アルゼンチンのテレビをインターネット経由で見ていました
が、メルセデス・ソーサの葬儀は国葬級でしたね。
テレビ番組も緊急に特別番組になり、たくさんの人々が葬儀
に訪れ、「ブラボー!ネグラ!」「オートラ、オートラ
(アンコール)」とまるで彼女の最後のコンサートのように
声をかけていました。
シルビオからもいろいろとソーサとの思い出話を聞きました。
シルビオがソリストとして活動していた20代の頃、31歳の
メルセデス・ソーサと出会ったのだそうです。
一緒にヨーロッパツアーに行った話、ステージでの数々の
逸話、カーレーサー級に運転がうまい話、想像しながら
ワクワクしてしまいました。
2年位前、息子さんのファビアンさんから沖縄に電話が
かかってきました。
私が受けたのですが、その後シルビオに変わり、電話は
メルセデス・ソーサに継がれました。
「アルゼンチンに来るんだってね、私が手料理作るわよ」
と彼女は言っていたそうです。
アルゼンチンでは、彼女が怪我をしてしまったために、
結局会えずじまいだったのですが・・・
シルビオが彼女と交わした最後の会話だったと思います。
が、メルセデス・ソーサの葬儀は国葬級でしたね。
テレビ番組も緊急に特別番組になり、たくさんの人々が葬儀
に訪れ、「ブラボー!ネグラ!」「オートラ、オートラ
(アンコール)」とまるで彼女の最後のコンサートのように
声をかけていました。
シルビオからもいろいろとソーサとの思い出話を聞きました。
シルビオがソリストとして活動していた20代の頃、31歳の
メルセデス・ソーサと出会ったのだそうです。
一緒にヨーロッパツアーに行った話、ステージでの数々の
逸話、カーレーサー級に運転がうまい話、想像しながら
ワクワクしてしまいました。
2年位前、息子さんのファビアンさんから沖縄に電話が
かかってきました。
私が受けたのですが、その後シルビオに変わり、電話は
メルセデス・ソーサに継がれました。
「アルゼンチンに来るんだってね、私が手料理作るわよ」
と彼女は言っていたそうです。
アルゼンチンでは、彼女が怪我をしてしまったために、
結局会えずじまいだったのですが・・・
シルビオが彼女と交わした最後の会話だったと思います。
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