例えそれが誰かの利益になるのだとしても、自分でそれを為そうと決めたのならそれはすべて自分のためでしかない



東の海神西の滄海を今更ながら購入。
やっぱり十二国記は面白いですね。マジで政治家や官僚に読ませてやりたい。
国、官、民のあり方。様々な思惑。そして人道。
考えさせられることばかりです。
正義を声高に歌い上げるのは簡単。でもその裏にあるものも考えておかなくてはならない。どれだけ正義を謳ったところで、戦争なんて結局多くの兵と民を殺すものでしかない。

こういうのを考えて欲しいから久間発言も意味があると思うんですが…
何一つ止めることの出来ない、解決することの出来ない“正義”に何の意味があるのか。
どれだけ“道”を説いたところで、私達は多くの犠牲の上に今の生活を得ている。
この作品中での「玉座というものは所詮血で贖うものだ」という言葉と同じように。
でもほとんどの人はそれを意識していない。『華胥の幽夢』収録の乗月の一文。
「罪と知らずに罪を犯すことは二重の罪悪」
そういうことなんだと思います。

今民主党が謳っていることは実体の無い正義そのもの。
例えば年金や消費税。財源について一切言及が無い。所詮実行する意思の無い戯言。

また自民党を筆頭に各政党がやっていることは猾吏の専横。
だからといってその全てを排除してしまえば国として立ち行かなくなる。代わりがいないんだから。だからこそある程度の内包を許し、その上で行き過ぎを取り締まるシステムの構築が必要。まあどうしたら良いのかさっぱりですが。

『華胥の幽夢』収録の“華胥”。
この華胥という話は、先帝(扶王)が没し、新たに登極した、道を弁え非常に有能な新王(砥尚)が没してゆく姿を描いた話。
この中にこういった台詞が。

「扶王が課した税は重かった。だから軽くすべきだと砥尚さまは考えたわけですよね。すると国庫は困窮し、堤ひとつ満足に造ることができなくなりました。飢饉が起こっても蓄えがなく、民に施してやることもできなかった。」

「砥尚さまは、税とは何で、何のためにあり、重くすることはどうして罪で、軽くすることがどうして良いことなのか、本当に考えたことがあったのかな。ただひたすら、扶王のようではないために、軽減したのじゃないでしょうか。税を軽くすることで何が起こるのか、そこまで考え抜いて出した結論だったのかな・・・」

「人を責めるのは容易いことなんですよね。特に私たちみたいに、高い理想を掲げて人を責めることは、本当に簡単なことなんです。でも私たちは、その理想が本当に実現可能なのか、真にあるべき姿なのかをゆっくり腰をすえて考えてみたことがなかったとなかった気がするんです。」

「税は軽いほうがいい、それはきっと間違いなく理想なんでしょう。でも本当に税を軽くすれば、民を潤すこともできなくなります。重ければ民は苦しい、軽くても民は苦しい。それを弁えて充分に吟味した上での結論こそが、答えでないといけなかったんじゃないかな。」

この通りなんだと思います。
私達が探さなければならないのは、これをきちんと理解している為政者。
民主が主張しているのはこういった考えの全く無い薄っぺらい主張でしかない。
だからといって自民が言っているような今のままでの増税は到底容認できません。滑吏の排除が出来て無い以上、私達の負担が大きくなるだけですから。

…一体どうしたら変えられるんでしょうかねぇ…

東の海神 西の滄海―十二国記
小野 不由美
講談社

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