ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

良かった事

2008年02月04日 | ノンジャンル
気分も自然に高揚し、楽しい雰囲気、活力の源、気分転換と、
いいことばかりだったお酒が、いつの間にか意気消沈、陰鬱な
雰囲気、無気力、暗澹たる気分を重ねるような事に
なってしまっていた。

気分の高揚などはほんの一瞬の事となり、飲めば飲むほど
落ちて行き、それでもその一瞬の高揚を求めて飲み続ける。
地獄への螺旋階段を、ぐるぐる回る頭で駆け下りていくに等しい
状態であったが、何とか底を打つ前に踏み止まれたようであった。

底とは、死を意味する。底を打たないと断酒継続は難しいと
いわれるが、底を打てば、それが死となるケースは珍しくは無い。

かろうじて踏み止まったものの、飲まないことで、これまで
駆け下りて来てしまった階段を一段ずつ登っているに過ぎない。
決してゼロから登っている訳ではない事を時にしっかりと
肝に銘じておくべきである。

日々の生活において、飲むことがプラスになっていた時期の事も
承知している。
同時に、飲むことで全てマイナスになってしまった、近い時期の事も
承知している。
そして、もう飲むことをプラスには出来ない事も承知している。

断酒して、良かったと思えること、そうは思えないこと、
悲喜こもごもではあるが、まだ、ゼロに戻りつつある段階と思えば、
仕方が無いとも感じる。
今、良かったなどと思うことなどは、ほんの瑣末な事に過ぎない。

ゼロに戻すという事は、死闘に近い。プラスに転じて、初めて
良かったと心から実感できるのではないかと思う。

とまれ、これは自分個人の問題である。ともかくも一段ずつ登って
いく事を続けていく中で、家族や周りも一歩ずつ前へ進めていく
ことになれば、これほど嬉しい事はない。
自分のためだけの一段であれば、登るも勝手、下るも勝手である。
だが、自分の一段が、周りの一歩になると知れば、下りる事は
なんとしても出来ないのである。

さんざん、自分中心に生きてきたのである。自分だけの喜びよりも
遥かに大きな幸せを感じられる一段であるなら、何があろうと、
喜んで登るべきである。
再び下りてしまえば、その分、周りをも後ろへ引きずり戻して
しまう事になる。
自業自得では済まされないのである。

ゼロに復帰しようとしている自分自身が、本当の意味で良かったと
思えることは、殊、自身のことで言えば、取り立てて何も無い。
もちろん、当たり前のことは何一つ無く、むしろあたりまえの
日々を過ごせる事に、感謝もしている。

繰り返すが、自身が実感できるとすれば、それはプラスに
転じてからであろう。

一つの節目となる3年を今年迎える段になって振り返るに、
本当に良かったと実感できる事は、私の一段一段と同期するように、
子供たちが一歩一歩成長して来た事である。

これは、本当に何にも代えがたいことであり、よくぞあの時、
あのタイミングで、止まる事ができたと、今更ながら
胸を撫で下ろす。

娘が中学に上がったばかりの頃。その後息子も中学に上がり、
今は娘の高校受験。
この、彼らにとってもかけがえの無い時期に、少なくともまともな
父親として、いや、別の言い方をすれば、共に前進していく姿で
あれたことに、心から感謝しているのである。

私自身も含めて、家族が守られたということを
痛感せずにはおれない。
無論、私が守ったわけではない。
自身も含めて、何かに守られたのである。
その何かに感謝し続けるとき、私の登るという闘いは止む事はない。