愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

貧困オバケのヒンキー君

2008年08月13日 02時37分00秒 | 貧困根絶をめざす
ヒンキー君を成仏させましょう。

 ここで、使われている画像にオバケらしきのがありますね。らしきというより実際オバケの絵です。このオバケは、ヒンキー君と言います。ヒンキー君は反貧困ネットワークのシンボルとなっています。

 さて、どうして反貧困ネットワークのシンボルがヒンキー君と名づけられたオバケなんでしょうか。それは、貧困というものには、実は明確な形がなくそれゆえにきわめて分かりにくいこと、同時にあって欲しくないからです。「貧困とは何か」このように誰かから問いかけられたら多くの人が頭を抱え込んでしまうのではないでしょうか。かくいう私自身、「貧困とは何か」というようなことを問われるとどのように答えたら分かりやすいか、万人に納得しうるか非常に悩みます。実は、これにはわけがあります。このわけこそが貧困というものに明確な形がないことの現れです。

 目に見えにくい貧困ですが、見えにくくてもこれは確かに存在しています。しかし、貧困というのは社会においてそれ自体の形で出現するわけではありません。個別的な形をとって現れます、貧困は。例えば、児童虐待、ドメスティックバイオレンス、失業、教育課程からの排除などの形で現れます。これらのことに共通しているのは、NPO法人もやいの事務局長湯浅誠さんの言葉を借りれば"溜め"のない状態です。

 「溜め」とは何か。湯浅誠さんは、次のように語っています。

  "溜め"とは、溜め池の「溜め」である。大きな溜め池を持っている地域は、多少雨が少なくてもあわてることはない。その水は田畑を潤し、作物を育てることができる。逆に田畑が小さければ、少々日照りが続くだけで田畑が干上がり、深刻なダメージを受ける。このように"溜め"は外界からの衝撃を吸収してくれるクッション(緩衝材)としての役割を果たすとともにそこからエネルギーを汲み出す諸力の源泉となる。

 上記文章は、湯浅誠さんの著作「反貧困」(岩波新書)より引用。

 "溜め"とはずいぶんと抽象的な概念を用いているわけですが、抽象的な概念を用いるのは"溜め"を作る要素が多種多様だからです。例えば、ある個人を社会からの衝撃、例えば失業や病気などから守るものとしては、お金があります。しかし、それだけではありません。お金が少なくても親戚や友人が助けてくれるかもしれません。この場合、親戚や友人といった人間関係が"溜め"といえます。このように、溜めは一義的ではないのです。だから、特徴を言い表すときに抽象的な概念を用いざるを得ません。自信という精神的なものも"溜め"になりえます。
 
 このようにして、人が生きていくために必要な"溜め"のない状態を貧困というわけです。少々抽象的な文章が続きましたが、貧乏と貧困を(根っこでは繋がっているでしょうが)区別するために必要です。また、政府は、生活保護法を改悪して老齢加算を削除し、母子家庭への母子加算に大なたを振るうことを画策し、あたかも貧困がなかったかのように「貧困抹消」をたくらんでいるのです。このような、政府・福田自公政権の横暴を許さず私たち国民の生活を貧困から守るために私たちは、貧困に向き合い理解するべきなのです。

 ヒンキー君は、社会において貧困が放置されると怒り出して、際限なく増殖します。でも、多くの人が貧困に向き合い貧困根絶に動き出しこれが根絶していけば、ヒンキー君は晴れて成仏することができます。みなさん、ヒンキー君を成仏させて上げましょう。

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