例えそれが誰かの利益になるのだとしても、自分でそれを為そうと決めたのならそれはすべて自分のためでしかない



<矢巾中2死亡>いじめ?ノート記述「死にたい」 (河北新報) - Yahoo!ニュース

 岩手県矢巾町で5日、町内の中学2年の男子生徒(13)が列車にひかれて死亡した事故で、生徒が担任教諭に提出したノートに「ボクがいつ消えるか分かりません」「市(死)ぬ場所は決まっているんです」などと自殺をほのめかす記述をしていたことが7日、分かった。県警は自殺の可能性があるとみて動機を調べている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00000001-khks-soci


ワイドショーでノートの内容を報道していましたが、なんだろう、あの違和感。
なにか言い回しが独特というか、演劇的というか。
ラノベかなにかを読んでいるような印象でした。
いじめられていることを親には言えないのに教師には言えるというのも違和感が残る。

私自身いじめられっ子だったので「親には言えない」という気持ちはよく理解できる。
でも親にも、担任にも、誰にも、言えなかった。
他者に言ってしまうということは「自分はダメな人間なんだ」と認めてしまうことになるからだと思う。
決して「親に心配させたくない」なんていう気持ちからじゃなかったのは確かだ。

ラノベ風の言い回しから推測すると、きっと彼にはラノベの主人公のような『理想の自分』があったのだと思う。
だから現実との齟齬に彼は躓いてしまった。
担任に渡すノートにはひたすら「自分はかわいそう」なのだと主張しながら親には言わず、自死を選んだのは、そんな世界への「あてつけ」だったのだろう。

現実を受け入れてしまえば生き延びる方法なんていくらでもあったのに。

私は比較的恵まれていたのだろうとは思う。
優秀な兄がいてくれたおかげで、上級生からは可愛がられていたから。
いじめてくる連中には反発せず、迎合して、「面白くない」と思わせることで乗り切った。
連中は「面白い」と思うからいじめなんてやるんだから、連中が期待しているような反応をしなければいい。
ただそれだけだ。
とはいえ中にはエスカレートしていくキチガイもいるので一概には言えませんが。

漫画家の西原理恵子さんが2012年に「いじめられている君へ」という朝日新聞の特集に寄せられていたメッセージが、私にはこの問題を解決するための唯一の答えだと思う。

うそをついてください。

まず仮病(けびょう)を使おう。そして学校に行かない勇気を持とう。親に「頭が痛い」とでも言って欠席すればいい。うそは、あなたを守る大事な魔法(まほう)。人を傷つけたり盗んだりするのでなければ、うそって大事よ。これからも、上手(じょうず)にうそついて生きていけばいいんだよ。

亡くなった夫は、戦場(せんじょう)カメラマンでした。戦場で銃(じゅう)を突きつけられたことが何度もあったけど、一番怖(こわ)かったのは、少年兵だって。大人は残酷(ざんこく)な兵士にもなるけど、家に帰ったらやさしいお父さんにもなる。愛することや大事なものを知ってるから。

でも、少年兵は物事の重大さが分からず、簡単(かんたん)に人を殺しちゃうんだって。生前(せいぜん)にそう言っていました。子どもってそういう生き物。「子どもなのになぜ?」って思うかもしれないけど、戦場の理屈(りくつ)だと、そうなんだって。

いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。

学校は、いじめられてつらい思いをしてまで行くようなところじゃない。長い夏休みだと思って、欠席してください。そして、16歳まで生き延びてください。高校生になれば、通信制(つうしんせい)高校やフリースクール、いわゆる大検(だいけん)など選択肢(せんたくし)が広がります。

何よりもアルバイトができる。お金をもらいながら、社会人にふさわしい訓練(くんれん)を受けられます。お金を稼(かせ)ぐということは自由を手に入れるということ。その先に「ああ、生きててよかった」と思える社会が必ず待っています。


もう、どうにもできなくなったら、逃げればいい。
そして逃げだした先で、もう一度始めればいい。
人生、一度躓いただけで終わりだなんて、マスコミが印象付けたただの幻だ。
他人に迷惑をかける生き方じゃなければ、生き方なんて千差万別。
どんな道だって続いてる。

問題は、これを是としない人間が多くいること。

小中高大と出来るだけ良い道を選んで突き進み、出来るだけいい会社、良い職に就いて、結婚して、子供が出来て、定年まで働いて、というマスコミが印象付けたモデルケース以外の生き方をする者は「落伍者」なのだとする今の社会構造こそが「正義」なのだとする人間の多いこと。

親が子供たちの救いを求めて伸ばされる手を振りはらってしまうから、結局子供たちは手を伸ばすことなく、消滅を望む。

数学じゃないんだから、一つだけ存在する答えを見つける必要なんてない。
生き方に、答えは無数にあるのだということを、まずは大人たちが理解しないと、子供たちを救うことなんてできない。
まずは、画一的な教育を受けてきた大人たちの凝り固まった考えをほぐして、無数に存在する可能性を提示できるように、常識を変えていくべきではないでしょうか。

とはいったものの・・・最近は「何もかも他人のせい」という根性の人間が多いからな・・・



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