あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

Aiming for Death

2018-11-18 04:09:02 | 随筆(小説)
もう死のうかな。
十年振りに、俺はそんな絶望にうちひしがれて。
原因は、たった二つ。
前歯が虫歯で欠けたこと。
俺の小説を心から賞賛してくれた真の読者を喪ったこと。
喪った理由は、俺の悲しみが彼には届かなかったから。
だから死にたくなった。
十年振りに。
もうこの際、総入れ歯にしようかと一瞬想った。
三國連太郎のように。
それで青汁と空気だけ吸って生きて死のうかと想った。
絶望的だった。
みんな死ねばいいのにと想った。
みんな死んで家畜に生まれてきたらええのにと想った。
そしたら俺の前歯が欠けたことなんてどうでも良くなる。
俺の為に、俺の為だけにみんな今すぐに死んで欲しいと切実に想った。
もう誰の顔も見たくない。
すべて塵と化し、宇宙でただ一つ、俺の前歯が欠けた悲しみだけが存在し続ける。
永久に。
永久死。
永久歯は永久死し続ける。
物質がないとは、物質でないものもないということ。
物質があるとは、物質でないものもあるということ。
そんなこともわからんのかあ、ど阿呆。
止まった地上とその地下の容れ物の中の米が、砕け散って流星となる。
人類が歯を喪うとき、心から後悔する。
利己主義に生きてきたことに歯軋りし、胸を鷲掴みにして衣を引き千切って断末魔の中に泥の海の底に沈んで逝く。
真っ赤な夜空にはとんびが旋回して白い細菌の雨を降らす。
シトシトビッチャビチャ。シトビッチャ。シートービッチャー。
慟哭の亡骸の小舟に乗って、イエスが岸辺に着いた。
誰も居なくなった地上に。
痴情の果てに。
死霊たちの呻き声が聴こえるなかにイエスは地上に降り立った。
何万回、この地上に降り立っては何もかもを喪って去った。
『君はサッタンか。』
『幻に執着し、死んで逝け。』
『何一つ尊くはない。とは、すべてが尊いと言っているのと同じだよ。』
『あなたが最も尊い。とは、すべては尊くはないと言っているのと同じだよ。』
『貴女の前歯が欠けた。とは、貴女のなかに何一つ欠けることはない。と言っているのと同じだよ。』
『何一つ欠けることはない。とは、すべて欠け続ける。と言っているのと同じだよ。』
『貴女は欠けることは何一つないし貴女はすべてに欠け続ける。』
『貴女の前歯は永久に欠け続ける。貴女の永久歯は永久に欠け続ける。貴女は永久に絶望の夜にいて、貴女は光で在り続ける。パンが無ければ血を飲めば良いじゃない。』
『血を飲むのが厭ならパンを食べれば良いじゃない。』
『パンをかじれないなら血に浸して飲めば良いじゃない。』
『貴女の永久死は永久に絶望の夜にいて、永遠に光に在り付き続ける。』
『光を咬めないなら闇に浸して飲めば良いじゃない。』
『地獄温泉で人肉キムチを漬けたらええじゃない。』
『虚しい一生を送って何千年と慚愧に苦しめば良いじゃない。』
『火の雨に八つ裂きにされる未来を待ち受けて、思う存分肉を頬張れば良いじゃない。』
『頭おかしくなって閉鎖病棟で薬漬けにされて三年後に消滅したら良いじゃない。』
3時間ちょっと転寝こいて俺は起きた。
今は午前2時24分。
太宰治、享年三十八歳。死んだ六日後は、三十九歳の誕生日であった。
愛してもいない女と、心中死。
誰一人にも、自分の悲しみが届かないと感じる悲しみ。
その悲しみのなかで、太宰は死んだ。
イエスは言った。
「誰かを特別に愛したところで、誰かから特別に愛されたところで、一体なんの意味があるんやろうか?」
イエスは人々の幸福を虚しきことだと言い切った。
彼は神に愛され、神を何よりも愛していた。
神を愛するとは、すべてを同等に愛するということである。
イエスは俺に言った。
「前歯が欠けて、その上、真の読者に貴女の悲しみが伝わらなくて喪ったことで貴女が絶望しているのは、貴女が神を愛していないからだ。神を愛しなさい。それ以外で、貴女に救いは無い。つまり永遠に虚しい絶望のうちに貴女が生きるということである。」
一歳児の目の前のイエスが、俺に向ってそう言った。
そして言い終わると泥の海に泳ぎに行った。
そして川獺の姿で帰って来て、俺の目の前に咥えて持ち帰ってきた一匹の魚を地に置いて俺を見上げた。
イエスは俺に向って言った。
