わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

あ、熱い、暑い、カンカン照りだ。もうすぐ干上がってしまう

2015年05月30日 | 医学と健康

から

なんだか、自分の頭の事を書いている様な標題だが、それにしても熱い。いや暑い。

当痴呆は日照りなのだ。

お日様~いいかげんにして~~

とさけんでも見ても

お日様は「わしは毎日同じようにでているんじゃわい」と大笑いしている。。

じゃあ、雲さんか・・・頼むのは

 

こう暑いともう考えるのも嫌になる(っていつも考えてねえだろうが)

そして、この国の行く末を想いながらも、ああ、にほん人ってホント、熱いのね!

みんなが熱中症にかかってんじゃないの?

なんて思ったりして。

なにに熱中しているかって?

たとえばですが抗ガン罪とかいや、抗ガン剤とかの癌医猟に夢中なんだから汗;

世界でもこれほど、現代医療に熱中できる民族は居ないだろうなあ・・・

そして、このまま続くとかなりの数が居なくなるだろうなあ・・・この民族

 

と、熱いながらも(頭がだが)考えてしまうのは、特に最近の癌死亡者についてだが・・

これも物事に熱中しているヤツに言ってみても無駄というものだ。

「う、うるさい!」とか「ひっこんでろ!」「わしはワシの道を行くのだ!」とか。

 

何でもそうだが本人が熱中している時にどんなに肥をかけても、いや声をかけても無駄というものだが・・・それにしても、「命をかけて熱中する」ほどだから、もう逝けませんな。

いや、逝けますね。

「そんなに急いでどこへ行く」

彼岸だろ・・・いや、彼らは逝きたくないと言って行くんだからねえ。

こんな事行ってみても、それこそ「余計な事を言うな!おまえじゃない!おれがなってんじゃ!」

とまあ、カンカンに怒られるだろうが。

他人事、たにんごと・・・

 

どんな立派な理屈をならべてみても、これこれ鹿じかと話してみても、もう彼らは横を向くほど余裕など無いのだ。それが熱中症という症状だからね。

 

と、なにがなんだか自分でもよくわからん事書いているが・・・

↓ ここを読むとよ~~く分かるという揉んだ。

  (オマエもこれほどの事を雉に白よな・・・ウウッ;)

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーin deep様ブログーーーーー

 

アメリカでもヨーロッパでもガン治療の主流が「代替医療」か「治療しない」ことによってガン患者の死亡率がどんどん低下している中で日本は…

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

コメント

ニッポン!アチャチャ~  ニッポン!アチャチャ~  ア、ソレ~ 
ニッポン!アチャチャ~

 うむ、どうやら熱も膏肓に達したか・・・・

 

追記

  パラケルススの嘆き

ゲーテの名作「ファウスト」のモデルとなった革命児。(1493年スイス誕生)

47才の若さで没するまで、「医学革命」の情熱を燃やして孤軍奮闘。

彼は熱烈なクリスチャンだったが、教会の権威を一切認めず、信仰の基盤を「内なる神」に置き、【貧者の医学】に徹した。

彼はガレノスの医学を痛烈に批判、ヒポクラテスの医を高く評価しつつ、それを超える医を唱えたという。

 

ヒポクラテスのカタルシスは心身の生理的浄化作用。

パラケルススは心身の浄化とそれに伴う「高次元の霊的浄化」と意味するという。
                 魂の浄化と霊性の向上

ちなみにカタルシスとはギリシャ語の下痢のことで、体内の不浄物を排泄する浄化作用を意味する。

つまり、カタルシス、この場合は人間にとって悲劇と見られる病全般について、本質は浄化作用であって、不浄を清浄にする働き。

病とは天恵の浄化作用と岡田茂吉も説いたが

これに、加えて人間の生き方や思考まで及ばない限り、また繰り返さなければならないということのようだ。

身体の浄化作用だけでも本質を説いているが、それだけでは未だ目的に達していないというのだろうか?

そのとおり、ただ単に薬という毒で浄化作用を止めてみても、根本は解決していない。それどころか薬という毒(すべての薬には副作用がある=毒だと言う意味)によってまた浄化作用を繰り返さなければならない。

それに反して、浄霊法という手かざし法で毒を取ればよいと唱えたのが岡田茂吉。

だが、そこには共通したものがあったのだ。

 

それが「依存」、外への依存。

「内なる神」を忘れ「外なる神==薬、手かざし法」

一見、正反対の医療なのだが、じつは共通しているのは外への依存なのだろう。

 

薬には効果がある。(毒の作用だが)

浄霊にも効果があった。(毒を取るという作用)

もちろん、毒を取る方が根源から治すという方に近いし、毒を入れる対症療法はむしろ病を増やすだけであって、軍配は自ずと知れているだろう・

だが、これだけでは未だ未だというのが

パラケルススの病理観

 カタルシスによって健康が回復するということは、単に元の身体に戻るだけでなく

カタルシスという苦しい体験を通して、霊性が甦り、以前よりも霊的に向上した人間へとスパイラル的に回帰することである。

と説いたという。

 

ここが癒やしの原点とも言えるのだろうか?

ただ◎◎頼り、つまり薬等の物質に頼り、もしくは神に頼るという

どちらも「頼りっぱなし」ではまったく逆の様にみえても、根本的に同質の「依存」「頼りっぱなし」になるのだろう。

それがあらゆる治療法に言えるのかも知れないが、その本質がよく現れて見えるのが

「あの猛毒抗ガン剤を飲んでいても癌が治った人も居る」という事なのかも知れない。

 

まあ、個人の寿命は本人も他人も分からないが、その点を主に考えると死ぬ年齢などは副となって主はその「どれだけ霊性が甦るか」「どれだけ本当の自分(神)に帰るか」にあるのかも知れない。

 

う~む、追記にしては、まともに書いてしまった菜

それにしてもほとんど転載記事だったが (あらら )

 

 

ところでパラケルススの憂鬱とは?

それは後でね。

himaari倶楽部ですから、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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