わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

美食飽食者の末路は哀れ? (付録;伝染病はなぜ拡大するのか)

2016年02月03日 | 医学と健康

 松本英聖著 「医学と生命」 第一部より

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 松本英聖著 「医学と生命」 第一部より


31P
    美食は人口を減らす

 民族の消長と食生活の関係について真正面から取り組んだのは、かって国連世界農業機構の理事長であり、人口食糧問題の世界的権威として知られたカストロ博士(ブラジル大学栄養研究所長)である。           同博士は、世界各国民の食生活と出産率との関係について大規模な疫学的調査を行ない、次の結論を得た。
 動物性蛋百質(肉・魚・卵・生乳)を豊富に摂っている豊かな国民ほど出産率が低く、その反対に粗末な澱粉食(素食)を常食としている貧しい民族ほど出産率が高い、という事実である。この事実はスロネーカー(生物学者)が行った次の実験によって生物学的にも裏付けられた。
 彼はネズミを幾つかのグループに分け、蛋白質をさまざまな割合で混ぜた餌をこしらえ、A群にはAの餌という具合にして飼育、六世代にわたって繁殖率を調べた。その結果、蛋白質の摂取量が増えるにつれて、ネズミの繁殖率(受胎率や胎児数)が次第に減る事実が明らかになった。この実験は、ネズミの繁殖が、謂わゆるネズミ算式に増えず、繁殖率が、栄養条件(餌の質)によって変わることを示すものであって、マルサス流の人口論は、この事実(栄養条件)を無視した机上の空論であることが分かるであろう。 
また、アメリカのマク・ケイ教授(コーネル大学動物研)は、ネズミを使って飼育実験を行ない、解剖して健康状態を調べた。すると蛋白質の多い餌を腹一杯食べさせたネズミは発育がよく、色艶もあって、見るからに健康そうに見えたが、間もなく腎臓硬化その他の病気に罹って早死にした。一方、普通の餌を死なない程度に減らして与えたネズミは発育が遅く、見るからに貧弱そうに見えたが、寿命が長く、最高記録は通常のネズミの二倍半近くも長生きした。しかも彼らは耐久力があり、老化が遅く、バイ菌を植え付けてもビクともしない抵抗力を示した。矢追秀武博士(元東大教授)も同様な実験を試み、素食少食は、体質を強め、丈夫で長生きすることを確かめている。 高名な杉靖三郎博士(筑波大学名誉教授)も同様な実験を行ない、ネズミの体力が強くなることを確認すると共に「戦時中の食糧事情が悪かった頃、日本人はみな痩せ細り、栄養不良で病気に罹りやすいと考えられていたが、その後の調査で、その頃は病気が激減し伝染病まで減っていることが判明した」と述べておられる。以上を総括するとーーー、
 美食飽食者は、見かけは健康そうだが、食毒のため老化が早まり、早晩に死病(慢性病)で倒れやすく、民族的には出生率が低下して民族の滅亡を招く。
 一方、素食少食者は、一見すると体格が貧弱で、病気にも罹りやすいように見えるが、事実はその逆で、健康に恵まれ、天寿を全うし、民族的には若さのシンボルである生殖能力が強く、民族を興隆する。
 これが生物界を支配する鉄則であり、この掟は絶対である。
 昨今、出生率の低下が目立ち、大きな議論を呼んでいるが、それは現在のグルメ時代と決して無縁ではなく、早晩に民族の衰亡を招くことは歴史の示す通りである。
 ともあれ、美食飽食は食毒を招き、その浄化作用として、さまざまな病気が発生するということである。


