昨日、母の誕生日。
認知症が入ってきて分ることと分からないことが混然一体。
記憶も5分と持たないことがあるかと思うと10日経ってもはっきり覚えている事もある。
85回目の誕生日。
記憶が危ういからプレゼントはよそうかと思ったが、来年がもしなかったら…
アレルギーが多く、小麦粉に最近よく反応を起こしているから洋菓子系はご法度。
服や持ち物は多すぎて妹がせっせと処分している。
プレゼントに悩む。
花屋でちいさな胡蝶蘭を見つけ、コレに決めた。
持っていったら、ちょうど婿ドノと妹と3人でお出かけするところ。
行く先は妹もプレゼントに困ったらしく、お誕生祝いランチ。
婿ドノと母は折り合いが悪い。
妹は渡りに舟と私を誘う。
しかたなく混じる。
婿ドノはパーキンソン病の薬の副作用で実は食欲がない。
胸がつかえて食べられないそうで、痩せてきてもいる。
会話ももともと無口に病気が拍車をかけている。
たしかに3人では話題がない。楽しく盛り上がりは難しい様相。
しかたない。
車内でも食事中も、せっせとピエロを演じてしゃべりまくる。母をいたわる。
海辺のお店で母は和食お昼膳完食。
婿ドノは言葉少なに食後のお腹をさすっている。母の機嫌を損ねないように無理して食べてくれたらしい。
母は3人従えて上機嫌。
妹がデイサービスで撮ってもらったかわいい写真をついでに見て帰れという。
『知らん間に撮られて』
立派にピースされとりますが
隠し撮りではないでしょ^^;
これをご遺影にしようよ妹をふざけていたら、
『私が先とは限らん』
確かに^^;そうなった時は母よ~どうすんの?
ほんに、周りの気遣いに囲まれておしあわせ。それでいい(*^_^*)
その後、姑のケアハウスへ。
こちらは部屋で、雑巾を手縫い中。
することがないと言ったら、糸と古タオルが施設から渡されたらしい。
仕事に励んでいる方が落ち着くと言う。
針目正しくと丁寧。性格を表して、すでに5枚縫いあがっている。
この調子だとアッと言う間に施設中の雑巾を縫い尽くす。
でたらめな食生活から栄養状態の良い食事にかわった所為か
顔がふっくらして色艶も良い。
『ここは三食ごちそうを食べることだけが仕事』
なんだそうな。
姑が自分で手洗いするとことを希望した下着類が部屋の中に、残りは外のベランダに干してある。
見れば下穿きは薄くなってすだれ状に穴が無数に開いている。
着替えが入っている籠にあるのも似たりよったり。
穴あき了解を得て捨てさせてもらう事にした。
たった3カ月でこの状態とは
きっとここに持ってくるまでも風雪流れ旅の代物だった可能性が高い。
もう幾枚か持たせたて来たはず?
探したら3枚使用可が出てきた。
しかし耐用年数を超えて箪笥に仕舞ってあった物かもしれず、
近くのショッピングモールに追加を買いに行った。
細かな気づきは家族に施設でも求められる。当たり前か^^;
ここでは衣類に全部、記名しないといけない。
仕事がなくて困っているのだから、「自分でしてね」と頼むに留めた。
施設の人に秋物のパジャマとショーツの持たせた事を伝え、
様子を聞くと
用事がないのはもったいないから
『内職はないか?』
と言ったそうな。
歩行困難、記憶にやや障害の要介護1の91歳。
最後まで『時は金なり』稼ぎたい意欲満々。
さすがに老人介護の施設。障害者授産施設とは違うワケで内職の斡旋はむつかしい。
苦肉の策で、
原爆記念館へ折り鶴を持ってゆくのでそれを頼んだら、もう折り鶴みたいな複雑なものは無理。
それで雑巾縫いとなったそう。
針は確認しているとのこと。
なるほどそれで1本しか縫い針はなかった。
思えば目からウロコの発想だ。
介護されるばっかりでなく有益な出来る仕事をしてもらう。
財政圧迫のお荷物ではいない。労働力に成り得る潜在能力は生かしてあげなくては。
内職ねぇ~?探してあげようか?
