(社)尼崎青年会議所 第50代理事長ブログ

尼崎を、尼崎JCを愛する理事長のひとりごと

10年後の理事長への手紙

2009-12-25 07:59:01 | 青年会議所 JC
今日は午前中、JCルームの大掃除があります。尼崎JCの活動も2009年度は今日で終わります。

2月の中旬から始まったこの理事長ブログですが、お陰さまで現時点で66,554ヒットとなりました。毎日、100名以上の方々が覗きに来てくれているようですね。
毎日誰かに気にしてもらっている事って本当にありがたいものです。誰かが気にしてくれているから、何とか書き続ける事が出来ました。
いや、毎日誰かが気にしてくれているから、一年間理事長職を続けられたのかもしれません。そうだとすると、このブログのお陰で理事長職を務められたのかもしれませんね。

これが最後の理事長ブログです。少し長くなりますが、表題の件を最後に記します。

先日、60周年に向けてタイムカプセルを埋めた事は既にブログに書きました。ここに記すのは、その中に入れた60周年の理事長さんへの僕からのメッセージです。

このメッセージをもって、このブログを終えます。
一年間、お付き合いいただいた皆さま、本当に本当にありがとうございました。
これからも、もっと自分自身が成長し、社会に恩返ししていけるように精進して参ります。

一年間、尼崎JCの理事長を務めさせていただき、本当に幸せでした。

2009年12月25日 森上 恒


~以下、メッセージ~(※文中の日付はタイムカプセルを埋めた日です)

60周年の理事長へ

拝啓

この手紙を書いている今、時は2009年(平成21年)12月。
尼崎JCには現在、111名のメンバーが在籍しています。今年15名の方が卒業されるので、次年度のスタートは100名を切ってしまいます。私がJCに入会した2001年には130名程のメンバーがいましたが、それから徐々にメンバーが減少していき、遂に100名を切りそうな、そんな状況です。
今、尼崎JCにメンバーは何名いるのでしょうか?

この手紙を君が読んでいる頃、世の中がどのように変化しているか分かりませんが、現在市況は非常に不安定です。2008年の秋口から米国サブプライムローンを発端として、リーマンショックが起こり世界同時不況へと繋がっていきました。バブル崩壊後、ようやく景気回復基調にあったこの日本でもリーマンショックの影響は甚大で、この一年余りこれまでにない程市況は冷え込んでいます。
JC活動なんかしている場合なのか? …そんな声も聞こえてきます。

また、今年の夏は、恐らく語りつがれているであろう、歴史的な衆議院議員総選挙があり、55年続いた自民党政権が崩壊し、民主党政権に変わった年でもあります。「政権交代」という言葉が流行語にもノミネートされていますが、政権交代などという生易しいものではありません。これはもはや「無血革命」と言うべきものです。戦後60年の日本の常識が全て引っくり返された、そんな状況です。それから10年後、政治の世界がどのように変化しているか分かりませんが、民意が政権を引っくり返したこういった経験を経て、国民は政治に対する興味を持っていってくれたのでしょうか。今は国民の政治への無関心が叫ばれていますが、君の時代はどうですか?投票率はどのくらいなのでしょうか。マニフェスト型公開討論会や合同・個人演説会で、JCが世の中に大きく認められた年でもあったんですよ、今年は。

一昨年、公益法人法が改定され、今、私たちは公益社団法人格を取得するのか一般社団法人に落ち着くのか、その選択を迫られています。2009年は世の中の情勢を見極める年で、どちらにするのか議論は深まりませんでした。今はまだ私たちは社団法人尼崎青年会議所です。君の時代にはもう結論が出ていますよね。

伝えたい事、聞きたい事は山ほどあります。
しかし限られた紙面ですから、最も大切な事だけを伝えます。

この手紙を読んでくれているという事は、私たちの大切な、尼崎青年会議所は今でも存続しているのですね。

ありがとう!本当にありがとう。尼崎青年会議所を存続させてくれて、本当にありがとう。

私たちは確信している事が一つあります。
世の中には様々な団体があり、様々な社会に役に立つ事業を行っています。しかし、そこに在籍するメンバーを、芯から鍛えてくれる団体は青年会議所以外にはありません。

私は青年会議所がなければ今の自分は無かった、とまで言い切るつもりはありません。
しかし、青年会議所がもしなければ、或いは自分がその存在に気がつかず所属していなければ、随分と違う人生を歩んでいたのだと思います。
どうか、青年会議所に所属している事を誇りに思い、精一杯活動して下さい。


