ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

釘を刺される

2019年11月11日 | ノンジャンル
先週、休みを取って旅行に出かけた。

今年は、ゴールデンウィークも、お盆も休みは
なかったので、朝晩が肌寒いこの季節、温泉で
ゆっくり過ごそうと思っていた。

部屋に露天風呂もシャワーもあって、いつでも
湯船につかれる。

海を見下ろしながら、こんなひと時は何年振り
だろうかと、茫然とした心地であった。

と、初日の夜、食事を済ませて会計となった時に
ポケットに入れてあるはずの財布がない。

席に落としたかと見てもない。焦る気持ちを
抑えて、順を追って思い出すと、食事の前に
コンビニに立ち寄って、部屋で飲むお茶や水を
買った。それは現金で支払ったので、確かに
その時までは持っていた。

とすれば、車の中しかないと、駐車場に行った。
どうか、あってくれよと祈るような思いで
確認するも、車中にもない。

あわててコンビニまで戻り、財布を忘れて
いなかったか確認するも、無いという。

とりあえず、店には携帯で支払いを済ませようと
したが、電子マネーの取り扱いは無いとの事。

家内は財布を持ってきていなかったので、
ホテルに戻って、財布を取りに行くことにした。

この時点で半ば以上、あきらめていた。
支払いを済ませた後、ともあれカード類を
全部止めて、警察へ届け出ないとと考えていた。

ホテルやその他、旅程に関わることの支払いは
済んでいる。

後は、まあ、何とかなるかと算段していたが、
柄にもなく、休暇を取ってまでの旅行など、
やはり身の丈にあっていないと釘を刺されたかと
暗澹たる思いだった。

初日からこれでは、残りの旅程を楽しめる
はずもない。

車に乗り込む時に、散々探して見つからなかった
はずなのに、あきらめきれずにシートの下を
手で探ると、手ごたえがあった。
運転席のシートの下に財布はあった。

コンビニで買い物をした後、車に乗り込む時に
車内で落としたようだ。
おそらく、わかりずらい所に挟まっていたのが、
慌ててコンビニに戻り、また駐車場へ戻った際に、
移動したのだろう。

手に触った時は、まるで電気に触ったような
感覚だった。
同時に、何に対してかはわからないが、
自身の油断に警鐘を鳴らしてくれたこと、
そして、警鐘にしては、あまりに大きな代償となる
はずだったところを免れたことに謝罪と感謝の
両方を一度にしていた。

ごめんなさいと、ありがとうは、ある意味、
一体なのであろう。

初日のこの事件のおかげで、残りの旅を想定
以上に楽しむことができた。

だが、全てを台無しにしていたかもしれない
ことを思うにつけ、幸も不幸も紙一重なのだと
思い知らされた。

油断や、驕りからくるいい加減さこそが、
その紙一重の向うの不幸へと自らを追いやる
ことになるのである。

浜辺のさざ波を眺めながら、さざ波は同じでも、
それを眺める自身の想いは、まさに紙一重の差で
180度違っていたであろう。

そして、そこには、休日を返上して仕事を
してきたという、自身の驕りがあったのだ。

昔から、調子に乗っていたり、自身に驕りが
あると、普段ぶつけないようなところで頭を
ぶつけたりしていた。

今回は財布かと、あの暗澹たる思いと、本当に
良かった、ありがたいという思いを、今もなお
反芻しているのである。