さっき見たカエルは二度嗤う

ちょっと一言いいたい、言っておかねば、ということども。

朝であう人々のこと(2)

2008-05-25 20:41:29 | ○日々のさざめき
すれ違う場所で、時間がわかる。そういう人がいる。私にとっての時計男は、たぶんどこかの小学校か中学校か高校の校長であろう。駅と反対方向に背広を着て歩いてくるサラリーマンはいない。こちらにあるのは小学校か中学校か高校だ。あの貫禄からするとヒラでないのはもちろん、教頭でも役不足だ。白髪、四角い顔にメガネ。校長でなくてはならない容貌なのである。

自宅から駅までの内に、踏切がある。いつも同じ電車が通過した後、遮断機があがると、向こうから先頭きって歩いてくるのは必ず校長男だ。私が時間通りに出てきさえすれば、電車が通過した後、必ず踏切の手前で出会う。わたしの出が遅ければ踏切より遙か手前で出会うことになる。こんなことはないが、もし私の出が早ければ、踏切の向こう側で出会うことになるだろう。校長男が時計男たる所以である。

校長男はいつもせわしなく煙草をぷかぷかしながら歩いてくる。時勢でもあり、学校ではおちおちたばこも吸えないのだろう。しかし、歩行喫煙は校長にあるまじき行いではある。注意するべきだが、「校長のくせに」と言えるのかどうかがポイントとなってくるので、やはりやめておく。

わたしがいつも見るので時計男としているが、相手はどうなのだろう。やはり、毎日顔を合わせているわけだから、向こうも私のことをいつもすれ違う男と認識しているのかもしれない。毎度すれ違う場所が違うのだから、向こうにとってはアテにもなんにもならないわけで、少なくとも彼にとっての時計男には成り得てないだろうが、それでも、お互いに見ない日があると、いったいどうしたのだろう、風邪でも引いたのだろうかと思いを馳せるのかもしれない。

彼は校長男、たぶん。