33P
    第三章、 中世を支配した神の医学

 六世紀に古代ローマを襲ったペスト禍は、全人口の半分が死亡してローマ帝国は崩壊し、ローマ医学の権威も地に落ちた。この信じ難い現実を目の前にして人々は人生の儚さと医学の無力さをいやというほど思い知らされた。 こうした不安と絶望が渦巻く中で、時代はキリスト教の絶対権威が支配する中世に移り変わり、それと共に医学も亦、《神の恩寵と祈り》を説く僧院医学へと次第に傾斜していった。その一つの現われが、有名なロイヤル・タッチだ。
 この〝王の手″が触れるだけで万病が治るという奇蹟は、ペスト禍の余韻がくすぶる五世紀末(四九六年)にフランス(フランク王国)のクロヴィス王が神の啓示を受けて行なったことに始まり、以来歴代フランス王家によって継承された。イギリスでは、懺悔王の名で知られるエドワード王(一〇四二~一O六六)が初めてこれを行ない、多数の〝るいれき″(結核性リンパ腺腫)患者が治ったと王家の記録は伝えている。

 〝奇蹟の手″の歴史は古く、ギリシャの神殿には患部に手を翳している医神の姿が描かれており、またイエス・キリストは手を触れるだけで奇蹟を現わしたことが聖書の随所に記るされ、その伝統はキリスト教の按手礼として、今なお受け継がれている。中国の外気功然り、日本でも前述した少彦名神の「手翳し」(天津御手振り)が伝わっている。
 病気の〝手当て″とは手を当てることであり、この〝手当て″こそ人類の発祥と共に始まった人類最古かつ最善の治
療法と見ることもできよう。だが、それは「病は自然が癒す、病は自然の海化作用なり」というヒポクラテス医学を確信し、食生活を改めることが必要条件であって、さもないと恐るべき虚構の医学へと変貌する。
 現に、この人類最古の〝癒しの手″が、ガレノス医学と結び付いた時、中世医学の悲劇が始まった。
 ガレノス医学は〝病は敵″と捉らえ、その敵と戦うこと(攻撃的医療)を使命とする。だが、ペスト禍で、ローマ医学の無力が露呈するや、人々は〝病は天罰″と説く僧院医学に助けを求めて〝神の慈悲″に縋ろうとした。実は、ここに中世医学の陥し穴があり、人々はその穴に嵌った。
 ペストという現象面の悲惨さに目を奪われた人々は、本来は、神の恩恵と受け止めるべき自然の浄化作用を、〝天罰″と思い込んでしまった。

 無理もない話であるが、しかし本当は、人々の反自然的生活こそが神の御心に反するものであり、悔い改めることを教え論すことが医学の使命である。しかるにガレノス医学に毒された中世医学は、それに気付かず、病は〝神罰″と説き、その許しを願って、ひたすら神に祈り、恩寵に縋れと教えた。しかも僧医自身は、豪奢な生活にドップリと浸りながら、それを改めようともせずにーー。

 真実がねじ曲げられている以上、如何に祈っても神に通じる筈がない。彼らが天罰と教えられた病気こそ、実は神の御救いの手(浄化あるいは浄罪)に外ならないのに、それを〝悪″として憎み恐れながら、何を願うと言うのか。まさに転倒妄想であり、これでは救われる筈ない。
 かくして、真実の神は人間の手によって葬られ、代わって人間が勝手にデッチ上げた虚像の神、即ち人間中心のご都合主義が作り上げた偶像崇拝が始まった。

 神とは何かーー、まさか人間に奉仕する〝幸福製造業″ではあるまい。だが実際には、ガレノス医学と結び付いた中世医学は、知ってか知らずか、神様さえも″病魔退散″の道具と見做すことになるのだ。
 かってマルクスは〝宗教は阿片なり″と激しく非難したが、中世医学はまさにそれ。 ともあれ人々が反自然的生活に目覚め、それを改めない限り、浄花作用は必ず起こる。それが自然法則であり、神の摂理であるからだ。
 事実、キリスト教の絶対権と石造りの城壁に囲まれ、心身共に束縛された中世の反自然的生活に対応する陰惨な浄化作用が始まった。中世を代表する疫病(慢性伝染病)〝ライ″の猖獗(しょうけつ)である。


