陽だまりのねごと

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末期ガンの人も介護保険の対象に

2006-04-14 07:22:33 | 終末医療
悪いことばっかりの今回の介護改正の中で、たったひとつ嬉しい改正がある。

仕事で夫が膀胱ガンから転移がわかるまで、足の痛みを訴えて、
巡り巡った病院を幾つか回わり、いろんなことを思い出した。

骨への転移は痛みを訴え続けて、
ちゃんと直してくれる病院を探しあるいたが、
どんどん悪くなった。
とうとう、最初にもどって一番最初に診てもらった町医者へ。
膀胱ガン手術先へ行って再検査をと言われた。
骨のレントゲンからしてガンの転移っぽいと。
半年経過していた。

毎月、泌尿器科へ杖を付いて歩行困難な状態で通っていたのに、
膀胱ガン以外の患者の全体は診て貰えなかったと言うのか。
夫は毎回、痛みを訴えていたと言うのに。

泌尿器科ではらちがあかないと思い、同じ院内の整形外科を受診。
即、骨転移ガンと判明。

なぜか原発の科が診ると言う決まりがその病院にはあって、
泌尿器科に入院。
さらに検査が続き胆管にも転移。
すでに、末期と言われた。

毎月の通院は何だったのだろう?
手術執刀の主治医は自信満々に膀胱の状態はきれいです、と。
自分の専門患部だけしか診なくて、人を診なくてどうする?

 『末期は貴方が招いたミスでしょう!』

おエライせんせに見放されたら入院は地獄。
おなかの中で毒付くだけにしておいた。

自宅で最後の時間を過ごさせたいと私は思った。
夫は一縷の望みをかけて苦しい治療を選択し、泌尿器科病棟へ入院した。
効くか効かないか賭けだという苦しい抗ガン剤や放射線治療が終ったら
私は家に連れ帰りたかった。
入院生活は6人部屋や4人部屋だった。
狭いベット周りにカーテンを引くだけで、
入院生活って結構、人に気をつかう。

予想どおり治療効果はなく、衰弱は深まっていく。
このままここで最後はイヤだと思った。
治療が終ったら自宅へ連れ帰りたかった。

夫は歩行が難しくなっていた。
杖やつかまり歩きしか出来なくなっていた。

家には病院のようなベットも風呂、トイレの環境も
退院して夫の生活できるような環境ではない。


進行性のガンは障害認定にもならず、
55歳では介護保険の適応にもなれなかった。

だれに相談したらいいのか?
これだけ大きな病院ならソーシャルワーカーが居るはずと
病院で訊ねたら、
支払いトラブル専門でしかない事務長が来た。

私でも分かる、
障害にも介護保険の該当しないと冷たく言い放った。

金のことしか頭になかったのか、
遺族年金は65歳にならないと出ないなどととんでもない事を言い
私は一晩、明けて間違いと言ってこられるまで、心配の坩堝だった。

どこにも救いがないのか!と
病室でいささか興奮気味の私に、

当時、自宅での最後を支援したい思いでそこの産婦人科医が作った
訪問看護ステーションから、
ステーションも受け持っていた総婦長の計らいで
看護師さんがベットサイドまで出向いて相談に乗って下さった。

退院後、介護保険適応でないから10割。相当高額になるが、
何かあったら訪問するし、
電話相談はくらでも受けるから
と心強い返答をもらった。

総婦長さんから中古のベットの心配をしてもらった。
これは今思えば、仕事以外の特別なはからいだったろう。
私は死にゆく痛みのある夫の傍で、半狂乱だったに違いない。
誰か彼となく、なんとかならないかと院内で喧しかったのかも。

後の必要品は、自分で電話帳で介護用品屋を調べて来てらった。
介護保険なら1割負担。
全額になりますがいいですか?

55歳。残してゆく家族は学生2人に、長く働いたこともない専業主婦。
自分にお金を使うこと、あれこれ高い購入品は夫が拒否。

ものすごい心痛で整えた自宅療養生活もほんの数週でピリオド。
その間、何度も皮膚疾患等で通院もあった。
医療がない自宅に居ることに夫が不安を訴えた。
あっさり再入院許可。

今も数少ないけれど、
往診体制のあるホスピス医や訪問看護が地元にあの時あったらと悔まれる。

この四月から
2号被保険者と言われる40歳以上の末期ガンにも介護保険が適応になった。
もし四年前にあったなら、
病状が悪化してゆく夫を抱えて、必死で策を練る苦労はいらなかっただろう。

夫の死後、地元のホスピス建設の行政を呼んでの集会で、

『働き盛りの少なくないガン死には何の救いもない。』

と、ついでに訴えたことも思い出した。
私のような小さな声もありこちで重なって、行政の重い腰がきっと動いたのかも?

ケアマネを目指そうと思ったのは、
あの時の私の様な人のお手伝いがしたいと思う気持ちもあったのかも。


一筋の光 気を取り直して

2006-04-14 07:05:34 | Weblog
昨夜、教育TVの福祉ネットワークだろうか?
今年から介護保険に取上げられた、
小規模多機能型施設の話があったらしい。
スイッチを入れると対談の最後のシーンだった。

大規模施設で働いて実力をつけて、
いっぱい大規模の持つ疑問に気が付く事が
小規模多機能型を立ち上げようと言う時に役に立つ。

新しい職場批判でなくて、しっかり身につけるものは身につけて、
私の次のステップにすればいいと、一筋の光が見えた。

私は福祉をやりたいとの思いが強い。
ひいては息子のような目に見えて分からない障害者を何とか楽にと。

命と元気のあるうちになんとか形のならないかな?
夢は夢でもいい。
今が地道な一歩と思えば、あらゆることに耐える力になりそうだ。

番組を見そこねて、損したか?
最後のひとことのインパクトが強くて、得したか?

割れ目のたんぽぽの根っこは深いのだ。
う~ん、今朝は空も明るい。
青天みたい~