骨髄異形成症候群(MDS)と向き合う

2020年1月末梢血幹細胞移植 
2023年7月再発 
2023年12月臍帯血移植

味覚障害 その後

2022年03月18日 | 日記

移植前の処置の一つに抗がん剤があります。

私の場合は3種類使用したと思いますが、

その副作用がけっこう酷くていろいろな症状が出ました。

 

その一つが味覚障害です。

口中の粘膜が爛れるので、味覚だけでなく触感も変わります。

柔らかいはずのご飯が砂を舐めるような感覚で味は生の小麦粉みたい、

他の食品も全く本来の味とは違ったので

一時は病院食を口にすることができず、点滴に頼る時期もありました。

 

そのうちに牛乳(特に明治のおいしい牛乳)と炭酸水が飲めるようになり、

やがて柑橘(その時期はせとか)、いちご(表面を食べるのは禁止だったので芯に近い部分だけ)、じゃがりこなど口に出来るようになりました。

 

退院後も味覚障害が続き、何を食べても本来の味を感じなかったのですが、

ある日、知人から頂いた新米がとても美味しく感じられて 治った!? と思ったのですが、

市販のコメはやっぱり不味くて・・・・・

でも酢飯など酸味があるものは段々と食べるようになりました。

 

抗がん剤による味覚障害は半年ほどで治る人が多いそうです。

長くても1年位、中には一生続く人もいるそうです。

 

私の場合、抗がん剤から半年経った頃は回復の実感はほとんどなく、1年経っても少しは良くなったもののまだ本来の味には遠いものが多く、2年経ってようやく回復感が出てきました。

何を食べてもほぼ本来の味。

 

と 思っていたのですが、

 

先日、葬儀の前夜、

葬儀場に残っていた私とダンナに義姉が夜食として野菜の煮物を届けてくれました。

前日からテンパって食欲がなかった私ですが、

大きな丸っこい里芋を食べてみるとすごく美味しかったので

 

翌日

「昨日は食欲がなかったのに、里芋がすごく美味しかった!」

と言うと

義姉「里芋?」

「うん、大きい丸っこいの、美味しかったあ~」

義姉「・・・?? 里芋? 入れてなかったけど?」

「え? このくらいの丸の」

義姉「それ・・・・・ジャガイモ・・・・・」

 

テンパっているのと疲れのせいもあったかもしれないけど、

 

味覚も食感も治っていない

 

一生完治しないのかもねえ。

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ファイザー ファイザー モデルナ

2022年03月15日 | 日記

3回目のコロナワクチン接種に行ってきました。

1回目、2回目はファイザー、3回目はモデルナです。

 

1,2回目は接種後の副反応は全く無し。

ですが

モデルナは副反応が出やすいというので

発熱に備えて氷を作ったり、水やアイスクリーム、栄養ゼリーなどを買い、

ロキソニンやカロナールの在庫も確認。

で、結果は、

接種2~3時間後から接種部位が痛み出し、

夜には腕にまんじゅうを張り付けたようにポッコリと腫れあがっていました。

 

ただでさえ、左腕には五十肩と思われる痛みが続いており、

その上にもう一つ痛みを張り付けた感じで

夜は寝返りに苦労しました。

 

それ以外にはこれといった症状もない

と思っていたら

接取から24時間経過した辺りから

熱っぽっくてだるくなり、何もする気力がなくなった。

体温を計ると平熱よりも0.4度高いが、氷で冷やすほどではない。

が、アイスクリームを口に入れると心地よい。

 

翌朝には熱っぽいのは取れましたが、腕の痛みは続き、

それがやがて痒みに変わったけれど

今日はワクチンの副反応らしき症状は全て消えています。

 

接取前日まではGVHDによる間接の痛みと頭痛と微熱、それに五十肩(?)、葬儀関連の疲れなどでかなりしんどかったので、

それに比べればワクチンの副反応は軽く終わったというイメージです。

その分、出来る抗体が少ないのかもしれませんが。

 

