Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

同性愛のクレープ

2004年05月23日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、同性愛のクレープでした。

友達の家に遊びに向かう途中、
とても不思議な光景を見ました。

互いの手に持ったクレープを食べさせ合う、
煤けた中年男性のふたり組がいたのです。

食べて食べさせ、食べさせ食べて。。。

もしかしたら単なる男友達同士なのかもしれませんけど、
今回のお話の中では、強引に同性愛者と仮定しておきましょう。

から女子好きを主張している私ですが、
正直なところ男同士でいる方が、
女子と過ごすよりも気楽で面白いです。

中にはその例に漏れるステキな女友達もいたりしますが、
そこもまた、今回は強引に見ないフリをしましょう。

男同士は気楽で面白いからと言って、
じゃあ恋愛対象になるか、と言えば、
残念ながら私にはそれは無理です。

たとえ気楽で面白いとしても、
それは女子といるときと種類の違う面白さですし、
なにより全くドキドキしません。

女子という存在が自分とは感性が違う存在であるからこそ、
興味を持ちたくなるし、興味を持たれたくもなる、
甘えて欲しくもなるし、甘えたくもなる。

そして、愛し愛されたくなる。

要は、精神的な意味で、
凸は凹に組み合わされたいということです。

同性愛者の方は、
異性でなく同性にこうした感情を抱くんでしょうね。

単に対象が違うだけなので、
ごく自然な感情ではあると思います。

感性の違いだけで、特に問題はないです。

しかし不思議なのは、なぜ互いに愛し合えるか、というところです。

繰り返しになりますが私が女子を好きになるのは、
女子が自分とは異なる存在だからなのです。

つまり同性愛者についても、
どちらか一方は、男そのものでなくては、
好きになれないのではないでしょうか。

しかし男そのものであるということは、
女子好きで、男に恋愛感情が沸かない場合が、
確証は持てませんが、きっと多い気がします。

対象の男が男好きな時点で、男そのものとは外れるわけで、
同性愛者の恋愛対象から外れてしまうのではないでしょうか。

感性が違う存在ではないわけですから、
カッコイイ男子に恋している、
女子と女子が愛し合うのと同じ話になってしまいます。

凸と凸では□になれません。
どうにも納得出来ません。

それとも、私の女子を好きになる理論とは違ったところで、
単に男好きな男という存在のみを好きになる男がいる、
ということなのでしょうか。

男同士の気楽さが恋愛になってしまうのでしょうか。

そうではなく、ホントは男そのものな男を愛したいけれど、
そんな対象は振り向いてくれないから、妥協同士で付き合っているとか、
好みとは違うけど傍にいて大事な存在に思えたから、というか。。。

長身で細身で知的な女子好きの私ではあるものの、
恋する対象は、好みとは関係ない身近な気の合う存在、みたいなノリで、
男好き同士が好き合ってしまうのでしょうか。

考えれば考えるほど難しい。。。

というか、こんなこと考えていると、
どうにも煤けた中年男性とクレープの映像が頭を離れません。。。

嘘でもカワイイ女子同士の小粋なお話にすればよかった。。。

ということでこの問題、私個人ではなんともよくわからないので、
答えがわかる方は、軽く教えて欲しいな、とか思います。

以上、本日の愛聴曲は『IN THE NAVY』な、
イヤマイ・ボーイでした。

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