雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」と見つけてもらえたら、、そんな思いで書き記してます。

ZERO & 1900

2013-04-07 00:03:13 | 勇気...映画&音楽
1900年を迎えたばかりのある日。
アメリカ大陸とヨーロッパを結ぶ大型蒸気客船「バージニアン号」一等船室の
パーティールームにあるグランドピアノの上に、
生まれたばかりの一人の赤ちゃんがレモンの木箱に入れられ捨て置かれていました。

その子を拾ったのは、
バージニアン号の機関室で石炭と油で全身を真っ黒にしながら
毎日毎日ひたすら蒸気機関を燃焼させる重労働をしている大柄な黒人乗り組員。
彼はその子を自分の子供として働きながら船の上で育てていく決心をします。

その黒人機関員の名前は「ダニー・ブードマン」
赤ちゃんが入っていた木箱に書かれていたレモンの商品名は「T.D.レモン」
そしてダニー・ブードマンが自分の分身として赤ちゃんに付けた名前は......

「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900」......
「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・ナインティーン・ハンドレッド」

「このくそったれな新世紀の最初の年の、最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!ナインティーン・ハンドレッドだ!」

機関室の中でダニーはそう叫んでいました。

船のピアノの上に置き去りにされた子供は
機関室でひたすら石炭をくべる仕事をするダニーとその仲間達に
船をゆりかごにして育てられていきます。
そして、
もの心がついた時から船に置いてあったピアノを唯一の友達とおもちゃにして、
やがて船上の「超凄腕」ピアニストに育っていきます。

人は皆、そんな彼の事を
「天才ピアノマン!ナインティーン・ハンドレッド!」
と、そう呼びます。



......そんな話しがジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画
「THE LEGEND OF 1900 = ザ・レジェンド・オブ・ナインティーン・ハンドレッド」
邦題は「海の上のピアニスト」
名作ばかりの彼の映画の中で「ニューシネマ・パラダイス」「マレーナ」と並ぶ
3大傑作の一つだと僕は思っています。
大好きな映画です。



この映画には一つだけ、少し気になる事があります。
それは、冒頭に記したダニーが叫んだ台詞(せりふ)。。



「1900年」というのは劇中でダニーが言うような新世紀......
20世紀の「始まり」の年ではありません。
学問的に正確に言うとその前の世紀......「19世紀 “最後” の年」になります。

ダニーの言った20世紀というのは正確には「1901年から2000年まで」の100年間のこと。

現在僕らが暮らしている21世紀は正確に記すと2001年から始まっています。

5世紀といったら401年から500年まで。
そして1世紀といえば「西暦元年である1年から100年まで」の間を指します。



......なので......



「このくそったれな新世紀の最初の年の、最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!ナインティーン・ハンドレッドだ!」

という台詞は、正しくは

「このくそったれな世紀の最後の年の、最初の月に見つけたの子なんだ。。。」

という感じになります。



名匠トルナトーレが間違える!?



ううーん......



最後まで見て行くと......それは恐らく確信犯だと思います......が、
それでも見ているとその「間違えている台詞をスッと受け入れてしまう」くらい
現在の「世紀に関する定義」には
人が数字に対した時に感じる自然な感覚との「大きなズレ=100年のズレ」
があるのではないかと思うのです。

個人的にもダニーの台詞通り
「1900年が新しい世紀の始まり!」
とする方がしっくりと来る派で、
しかも1900年代は20世紀ではなく「19世紀!」と表したい派!
なのであります。はい。

1世紀と言ったら「百ナン年」と思う感覚のほうが自然じゃないかと思えますし、
同様に5世紀と言ったら400年代ではなくて500年代!と言われる方が
素直な感覚に近いのではないかと思えます。

20世紀と言ったら本当は2000年から2099年までの100年間!
と定義する方が自然に感じられる形なのではないでしょうか。
しかし実際は1901年から2000年までのこと。。


ヤヤコシイ。。


どうしてこんな事に?


