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西郷 徳之島で老婆に説教され、泣く 文久2年(1862年)夏

2017年01月20日 | 歴史 民俗

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↑ この逸話は、西郷の人となり、思想を知る上でも、またなぞの多いその行動を理解する上でも非常に興味深い。

その前後の西郷の人生の大きな転機、また中央政界のめまぐるしい動き(寺田屋騒動前後)と合わせ、左右のバカの壁を越え、想像力を集中しなければならない。

のちにこの老婆は西郷が、代官でも頭を下げるほどの人物であったことを知り、たまげた、というふうな落ちをつける本もあるが、そこへおとしてしまうと非常につまらない逸話で終わってしまう。

話の前後から老婆は西郷がただならぬ人物であることをうすうす知っていたことがうかがえる。また、だからこその説教だとも受け止めることもできる。開けっ広げな庶民の感覚だ。

老婆という表現から受ける、無知という印象もとりはらわなければならない。島には島唄半学という言葉もあるのだし。その前に西郷は龍郷で三年あまり暮らしたのだから、そのくらいのことは知っていただろうが、しかしそこから涙がでるほど学ぶことのできる人はそうはいない。

ガリレオ『私は、何も学ぶべきものがないほど愚かな人に会ったことはない。』

ガリレオ『人間は他人に何事も教えることはできない。ただ、自分の努力でそれを発見するのを、手助けするだけだ』

↓ ーーー海音寺潮五郎 西郷隆盛第 三巻p107-109 原文の通りではありません

南洲翁謫所逸話という書は、鹿児島の住人が、明治30年代の末に職を奉じて南島地方の行っている間に、西郷に関するその土地土地に伝わる逸話を採集して、40年代に奄美大島で編集し、42年に東京で出版したものである。

西郷が徳之島に流されて、愛加那に、こちらへ来るなと言い聞かせたことについて
西郷の心理について多くの誤解を解く文脈で語られる。(会いたいけど、武士のたしなみ)

ふたりの老婆の話、
一人は遠島人の娘(きくしる)

西郷が山で薪とりの途次、休憩している西郷を見かけておやじ殿のことを思い出したと涙ぐみ、「ハブ」注意するようさとされる。西郷は老婆の親切に感謝して、持ち合わせの煙草をあたえて別れたという話。
この話の眼目は、西郷が妻子恋したのために、山に登って妻子のすむ奄美大島を遠望したということにある。

もう一人の老婆

岡前村の西郷の宿所の老婆があるとき
一度ならず二度までも島流しになった西郷に
オマンサみたいな性懲りのないお人ははじめてじゃ、
こんどこそ改心して早う赦免せられるようなさりもせ、とさとす。

西郷は全身汗だらけて顔ご真っ赤にし、恐縮しきった姿で、はいはいと聞いていた。

のち沖永良部で恩人に「あの婆ァどんの説教ほど身にしみたものはごわはん。わしは恥ずかしゅうて
顔が上がりもはんじゃった」と言ったという。


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