あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

神からの贈り物🎁ー番外編ーその後ー

2017-11-26 01:36:09 | 物語(小説)
神からの贈り物には別の時間軸のその後の話があるという。

あの話のその後は実際は彼女が恋人の最後の涙を見たあと、感動すると同時に発狂し、死ぬまでの二十年間を閉鎖病棟で姿の見えない恋人に微笑んで話しかけ続けるという痛ましくも悲劇的な話を唯一、Washed Out のドリーミーで優しい音楽が恰も神の慈悲の如くに救いをもたらしているという物語である。

しかしこの物語には、もうひとつ、作者が考えた話がある。

実はあの仕掛けを考えたのは他のたれでもない、彼女の恋人自身であったというもうひとつの物語である。

ではその物語を、彼自身に語っていただこう。それはこういうわけです。

わたしがあのトリックを仕掛けるちょうど一週間前のことでした。
愛するわたしの恋人が、或晩わたしに語ったのです。
彼女はわたしに告白しました。
彼女の最愛の父を喪ったその悲しみについて。
彼女は父と、とても強い相互依存関係にあったことを。
その父を喪ってから、自分は死体のように生きてきたということを。
わたしはそれを聴いた時点で、とても深い喪失感に苛まれました。
何故って、彼女とこんなに愛し合っているのはこの世界にわたしだけであると信じていたからです。
しかし彼女の話には、まだ続きがありました。
彼女はお酒を嗜みながら、わたしに話してくれました。
実は兄とも、同じく父と似たような相互依存関係にあるのだと。
わたしは父とも兄とも、どこか恋人のような感覚で接してきた。兄への愛は父への愛と同じほどのものに想うと。
わたしはそれを聴いて、言い様のない嫉妬に駆られました。
彼女の父親への愛情は、義父がこの世には存在しないということでどうにか許せる部分がありますが、わたしにとっての義兄は、この世界に生存しているのです。
彼女は父よりも、いつでも兄のことを心配し、会いたいという想いを抱えて生きているのは違いありません。
わたしの義兄に対するジェラシーは、果てしなく、わたしを苦しめ続けました。
わたしは或晩、彼女がわたしと義兄のどちらを愛しているのかを知りたいと激しく願いました。
それを知ることができるなら、どんな手段でも構わないと想ったのです。
わたしはそして、彼女の兄を、拉致し、わたしも拉致されたかのように見せ掛け、どちらを彼女が救い、どちらを見殺しにするかを彼女に選択させるというのはどうだろうと発案しました。
もし、それで彼女がわたしを選ぶのなら、彼女は兄より、わたしを愛していることを知ることができる。
この拷問にも想える苦痛から、わたしはようやく解放されるでありましょう。
また彼女と、楽園のような喜びに満ちた生活を送ることができるのです。
わたしのこのタクティックス(tactics)を、止めようとするわたしはこの脳内には最早存在しませんでした。
そのため、"それは"、実行されたのです。
そして、あのような結末を迎えたというわけです。
わたしは、絶望の底に、打ち堕とされ、這い上がるすべを持てませんでした。
あのあと、わたしは自分で拘束具を外し、義兄の拘束具をも外して、眠ったままの彼を家まで送り届けました。
腹いせに、乱暴の一つや二つ、したい想いはありましたが、わたしの誠実な性格が、それを許しませんでした。
そしてあの晩、わたしは彼女と暮らすマイホームへ帰りました。
ドアを開けて中に入ると、彼女が驚いた顔で出迎え、わたしに向かって「生きてたの?」と言いました。
わたしはあのあと、何故だかわたしを拉致した者に静かに拘束を解かれ、助けられました。と彼女に仕方なく嘘をつきました。
彼女はわたしの目を、じっと見ることもできないほどの負い目に苦しんでいる様子に胸が心底痛みました。
わたしは彼女を強く抱き締めましたが、彼女はそれを拒みました。
その日から、彼女はどこか、わたしを避けたがっているかのように、幾度もわたしを拒むことがありましたが、わたしは諦める訳には、いきません。
彼女の愛なしでは、生きて行くことはできないのです。
そう泣きながら彼女に言うと、その晩だけ、彼女はわたしを抱いてくれました。
わたしは母を知らないので、まるで彼女はわたしの母のようです。
こうして、わたしたちの、幸福なる拷問の日々は、ずっとずっと、続くことでしょう。
あの死神が、わたしたちを迎えに来るまで。

















Washed Out - Don't Give Up [OFFICIAL VIDEO]