狭間に揺れて

どうか英雄とならぬように。英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守りくださいまし。‪‬‬‬‪‬(芥川龍之介)

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少し考える、それが難しい(朝日新聞 2018年6月1日)

2018-05-27 | 虚しきもの(時事・思想)
「なぜ私なのか。まるでカフカの小説の主人公のようだ」。

20年前のフランス・ボルドー重罪裁判所。被告席にいた87歳の男がはき出した言葉が強く印象に残った。

傑作「審判」で、理由もなく逮捕され裁判にかけられ処刑される主人公ヨーゼフ・Kに自らの運命を重ねたのだ。しかし、老人には裁かれる理由があった。罪名は「人道に対する罪」。

禁錮10年の判決を受けたのはモーリス・パポンという元エリート官僚だ。出世の階段を上りつめ、国会議員やパリ警視総監、予算担当相まで務めた。

功成り名遂げたはずの人生が暗転したのは、第2次大戦中のふるまいが暴かれ問題視されたから。ナチスドイツの支配下にあった対独協力政権(ビシー政府)で、フランス南西部の県の総務局長だった。ユダヤ人を強制収容所に送る任務を担当し、効率よくこなしたという。

ナチスの思想に共鳴して弾圧政策に加担したために裁かれたフランス人はほかにもいた。だが彼はナチス思想の信奉者ではなかった。問われたのは、時の政権の非人道的な政策の執行に携わった能吏としての責任だった。

当時は、政府ばかりか多くの一般市民もユダヤ人迫害に対し、沈黙やあいまいな姿勢に終始したといわれる。そこで行政官として勤勉だったからといって、なぜ責められることになるのか。そのいらだちに満ちた証言だった。

昔の取材を思い出したのは、ゆがんだ組織で忠実にふるまってしまった個人の葛藤を考えさせるニュースが最近続くからだ。

ひどい仕事でも、任務となると疑問を棚上げして淡々と取り組む。ひとつの社会や組織にどっぷり浸ってしまうと、それを相対化して自分の立ち位置を変えるのがどれほど難しいか。

森友・加計問題では、政権の見解に沿うような言動をしたエリート官僚が相次いで窮地に追い込まれている。

佐川宣寿・前財務省理財局長は森友学園をめぐる交渉記録について「残っていない」などと国会で説明していた。しかし、膨大な文書が出てきた。一部文書は、そうした答弁のあと改ざんや廃棄が進められていたことも明らかになった。

加計学園の獣医学部新設の問題では、柳瀬唯夫・元首相秘書官の立場が苦しくなる一方だ。首相の関与は一切ないという政権のストーリーと矛盾しないように発言を繰り返した結果のように見える。

能吏として問題を手際よく収めようとしたあげくに、批判の矢面に立つはめに。「人道に対する罪」でもないし、裁判でもないけれど、理不尽な扱いを受けているという思いは共通しているかもしれない。やはりカフカの小説の主人公のようだと感じているだろうか。

パポン氏たちが乗り越えそこねた壁はいったい何だったのか。まったく別のニュースに登場した20歳の若者の言葉が答えを示唆している。

アメリカンフットボールの悪質タックル問題で加害者となった日本大学の学生である。

「監督、コーチ陣からのプレッシャーがあったにしろ、そのプレーに及ぶ前に、自分で正常な判断をするべき」だったと記者会見で語った。アメフトと彼の青春は一体だっただろう。それでもチームを相対化し、犯した過ちの原因を直視している。「少し考えれば自分がやったことは間違っていると前もって判断できたと思うので、自分の意思を強く持つことが今後重要だと思いました」。

「少し考えれば」。その通りだ。けれど、もっと人生経験が豊富なはずの大人たちにとっても、それは容易ではない。

エリート官僚やスポーツチームの指導者に限らない。自分も気付かないうちに同じ落とし穴に陥っているかもしれない。学生の言葉に日ごろの言動を振り返ってみた人は多かったのではないか。

「自分の意思に反するようなことは、フットボールにかかわらずですけど、するべきじゃないなと思います」

シンプルな言葉が胸にささる。
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