Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

靴を履き替えるように、心も履き替えられたなら

2004年10月24日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、靴を履き替えるように、心も履き替えられたならでした。

ついにというか、ようやくというか、
バイク用の靴が新しくなりました。

本当は全く同じ靴にしようと思っていたのですが、
売っておらず、ではではと全く違う靴を購入。

グローブもそうですが、
濡れてグチョグチョになりそうな革製品より、
濡れてもなんとかなるハイテク素材製品が、
好きだったりします。

靴に関しては加えて、ギアを押し上げるため、つま先が固いことと、
歩き回っても疲れないくらい優れたクッション入りのソールであるということと、
あと、いかにガンダムっぽいか、という謎の基準があったりします。

いや、ガンダムっていうか、
未来っぽいか、パイロットぽいかっていう。

バイクでも気張らず、まるで普通の服装をする私ですが、
一箇所くらい、少しの遊びをしてみたいわけです。

お写真は、どうです?チョットそれっぽくないです?

さて、そんな新しい靴とバイクで、
映画を観に行き、そして友達の家に遊びに行きました。

そこで話題になったのが、
またも先月末の合コンのお話。

いやはや、しつこい集団です。
もう、大好きです。

この合コンは友達の彼女が、
高校の同級生を3人集めて行ったものでした。

ので、友達の彼女の連絡先さえ知らない私は、
常に友達の判定を受けねばならず、
これまでどんなに弱音を吐こうが、
受け入れられることはありませんでした。

それは当然のお話です。
出来なかった私が悪いのですから。。。

しかし今回、出来るかわからないけど、
彼女にお願いして飲み会を開くよう頼んであげようか、
という言葉が。

そこで私の言葉が出ない。。。

基本的に私は、自分の私利私欲のために、
他人に無理を強いる行動は、好きではありません。

他人が好意でしてくれる行動にはノりますが、
そこに少しでも暗い気持ちを抱くならば、
私は自らそれを得たいとは思いません。

自分の幸せのために、他人が苦しむ姿は見たくない。

今回もまた、無理そうなことを実現させようと粘る、
手間をかけさせたくなかった。

友達がどれだけ行動をするかわかりませんが、
自分に置き換えて考えると、それは大変なことだと思ったんです。

そもそも私は、目の前にいる人に対して、
精一杯の気持ちで接することが正しいと思っており、
その人の前で、その先にあるものや別のものに対して興味を向けることは、
とても失礼なんじゃないかな、って思うわけです。

別にそのために一緒にいるわけじゃないって。

それ故に、飲み会の場を設けてもらおうと頼むのも、
その友達に失礼な気がしますし、
友達が彼女に頼むのも、そんなだから悪いなって。

言葉がなくなったわけです。

けれど、幸せを掴むためには、言葉は悪いけれど、
どこかで他人を利用しなければならないのかもしれません。

もっと貪欲に、もっと形振り構わず。

ああ、この弱弱しい心も、靴のように簡単に、
新しく履き替えられればいいのに。。。

そんな私に対して、その前に言われてはいたけれど、
友達は一言、空気、という喩え言葉を投げかける。

いてもいない存在だというのだ。

もちろん冗談であり、そこに悪意はない、
怒るところでなく、笑うところである。

いてもいない存在。

明日死ぬかもしれないと日々考え、私が望んでいる姿は、
挨拶もなしに現れて、話すだけ話して、聞くだけ聞いて、
しばらくしたら、挨拶もなしに去るも誰にも気付かれない、
というもの。

つまり、いつ私が死んでも、
誰も悲しまず、誰も気にもしない、
そんな存在で、私はありたいと思い続けていた。

誰にも影響を与えず、私は私だけを生きる。
そうすることが周囲のためだと思って。

私は空気。

自覚していることを言われることは、
人間何よりもツライ。

その言葉以来、私の笑顔が曇ってしまったことを、
誰にも気付かれなかった。

それもまた、空気たる所以か。。。

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