大庄公民館で「尼崎市歌」についての講座があり、その市歌がオペラ歌手橘茂さんによって歌われました。尼崎市歌は「尼崎100周年新聞」1面コラム"歴史の音符”にも紹介されていますように2つあります。
初代は尼崎市制施行から10年後に(1926年)公募により制定されたものです。作詞福武周夫、作曲小部卯八によるもので公募とはいえ、作詞者は全国中等学校優勝野球大会の歌や各地の校歌を作詞された方、また作曲者も校歌や宝塚歌劇の楽曲を作曲された方で尼崎にゆかりの方ではなかったようです。また歌も地名を入れ替えれば他の市歌になるようなものでした。
次に1936年小田村との合併で現尼崎市が誕生した際に新たな尼崎市歌を制定する動きがあり1940年、新尼崎市歌が制定されました。
作詞は後に文化勲章を受章され「荒城の月」作詞者で知られる土井晩翠、作曲は今の東京芸大の前身である東京音楽学校によるものですから当時としては最高のものを依頼されたようです。
土井晩翠に依頼したのは後に2代目公選市長になられる阪本勝さんで、仙台第二高等学校で教えを受けた土井晩翠先生にお願いして尼崎まで来ていただいて作詞されたことが「随筆市長の手帖」に記されています。
橘茂先生は市内各公民館の市民大学などの講座でオペラを優しく楽しくご紹介いただいたり、尼崎ではおなじみの方でプロのオペラ歌手でもあります。
尼崎市歌を聴いたのは今回初めてで、歌詞は当時の尼崎の未来へ向けての希望あふれる内容になっています。一部国粋色もありますがそれは時代を反映するものとして、なかなか頼もしく力強い歌です。
橘先生の許可を得てyoutubeにアップしましたのでご紹介します。