
オルティージャ島へ/ウンベルティーノ橋にて
本当にお天気に恵まれていました
2019年12月24日撮影
ディオニュシオス一世は、周辺に知識階級の人間をはべらせ、芸術や文化にも関心を寄せていました。元々の職業が役人とは言え、もしかすると官庁や裁判所の書記や筆耕などを務めた、極めて有能で文才にも恵まれた人物であったのかもしれません。下世話な話になりますが、今に置き換えれば、芥川賞や直木賞受賞を目指して小説でも書いていそうな…ハイ妄想ストーリーです。が、実際、彼には役人時代から文化界にもつながりがあり、自身も詩を作ったり、戯曲を書いていたそうだから、あながち的外れでもなさそうに思います。といってもやはり妄想ストーリーの域は出ませんが。

サヴェリオ・ランドリナ通り
この道を真っすぐ行くとドォーモ広場に出る
ディオニュシオス一世は、当然シラクーザに来訪したギリシャの哲学者プラトンを歓迎します。二人は当初、良好な関係で居たようですが、やがてプラトンが『正しい人間は幸福であり、不正を働く者は惨めである』とか『独裁者は勇気がない』等とする考えを持っていることを知ると、ディオニュシオスは彼を遠ざけてしまうのでした。
ここでもさくっとしたお話で恐縮ですが、プラトンがディオニュシオスに面と向かってそう言い放ったのかどうかは別にして、ディオニュシオスにすれば、大いに心当たりもあって、痛いところを突かれたことになったのでしょうねぇ。時として「正論は人を傷つける」。

路地から見える青い海が太陽に照らされて光っていました
さて、ディオニュシオス一世には、とても可愛がっているディオンという名の義弟がいました。家系図をたぐれば、なんともややこしいのですが、以下のような関係性になります。この若くして頭脳明晰なディオンという青年が、シラクーザとプラトンを結ぶ鍵となるのですが…。

※ディオンと姉アリストマケはヒッパリノス1世を父に持つ貴族の姉弟でした
※ソープロシュネ・アレテ姉妹にはヒッパリノス2世という男の兄弟が居ます
※ソープロシュネ・アレテ姉妹にはヒッパリノス2世という男の兄弟が居ます
・ディオニュシオス一世の妻は「ディオンの姉」→ディオニュシオス一世とディオンは義理の兄弟
・息子ディオニュシオス二世は、上記父親と「ディオンの姉」との間に生まれた女性(異母妹)と結婚
・ディオンはディオニュシオスー世と「ディオンの姉」の子供と結婚→ディオ二世とは叔父と甥の関係
もう何がなんだか訳分からん親戚関係ですが、ディオニュシオス一世から見れば、ディオンは義理の弟であり、自身の娘と結婚しているから義理の息子でもある、ということになります。又、ディオニュシオス二世からすれば、ディオンは、叔父にして義兄弟という間柄になって、これが後々、複雑な人間模様を浮かび上がらせることにもなっていきます。ちなみに、上記のプラトンの説諭に激怒したディオニュシオス一世は、プラトンを殺そうとしますが、この時、ディオニュシオスをなだめ、プラトンの命を救ったのがこのディオンでした。

