ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

わからないこと

2012年03月14日 | ノンジャンル
新聞やニュースを見ていると、相も変わらず利己的な
犯罪が多い。

一体、他人をだまし、他人を傷つけ、他人を殺して、
仮になにがしかの利益が自身にもたらされたとして、
それが自身の幸せにつながると本気で考えているのだろうか。

他人を泣かせて、楽しい食事ができるのか。
他人を殺して、心の底からの喜びがあるのか。

ましてや、裁判を有利に進めようとするなど、
何の意味があるのか。

そんなものは、法律上の事であって、現実に自分がした
行為は全て自分自身が誰よりも知っている。

その報いは、必ず自身に還ってくる。

世間の評判や、国の法律など及ばない、厳然とした
因果律がそこにあることを知らねばならない。

錆は身から出るものであり、表面をいくら糊塗した
としても仕方がない。

他人を殺して得た利益で、楽しく食事をし、ぐっすり
眠れて、生活を謳歌できるとすれば、それはもはや
人ではなく、狂人である。

極論ではあるが、武士は食わねど高楊枝、食えなくなれば
腹を切ればよいという自己完結の潔さを、この国の人々は
いつから失ってしまったのだろうと思う。

この病気で、周りを巻き込んできた人間であるからこそ
余計にそのあたりのことを思うにつけ、どうにもわからない。

反面、年間の自殺者は3万人を越えて久しい。
これもいわゆる潔さとは無縁の状況である。

半世紀の間に、これほど豊かになってきた国が、
その豊かさの代償としてきたものはなんだったのか。

昨年の大地震、津波の大災害の折に垣間見えた民族の
根っこが、たかだか一年でもう埋もれてきているように
思えて仕方がない。

どうにもよくわからないのである。