「60周年に何をするべきか?」

そんな事は、シニアに意見を求めても意味がありません。
我々は既に過去の人なのですから。
今いる現役メンバーが社会に必要だと思う事、尼崎にとって必要だと思う事、JCならではだと思える事、…を精一杯やってください。

現役が決めた事に不満を言う先輩は一人もいません。50周年も誰にも何も言われませんでしたから。もし、文句を言うOBがいるのであれば私に言ってください。必ず君達を守ってみせます。

だから、頑張れ!君達よりも、もっと未来の後輩達の為に。

最後に、私の2009年度、創立50周年の尼崎JCのスローガンを贈ります。
「可能性の扉 ~未来への挑戦~」
JCには限りない可能性が潜んでいます。精一杯活動する人間にだけ、その可能性が見えてくるはずです。人間は限りなく成長する可能性を持った生き物です。どうか、自分で限界を決めないで、貪欲に挑戦し続けてください。自分自身に。

敬具

平成21年12月9日
社団法人尼崎青年会議所
第50代理事長  森上 恒










おしまい。

いくつかの心残りとこれからの決意。

2009-12-24 08:17:59 | 青年会議所 JC
本年度の終わりに当たり実は個人的にいくつか心残りがあるので記してみます。

誤解して欲しくないですが、本年度の尼崎JCの活動には満足しています。ここに記すのは、尼崎JC理事長としての心残りではありません。あくまでも個人的な心残りで、今年は出来なかったから、来年以降個人的に活動していこうという意気込みです。

1.2004中学生連絡会議の後始末
昨年まで10年間、尼崎JCでは「あまがさき中学生連絡会議」という尼崎市内のすべての中学から生徒を集めて事業を行っていたのですが、2004年にその担当委員会の副委員長になりました。
ものすごく楽しかったんですね。本当に。
 →
庄下川 before →after(イメージ)

「川を綺麗にする」という意味を込め、尼崎市内の中心部を縦断する庄下川という川の護岸にペイントする事業を行ったのですが、新聞にも取り上げられたし、当時の中学生たちが学校を超えてすごく仲良くなってくれて、現在では「ハルカ」という高校生連絡会議が尼崎JCとは別団体として存在していますが、その立ち上げメンバーの中学生たちと一緒に事業を楽しんで進めていました。
 

 

…でも、実は近年、ずぅっと気になっている事があります。

 2008年9月23日撮影

 2009年5月25日撮影
綺麗にペイントした護岸が、今ではこんなに汚れているのです。

JCって、単年度制なので様々な新しいことを毎年企画して前に進んでいく団体なのですが、こういった、「後に残る」ものを作ってしまうと、実は後始末がすごく大変です。
今年は(言い訳ですけど忙し過ぎて)出来なかったけど、この事業に関わった者として、来年以降この護岸を清掃する作業をずっと続けていきたいと思っています。

2.尼崎21世紀の森づくり
平成13年に入会して、すぐに外部団体に出向しました。それが、「尼崎21世紀の森づくり協議会」です。実は僕に「まちづくり」の面白さを教えてくれたのは、尼崎JCではなく、この団体が先でした。
平成14年にこの団体は立ち上がり、立ち上げ当初から関わることが出来ました。

↓個人的にこんなサイトを作るほど、この活動を面白がっていたんですね。当時。
尼崎21世紀の森構想…って何だろう?

僕は今でも間違いなくこの尼崎臨海部ってのは面白い場所だし、今後どうなっていくのか楽しみなのですが、本年度の尼崎JCとしてはこのエリアに関わる事はあまり出来ませんでした。
尼崎JCを卒業したらライフワークとして続けて行きたいと思っています。
なんてったって「100年構想」ですから。


この2点が僕の個人的な心残りですね。

「まちづくり」って、本当に面白いです。
でも「まちづくり」そのものよりも、そこに関わる人間模様がすごく面白いですね。
僕はJCというフィルターを通して、そんなことを楽しみ、そして学んできました。
これから一生、「まちづくり」には何らかの形で関わり続けたいものです。