......それは、「ZERO=ゼロ」の概念が含まれていないからです。


他にも幾つかの理由があるかもしれませんが、
西洋において現在のような「世紀の定義」が出来た一番大きな理由というのは
「西暦」や「紀元」「世紀」というものを記し出した時には未だ
数学的な「0=ゼロ」という概念が無かったからです。


「ゼロ」という概念が数学や算術の中に最初に持ち込まれたのは、
実は6~7世紀頃になってインドで成されたことでした。
日本へは江戸時代にオランダよりもたらされました。

もし西欧で「紀元」や「世紀」の考え方を持った時にゼロの概念があったなら
今のキリストが生まれたとされる西暦1年は西暦0年になります。
そして「ゼロ世紀」という世紀が加わり、
0年から99年までの100年間をその「ゼロ世紀」と呼ぶ事になります。

すると1世紀は100年から199年まで。
200年からは2世紀というふうになります。
なんかスッキリ!します。個人的にわ。

冒頭紹介した映画「THE LEGEND OF 1900」のダニーが叫んだ台詞も間違いでは無くなります。
1900年は「19世紀の始まりの年!」ということになります。


ゼロという概念は、
一般には「無」や「空」に近い感覚で理解されているのではないかと思います。

面白いのは、
最新の物理学では真空で何も無いと思われていた「無」であるはずの宇宙空間が
多くの微細なる物質で満たされているという事が分かって来ました。
それは一昔前に一度否定された「エーテル」的なもの。。
今は「ダークマター」などと呼ばれているものです。


これは「無」「空」は、そのままの意味での「無」「空」ではないということです。


無から有が生まれて来る......


インドでの発明を待たずとも「ゼロ」という「概念自体」は
古代から世界中の人々の中にちゃんと存在していたハズだとも思います。

さらには、
そんな感覚もきっと太古の昔から多くの人々はちゃんと知っていたと思います。

そして「何かがソコから生まれる」からには、
ソコに何かしらの「有的な何か」もきっとあるはずだ、と、
有を生む無は完全なる無では無いはずだ、と、
そんな感覚は現代人でも何となく感じられている事だとも僕は思いますし、
今よりも強く自然や地球と結びついて暮らしていた太古の人々が
そんな感覚を知らないハズは無いとも思います。

タダ単に、
人々が昔から感じてきていたそんな感覚、事実を数学や算術という
「学問的なモノの中にコノ概念が最初に持ち込まれたということがインドで起きた」
という表現がコトの真相であるのかな......と思います。


「ゼロ」というのは
つくづく偉大な発見であり、発明であると思います。

年代の記述や世紀の話しのように、
ゼロの概念が組み込まれるだけで色々なモノゴトがスキッと整理出来てきます。

そして、
故にゼロという言葉や記号、概念があるという時点で
その「ゼロ自体の実在性」を証明していると思いますし、
故にゼロというのは「無」や「空」ソノモノのことではなく、
僕には何か......

「ゼロというのは何かを生む為の根源的な種子みたいなものを含んだ世界」......

のように感じられるのです。
だから何かを「ゼロにする」というのは、
真の意味では「新たな息吹を宿らせるための作業」だと、そう思える時があります。


何かを「ゼロ」にするというのも、きっと悪い事ではないのでしょう。
きっと時に必要な事でもあるのでしょう。


何かを、また、生み出す為に。



「THE LEGEND OF 1900」のDVD。
コノ映画も、人それぞれ色々な捉え方や感想があると思います。
最近は色々なレビューもアチコチに溢れていますし。
僕の場合......
ダニーの台詞が確信的なものではないか......という事や、
少々映画とは関係ないように思われるかもしれないこのブログの途中から
後半にかけてのお話しが、実は決して映画と無関係の話しでは無いという事も
見てもらうと分かってもらえるかもしれないな......と。
とにかくコノ映画、内容は勿論、音楽が......素晴らし過ぎます。。(T.T)


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