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続・西郷どん第25回「生かされた命」の平均視聴率は12.7% 今週の2場面

2018年07月05日 | 歴史 民俗
 
川口雪篷が、「革命」とか書いた旗を振って丘の上から西郷を見送る姿は
雪篷の歳を考えると、ちょっと滑稽な気もしますが、おそらく書家である自分の手でかいたのだろう。
のちに西南戦争を起こす西郷の第二革命を予言しているのかもしれません。w
一方
英国と断固戦うべきと、国父・久光に助言して
「それでこそ、薩摩隼人じゃ」と信頼をあつくし
戦争へ突き進んだ大久保。
ドラマでは西郷は、今は、そいは無理じゃっち、国力をつけることが先決と
考えることができていた。雪篷の説教に斉彬の開明性をみたのだった。(西郷赦免も久光がその開明性に気付いたからのことであった。蒸気船での派遣、吉井友実・西郷従道らの人選をみても久光の決意のほどが見える)
一方が突き進み、他方がブレーキをかける
西郷と大久保のこの構図は、あの征韓論と明治6年の政変(10年後)と似ている。
が、逆の構図になっている。
征韓論論争では、
実際に征韓論を実行したのは、大久保の側の権力であって、西郷は失脚してしまうのだが
江華島事件は、1875年(明治8年)
台湾出兵は、1874年(明治7年
皮肉にも、韓国でも、未だに西郷は征韓論で嫌われている。(朝鮮出兵の秀吉を倒した家康のほうが、いくらか受けはいい)
西郷のこの不運はなんだろうか。
論争で、大久保に負けず、西郷が実際に遣韓使節として自ら朝鮮に赴いて(興宣)大院君と
話し合っていたら、意気投合したであろうという韓国側の見方もある。
大院君は、強権的なところも、庶民的なところあって、いろいろと『毀誉褒貶』のある人物ですが、幅の広さという面では西郷と気があいそうだ。
西郷は、島でやんちゅの子供たちに分け隔てなく教育を与え、また明治天皇の個人的信頼も得ることになるという幅の広さをもつ。
李氏朝鮮と琉球は良好な関係であったはずだし、
また、大院君は国王高宗の実父であり、薩摩の久光も藩主忠義の実父という関係も
似ている。
西郷の南島での経験も大いにものをいいそうだ。
中央の大仕事に向け、やる気満々で現実的な大久保と
島で本土とは違う世界を見、学んで、体験し成長した西郷はこの時点で、
日本の政治にも嫌気がさしていた部分もあるのだろう。
西郷と大久保との違いは、こんへんにもありそうです。
あの「敬天愛人」も、勝ち組まっしぐらの人には、ほんとうには理解しにくいような気がする。

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1 コメント

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川口雪篷=大塩平八郎伝説 (管理人)
2018-07-06 11:43:52
西郷の英雄不死伝説はいくつかあるが、

ドラマで、革命の旗をふる川口雪篷をみて連想できるのは、
川口雪篷(せっぽう)が、陽明学者の大坂町奉行組与力で「大塩平八郎の乱」を起こしたことで知られる、あの大塩平八郎、あるいはその息子の格之助であるという伝説があるということである。
雪篷の出生地とされる種子島には、大塩の史跡もあるということだ。

そうすると、ドラマで雪篷が西郷に「餞別」と言って渡した書物は、
大塩平八郎の主著『洗心洞箚記(せんしんどうさつき)』だったのかもしれない。

西郷隆盛、大塩平八郎、陽明学とくると、三島由紀夫「革命の哲学としての陽明学」(行動学入門)と連想はつぎつぎを広がる。

南の島ではよくにた伝説がほかにもいくつかある。

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