コパンとプッチ その後

2009-12-23 15:30:29 | Weblog
8月に我が家にトイ・プードルのプッチ君が増えた事は以前ブログにも書かせていただきましたが…。

先住犬のコパン君(6歳)とナカナカ仲良く出来ずに悩んできましたが…。



未だに仲良く出来ないんですよね

やんちゃ過ぎるプッチ君に、コパン君はイライラする毎日を送っているようです。

お陰さまで「癒し」を与えてくれるはずの彼らが、期せずして家の中に緊迫感を与えてくれています。

でも、まぁ…。



こんな風に飛んでいるコパン君を見て…。



一所懸命真似をしようと頑張っているプッチ君を見ていると、まぁ良いか、と思い、ホッコリした気分にもなるものです。

続けてきた事。

2009-12-22 00:29:45 | 青年会議所 JC
2009年も終わりが見えて来ました。
このブログも、そろそろ終えるべき時が近付いて来たのでしょう。今週金曜日にブログの更新を終えようと思います。

最後にいくつか、書き損じていた事を記します。

実はこの一年、徹底して続けて来た事があります。



理事長として出会った人には、必ずこのハガキを御礼状として出して来ました。

…実際には名刺を貰えた人だけだったと思うので、本当に100%の人には出せなかったかもしれませんが、基本的には出して来たつもりです。

僕は字が汚いので宛名部分は印字して、コメントだけ手書きで書くようにして出していました。時間が無いときや名刺が溜まってしまった時には、移動中に手書きで書いたりもしていたので正確な数量は分からないのですが、この一年で600~700名の方にハガキを出して来たようです。

僕がこんな事を続けたのは、すごく単純な理由です。

今でも大切にとってあるのですが、2008年に何処かで出会い、名刺交換をしただけの奈良JCの理事長さんから、後日同様の御礼状をいただきました。

すごく味のある字で、宛名からコメントまで全て手書きで書かれていて、なんてしっかりした人がいるんだろう、…とハガキを受け取った僕はすごく感心しました。
それまでにも会った後すぐに御礼状を出してくる人はいましたが、宛名印字だけの無味乾燥な御礼状で、名刺交換した人には機械的処理として御礼状を出しているように感じられらるものでした。
ところがこの奈良JCの理事長さんからの御礼状からは、温かい空気を感じたんですね。本当に感心しました。
僕は何処で会ったかすら覚えていないのに、この人は、後日僕の名刺を見ながら、丁寧に御礼状をしたためているんだなぁ、と。

この御礼状にすっかり感心してしまい、僕も自分が理事長をする事があれば、同じことをやってみよう、…と心に決めていたのでした。

一年間続けてみて思ったのは、相手の方がどのように受け止めるかはともかく、僕にとってはすごくいい事だったなぁ、と。ただ一瞬すれ違っただけの相手なんだけど、後日、名刺をしっかりと確認してその情景を思い出しながら御礼状を書く。この行為は、一つひとつの思い出をとても大切にしてくれるものでした。

でも、JCって色んな事業や会議で大量の人と一気に名刺交換する事があるんですけど、その後が大変でしたね
御礼状が終わらなくて徹夜した事もありましたっけ

もしこのブログを読んで下さっている方で、「自分は御礼状はもらってない」…という方がいらしたら、こっそりお申し出下さい。こっそりお出ししますので。年賀状の前に

沖縄ミッション

2009-12-21 14:27:11 | 青年会議所 JC
昨日から、今年3回目になる沖縄に行きました。
2010年度(社)日本青年会議所事業説明会は、この沖縄地区が最後になります。

満員の会場には2009年度安里会頭もおられ、熱気に溢れていました。
冒頭の2010年度相澤会頭のご挨拶にもありましたが、普天間基地問題などで揺れ動く沖縄は、小さな島なんだけど、この島がある意味犠牲になって日本の安全保障を一手に引き受けているだけではなく、東アジアの安定も沖縄の米軍基地があってのことなんですよね。そういう目で沖縄を見ると、常夏のリゾートのイメージとは全く違う横顔が見えてきます。

説明会は熱気に包まれたまま終わり、その後、沖縄地区の皆さんと日本JC役員団の懇親会。懇親会場では、2007年度に日本青年会議所JC出向した際にお世話になった、八重山JCの歴代理事長や、宜野湾JCの理事長と再会する事が出来、懐かしいひと時を過ごさせていただきました。日本JC出向の醍醐味ですね。こういう旧友との再会が。

懇親会終了後、日本JC役員団と沖縄地区の理事長さん達だけで2次会へ。2次会と言うよりも、10月末から始まった全国10地区事業説明会の打ち上げみたいな感じですね。会務担当常任理事以上の方々は10地区全て回っておられ、大変だった事と思います。また、最後なので僕も含め多くの議長委員長も来ていたのですが、何名かの議長委員長は全地区回っていたようです。激務の中、大したもんです。