35P
   ライを一掃したペスト

 中世のライは十二~十三世紀にピークとなった。当時の人々は中世の厳めしい城塞の中で、豚や生と一緒に寝起きし、それを殺して食べ、新鮮な野菜や果物も不足しがちで、庶民にはトイレも風呂も殆ど無かったと言うから彼等の日常生活が極度に反自然的であったことは想像に余りある。
 だが人々は、ライが彼等の反自然的生活に相応した浄化作用であることを露知らず、僧院医学が教えるままに、これを〝天刑病″と信じ恐れるだけで、生活を改める道も知らず、ひたすら神に縋った。こうした反自然的な生活が千年も続いた結果、ライを免れた人々の体内にも次第に食毒が蓄積されていった。中世医学が招いた悲劇である。
 やがて、中世住民の食毒蓄積がマキシムに達した頃、十字軍の遠征と蒙古襲来という二つの人災が重なり、この凄惨な殺戮と収奪を契機として遂に史上空前の恐るべき大浄化作用が起こった。ペスト襲来(一三四八年)である。当時の惨状をボッカチオの名作コデカメロン』は克明に記述しているが、花の都フィレンツェでは住民の半数が死に絶え、ペストは街から街へ、村から村へと瞬く間にヨーロッパ全土に広がり死人の山を築いた。

 この惨禍の最中、一人超然としてペストの街々に現われ、見捨てられた患者の救護に当たった人物がいる。ユダヤ系のフランス人医師・ノストラダムスだ。彼は行く先々のペストの町で、先を争って逃げ惑う人々に対して〝一九九九年七月、人類は滅亡する″という不気味な大予言を残して、ペストの終焉と共に忽焉と姿をくらました。
 恐らく彼は、ペスト禍が積年の食毒を一掃する大浄化作用であり、体質が健全であれば、決して感染しないことを知っていたに違いない。そして五百年後の二十世紀末、人類が再びこの愚を繰り返さないよう警告したのではなかろうか。歴史は繰り返すと言うが、世紀末の今、ペストの教訓を決して忘れてはなるまい。

  不思議なことは、ペストによる浄化作用によって、中世のライが一掃され、それ以後は極めて稀な病気となったことだ。
 そして、辛うじて生き残った民衆の手によって、新しい人間復興のルネッサンスが到米すると共に、人々は虚妄の神の鉄鎖から解放され中世僧院医学は瓦解した。
 〝破壊と建設″が裏表一体となって同時進行する大浄化作用は、恐ろしくもまた希望に溢れた破局と言えよう。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

 

なぜ世界的大流行する伝染病があるのだろう?

 という疑問に珍回答してみるakyoonだったが・・・

 

科学は仮説だというから、ボクのも科学なのだ(笑

 

 

「 不思議なことは、ペストによる浄化作用によって、中世のライが一掃され、それ以後は極めて稀な病気となったことだ。」という記載について

人は見えない根っこのところで繋がっている共同生命体のようなものでしょうかねえ。

たとえば畑の野菜が土の中では共通しているわけで、土壌中の状態が表面に出ている野菜に現れるわけでして、その野菜にも強弱あり、ぜんぶが同じような状態になるわけではありませんね。

作物がぜんぶ病気になったとしても、幾つかの例外はあるわけで、その生き残った作物の種が次世代の強い作物を持続させるものです。

まあ、土壌の中の状態が悪化(作物にとって)すれば、表面の作物に現れるとしても、一様では無くダメになるモノと生き残って丈夫なモノに別れることです。

野菜が虫に食われるとかウイルス病で斃れるとか、それはみな土壌の中の状態が表の野菜に現れるのでしょうが、じつはこれは土壌の浄化作用の過程であって、結果として野菜の虫食いや病気斃れで土壌が改善されているとも見られるわけですね。

同様に人間も全体としてはひとつのエネルギーの形として共通しているネットワーク上にあり、エネルギー状態が正負に別けるとして、負の状態がかなり進んでしまうと、大きい感染症として表層(にんげん)に現れるのでしょうか?