今回も出来る抗体量を調べる研究に参加のため

接種前に大学病院で採血、その後、移植後のワクチン接種をお願いしている病院に寄りコロナワクチンの接種。

次回の定期外来でもう一度採血して

コロナワクチン接種の前と後で抗体量の比較をします。

 

居住地と大学病院とワクチン接種の病院はそれぞれ自治体が違うので

ワクチンの予約がWEBではできず、居住地外での接種理由の用紙を提出しなければなりません。

電話の予約はなかなか繋がらないし、病院同士の予約時間を同日になるよう大学病院に連絡しながらの予約になるし、時間と交通費がけっこうかかるし、遠いから疲れるし。

 

よかれと思って研究参加に同意したけど、ちょっとしんどいわぁ。

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今、沁みる歌 防人の詩 群青 愛しき日々

2022年03月09日 | 日記

人類は多くの戦いを経て、それがいかに愚かであるかを学んだ筈だ。

まさか今の世にこんな惨劇が起きるとは。

 

私は余命宣告を受けた時、

人生は一度きり、やり直しが効かないものだということを改めて思い知らされた。

ロシアの兵士もウクライナの兵士もウクライナの国民も、皆命の重さは同じだ。

一度きりの人生を他国の人が武器を持って奪うことが許されるはずはない。

 

骨髄移植(末梢血)で見ず知らずの方から造血幹細胞を頂いてからは

無償の愛、ボランティアで人を助ける姿などを見ると前にも増して感動を覚えるようになった。

避難したウクライナの人々を隣国の人々が暖かく受け入れる映像を見る度、心からありがとうと言いたくなる。

 

家を失った人、家族を失った人、家族と離れ離れになった人、避難できないでいる人・・・・・

この悲劇が一日も早く終息しますように。

 

遠い昔のことを歌った歌だと思っていた・・・

今、改めて心に沁みる歌。

映画【二百三高地】主題歌 ~さだまさし『防人の詩』

 映画【連合艦隊】主題歌 ~谷村新司『群青』 

時代劇【白虎隊】主題歌 ~堀内孝雄『愛しき日々』 

 

 

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義母を見送ることができました。

2022年03月07日 | 日記

数年前、義母が脳梗塞を発症したのとほぼ同時期に

私の病名確定、余命宣告。

 

義母は退院後、介護施設に入所。

私が移植した頃からコロナが流行したため面会もかなわないまま

先日、義母は旅立ちました。

 

数え年は101歳、満年齢はあと一ヶ月で100歳でした。

コロナの新患発生数は現在高止まりなので、

お葬式は近親者のみで行いました。

 

私が余命宣告を受けた時、

義母よりも私の方が先に逝くであろうと思い、

遺影用の写真、お寺のお布施や戒名料等に使う不祝儀袋を2組用意していました。

 

ですが、予想に反して私よりも先に義母が逝き

私は見送る側となり、小さいながらも葬儀をすることができました。

 

葬儀の手順や祭壇の祭り方など、子どもたちに伝えることができたので

ちょっと安堵です。

 

それに、義父と義母の命日が同じになるという偶然 ❕

忘れにくい。

 

義母の食欲が落ちたという知らせから亡くなるまで、

ほんの数日だったので結構ドタバタでした。

 

1月の私の定期健診時、

プレドニゾロンを1mg減量したのですが、

その影響が今回は関節に出てきて、

指の節々まで痛みや張りがあって、

筋力の衰えも手伝って動作がのろくなっているのですが、

 

義母の急変に合わせたように私のドーパミンが放出全開?

痛みが軽減し、下痢が減り、頭痛に至っては一度も発症せず。

 

初七日の翌日、お寺参りを済ませ、夕方ちょっと一息・・・・・

と 気を抜いたとたんに

節々のこわばりが戻って来て体がガチガチ。

お腹も緩くなってきた。

 

ダンナはこういう行事には深くかかわらない人なので

影喪主の私はまだ気が抜けない。

これから1年間は何度も法事をしなければならない。

(コロナが終息するまでは近親者のみの予定ではあるが)

 

今回の葬儀では

コロナのクラスターが最大の懸念でしたが、

たぶんこれはクリアです。 ホッ

 

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