養老館のお屋敷
江戸時代は「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸だった。元々はこの場所は藩の重臣永見上門の屋敷だったが、2代藩主に成敗され、それ以後藩主の別邸になったと言われている。明治時代廃藩置県によって福井城は政府の所有になったが、御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地となった。明治17年に松平春嶽によって「養浩館」と命名されたと云う。養浩館の数寄屋造りの邸宅と回遊式林泉庭園は早くから学会で注目され庭園史の専門家による調査がされていたそうです。昭和20年に福井空襲で養浩館は焼失してしまったが、昭和57年、国の名勝に指定されたのを機に、福井市によって復元整備が計画され、平成5年に完成、一般市民に公開された。
養浩館の建物に入ると土間になっていて、
右に行けばお勝手とお風呂場、
左に行けば御座ノ間と御月見ノ間が見られる
御座ノ間の窓(書院造り) と 日光の揺らぎ
窓から見える池の景色の一部
御座ノ間のこれ以上簡単にはなれないと言うほど簡素な欄間と
桑の一枚板から麻の葉模様を透彫にした精巧緻密な欄間
御月見ノ間の脇棚の螺鈿細工
自然石から御座ノ間に続いている飛び石
この飛び石は三国産の安島石が使われている。
御座ノ間の濡れ縁に通ずる飛び石の周りには
碁石にする黒い玉石が敷き詰められている
御座ノ間の真正面にある花崗岩で復原された石造七重塔。
この左側に清廉が見える。
御湯殿
お風呂は蒸し風呂でその前面の御上がり場は床が傾斜していて
水が池に流れるようになっている。
御月見ノ間
池に映る残月を見るための窓と言われる雲窓の出書院
帰りがけに写した御座ノ間の窓と日ゆらぎ
新しくなった西門