ぐーたらハハのあれこれ

【ワーキングマザー4年生】ぐーたらであるにもかかわらず子育て、仕事、そして趣味に励もうとしている無謀なハハのあれこれ

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家族狩り(第三部)贈られた手 天童荒太

2007年12月13日 | 
贈られた手―家族狩り〈第三部〉 (新潮文庫)
天童 荒太
新潮社

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永遠の仔を読み、著者の別の本を読みたくて買った本。

とにかく暗い~。
この記事なんて影響受けてる?と思う感じ。

怖い夢とかも見た。
隣で惨殺があるとか・・・。

そこに救いはあるのか?と思っていたら、やっと第四部少しばかり光が射したような・・・・。(読み進めると違うかもしれない)


この第三部には、私が社会について思っていることが、「あ、同じ考えだ」と随所にでてくる。
関心と無関心の間が広すぎるとか。
学生運動の時に刷り込まれた挫折感であったり、政治活動を嫌う傾向にある国民性の理由とか。

子どもを取り巻く環境が大きなテーマなのか、複雑にいろいろなことが絡み合っている。

****

(文中)児童相談センターでセミナーが開かれる。
男性講師(精神医学を専門とする大学教授)が家族療法を用いた診察をしており、そのビデオを用いて話をしている。

確かに現代の若者は、様々な形で自由を知り、古い価値観や因習めいたものから解放されました。けれども彼らの多くは、自分で考え、行動して、そうしたわけではないんです。世界の人々や、
歴史的な人々の行き方と比較して、独自の価値観を得たのではない。世界経済の影響などで変化した社会の枠組みを、便利だから、受け入れているに過ぎないんです。生きる意味を真剣に問い詰めないまま、就職し、結婚し、家庭を持ち、親となる・・・本当に精神的な自立を果たしているとはいえない状態です。そうした親は、自分の人生を肯定してくれる場所として、家族を求める危険性があります。
皆さんのなかで、こんな言葉を、お子さんに向かって言われた事がありますか。『だって、あなたはお母さんの子でしょ』『それこそ、おれの子だよ』」


 言ったかも・・・ 
うっ、こんな記事書いたばっかじゃん。


どうしてそれが悪いのかと、疑われる方も少なくないでしょう。……(略)愛情の証明や、子どもの誇りや励みになる場合もあります。けれど、気をつけなければいけないのは、子どもには容易に反論できない絶対性があるがゆえに、所有の観念や、帰属の意識のなかに、子どもを縛り付けることがあるんです。……(略)親はみずからの言葉を意識しつつ使うようにしないと、まずます危険な時代に入ります。


って、親の言葉次第で、子どもの非行や、暴力(家族殺し?)に繋がっていくと言う、怖いお話。

親の言葉に造られる背景があるわけで、それが今の「何でもサービス」で捕らえる社会現象であったりする。

私たち世代は「サービス」と言うのが当たり前にあるので、子育てで子どもに対しする「おむつを換える」「食事をさせる」しいては「躾」までも、やってあげている「サービス」として捉えてしまう。
だから、言う事をきかない子であれば「こんなにサービスをしているのに」と虐待へと走ってしまう。

『愛してほしくないの?』と子どもと取引をしている状態になりかねない



まあ、下手に怖がるのもなんではありますが、第三部までは存分に怖がらせてくれるお話であります。






コメント
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