2日目。
朝から雨が降ってましたが、そのうちに止んできたので
「大樹寺から岡崎城に行ってみよう!!」と計画。
この大樹寺というのは松平家の頃からの徳川家の菩提寺で、
先祖たちと歴代の徳川将軍の等身大の位牌が安置されてます。
また、桶狭間の戦いで属していた今川軍が敗れ
落武者のようにして帰ってきた松平元康(家康)が城を前に一時この寺に入り
「運がない自分は追っ手に討たれるより、
父の墓前で切腹する」と言い出したので
住職が「貴方はまだ若い。生きて泰平の世を作るため闘うのが使命だ」と諭して
後に旗印にする『厭離穢土 欣求浄土』の言葉を与えたそうで、
非常に家康と徳川家に所縁が深いお寺です。
参拝するのに受付に行ったら、
自分はこの時に着替えなどを詰めたリュックサックを背負ってたんですが
「重そうだから、よければ預かりますよ?」と言ってもらえて
おかげでゆっくり拝観できました。
混んでなかったからというのもあったのでしょうが、
親切なお気遣いがありがたかったです。(感謝!!)
有料の奥の間にはかつて将軍や大名の控室になってた部屋や襖絵や庭、
そしてさっき書いた「位牌の安置所」がありました。
やはり、中でも家康のは扱いが別格で位牌のほか木像も有ったり。
二代将軍秀忠の位牌は等身大の物以外に妻の江と並んだ位牌も。
等身大というので、だいたい160未満~150㎝代が多い中、
五代綱吉だけが120㎝代とやけに低く(8才で亡くなった七代家継の130㎝代より低い!!)
更に六代家宣の説明文には「悪政をただし」とか書いてあって
「背は事実のまま(ちゃんと遺体の身長を測る係もいて、
かなり正確に作られてる)と言え
仕方ないけど扱いが何気に悪く見えるな。(苦笑)」と思ってしまいました。
あと、松平家の先祖たちの説明で当時で80超や70代まで長生きしたとされてる人が案外多く。
「これが正確かはともかく、
長命な体の遺伝子を家康は隔世遺伝で幸運にも継いでたのかも?」と。
(ただし、家康の祖父や父は暗殺されて若くして亡くなってるのですが)
なかなか興味深かったです。
朝から雨が降ってましたが、そのうちに止んできたので
「大樹寺から岡崎城に行ってみよう!!」と計画。
この大樹寺というのは松平家の頃からの徳川家の菩提寺で、
先祖たちと歴代の徳川将軍の等身大の位牌が安置されてます。
また、桶狭間の戦いで属していた今川軍が敗れ
落武者のようにして帰ってきた松平元康(家康)が城を前に一時この寺に入り
「運がない自分は追っ手に討たれるより、
父の墓前で切腹する」と言い出したので
住職が「貴方はまだ若い。生きて泰平の世を作るため闘うのが使命だ」と諭して
後に旗印にする『厭離穢土 欣求浄土』の言葉を与えたそうで、
非常に家康と徳川家に所縁が深いお寺です。
参拝するのに受付に行ったら、
自分はこの時に着替えなどを詰めたリュックサックを背負ってたんですが
「重そうだから、よければ預かりますよ?」と言ってもらえて
おかげでゆっくり拝観できました。
混んでなかったからというのもあったのでしょうが、
親切なお気遣いがありがたかったです。(感謝!!)
有料の奥の間にはかつて将軍や大名の控室になってた部屋や襖絵や庭、
そしてさっき書いた「位牌の安置所」がありました。
やはり、中でも家康のは扱いが別格で位牌のほか木像も有ったり。
二代将軍秀忠の位牌は等身大の物以外に妻の江と並んだ位牌も。
等身大というので、だいたい160未満~150㎝代が多い中、
五代綱吉だけが120㎝代とやけに低く(8才で亡くなった七代家継の130㎝代より低い!!)
更に六代家宣の説明文には「悪政をただし」とか書いてあって
「背は事実のまま(ちゃんと遺体の身長を測る係もいて、
かなり正確に作られてる)と言え
仕方ないけど扱いが何気に悪く見えるな。(苦笑)」と思ってしまいました。
あと、松平家の先祖たちの説明で当時で80超や70代まで長生きしたとされてる人が案外多く。
「これが正確かはともかく、
長命な体の遺伝子を家康は隔世遺伝で幸運にも継いでたのかも?」と。
(ただし、家康の祖父や父は暗殺されて若くして亡くなってるのですが)
なかなか興味深かったです。