そうなると、この感染症によって共通する土壌(人間の共通しているエネルギー域)が浄化されて、清浄化されるので同じようなエネルギー状態にならない場合か、別の状態のなっている場合は同じような感染症が大流行しなくなるわけでしょう・・・か?

 

もうひとつは人類のその大規模浄化作用(伝染病大流行)によって、生き残った野菜(にんげん)の遺伝子がより強い作物(人間)を創り上げるという風になっているのかも知れません。

ひとの共通している見えない根っこの域(エネルギーというか波動というか、畑で言えば土壌のような)ではマイナスかプラスかの状態によって、調和するような自己回復機能が備わっているのでしょうね。

もちろん、個々の人間も同様、自己回復機能、すなわち、自己浄化機能が備わっているわけでして、その個々の機能と全体としての機能(根っこの域)が共同してネットワーク上になっていて、それがウイルスや細菌の助けを借りて個人の浄化作用が共通、同時多発的に起こる・・・それが世界的とか広域的な伝染病、感染症となって見えるのではないかと。

だから、昔あった伝染病がいま無くなったのは、その時期の人類のエネルギー域にあったような対策で起こるわけで、そこに登場したウイルスや細菌が再登場しなくなるのは、個人の麻疹のように、全体としての免疫機能が行われているのではないかと思われます。

個々の人間で言えば、麻疹などのように古い遺伝的毒素(先代からの引き継ぎ)を浄化してきれいにする働きで、これは一度かかれば生涯免疫となるわけで、その負のエネルギーが解消した為とみればよいわけです。

だが、産まれてからも色々な毒素が日々入りますから、それらを軽い状態(エネルギー的に低い)で片付けてしまおうというのが風邪(インフルエンザも同質)なのですが、それを悪くとって止めたり、余計な毒(治せないのにあるという風邪薬)を入れるため、次第に負のエネルギーが増えてしまうわけです。

そして、いつかそれをまた解消しなければならなくなります。そのような時に人類は共通している土壌がありますから、表層にある個人が同時多発的に風邪症状として浄化するわけです。

だから、風邪が流行すればインフルエンザと呼んでいかにも横から横にうつる(感染)するように見えますが、じつは医学上でその「水平感染」を証明出来ないでいるそうですから、単純に人から人へ感染するのでは無く、見えない共通する領域で繋がっているため、モグラ叩きの穴ではありませんが、表面のにんげんにあちこちと同時に顔を出すのかもしれません。

医学は唯物科学が土台ですから、見えない非物質領域など無いとして、あくまで水平感染としているのでしょう。だが、それを証明出来ていない、つまり推測の域なのです。

医学が本当の科学で無い「推測」「仮説」なのなら、こちらも同様なのでして、非科学的と言われても「医学と同じですよ」と答えるしかありません(笑い

 

病気は不調和の状態を元に戻すきっかけでもあり実効でもあるわけでしょうから、病気は悪では無く、本質は善なのですね。だが、借金と似ていて「返すのは辛い」わけで、あまりにも借りすぎたときは家ごと破産になってしまい、リセットされる場合もありますね。

しかし人間の場合リセット(この場合、死だが)されても、人は肉体が本体では無い意識体、エネルギー的には不滅なので、このリセットは決して失敗でも悪でも無い、次の肉体に転生した場合はその負のエネルギーが解消されているわけで自由度が高くなると思うのです。

