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人新世の資本論②

2021-04-29 | traveling, town walking

P60緑の経済成長は、気温上昇1.5℃未満という目標が達成可能である想定。デカップリングは、切り離し、分離で、経済が成長しても環境負荷が大きくならない方法はあるか。緑の経済成長が進むと、二酸化炭素量も増え、劇的な効率化を図らなければならない。「経済成長の罠」である。(2050年目標がCO2排出量0で、30年に日本は削減目標を45%とした。原発は綺麗なエネルギーか、水素ガスは、自然エネルギーはどこまですすむか?)資本主義は、コストカットのために、労働生産性を上げようとする。雇用を守るために、絶えず、経済規模を拡大するという「生産性の罠」がある。

P82電気自動車の本当のコスト。リチウムイオン電池はレアメタルを使う。コバルト採掘に、水質汚染や農作物汚染がある。さらに、採掘に奴隷労働や児童労働も問題がある。SDGsを技術革新で推進すると言うが、テスラやマイクロソフトアップルなどは、リチウムやコバルトがどのように生産されているか、企業トップは知らないはずがない。

P116 資本主義社会を維持したまま「脱成長」は可能なのか。資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓するシステムである。資本主義はまさに70年代、深刻なシステム危機に陥っていた。この危機を超えるために、新自由主義という政策パッケージが世界的に導入されたのである。一体あとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになれるのだろうか。経済成長を目指して、「痛みを伴う」構造改革や量的緩和を行いながら、労働分配率は低下し、格差は拡大し続けているではないか。経済成長はいつまで自然を犠牲にし続けるのだろうか。

P123 90年代後半から2000年代に生まれたZ世代はデジタル。ネイティブであり、世界中の仲間とつながっている。若い世代は、新自由主義が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化していく様を体感しながら育った。経済成長が続いて、その恩恵が多くの人にまで分配されるような状況が続いていたあいだは、人々は満足し、社会は安定していた。そころが、経済成長が困難になり、格差が拡大し、環境問題も深刻化してる。それが人新世の時代である。

P126古い脱成長論は一見すると資本主義に批判的に見えるが、資本主義の枠内で「脱成長」を論じようとすると、どうしても「停滞」や「衰退」というった否定的なイメージに呑み込まれてしまう。旧世代の脱成長派が資本主義の超克を目指していないのは、日本も同じである。例えば、広井良典は、「定常型社会」を「持続的な福祉国家/福祉社会」として定義している。資本の定義からして「資本主義」と「脱成長」のペアはありえない。佐伯啓思は、脱成長こそ資本主義を長期的に持続できるとしている。

P133資本主義にとって、成長できないものほど最悪なものはない。企業はゼロサムゲームの中で、労働者の賃金を下げたり、リストラ、非正規化を進めて経費削減を断行したりする。

P134資本主義は経済成長が人々の繁栄をもたらすとして、私たちの社会はGDPの増大を目指してきた。だが、」万人にとっての繁栄はいまだに訪れていない。アンチテーゼとして脱成長は、GDPに反映しない。人々の繁栄や生活の質に重きを置く。量から質への転換だ。経済格差の縮小、社会保障の拡充、余暇の増大を重視する経済モデルに転換する。

P141近年進むマルクスの再解釈のカギとなる概念の1つが、コモンあるいは共と呼ばれる考えだ。

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