ありのまま日記

死後の世界と霊的気付き

あなたは死後の世界へ行ったことはありますか?

 
でも本当にそれは死後の世界なのでしょうか?どうやら死後の世界にも次元があるようです。
 
魂が肉体から抜けると、ライトレビューと呼ばれる『光の中で生涯の回顧録』を垣間見るそうです。
 
臨死体験をした方々の手記などを読むと、実に興味深いことが書かれています。
 
とても興味深いのは、自分が他に与えた痛みを実感することができるということです。
 
それは例えば武器商人だったら、武器を売り、その武器爆弾などを落とした住人の痛みや苦しみを直接的に味わうことになるのだそうです。
 
これだけの臨死体験は、もしも肉体に魂が戻ってこれたなら、人生は180度変えることができるでしょう。
 
しかし、臨死体験にも次元の違いがあるようで、臨死体験をしたというある経営者を知っていますが、従業員の痛みなど知る余地もないようです。これは臨死体験というものではないのかもしれませんね。
 
 
 
さて、肉体を離れた魂は肉体にいた時よりも、より感覚的になると言われています。
 
このブログの読者さまなら常日頃から感覚的に生きておられると思います。
 
臨死体験を感じる時、光の回顧録へと進むことは、『気付きを魂に齎すために』自分の内側次元・心の中へと回顧の旅をすることなのだと思います。
 
例えば、常日頃から気付きを持ち生活をしていたら、私たちは死後の世界へ行く必要などないのではないでしょうか(もともと死などないのですから)
 
魂が肉体を離れ意識体だけになることは単なる次元移動であり、眠っている時などにも頻繁に起こっていることと、あまり変わりはないと思います。
 
自分の内側・心の中・意識の中を回顧するということは、自分はどんな人生を歩んできたのかを自分で確かめる機会です。
 
自分のこだわりを含めた観念概念などが、自分自身を評価するということではないかと思います。
 
例えば、善悪を判断できない純粋な人が肉体から魂が抜け回顧録に至った時、光の中で自分の生涯の善悪を判断するでしょか?多分…それはできないと思います。
 
ですから、物事に対して良い悪いの判断は止めましょうと言うのです。
 
他を判断する基準を持つことは、結果いづれ自分自身を判断することになるのです。
 
気付きを持って生活するということは、日常的に光の中にいるということであり、自分の行い思いに光を当てている状態なのだと思います。
 
自分の行いや思いが、周りにどんな影響があるのか敏感であることは、この星に肉体を持ちながら、分離感を超えた命のレベルで一体感を持つことであり、生きながら死後の世界を体験しているということなのです。
 
一人一人がどんな意識で、日々何を思って生きるのか…目に見える世界では、そんなことどうでもいいようなことですが、エネルギー磁場の領域においては、実はとても重要なことと言えます。
 
神界へと向かう魂には、死はないのですから、この次元で気付きを全うする必要があると思います。
 
要するに、この次元で意識的に臨死体験をすればいいのではないかということです(笑)
 
さて、管理人…早速行動に移りたいと思います。
 
この次元において、思い出せる範囲ですが、今生の回顧録を巡り、『ごめんなさい』の懺悔の旅へと、ちょっと出かけて参ります(笑)かなりの勇気がいります。
 
できればエーテル層でも回顧録を流してもらえようお願いしたいものですね。
 
あなたも、自己回顧録に沿って懺悔の旅はいかがでしょうか?(笑)
 
私たちは神界へと向かっています。
 
 
 
 
 
 
あるがままで
 
 
 
 
 
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