雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

平原の丘

2013-07-21 17:31:30 | 初めに、タイトルの話
幾つかの理由があって静々と書き始めたこのブログも、
少々驚くことに、
気がつくと一年という時間が経っていました。

今迄も幾度か記してきましたが、
このブログをツラツラと書き始めた理由の「一つ」は
サブ・タイトルの中に強く込められていて、
ソコから外れないように......という事だけは自分なりに
大事に守って来ていることです。

最近は、そんな自分が大切に思う人達や、
このブログを通して新たに知り合うことが出来た素敵な人達からも
色々なメールや言葉を頂いたりもしていて......
それは、なんだか、
スタートの時にはチョット思ってもいなかったような感じで......
一年という時間を経て、少しづつ、
このブログ自体が自分にとって「大切なもの」
に育って来ている様にも......
最近はそんなことも感じていたりしています。



改めて今日、
最初の記事を眺めてみると、
スタートの記事らしく

「何故このブログタイトルなのか?」

というような話しで。
それは、
昔プロデュースしていた「」というアーティスト、
詩人にまつわる話しでもありました。
3話+αの合計「4部」の記述形態になっていて、
その4部目の記事の冒頭に僕はこんなことを記していました......

「彼女とは印象的なことが沢山あったので、
今後も書けそうなことがあればまた書ければいいなと思います」

記事にコメントをくれた方々にもそんな事を返していて......
そんな一番最初に記したブログを見ていたら、一つ、また、
有り有りと浮かんできた彼女と過ごした時間と風景がありました。
それは彼女......螢......についての直接的な話し......
というわけではないのですが、
その頭に浮かんできた風景の話しを、少しばかり、
一年ぶりに記そうかと思います。



......いつだったか、彼女......
螢と撮影クルーを連れてモンゴルにロケに行ったことがありました。
ソレはプロモーション用のビデオとCDジャケット関係の撮影のためで、
螢たっての希望の地ということでモンゴルとなりました。
クルーは彼女と僕、デザイナー、ヘアメイク、映像監督、
ムービーカメラマン、アシスタント、スチールカメラマン、
制作会社のクルー、現地コーディネーター、ポーター......
なんだかんだで人数的には10人以上。
常時ロケバス一台と、
コーディネーター用マイクロバスの二台で連なって動くような感じ。
いわゆる「モンゴルの大平原」の真ん中で撮りたい映像や絵があって、
毎日毎日、一週間ぐらい広大な平原をアチコチ走り回っていました。



ある日。
その見渡す限りの大平原の真ん中で撮影をしている時に、
僕だけ少しフリーになれる時間が出来たので、
撮影現場近くにあった
「こんもりと小高い丘」
になんの気なしに登っていったことがありました。

その行動に特に意味は無かったのですが......

その丘は平原にポコッ!と突き出た、やや急斜面の丘で、
頂上に行くまで僕の足で15分ぐらいかかったでしょうか。
モンゴルの平原ですから、
そんな丘に登ったところで特段視界が変るといった感じでは無いのですが、
それでも登ってみると、
平原の小さなウネリを全て飛び越えて見渡すことが出来る分
下とはかなり違った風景で。
途轍も無く遠くまで.......
それは自分の視力が働く限りの彼方まで......
大地と空とがくっつく地平線まで......
まるで砂漠のようにも見える広大無辺で印象的な景色でした。



しばしそんな風景に見とれていた後、
僕はフト、自分が登って来た場所を振り返って見てみました。
イソイソと動き回る螢や、
撮影クルー達がかなり小さくなって見えています(^_^)
そのチョコチョコと動き回る撮影チームの少し先には、
放牧されている多くの羊さんの群れがこれまた小さく見えます。
その周りには素早く動く生き物が何匹か......犬......でしょうか。
羊の群れを追い立てて動き回っています。
馬に乗った遊牧民の方達も何人か見えます。
その日僕らが草原で何かとお世話になった家族の方達でしょうか。
「ゲル」と呼ばれる、
遊牧民特有の円形をした移動式テント住居も幾つか見えます。
そんな景色を小高い丘の上からぼーーっと、しばし眺めていた時、
僕はこんなことを思いました。



