陽だまりのねごと

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でいごの花の下に    池永 陽

2006-08-28 22:31:35 | 
でいごの花の下に

集英社

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池永 陽さんの本との出会いは『ひらひら』『走るジイサン』。
こっけいで哀しい年人たちが描かれていた。

続いて、『コンビニ・ララバイ』『ゆらゆら端から』
中高年が登場する話はばかり読んだ気がする。

この小説は若い男女の話から始まる。
自分の前から姿を消して故郷で自殺してしまったであろう
恋人の足取りを追うちょっとミステリー仕立てで
今まで読んだ作品とは毛色が違っていた。

どこまでも底抜けに明るい沖縄の
悲惨すぎる民間人まで巻き込んだ戦争が生々しかった。
沖縄の民間人が怖かったのは米軍だけでなく、
ヤマトの人間日本兵と言う事実。
日本は朝鮮半島でも中国でもアジア諸国でも、
戦時中は優等民族として、
差別意識を持って残忍行為をした民族である事を忘れてはいけないと思う。

戦争と自国民だけが優れて入るという錯覚とが日本だけでなく
各国でセットになっている。
有色人種の国だから原爆は投下されたのではと言う声も聞く。

今、復活しつつある愛国心とはなんだろう?
線の無い地球に国という線を引いて、他より己の国を愛せと言うのだろうか?
地球人として地球を愛するという
『人類愛』を学ぶことの方が重要ではないだろうか。

米軍から隠れた壕の中で、外にも出れず
内では日本兵の残虐性に怯えた沖縄の人々の恐怖の時間。
戦後は米兵との間に生まれたウチンチュウからのアメラジアンへの差別。
沖縄の伝統文化や独特の宗教もあいまった構成で描かれていて
読後、ほぉ~とためいきが出た。

藤田嗣治のアッツ島の玉砕の絵を観たばかりで、
どこまでも残虐になれる人間の本質を
平和の仮面の下に持っている私たちなのかとゾッともした。

ふぃんふぃんが家の猫になるまで

2006-08-28 22:18:31 | ねこ
ちゅんが続いたので、ふぃんの話をしょう。
写真は朝食時の息子の膝でくつろいでいるところだ。

13年前ふぃんふぃんがはじめて家にきた日から話を始めよう。
車庫の奥に入り込んで鳴いていた。

『どこかに行ってよね。』

家には病気猫もいるし、私は猫アレルギーの喘息持ち。
餌をやると居着くから、やりたいけど、さわりたいけど
無責任な愛は猫にかわいそうだから
見ないふりをして通り過ぎた。

2日目、まだ同じところにうずうまっている。
手のひらに乗りそうな子猫だ。
牛乳をやってしまった。
『のんだらどこかに行ってよね』
ちゃんと言い渡した。

3日目の朝、
『○○く~ん』
2階で寝ている息子の起きる時間。大声で呼んだ。
返事は息子でなく、外から
『にゃ~!にゃ~!』
必死の声が聞こえてきた。
お腹もすいているだろう。
またしても牛乳を持って出てしまった。

仕事に学校へと出て行く家族のみんなから母は喘息持ちだから
『拾ってはダメ!』
と、固く禁じられた。

洗濯物を干しに出ると足元にまつわりつく。
でっかい野良がうろついている。
子猫があぶない。
とっさに抱き上げて、
家に…
あらら~入れてしまった。

当事ホワイトハウスに住んでいた白黒猫ソックスにそっくり。
ここは日本だから『タビ』と命名。
前の猫に買って、小さすぎたからと放置してあった青い首輪もたまたまあった。
タビに付けたらよく似合う。

もともと飼い猫だったたらしく、
トイレも一回で覚えた。
室内で飼われていたのかもしれない。

夕刻帰ってきた家族全員から言われてしまった。

 『やっぱりね。母さんが家に入れると思った。』

病気の白い牝猫のユキの方はうるさそうに睨んでいるが、
タビの方はお母さんと思ったのか頓着なしに甘えに行く。
白猫は病気とは言え子育て経験者だから、
めんどくさそうにしっぽで遊んでやることはやっていた。

ユキにはもう死期が迫っている感じだったが、
突然の闖入者のちょっとだけ元気が盛り返した。
あれは母性を呼び起こされた
最後の命のかがやきみたいだった。

毎日だめかと思った日々が一ヵ月も経過した日、
ユキは大好きな夫の朝食のテーブルについている大きな膝で息絶えた。

その夫ももう居ない。

タビは鳴き声から
『ふぃんふぃん』と呼ばれるようになり、
拾った私を母親と思ってか、
膝に乗る前にはでにぎにぎとお乳を飲む仕草を必ずする。
夏は衣服が薄いので母ちゃんの膝は痛い。

畳に新聞を広げると上に乗っかって座る。
本を読んでいると読んでいるページの上に座る。
パソコンを打っていると
痛いニギニギをして必ず膝に手を乗せる。

すぐに家に入れてやらなかった3日間は恐怖だったに違いない。
3つ子の魂100まで。
いまでもとてもこわがりのおびえ猫だ。
すぐに家猫にしてやればよかったと後悔する。

ある作家が生まれた猫を飼えないからすぐに殺す、避妊よりは良い
文章にして発表。物議をかもし出していると昨日の新聞で読んだ。

うちは雄も雌も避妊済み。
年に2~3度の出産。1回に3~5,6匹。
ただの駄猫のもらい手探しはたいへんだからやむなし。
お腹にメスを入れる避妊がかわいそうだとは思う。
人間のエゴだと思う。
けれど
責任もって命のある間飼う決心をしたら、
飼い主に命を委ねている猫たちと共存できる方法を取った。

最後まで家の子としてかわいがるつもりだ。
fuupuさんの言われる通り
命に大小もなく、
人間が一番エライ命だと言うのも人間のおごりのように思う。