シラクーザからカターニアへ帰るバスの車窓に見たエトナ山
2019年12月24日撮影
当初、プラトンがシラクーザを訪れたのは、ヨーロッパで最も高い活火山であるエトナ見物でしたが、ディオンという青年に出会って強く心を惹かれます。鋭い洞察力を持ち、プラトンが説く哲学やその理論に対しても旺盛な学習意欲を見せるディオン。元々が素直で賢い青年だったから、ディオニュシオス一世の寵愛を受け、当然プラトンも彼に篤い信頼を寄せるのでした。一方ディオニュシオスの息子の二世は…。
一度目のシラクーザ訪問は、ディオニュシオス一世と初めて出会い、ディオンとも知り合って、更には一世の怒りを上記のように買ってしまい、やむなくシラクーザから退散しましたが、それから20年後、再び、プラトンはこの地を踏むことになります。
-続く-
今日はパレルモ空港から市内に来るバスがローマ通りに通るのを確認してホッ。28か所止まるらしいのでアンバシアトリの前に止まらないか聞かなくてはと思ったり、モンレアーレからの帰り道にそのまま新市街のレストランPizzo&Pizzoに行くのでそのバスルートを見つけて小躍りしました(笑)AMATの1日券で帰りもリベルタ通りからホテルの近くまで帰れるんですよ👏
リスボンのトラムで味をしめて以来乗り物に乗るのが大好きになってしまい、ほんとにはやくイタリアへ行きたいです。そんな私たちに来週の‟世界ふしぎ発見”はローマからです!
リスボンはほんとに可愛い町ですよね。一緒に行った他の方たちは、広島れもんさんのようにトラムに乗りに行かれましたが、私は歩き疲れてカフェでまったりしてました。トラムの乗り心地はいかがでしたか。そういえば、先日書棚を整理していたら、シントラのロカ岬の到達証明書が出てきました。「陸突き、海始まる」と書かれた証明書にはD-176897という、多分訪問者の番号が打たれていますが、広島れもんさんも証明書はもらわれたかな等と想像しています。イタリアのみならず、他国へ行くのもまだまだ先のことになりそうですが、ワクチンに期待を寄せてもう少し辛抱しなきゃですよね。せかしぎのローマ、教えて頂いてありがとうございます。私も見る予定をしておきます ^^
道が外れました💦すぐにロタ岬の証明書を見たのですが、番号はどこにもなかったです・・・。名前などは凝った字体で書いていただいていますがどうしたんでしょうね。
リスボンはサンチャゴ・デ・コンポステーラからくだった旅の最後の街で、着いた日に市内観光ののちジェロニモス修道院と発見のモニュメントに行って、夕食の時間まで2時間半あったのですがいったん郊外のマリオットホテルにもどってまたアルファマ地区まで来ると言われて、一人参加の男性に離団しないか誘われて中心部のフィゲイラ広場までご一緒しました。
翌日半日が自由時間だったのでトラムの路線と展望台や有名な教会など調べていたので超ラッキーでした。グラシャ展望台まで上がってそれからアルファマ地区が臨めるところで下り、リスボン大聖堂まで歩いてお土産屋さんに入ったりしながらどうにかみなさんより早くレストランに到着できました。
翌日もホテルの近辺が人通りが少ないのでご一緒しますと言われ、早朝からその方と市内のサンタ・ジェスタのエレベーターまで行き、別れてバールで朝食をとって消臭剤で有名になったアルカンタラ展望台までケーブルカーに乗ったり、もうひとつケーブルに乗りに行き、そこから今度は逆回りにトラムに乗ったりローカル感も満載でめちゃ楽しかったです。
シントラのケイジャータのお店行かれました?そこのチーズタルトは賞味期限が長いそうでお土産に爆買いしました(笑)だって5個入りで700円くらいですよ!包装紙もきれいで喜ばれました😊
この前地球の歩き方のイタリア特派員の方の便りを読んでいたら、イタリアではあと4,5年はかかるという見方が多いとあって絶句しました。ちょっと私は70ですよ!70(笑)でも行けなくてつらいのはみんな同じ。高齢者向きのスケジュールに組みなおすとかして乗り切ろうと思っています。
ポルトガルのお話ですが、残念ながらおっしゃっているシントラのお店は知らないです。この旅行で強烈に覚えて居るのは、ヨーロッパの最西端ロカ岬に立って感動したのと、エヴォラの骸骨教会で気分が悪くなったことで、あとは、ヘレンの塔を前にしてこの国の大航海時代を考えたことでした。外へ外へと出ていったために、国内では何一つ産業が発達しなかったのだなぁと海を見ていました。私は一人がいいのですが、ツアーで、そんな風にご一緒して下さる方ができると、それはそれで楽しいですよね。きっと広島れもんさん自身が素敵な方だから、その方もお声を掛けて下さったのだと思います。思い出に残りますね。
イタリアの状況も日本も同じようなもので、なかなか旅行というわけにはいかないですよね。変異ウィルスも出て来たし、何だか又地震も起こりそうで、毎日の生活でさえ危うい気がしてきました。でも、広島れもんさんに勇気をもらって、私もいつかきっと行ける日が来ると信じたいと思います。