「あれ?今のコノ自分の視界の中で、
広大な大草原の中で、
動いているモノって、、、
俺達のクルーと羊さん達しかいないな。
まぁ、当たり前だけど。。」



そしてその後、
理屈のようなものではなくて、
心からわかった?というか、
腑に落ちた?というか、
こんな事を思ったのを強力に覚えています。



「ああ、そうか......
人間て、生き物って、、、
天と地の間に存在しているものなんだ......
間にしか存在出来ないんだ......きっと......」



勿論、風や雲は動いていますし、
でもそれは地球そのものに属していて。
モグラさんやミミズさんの様に
地中で生活している生物も沢山いると思いますが、
でもそれは、そんな地球という天体規模で見てみると
天に一番近い、とても薄い上層部分であって。
卵で言えば殻の部分や、
その殻の中で生きている、というようなわけで。
空を飛ぶ鳥さん達にしても、
酸素の無い大気圏まで飛んで行くようなコトはなくて。



「この地球上の生物って天と地の間に生きてるんだ。
決して天に属しているわけでもなく、
地に属しているわけでもない。
全てその間に属している、、、そんな感じがするな。。」



それがフト、僕が丘の上で思ったことでした。
それでまた改めて、
よくよく丘の上から草原の風景を眺めてみると。
大地を覆う草原の草木達も地表に生えて、伸びて、
風に揺れ動いていて......



「彼らもまた、
天と地の間に生きるものなんだなぁ......」



と。
その時に初めて、
そんなことを強く思いました。



昔、「金八先生」というテレビドラマの中で

「人という字は、
人と人とが支え合って生きているという意味で......」

みたいな有名な「台詞」があって。
ドラマを見ていた僕も、その時は何の疑問もなく、
そんなふうに理解をしていたりもしましたが、
コノ時......モンゴルの小高い丘に登った時以来、
僕は「人」という文字よりも「人間」という文字や
言い方の方を強くイメージするようになりました。
トテモ大事なことというのは、
「人間」という文字の方によく表されているのではないか......
と、そんな気が個人的にはしてしまうのです。



そこにある「間=あいだ」という文字。



モンゴルの丘に登って以来、
その「間」という文字自体が、実は、
「人」にとってとても大事なもののように僕には思えて来ました。
それは今に至るまで、そのままずっとそう思っています。



生命はきっと、
天と地の間に生きるもの。

天の存在でもなければ、
地の存在でもない。
その間の存在。

そして、故に、
天も地も生命によって初めて繋がれる。

だから「間」を大切にすること。
間を「全う」しようとすることも人間の一つの役割であり宿命。

ブッダや仏教の説く「中庸」ということの意味。
重み。
深み。

人と人との間。



このブログを記し出して一年が経ち、
最初の記事を眺め直してみて、
そして、思うのはそんなこと。



言葉。
言葉の重み。



普段生活をしていてとかく忘れがちなことではあるのだけれど、
「言葉」はそれ自体が創造の賜物であり、
アイデアそのものでもあるということ。
時にそれは「言霊」とでも言うのでしょうか。
ブログを記す中でも痛切に感じます。
ソレは「螢」という少女詩人に
強く教えてもらったことでもあります。
言葉を尽くすことはきっとアイデアを尽くすことでもあり、
人間を尽くすことの一部でもあるのかもしれません。

「人=ひと」を尽くすこと。

「間=あいだ」を尽くすこと。

「間=ま」を尽くすこと。

その為に「言葉」を尽くすこと。

当然、行動も尽くさねばいけないのでしょう。

行動のためにも言葉は尽くされないといけないのでしょう。

僕はまだまだ言葉も、行動も、人間も、
尽くすことはできていないようです。
それもこのブログを記し始めて、
今痛切に感じていることでもあります。



平原のど真ん中にある遊牧民の古い寺院を訪ねた時の写真。
紙焼きで制作資料と一緒に書棚に残ってます。
僧侶の子供さんと共に螢はなにやら......
オスマシですな( ̄ー ̄)ニヤリッ...
どことなく?彼女の中に流れる!?モンゴルの血?
みたいなものを感じまふ。
寺院はアマリに遠いところにあったのでヘリコプターで行きました。

「機材と人が全て載せられるヘリはコレしか無い......」

と、言われ、旧ソビエト軍から民間に降ろされたバカデカイ!
「軍用ヘリ」で行ったのを覚えています。(@。@)ヒエーッ!


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コメント (6)
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