ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

臆病

2021年02月19日 | ノンジャンル
先週、大きな問題が持ち上がり、対応に
追われている。

原因はこちらにはない。だが補償はこちらで
しなければいけないという理不尽な話は、
これ迄もままあった。

だが、想定される補償額はこれ迄とは
桁違いである。

事業部内での処理は可能ではあっても、厳しい
経営状態の会社において、利益を上げている
部隊の落ち込みは致命的となる。

この1週間というもの、食事も喉を通らない、
夜も眠れない状態が続き、疲弊しきっている。

甘い見込みは排除し、最悪のケースを前提に
対応を苦慮する中、自身の苦悩を見つめ直すと、
その根幹には、臆病という病気がある。

不安と苦悩と恐怖に縛られ、身動きできない
間断なき苦しみである。

開き直ってしまえば、明日の生活も見えなく
なるほど困窮するわけでなし、会社にも
それくらいの体力は十分あるし、昨年に続き
今年も厳しい状況ではあっても、来年よりまた
巻き返していこうという前向きな話となるのだが、
臆病という病気は、そういう前向きさという
ものを一切受け付けなくなる。

つまり、常にビクビクしているのである。
平時には、このビクビクさは、かろうじて周りの
変化に敏感であるという利点を持つが、
有事には、己を縛るだけの厄介なものである。

縛られていることに怒りを感じつつも、それを
どうすることもできない苦しみである。

ある意味、そういう病気は生まれ持ったもので
あるだろう。それ自体をどうにかしようとは
思わないが、ビクビクの中から、びくともしない
不動の核を少しずつでも大きくしていきたいと思う。

目には見えなくとも、その核は確かにあると信じて、
それを結晶の様に大きくする時でもあるだろう。

詳しい事情は知らずとも、何の根拠もなくとも、
家内は「大丈夫よ」と笑う。

これまで、その言葉と笑顔にどれだけ救われて
きたことか。

純粋さというのは、それそのものが不動の
核なのであろう。

改めて、大した人だと感動すら覚えるのである。