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ぼんぼん先生との思い出

2022-04-05 18:16:39 | 日記

DNに書き記した2004年1月7日の記録。

もうすぐ花祭りなので。

CITY OF ANGEL

2004年1月7日
ぼんぼんが、逝ってしまった。

私の45年の人生の中に、僅か8日間しか登場しなかったぼんぼん。


時間にしたら、ほんの2日未満の出会いの中で、私の心と身体を軌道修正してしまった人。



生きていると不思議だなぁと思う事が沢山あるが、ぼんぼんとの出会いと、それに続く人々の繋がりを思う時、本当に人間はただ自分1人で生きているのでは無いという事を思い知る。



それまでの41年間の人生で背負い込んだモロモロの事が辛くて重くて、「もう京都の竹やぶの中に突っ込まって死ぬのよっ。」と1人で勝手に思いつめて出かけた西の地で出合った鍼灸師。それが彼だった。



「あんなぁ、女性はなぁ、子宮で物考えていいんやで」



ヨレまくって浅い息をするのがせいぜいの私の脈を取りながら、子供を見守る父親の様な眼差しで優しく諭したぼんぼん。



それまでの私なら「何いってんのよ、馬鹿にするのもいい加減にして。子宮に振り回されるなんて、冗談じゃないわよっ」と反論しそうなものなのだが、その時は、なぜだか心の奥に染みこんで、黙って彼の言葉を聞いてしまっていたのだった。



「これなぁ、ほんまやったら精神が分裂してる人の脈やで。でもな、底の方でバラけない様にしっかり押えてるもんがある。強いなぁ、ちょっとないよこういうの」



そう言うと、彼は私に四本の鍼を打った。

頭の百会というツボと、おへその少し下にある丹田のツボ、そして右足踵の内側のツボと左手の親指あたりのツボ。


電気を消して静かに横になっていたら、知らない内に涙が溢れて止まらなくなってきてしまい、自分でもビックリ。



その時、私は自分の身体の中の何かが、まるで砂鉄が磁石に吸い付いていくような感触で動いていくのを感じていた。



ばらばらと辺り一面に撒かれた砂鉄が、四っつの磁石の所にザザザーっと集まる。そんな感じ。



約45分位すると、その砂鉄の粒はいつの間にか、背骨に沿って一本の形を作っていた。

その間、受付のおばちゃんが、何度ティッシュを持って涙を拭きに来てくれた事か。

「泣きたい時には遠慮せんと泣きゃ。身体がそうしたいんやから、身体の言う事聞いとったらそれでええんやで」

私はそれまで身体の言う事なんかに少しも注意を払っていなかったのだなぁと、その時しみじみ思ったものだ。頭では偉そうな事言ってても、実はなにも判ってなんかいなかったのだ。



最後の仕上げに背中のツボにも鍼を打つのだが、その時ぽんぽんは不思議そうな顔で「あなたは尼さんでっか?」と聞いてきた。


違うけど、なんで?と聞くと、彼の今までに診た患者の膨大なデータには、それぞれの鍼を打った時の身体の反応の仕方まで記録してあって、私のそれは、修行した坊さんとか看護婦長さんしかしない反応なので、そうなのかなっと思ったのだと教えてくれた。


鍼で、そんな反応が出るなんて。


不思議だなぁ。


そんな不思議な事を言うぼんぼんなので慕う人は多く、患者の中には「先生は生き神様ぢゃ」などと言う人もいたのだが、そんな人には「手ぇ会わせたかったら、どっかお寺か教会か神社いきぃ。うちは鍼灸院で鍼打つとこやで、手ぇ会わせるとことちやいますよ」と笑って断っていた。


研究熱心で、いつも気の交流や流れについてのデータを集めていた。


自分自身も含めて、患者に対していつも心の闇との戦いを課題にするように、言っていた。


「鍼が病気を治すんではないよ。僕が治すのでもない。手助けしてるだけやん。自分が治る気ィにならんと根本的な治療にはならんのよ。自分と戦ぃや」

いつもそう言って患者を諭していた。

大阪の人らしく、自分でボケて自分で突っ込んで、患者を笑かしてくれた。


みんな頭やお腹に鍼を刺したまま、カーテンの向こうでお互い顔も知らない人達がワハハハ笑い会っていた。

楽しくて、明るい医院だった。


「誰だって、時々は身体のメンテナンスせなアカンよ。」


わしゃ丈夫や、ただチイと今は本調子やないだけや。と言う爺さんに言っていた言葉が今も心に残る。

あっちが痛いこっちがおかしいという自分の祖母には「お婆ちゃんは、自分の身体に百遍ありがとうって言ってみィや。すぐに治ってまうで。もっと身体に感謝しい」


と言っていたそうだ。



人が亡くなる時には、不思議な事が起こるものだが、3日の午前9時過ぎに今住んでいる土地の神社に初詣に行った帰り、スーパーに買出しに行った私は、買った物を車に積もうとして、運転席のドアの所に、一匹のミツバチが止まっているのに気がついた。


暖かいとはいえ、1月3日の午前10過ぎだ。なんでこんな所にミツバチが・・・、と思いながらも反対のドアから荷物を積んでいる間にどこかに行ってしまったのだか、虫が知らせてくれたのかどうか、後で聞いたらその頃お焼香をしていたのだそうだ。


「お兄ちゃん、お花が好きやったからね」という妹さんの言葉とミツバチが結びついて、ああ
ミツバチに伝言託してくれたのかなぁと、自分に都合よく解釈した私。


私がぼんぼんの訃報を知ったのは4日の夜で、それから大急ぎで荷物をまとめて、次の日の朝大阪行きの新幹線に飛び乗った。


わずか8日しか会っていない人なのに、どうしてもまだ「ご霊前」の内に、初七日になる前に会ってお別れがしたかったからだ。


天才ウイリアム・シェークスピアと昭和の落語名人・三遊亭円生は、それぞれ誕生日が命日になった人達だ。


イギリスのグラム・ロックの華、ブギーの伝道師マーク・ポランは、「僕は30前に死ぬ。悪魔との約束だから」と公言していて、本当に30歳の誕生日の丁度二週間前に車の自損事故で亡くなった。


今日7日は、お元気でいたら、ぼんぼんの29回目の誕生日になるはずだったのに、初七日になってしまった。

人々に多大な影響を与える人には、生まれる前から、なにがしかの約束が有るのかも知れないと、感じずにはいられない。


元旦の夜に、突然亡くなったのだ。


それまでまったくの健康体だった人が、夕ご飯を食べて、いつもと調子が違うと言って救急車を呼び、自分でストレッチャーに乗って、そして、約二時間後には心臓停止で帰らぬ人になってしまった。
原因不明。

お役目御免で、次の指令を受けて出かけて逝ったとしか思えない人生の退場の仕方。


28歳の若者のお葬式なら、大抵の人が「志半ばで・・・」と思うものなのに、なぜかみんなが、きっと次の仕事があるからよ、と思う程老成した人だった。


残された私達は、これからぼんぼんの言葉をしっかり掘り下げて行かなくてはならない。

わずか4年8ヶ月の開業なのに、彼が与えた恩恵は量りしれない物がある。

その医院開業5周年の日が、くしくも百か日の法要の日になってしまった。

その日は4月8日の花祭りの日。お釈迦様の誕生日だ。

ぼんぼんの命日は、みんながお寺や神社で手を合わせて、幸せを祈る日だ。

ありがとう、ありがとう。


出合ってくれて、ありがとう。

不思議な、不思議な出会いだった。