ありのまま日記

オリンピックとは武器を使わない戦争

*水谷隼、張本氏の喝に「戦場なので」 ガッツポーズに理解求める

 
歴史的勝利の瞬間、喜びが全身を駆け巡った。強烈なフォアハンドで試合を決めたエース水谷は、両拳を握ったまま後ろに倒れ込みガッツポーズ。男子団体初のメダルを決め、「今回の目標は個人と団体のメダルだった。シングルスは自分の夢、団体戦はみんなの夢をかなえたかった」と喜びを爆発させた。

そりゃないぜ、張本さん-。野球評論家の張本勲氏がTBS系「サンデーモーニング」で、自身のガッツポーズに「あれはダメだよ。手は肩から上に上げちゃダメ」と喝を入れたことについて、

「もちろん話題になってるので知ってる」と水谷。

自身が掲げる「卓球のメジャースポーツ化」に向けての“洗礼”の一つとも言えるが、
「(ガッツポーズは)遊びじゃなくて、命を懸けてるので(喜びが自然と出る)。相手も命を懸けて来る。戦場ですからね」と、卓球界のオピニオンリーダーとして理解を求めた。

もちろん卓球界においても礼節は重要視される。この日も試合後、健闘をたたえ合う握手は欠かさなかった。

(転載終了)

**************


金メダルに大手をかけた卓球のエース・水谷選手。

彼はここでオリンピックを戦場だと言っていますね。国と国が闘い、金メダルを競う、遊びじゃない命懸けの真剣勝負。
 
そして勝利した時思わず出てしまったガッツポーズの仕方にクレームを付ける大人。
 
闘うことを洗脳された人々には、負けた選手への配慮も礼儀として教育されるらしい。
 
先日の柔道の試合では、試合後の握手を拒んだエジプトの選手は帰国処分となった。命懸けの闘いをして負けた直後、心の整理がつかず握手ができないという選手の気持ちは尊重されない、まさに闘う奴隷です。
 
スポーツ界では、命懸けで戦う相手に配慮と礼儀が必要なのだそうです。生きるか死ぬかの血なまぐさい戦場に本当に礼儀が必要なのでしょうか?
 
スポーツは体力作りのレベルならまだしも、対戦する上ではフェアプレイを重視されます。
 
しかし競争社会におけるスポーツの根底にあるのは勝ち負けです。
 
本当に相手に礼儀を尽くせというなら、相手に勝たせるために闘うことを止めればいいんじゃないでしょうか。
 
選手はこの矛盾とどう向き合っているのでしょうか?
それとも何も考えていない?
 
闘うって、一体誰のため、何のためなのでしょうか?
 
 
 
 
 
あるがままで
 
 
 
 
 
 
 
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