女手ひとつで私の夫を育て、家まで建てた。
成人した夫が家を出てゆき、
結婚して一時期、同居をしたものの
不承の嫁が嫌って一年足らずで息子まで連れて出て行き、以後ふたたび独居。
生計は一貫して理髪業で誰にも頼らず賄ってきた。
節約第一。無駄はまったくなかった。
息子の死後、積極的に悪徳にだまされ続けた。
やっとお金を使うことに目覚めたというところだったのかもしれない。寂しかったのかもしれない。
すってんてんになる前におせっかい嫁の計らいで、こうしてケアハウス入所。
費用もかろうじて自分の蓄えでまかなえる。
入所の前日に履いていたショーツも洗い替えの幾枚かも、全部複数個所のパッチワーク(継ぎあてともいう)が施してあった。
姑の辛抱の日々を垣間見た気がした。
記憶がおぼろを幸いに、姑の話は都合よく修正がされ続け、
幸せだった自分にうまい具合に脚色され続ける。聞く度にグレードアップしてゆく。
しあわせ脳と言っていい。
私はもちろん否定も訂正もしない。
知らなかった昔話へ、初めて聞く自慢話へ熱心に耳傾ける嫁を演じる。
一方、母はずっと専業主婦。
50代で夫を亡くした後も、成人した娘2人が財政援助をし自分はパートでちょっと働いたのみ。
後は妹の結婚と同時に婿ドノを養子とし、自分は無自覚に当然のように養われてきた。
浪費はしても稼ごうなど婿ドノと暮らすようになって思ったこともない。
しかも、常にだれかの世話の手があった。
貯蓄などほぼない。
気前も良かった。
ちゃんとした会社勤めの父だったから退職金も死後そうとう出たはず…
実のところ夫没後、
家計においては母が私の反面教師になっている。
入所など出来ない相談だけれど、
どうしても必要となったら母の遺族年金で足らないところは妹と私で折半か?
本人は至って能天気。なんの心配もしていない。
妹が乳がんの再発でもしたらあり得ない話ではない。
母と姑、
どちらも記憶不確かで足元がおぼつかない。
そして、どちらも顔も手も艶やか。
仕事の話になるが訪問時
あるデイサービスでネイルアートを施したのを幾人かに見せてもらったが、
どなたの手も美しかった。
私の手を隠したいくらいきれいだと褒めたら
『働かない手だから』
そう言われたのは元農家の主婦。
さて、私の手もやがて終章には美しく蘇る?
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認知症が入ってきて分ることと分からないことが混然一体。
記憶も5分と持たないことがあるかと思うと10日経ってもはっきり覚えている事もある。
85回目の誕生日。
記憶が危ういからプレゼントはよそうかと思ったが、来年がもしなかったら…
アレルギーが多く、小麦粉に最近よく反応を起こしているから洋菓子系はご法度。
服や持ち物は多すぎて妹がせっせと処分している。
プレゼントに悩む。
花屋でちいさな胡蝶蘭を見つけ、コレに決めた。
持っていったら、ちょうど婿ドノと妹と3人でお出かけするところ。
行く先は妹もプレゼントに困ったらしく、お誕生祝いランチ。
婿ドノと母は折り合いが悪い。
妹は渡りに舟と私を誘う。
しかたなく混じる。
婿ドノはパーキンソン病の薬の副作用で実は食欲がない。
胸がつかえて食べられないそうで、痩せてきてもいる。
会話ももともと無口に病気が拍車をかけている。
たしかに3人では話題がない。楽しく盛り上がりは難しい様相。
しかたない。
車内でも食事中も、せっせとピエロを演じてしゃべりまくる。母をいたわる。
海辺のお店で母は和食お昼膳完食。
婿ドノは言葉少なに食後のお腹をさすっている。母の機嫌を損ねないように無理して食べてくれたらしい。
母は3人従えて上機嫌。
妹がデイサービスで撮ってもらったかわいい写真をついでに見て帰れという。
『知らん間に撮られて』
立派にピースされとりますが
隠し撮りではないでしょ^^;
これをご遺影にしようよ妹をふざけていたら、
『私が先とは限らん』
確かに^^;そうなった時は母よ~どうすんの?