病気という悪い状態に見えるものを忌み嫌うのは当然としても、これはいつかどこかで借金しているものを自然が返すために起こす浄化作用と考えれば納得するしかありません。

その借金返しを嫌だと言って人類が長い間、病気を止めようして色々な毒物を応用してきたのが薬で、それを学問にしたのが薬理学でしょう。

しかし、最近ではその薬理学の専門家が「薬は病を治す力を持ち合わせておりません」とハッキリと言う時代になりました。「治すのは自分自身の力」だとも。

その自分自身の治す力が「浄化力」なのですが、これも都合の良いように考えてしまい、「病気になったら働く機能」だとしか認めないと本質が分からなくなりますね。

本当は「病気になる機能」も含まれているわけでして。
つまり、負の状態、不調和の状態にあるとき、発動するので表面的に言えば「病気になる」という状態です。
もちろん、何も無い状態では病気になりたくてもなれないのですが、その病気なれる状態にある場合は自分自身の治癒力が働いて病気を引き起こすわけです。

その過程が苦痛症状であり、峠を越えれば前より調和の状態にもどるわけです。

それを自然治癒力と言うのですが、たいていは病気になった後の方だけを指して言うようですから、これだと病気は悪だという思想が残っているのでしょうね。

もっとも、病気になるほど体内が不調和になっているのですから、見方によっては悪い状態にあるわけですね。

その浄化作用に自然界の助っ人(あまり有り難がられない存在)としてウイルスや細菌が存在しているわけです。

体内の要らないものを分解して排泄するという浄化作用の手助けですから、急速に行われる大掃除のようなモノで、それはかなりキツイことも人によってはあり得るので、やはり人間のエゴ意識としては嫌なわけです。

人間の浄化作用としては感染系で無いモノも多数ありますが、なかでもガンなどは究極の浄化装置として働いているのでしょうね。医学者が不思議がっている「感染症にかかっている患者にガンが少ない」という話をきくと、浄化作用の形態が異なっていても、浄化の本質は体内の毒素排除ですから、箒で掃く掃除か電気掃除機で吸い取る掃除かの違いはあっても掃除には違いありません。

ただ、ガンは排毒が困難になったような状態に働くのかも知れません。

つまり、体外に出せなくなったときは仕方なく次善の策としていったん体内の局部に集めてできるだけ全体を長持ちされるというような。

それは畑の野菜が病気や虫食いに合う場合も似ているかも知れませんが、全体を護るために一部、もしくはほぼ半分近くもやられてしまうという、そこで残った作物に次世代を担って貰うのかも知れません。

 

人間は野菜じゃありませんが、全体としての人類を存続するために一気に浄化を行う自然の働きが広域、世界的な伝染病を引き起こしているじゃ無いかとボクは仮説します。はい。

地球上は人間によってかなり汚染されているようですが、その地上に住む人間が汚染されているのは当然ですから、個々に浄化装置が備わっているのでそれぞれの病気として現れるのは「浄化の過程」なのです。

有難くもあり有難くも無い

というのは本質的には絶対的善である浄化作用なのですが、表層意識(自我意識)としては耐えられないほどの苦痛と、「本質を知らぬがゆえの」不安と恐怖で、病を忌み嫌うわけです。

「感染するにはわけがある」という意味は納得できたとしても、それが実際に我が身に迫ったり起こったりすると自我意識が即発動してもがくわけです。

そのもがきが役に立たない、どころかむしろ蟻地獄に陥ってジタバタ騒ぐように、もっと不都合な状態になってしまうのです。

それをずっと続けてきたのがコンニチまでの世界の主要な医療だったわけですが、気がついた医師も増えてきたようで浄化作用を妨げないで、出来るだけ手助けするような医療にシフトし始めているようです。

だが、多数が真実だとする世界ではまだまだ少数派ですが、これから起こる自然界の浄化作用のうち、人間が感染症、伝染病と呼ばれているような病気が大流行して、ようやく気がつくのでしょう・・・か?

 

 ここで珍説は終わります。

え? 沈説

  チ~~~~ン♪   擬音小者の鐘の音

 

 

 

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