2次会終了後はグループ毎に分かれました。当グループには沖縄JCの委員長がいるので、彼の案内で沖縄の街へ。真面目な話も、楽しい話も尽きることなく夜は更けていったのですが、そろそろ終わりかな、と思った時に沖縄の委員長が言いました。

「沖縄の〆に行くね」


 

…ステーキハウス88。沖縄で有名なステーキハウスです。

午前○時にステーキを食う僕らも僕らだけど、24時間営業のこのステーキハウスも一体どうなっているんだろうか。
みんなLサイズ(230g)を食っていましたが、僕はMサイズ(170g)で勘弁してもらいました。
今回は全く観光はしていないけれど、今年は沖縄を堪能しました。

日本JCロシア友好の会

2009-12-20 13:25:31 | 青年会議所 JC
来年の日本JCでのミッションの一つに“「日本JCロシア友好の会」との連携”があります。

この会は、1991年に日本JCの分科会として立ち上がった「日ソ友好の会」を前身として、以来20年近く様々な形でロシア(旧ソ連)と日本の平和条約締結に向けて活動を続けている団体です。
メンバーは400名近くいるそうで、ここ近年の歴代会頭は、みんな「顧問」という事で在籍しているようです。現在の理事長は2002年度日本JC会頭の松本秀作先輩で、松本先輩で三代目の理事長になるそうです。

先週金曜日にその会の理事会と忘年会があったので、参加して来ました。

理事会参加は2回目だったのですが、忘年会と言う事もあり色んな方がお見えになっていました。前理事長の樫畑名誉顧問(歴代会頭)や、歴代日本JC役員の岡本先輩、歴代JCI副会頭の樋口先輩、…等の大変立派な先輩方がお見えで、僕は次年度担当委員長という事で僭越ながら同席させていただいていました。

こんな会なので話題の中心はやっぱりロシアになるのですが、色んなお話も聞かせていただきました。お話を伺っていて面白いな、と思うのが、立派な先輩方がお互いのことをニックネームで呼び合っているところですね。30代の頃に知り合い、それから20年経っても、お互いの呼び方は変わらずに付き合い続けているそうです。JCの友情って面白いですね。

ある先輩に言われました。「委員会メンバーが楽しめる委員会にしろよ!」
おっしゃる通りだと思います。ミッションの中身も勿論大切ですが、わざわざ全国から集まってくるメンバーが楽しめなければ、出向の意味など無いです。僕自身も楽しみたいですし、メンバーにも楽しんでもらえるように、精一杯やろうと、改めて思ったひと時でした。今回、僕の委員会メンバーも8名一緒に来てくれていたのが嬉しかったですね。

尼崎青年会議所 創立趣意書

2009-12-19 15:39:32 | 青年会議所 JC
ブログとか、Web上でデータ管理をすると便利だな、と思うのは、データを無くさない事ですね。
僕はそもそも物の整理が下手なので、大切なデータや紙資料が何処かに行ってしまった、…という事がよくあるのですが、こうしてブログに上げておくと、データ自体は無くならないし、僕の代わりに誰かがそのデータの存在を覚えていてくれるかもしれません。

…と言うわけで、実は僕以外、その存在をあまり知らないようなので、ここに掲示しておきます。

これが「尼崎青年会議所創立趣意書」です。


少々汚いコピーで恐縮ですが、原本は尼崎青年会議所設立当時の紙資料と共に、事務局に保管されています。

2006年に専務理事をやっていた時、時の高山理事長が“青年会議所が行う「まちづくり・ひとづくり」について”…という講演を園田女子大学の公開講座として行うことになってしまい、色々と資料を収集している中で見つけたものです。

昭和34年の資料なので、ワープロもパソコンもない時代に写植機で印字されたもので、なかなか味のある書面です。

尼崎青年会議所創立準備委員会のお名前が列記されていますが、初代をはじめとする歴代理事長の方々が名を連ねておられますが、江田監事のお父様のお名前も見受けられます。

原本が見たい人は事務局にお申し出下さい。但し持ち出しは出来ないと思いますよ。

魚崎の尼崎容器工業

2009-12-18 08:46:37 | 青年会議所 JC
昨日は50周年記念事業最終章タイムカプセル埋設の際に、タイムカプセルになるドラム缶をご提供いただいた、久保先輩の会社・尼崎容器工業㈱に、御礼とお届けものに伺いました。
久保先輩の会社は少し前まで当社の目の前にあったのですが、この夏に引っ越されたそうで、魚崎にある綺麗な新事務所にお邪魔しました。