ほんに、周りの気遣いに囲まれておしあわせ。それでいい(*^_^*)
その後、姑のケアハウスへ。
こちらは部屋で、雑巾を手縫い中。
することがないと言ったら、糸と古タオルが施設から渡されたらしい。
仕事に励んでいる方が落ち着くと言う。
針目正しくと丁寧。性格を表して、すでに5枚縫いあがっている。
この調子だとアッと言う間に施設中の雑巾を縫い尽くす。
でたらめな食生活から栄養状態の良い食事にかわった所為か
顔がふっくらして色艶も良い。
『ここは三食ごちそうを食べることだけが仕事』
なんだそうな。
姑が自分で手洗いするとことを希望した下着類が部屋の中に、残りは外のベランダに干してある。
見れば下穿きは薄くなってすだれ状に穴が無数に開いている。
着替えが入っている籠にあるのも似たりよったり。
穴あき了解を得て捨てさせてもらう事にした。
たった3カ月でこの状態とは
きっとここに持ってくるまでも風雪流れ旅の代物だった可能性が高い。
もう幾枚か持たせたて来たはず?
探したら3枚使用可が出てきた。
しかし耐用年数を超えて箪笥に仕舞ってあった物かもしれず、
近くのショッピングモールに追加を買いに行った。
細かな気づきは家族に施設でも求められる。当たり前か^^;
ここでは衣類に全部、記名しないといけない。
仕事がなくて困っているのだから、「自分でしてね」と頼むに留めた。
施設の人に秋物のパジャマとショーツの持たせた事を伝え、
様子を聞くと
用事がないのはもったいないから
『内職はないか?』
と言ったそうな。
歩行困難、記憶にやや障害の要介護1の91歳。
最後まで『時は金なり』稼ぎたい意欲満々。
さすがに老人介護の施設。障害者授産施設とは違うワケで内職の斡旋はむつかしい。
苦肉の策で、
原爆記念館へ折り鶴を持ってゆくのでそれを頼んだら、もう折り鶴みたいな複雑なものは無理。
それで雑巾縫いとなったそう。
針は確認しているとのこと。
なるほどそれで1本しか縫い針はなかった。
思えば目からウロコの発想だ。
介護されるばっかりでなく有益な出来る仕事をしてもらう。
財政圧迫のお荷物ではいない。労働力に成り得る潜在能力は生かしてあげなくては。
内職ねぇ~?探してあげようか?
女手ひとつで私の夫を育て、家まで建てた。
成人した夫が家を出てゆき、
結婚して一時期、同居をしたものの
不承の嫁が嫌って一年足らずで息子まで連れて出て行き、以後ふたたび独居。
生計は一貫して理髪業で誰にも頼らず賄ってきた。
節約第一。無駄はまったくなかった。
息子の死後、積極的に悪徳にだまされ続けた。
やっとお金を使うことに目覚めたというところだったのかもしれない。寂しかったのかもしれない。
すってんてんになる前におせっかい嫁の計らいで、こうしてケアハウス入所。
費用もかろうじて自分の蓄えでまかなえる。
入所の前日に履いていたショーツも洗い替えの幾枚かも、全部複数個所のパッチワーク(継ぎあてともいう)が施してあった。
姑の辛抱の日々を垣間見た気がした。
記憶がおぼろを幸いに、姑の話は都合よく修正がされ続け、
幸せだった自分にうまい具合に脚色され続ける。聞く度にグレードアップしてゆく。
しあわせ脳と言っていい。
私はもちろん否定も訂正もしない。
知らなかった昔話へ、初めて聞く自慢話へ熱心に耳傾ける嫁を演じる。
一方、母はずっと専業主婦。
50代で夫を亡くした後も、成人した娘2人が財政援助をし自分はパートでちょっと働いたのみ。
後は妹の結婚と同時に婿ドノを養子とし、自分は無自覚に当然のように養われてきた。
浪費はしても稼ごうなど婿ドノと暮らすようになって思ったこともない。
しかも、常にだれかの世話の手があった。
貯蓄などほぼない。
気前も良かった。
ちゃんとした会社勤めの父だったから退職金も死後そうとう出たはず…
実のところ夫没後、
家計においては母が私の反面教師になっている。
入所など出来ない相談だけれど、
どうしても必要となったら母の遺族年金で足らないところは妹と私で折半か?
本人は至って能天気。なんの心配もしていない。
妹が乳がんの再発でもしたらあり得ない話ではない。
母と姑、
どちらも記憶不確かで足元がおぼつかない。
そして、どちらも顔も手も艶やか。
仕事の話になるが訪問時
あるデイサービスでネイルアートを施したのを幾人かに見せてもらったが、
どなたの手も美しかった。
私の手を隠したいくらいきれいだと褒めたら
『働かない手だから』
そう言われたのは元農家の主婦。
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