「ほら御覧なさい。一匹の魚が苦しんでいる。一体だれがために、この魚は苦しんでいるのだろう?」
魚は呼吸が出来なくて苦しそうに地の上で跳ねた。
イエスはまた言った。
「此処には泥の水しかありません。泥の水でこの魚は生きてゆくことはできません。なのでわたしが連れて来たのです。」
魚は跳ねながら瀕死の断末魔の苦しみに助けを請うている。
俺は全身が血塗れて地に横たわっていた。
その血は俺が今まで殺して食べてきた動物たちの血である。
血の水溜りで魚が跳ね続ける。
真夜中の海辺で、川獺の姿をとったイエスが俺をじっと見つめている。
川獺のお腹がきゅるるるるるぅと大きな音で鳴った。
どうやら川獺のイエスは御腹を空かしているようだ。
その時、どこかからわらわらと猿の群れが現れ、死に掛けているその魚を俺とイエスの目の前で火で炙って取り合いながら食べ始めた。
猿は叫んだ。
「俺は生き残るがおまえらは死ね。」
よく観ると、人間だった。
人間が毛むくじゃらでケツが赤いというだけで、猿と見分けが付かないということがわかった。
猿たちはうきききききと鳴いてどこかへ行った。
残された魚の骨には、まだ身が付いていた。
川獺のイエスがそれに近づき、くんくん臭いを嗅いだ。
そして俺に向って言った。
「なんて気持ちの悪い臭いだろう!」
そして排泄を俺の目の前で行なうと今度はみずからの排泄物をくんくん嗅いで言った。
「わたしのうんちのほうが何億倍と良い香りがする!」
俺は魚と川獺の排泄物を臭ってその臭さを匂い比べた。
川獺の排泄物のほうが数億倍臭かった。
俺はイエスを愛し、イエスを崇拝した。
イエスは俺に向ってくるんと身を翻して回って尻尾をがじがじして毛繕いをしたあと言った。
「わたしに着いて来なさい。」
俺は疲弊した重い身体を起き上がらせ血を滴らせながらイエスの後を着いて行った。
「お金を貸して欲しいと頼む人と共に何マイルも行きなさい。」
イエスは歩きながらそう言った。
「迫害してくる者の為に、自分の食べる物を与えなさい。」
飢えた川獺の姿のイエスは痩せ細って毛並みも酷かったが、しっかりとした足取りで歩いて行った。
何も、何も、食べるものがない。
イエスと共に、俺は何マイルと歩いた。
荒れ果てた荒野を。
何一つ、食べられるものも飲む水も一滴もなかった。
気づけば俺と川獺の排泄物の臭いは無臭になっていた。
俺はあまりの苦しみにイエスに向って言った。
「イエスよ。もう歩けません。もう一ヶ月近く、食べても飲んでもいません。」
川獺のイエスは振り返り言った。
「右の腕が貴女をゲヘナに投げ込むならば、それをわたしに食べさせなさい。」
俺は右の腕を第一関節のところで折り畳みナイフで少しずつ切って行った。
あまりの激痛に何度も気絶した。
するとイエスは自らの排泄物を俺に食べさせた。
不思議なことに痛みが大分と和らいだのだった。
捥いだ右腕を、イエスの前に差し出した。
イエスはくんくん嗅いで言った。
「なんて臭い腕だろう!これはわたしの食べ物ではありません。」
俺は嘆き悲しんで叫んだ。
「嗚呼!死んでしまいたい!」
イエスは俺に言った。
「貴女が死を求めるならば、死をわたしに食べさせなさい。」
俺はそうしてこれまでの、すべての虚しき事象を捏ねて真っ黒な団子を作り上げた。
川獺はその黒団子を食べるとすぐに排泄をした。
そしてくんくん嗅いで言った。
「これも相当臭いけれども貴女の右の腕のほうが何億倍と臭い!」
俺は嗅いで嗅ぎ比べてみた。
双方はとてつもなく臭く、その臭さの違いは俺にはわからなかった。
だが、此処に来て、俺はとても驚いたのだった。
これほどの臭さがあるとは、それはとてつもない数の存在たちの集合体だということだからだ。
しかしイエスは、みずからの排泄物を指差し、はっきりと俺に言った。
「これが、死だ。」
「死と言う、宇宙だ。」
「とんでもなく臭いが、貴女の右腕のほうが遥かに臭いのである。」
「貴女はそれを知る必要がある。」
俺は叫んだ。
「嗚呼!神との分裂!大いなる分裂!神とわたしの中間が死であったとは!」
「神と最も遠いわたしと神の中間にすべての存在以前が詰まっていたとは!」
「神よ!御憐みください!わたしは死へ向かって歩いているのです!」
すると白い川獺のイエスはわたしの膝の上に丸くなって眠ると言った。
「そうだよ。だからしっかりと、前を向いてひたすら歩きなさい。死を目指して、生きなさい。」