陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

訃報がつづく

2006-10-29 22:54:54 | Weblog
知り合いの60代、50代の訃報が続いた。
どちらの人とも最後に別れた時の風景が克明に思い出される。
いつどうなるか?
先の事は誰にも分からない。

ひとりは息子の同級生のお母さん。
聞こえに障害を持つ息子と同じ歳の娘さんを残して
2ヶ月前に逝かれたと聞いた。

お互い障害児の母。
周りの無理解にいきどおりを感じ
我が子の将来の心配など出会えばよく語り合った。
目と目があった瞬間、
『仲間』と言う安堵感を満たしてくれる人だった。

カトリック教会の信者さんだった。
娘さんが通った幼稚園がその教会付属だったことがきっかけで
信者さんになられたそうだ。
前の職場(社会福祉協議会)をボランティア活動のために
利用されていた。

最後は今年3月末、そこの廊下だった。

 辞めて余所に変わる挨拶と
 夏、北アルプスに家族で登る話を
 交わした覚えがある。

 山小屋でクモ膜下出血。ヘリコプター搬送…

つつしみ深い人だった。
まわりにふんわりあったかな何かをくれる人だった。



もうひとりは過去熱心だった詩歌の世界の知り合い。
私の熱が醒めてからは交友は途絶えていたけれど

ずっとガン入院、退院をくりかえされて
残念ながら最後を迎えられた。

退院の度に体のきついのを押して歌会へ参加されていた。
死をいつも見据えておられた所為か
澄んで、凛とした歌を詠まれていた。

  なにもないという
  豊かさを
  かんじています
  そう
  なにもないのです

      (故A.S)


最後の別れは3年前。
歌会後の
彼は降りる、私には乗り換えの駅だった。

私のために乗り換えフラットホームの
確認をして下さった。
一時退院中で、彼の呼吸は苦しそうだった。
紳士として振舞う彼の行為を感謝して受けた。

写真は一緒に参加した萩沖、見島歌会の朝。
上に置いた歌はその時の彼の作。

  誰にもいつか
    きっと訪れる いのちの終る日

                合掌