哲学的には、分析していない模様です。みずからの行動についても。それにも驚いたし、小さいころから喧嘩ひとつしないで、57歳まで生きてきた私が、いざとなったら、喧嘩に強いのだというのは、晩年に発見した、全く新しい自分像でした。で、私の場合は、喧嘩とは伝家の宝刀中の宝刀であるから、めったに抜かない事にしようと考えているのです。
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 さて、その次の日にびっくりすることが起こりました。朝四時に外出して、鎌倉のマクドナルドにいると、朝の六時半ごろお隣の紳士が話しかけてきたのです。「川崎さん(雨宮の本名)、がんばっていますね」とその人がいいます。「あ、私のこと、ごぞんじなのですか?」というと、「ええ、知っていますよ。最近、よく喫茶店にいるでしょう。この間はサンマルクカフェにいらっしゃったでしょう」と続けられて、びっくり。「どこで知り合ったのでしょう」というと、「僕、八幡宮の人間です」とおっしゃるのです。

 「え、」と、のけぞるようになります。だって、私、最近、八幡宮様にたいして激烈な調子で、きささげの件を書いていますからね。八幡宮様の人間には会いたくないです。これから、町内会費(一応地境地主のお一人ではあるので、町内会費をいただいている相手なのだ)を、班長として取りに行くときは決まりが悪いので、『一月二千円分、私が立て替えちゃいましょう』と思っていたぐらいです。

 その紳士はおもむろに携帯を取り出して、「仕事へ行くかどうかを、決めます」ですって。全体で、二十人はいるガードマンの仕事をしているそうです。別の会社を退職して入ってきた人で、喫茶店で朝の時間をすごすのは、出勤前の心の準備なのだそうです。この猛暑日ですから、気合を入れるためなのだそうです。

 ここで、この鎌倉のマクドナルドに朝、集うひとがどれだけユニークで豊かな会話を交わしてるかとか、そこから、現代の世相が見えるという話に入りたいのですが、今日はやめてそこから外へ出て、野菜市場へ向かう道の途中で考え事をした話に入ります。

 10日ぐらい前のことでした。今回の七冊目の編集をごく早朝に鎌倉でやることをはじめてから、一回目には、その野菜市場へ向かう道にも、午前7時30分なのに、警官がいて、うんざりしたことはすでに話してありますね。ばかばかしい形で脅かされて、怒りに震えたと、昨日送信した文中には書いています。だって、その一時間後、主人が出勤する時はすべて静まっているのですよ。

 しかし、マクドナルドで、「僕は八幡宮の人間です」と名乗った紳士と穏やかな普通の会話を交わした後で、若宮大路とか、小町通をたどって我が家へ向かう三回目は、町は静かでした。この町は人通りは馬鹿に多い町ですが、警官などほとんどいない町なのです。普段ならそうです。

 その日、ふと、あの人って、神様が姿を変えて、目の前に現れて下さったのかと思いまた。私は神様とか、天って、何かのサインを下さるのだと信じているのです。さっきの紳士がご自分が、働いている詰め所を『リス小屋』と呼んだジョークを思い出しながら、もしかしたら、天が「突っ張らないで、雪洞を書いて献灯しなさい」とおっしゃっているのかと感じました。ちなみにリス小屋とは、ここらあたりにリスが多いのと、小屋が極小だということをかけているのです。が、自然にほほが緩むほど、その呼び方は、おかしかったです。

 朝、八時ごろはそう思っていたのですよ。でも、昨日はこのブログで連続ものとして書いていた、「水沢勉の3」に力が必要で、ぼんぼりを制作するエネルギーがなくなってしまいました。時間も足りず、情熱もなくなって。で、夜になると、『ああ、これも自然なことで、やっぱり今年は献灯しない方がよいのかしら』と思い直していたのです。ところが今朝月曜日に、土曜日に見えた神官から、今度は催促のお電話がかかってきたのです。

 今、この本文の推敲中ですが、昨日4時ごろのそのときに、私が心の中で本当に考えたことはこの上、ワタミ社長の勘違いという項目に詳しく敷衍しました。しかし、昨日は急ぎきっていましたので、以下のように文章をまとめています。

 若い神官からのお電話は、「献灯しなさいね」という三回目のサインですから、あっさりと、かつ素直に、雪洞用絵の制作を始めました。万全のものというか、最高傑作にはならなくて、字が斜めになってしまいました。でも、私の一種の切実な感じ、そして、普段の緊張感を思えば、どっしりとした作品ができなかったのも仕方がないですね。

 今から、持参します。さまざま、心理的に分析すれば、まだまだ、複雑なことを書くのは可能ですが、一応今すぐ山を降りて、五時前に間に合うように、献灯をさせていただきます。皆様にむかっては、「出しません」と、二十日前ごろ申し上げていますから、ここで、献灯をしました。と、変更を書かせてくださいませ。小さなことのお知らせで恐れ入りました。           2010年8月2日             雨宮 舜
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