随想録~つれづれなる一言日記⇒Part2はhttps://blog.goo.ne.jp/conny_mizukiにて

私こと瑞希祐作が、無秩序・無作為・無節操に自分の思いのままを書きつづってみました。楽しんでください!

電話会議

2009-06-26 | 比較文化論
 米国に来てから未だになれないものがあります。それは電話会議です。日本人は会議と言えば、顔を突き合わせての直の打ち合わせを好みますが、こちらではもっと合理的に電話やTVを使った会議が頻繁にあります。たったわずかな時間のために遠いところまでやってきて打ち合わせをするよりは、頻繁に「文明の利器」を使って継続的にコミュニケーションを図っているほうがずっと効果的だというのかもしれません。それは確かに当たっています。そうすることによって、合理的に時間が使えるのです。

 しかしながら日本人にとって、TV会議はまだしも、電話会議というのはなかなかなじめません。というか、理解が非常に難しいのです。

 元来日本人は交渉に際して相手がどう考えているかを重視します。すなわち「相手の目を見る、行動を考える。」ことをしながら、出方をうかがいながら方向性を見出していく民族なのです。したがって、相手の具体的な表情も見えないままに話をすることには非常に抵抗があります。

 さらに日本語というのは、他のどの言語と比較しても非常に穏やかな、悪く言えばフラットな言語です。落ち着いて淡々としゃべることに美を見出している反面、なかなか容易に理解がしずらいところがあります。英語の場合、イントネーションやそのテンポによって、大よその意図がわかるかもしれません。ところが、日本語の場合、そういうことがつかみにくいのです。

 だから・・・、「阿吽の呼吸」とか「目は口ほどにものを言う」といった感じの言葉に代表されるように、その視覚的なものが、言語を補強しているのです。

 したがって、こういうすこぶるおとなしめの、落ち着いた民族からすれば、こういう電話会議たるものは苦手となって当たり前なのです。私もついこないだ満4周年を迎えましたが、未だにこの電話会議には慣れません。

 確かに皆さんは「ヒヤリング力を上げればそんなの目じゃないよ?」なことを言います。特に米国の駐在をしている人間に関しては、「そんなのわかって当たり前!」のような非常に高いハードルをいつも用意します。これが問題なのです・・・。

 駐在員だって人間です。わからないことはわからないのです。

 英語をしゃべる人間がみなきれいなEnglishをしゃべって容易に理解できるのであればよいのですが、元々この言葉は万国最大公約数的なものであり、要は「わかりゃいい!」程度のものなのです。そう考えると、誰もがお手本のような言語をしゃべるとは限りません。むしろ、自分よりも変な文法とアクセントを駆使したようなものでしゃべるかもしれないのです。

 まぁ、日本人の理解力には限界があるのですから、一番良い方法は、相手が何と言おうと最後に「これは・・・だっけ?」と言ってどこまでも確認することが必要なのです。相手が言った言わないということを気にしていたらだめなのです。とにかく「これは・・・なんだな?」としつこく聞き返すことが大事なのです。

 米国人は基本的に相手がわかるまで何度も説得するように躾られています。だから相手の言うことを鵜呑みにせず、常に確認をすることが大事なのです。

 昨日はこういう方針でやっていたものですから、30分くらいで終わることが1時間近くかかってしまいました。でもお互いに理解を共有できたので、それはそれでよいことだと思っています。

 とはいえ、やっぱり会議後は疲れましたねぇ・・・。いつも思うのですが、こういう時に同時通訳がいれば本当に楽なのに? という気持ちで心が満ち溢れます。

 皆さんは私に共感してくれますか??