京急弘明寺駅から観音通りを下ると大岡川、その川沿いの両岸に桜並木がほぼ八分の咲き具合でした。屋台もにぎにしく並んで戦争無き平和を満喫しています。今年は寒の戻り、花冷えのせいで長い期間さくらを鑑賞できます。川下へ頭上の花を愛でて歩きました。橋から橋への花見です。落花もまだ少く、流れる花びらはまばらです。川が深くなると大きな鯉がゆうゆうと。
屋台は賑やかにいろんな音を漏らします。
「暮らし向きほどよく隠し花八分」駿
「獅子舞の望郷の笛太鼓かな」駿
わが町内会の企画でたのしい餅つき大会があり、底冷えの中をうかれて参加しました。隣町の獅子舞保存会のご厚意もあり楽しい時を過ごせました。ふるさとに親のいる昔を思い出させる笛太鼓のリズムです。
車椅子の方や幼子に獅子頭が縁起のガブリをして、喜ばせ泣かせたりしています。餅つきでは年季の入った名人が杵を高く背負いあげて美しい間のある姿勢を見せてくれ感心しました。素人のこせこせフォームとは段違いな美しい姿勢です。
日本伝統のこの行事を企画を準備された有志の方々、誠にありがとうございました。
戦争や災害、暴力、自然破壊、利己的な風潮がのさばる地球をすくい上げる善意を重ねる日本でありたいものです。
2025年(令和7年)がスタートしました。今年の読初は庭野日敬先生の『常に此に住して法を説く』です。
『大事なことは、ちっぽけな「自分」にとらわれることをやめて、仏さまにおまかせすることです。それがなぜできないかというと、結局は「自分」を捨てられないからです。頭のいい人は頭のいいことにとらわれます。お金や地位のある人は、それを絶対に手放すまいとします。
しかし、そうして自分の才覚や欲望を大事にしているかぎり、安らかな、広々とした気持ちにはなれません。
それだけでなく、そういうとらわれの気持ちがさまざまな苦悩を招くことになります。
ほんとうの幸せというのは、仏さまの懐に飛び込んで、「生かされるままに生きる」という心境になることです。』
読初の法話の十行写しけり 駿