JCの先輩で且つ会社が目の前にあり若干のお取り引きがあったにも関わらず、久保先輩にお会いするのは実は初めてで、はじめましてですいません、というところから挨拶しました。

お届けしたのは、5月の記念事業の際に掘り出した20年前に埋めたタイムカプセル(それも久保先輩ご提供でした)の中に入っていた、久保先輩の2人のご子息の「宝物」と「20年後の自分への手紙」です。

(5月に掘り起こした、このドラム缶の中に入っていました)

宇都宮委員長が気を利かせ、クリスマス前にラッピングして、クリスマスカードを添えてお届けしました。
久保先輩は「思い出してきた…」との事で、息子さんにJCの思い出話をしながら渡してもらうことに。

お話を色々伺っていると、この時代に工場に相当な設備投資をされていて、見通しは悪くないとのこと。当社も容器業界の事は若干分かるつもりですが、決して業界自体が良い訳ではなく、どちらかと言うと右肩下がりのはずなのですが、先輩の会社は業績が良いようでその内容を聞いていたのですが…。

「下がっていく業界にしがみ付いていても仕方が無い」
…とはっきりと割り切っておられ、新事業に会社全体をシフトしているようです。目の付け所が良いのか先見性があると言うのか、いずれにしても従来の商売に囚われず、縛られず、新しい事に挑戦をした結果、上手く行きそうだとの事で、立派だなぁ、と感心していました。

この夏に出来たばかりの事務所は、一見するとカフェのような内装で、凡そ会社名からは想像出来ない感じでした。

僕も以前から誘っていたのですが、ご長男さんは30歳ちょっと。入会を強くお願いして失礼しました。
まだまだ知らない立派な先輩が地元にもいるものですね。
どうか、久保先輩の会社が「魚崎容器工業」…と改名しませんように。

阪神7青年会議所 理事長会議&新旧合同忘年会

2009-12-17 11:06:43 | 青年会議所 JC
色んな事が立て続けにあり書くのが遅れてしまったのですが、先週の金曜日、今年最後の阪神7青年会議所理事長会議があり、その後2009年度・2010年度阪神7青年会議所の理事役員が集まり、合同大忘年会が開催されました。

理事長会議は終始和やかに行われ、議事進行もスムーズに、あっと言う間に終わりました。その後、同じ部屋で2010理事長予定者会議が行われたので、我々は行き場を失い、已む無くホテルのラウンジで一杯やりながら、この一年のお互いの労を労っていました。
思えば何かあった時は、いつもこの阪神7青年会議所の仲間が助けてくれた一年間でした。50周年を気持ちよく過ごす事が出来たのも、近隣の彼等の助けがあっての事だと思います。

新旧合同忘年会は盛大にやはり和やかに進行し、阪神7青年会議所の友情を改めて感じさせてくれたひと時でした。この一年、本当にお世話になりありがとうございました!

※ご挨拶されているのは、伊丹JCの岸田次年度理事長予定者です。2006年度一緒に専務理事を務めた仲間の中で、彼が最後の理事長になりました
おめでとう!岸田次年度

世間は狭いのかしら。

2009-12-16 23:05:30 | 青年会議所 JC
今日はまた日帰りで東京に行ってました。もう今月何回目だろうか。

朝一番、東京の事務所に行き打ち合わせ。打ち合わせを終えて昼飯を社員と一緒に食べて、JC会館へ。今日は今年最後の2010常任理事予定者会議が行われていて、一昨日ぐらいから泊り込みの議長委員長で会館ロビーはごった返していました。事務局で所用を済ませ、議長委員長と話をして今日は会館を出ました。

今回は珍しく飛行機で来たのですが、空港に向かう前に有楽町の駅でお土産のドーナッツを買いに行き、所用があったので石上総括幹事に電話をしてみると、彼も有楽町の駅にいるとのことで、ドーナッツ屋さんにやって来ました。
彼は金曜日からずっと東京にいるようで、これからちょうど帰るところでした。
彼は新幹線だったので一緒には帰って来なかったのですが、だだ広い東京で同じ駅に同じ時間帯にいることに驚きましたね。

そう言えば以前も似たような事が東京でありました。石上君と飯を食べて一緒に帰る途中、表参道の駅のホームで彼の彼女にバッタリ会いました。

…東京って広いけど、狭いのかしら。